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僕とゼリィさんはなるべく早くレフ魔導帝国に着く馬車を選んで先を急いだのだけれど、帝国が「崩壊した」という情報が流れると乗合馬車の類は一斉に運行を取りやめ、今、動いているのはこれを商機と見た隊商の馬車がほとんどだった。
帝国近辺の村で、ゼリィさんは隊商の馬車に乗っていくこととし——護衛を引き受けることで乗せてもらうのだ——僕は先に「走って」向かうことになった。馬が通れる道は限られるけど、自分の足なら行ける道も多い。
人間は意外とできることが多いのである。
「ほんとに大丈夫っすか、坊ちゃん?」
「はい。1日走ればたぶん着きますから」
「1日走るって簡単に言わないでくださいよ……」
うげぇ、と舌を出してイヤそうな顔をするゼリィさん。彼女もついて来られると思うのだけど、そこまで無理はしたくないらしい。あと、
「ま、坊ちゃんが行って大体解決してくれるんでしょう? あーしが行く必要ないっすわ」
なんて過剰な期待を持っているらしい。
いや……僕だってなにかできるっていう確証があるわけじゃないんだけどね……。
ともあれ、今日は夜も更けたので隊商の人たちと食事をすることになった。
村には酒場が1軒だけあって、今までもレフ魔導帝国に行く人たちが立ち寄る場所として使われていたみたいだ。もともと帝国は秘密主義だったので往来はさほど多くなく、商売にあまり影響は出ていないみたいだ。
20席くらいあるテーブル席は、ゼリィさんがお世話になる隊商のメンバーたちでごった返していた。だけど出てくる料理はどこの村にもある焼いた肉と、どこの街でも買える安い酒だ。
長旅に疲れている人たちは、それでも美味い美味いと言って食べるので問題ないらしい。空腹は最高のスパイスってね。
「いやー助かったぜ。アンタみたいな腕利きをここで雇えるなんてな」
隊商のリーダーは20代の女性で、赤く長い髪を後ろで無造作に縛っていた。前髪がはらりと垂れてくるとうざったそうにかきあげているが、右目の近辺に火傷の痕があってそれを隠す意味もあるようだ。
よく日に焼けていて、袖のないシャツを着ていた。そこから出ている二の腕はしなやかでしっかり筋肉がついている。
よく笑い、よく大きな声を出す、豪快な人だった。
「しかも女だってんだからいい。女の護衛はそうそういなくてよー」
「女性の護衛でないと苦労することもあるんですか?」
「おー、そりゃそーよ。女じゃなきゃわかんねーことも多いし。なー?」
「そっすよ、坊ちゃん。まあ、坊ちゃんがそれをわかるようになるのはもっと後のことでしょうねえ」
ぽんぽんと僕の頭を叩いてくるゼリィさんがうざったい。すでにお酒を飲み始めているのでウザ絡みしてくるのだ。
「坊ちゃん坊ちゃん言う割りにゃ、貧相な格好してんなー?」
「まあ、まあ、いろいろありまして」
僕だけこの村に残ってゼリィさんを待つ、というふうに言ってある。「走っていくんです」なんて言って止められたら面倒だし。
聖王都からの長旅で僕の格好はいよいよ薄汚れてきた。
「それはそうと、お姉さんはもう何度かレフに行かれているんですよね? お話を聞かせてくれませんか?」
「お姉さん、だなんて呼び方は止めてくれよ。もうそんな年じゃねーし。かといってオバサンとか呼ぶんじゃねーぞ? 殺すぞ?」
「はあ」
めんどくさい。
「ユーアだ。名前で呼びな」
「はい。ユーアさん」
「いい子だ。——アンタ、レフになんかゆかりがあるんだろ? だからゼリィをひとりでレフに送り込むと」
「…………」
僕は無言を貫いた。余計なことを言うとボロが出るし。
「ま、人にはいろんな事情があらーな。言いたくなきゃいいよ」
それに黙っていると、勝手に本人が納得できるように解釈してくれるから楽である。
ユーアさんはジョッキの酒をぐびりとやってから話し出した。
「……そんで帝国の話だがな。今はあちこちから兵士が集まって殺気立ってるな。最新の情報だとさっきここの村長に聞いてきたんだけど、どうも帝国内で問題が起きているみてーだ」
「問題?」
「あそこは、『九情の迷宮』とかいうダンジョンを抱えていて、それを国ぐるみで攻略しているんだが——そこの攻略チームが、なんでも嘘っぱちの報告を上げて、つるし上げを食ってるとか」
僕とゼリィさんは視線を交わした。なんだそれ。
「なんつったっけなー。迷宮何課だか忘れたが、そこの女リーダーがやらかしたっていう話……」
「女リーダー!?」
僕はハッとした。迷宮攻略課で女性が課長を務めているのはルルシャさんしかいないはずだ。
「お、おー。坊主も男だな。女が好きか? ん?」
「いや、そうじゃなくて。ルル——迷宮攻略第4課がつるし上げをされているんですか?」
「ま、そりゃ言葉の綾だがな。ただそこの女リーダーは捕まってるらしいぞ。で、そいつらに協力した冒険者も同罪だ、ってんで追っ手が掛かったらしいが……」
「————」
協力した冒険者、それは「銀の天秤」に違いない。
僕は立ち上がり、外へと飛び出した。
「——ちょっ、坊ちゃん! 待ってください!」
後から追ってきたゼリィさんに、振り返る。
「僕は先行します」
夜も更けていた。ちりばめたような星空が広がっており、近くの森からは涼しげな風が吹いてくる。
明かりは心許ないけれど、【光魔法】を使えば走れないこともない。
「冗談でしょう……坊ちゃん。夜の森を行くなんて自殺行為ですよ」
「僕なら問題ありません」
「問題しかないっすよ!? あのね、坊ちゃん。確かに坊ちゃんはお強い。でも、森をナメたらいかんですわ。未知の毒を持つ蜘蛛に噛まれたらどうします? 地面が陥没して洞窟に落ちたら? 大体、坊ちゃんはひとりなんですよ!?」
「——ゼリィさん」
僕は彼女を振り向かなかった。
「後日、合流しましょう」
そして走り出した。
「んも〜〜〜坊ちゃんのバカァ〜〜〜!」
ゼリィさんの叫び声も、心配も、後ろに残して僕は村を飛び出した。
(ルルシャさんが捕まった。それに「銀の天秤」のみんなは無事なのか?)
僕は走る。
ゼリィさんの心配は当然のことで、僕だって昼日中の全力と同等のスピードで行けるとは思っていない。
でも、それでも、今出れば昼前には帝国の関所に着けるはずだ。
この半日でなにが変わるでもないかもしれないけれど、それでも僕は走らずにはいられなかった。
★ 「裏の世界」ダークエルフ集落 ★
「……なるほど、よくわかりましたわ。レイジさんは先に行くと、そういうことなのですね? 私を置いて、先に行くと」
アナスタシアから発せられるオーラに、百人長とノックはたじろいた。
ふたりはレイジと別れてからもう一度「裏の世界」へと行った。驚いたことにはあれだけ大量に置かれてあった天賦珠玉がすべてなくなっていたのだ。周囲は荒らされ、生え放題だった草木は壊滅状態だった。
それに背筋を寒くしながらも百人長とノックは二手に分かれて集落へと戻った——調停者に尾行されているかもしれなかったからだが、幸い、その気配はなかった。
戻ってみると喜色満面のアナスタシアが駈け寄ってきて、レイジがいないのを確認すると世界が終わったかのような絶望的な表情になり、そして事情をすべて聞いた今——大変なお怒りなのである。
「また、私を置いていくと、そうおっしゃったのですね?」
「い、いや、姫さんよォ、アイツはアイツで向こうで重要な用事があるとかで……」
「私はたいしたことない存在ですものね?」
「そうは言ってねェッて! なあ、ノックもなんとか言え——」
「すべてはハイエルフ様の御心のままに」
すでに土下座しているノックを見て、百人長は唖然とするのだった。
「出発します」
「……なんだって?」
「出発します。『一天祭壇』へ向けて」
「いや、でも準備が……」
「今すぐ!」
「えぇ〜!?」
「かしこまりました」
驚く百人長とは裏腹に、ノックはすぐに立ち上がって仲間の元へと走り出した。
「マジかよ……」
この数日走り通しで、身体はフラフラだというのに——。
「百人長さん」
「ヒィッ」
柔らかな声でアーシャに話しかけられ、百人長は総毛立った。
「道案内、お願いしますわね?」
「……は、はい」
有無を言わせぬ微笑に押し切られ、百人長はうなずかざるを得なかった。
これが、ダークエルフたちを従える力か——と驚くと同時に、
(おい、レイジ。お前……次に姫さんに会ったときに言葉を間違えるなよ……どうなるかわかんねェぞ)
レイジに軽く同情するのだった。




