離界《世界を分かつもの》
★ 長い長い通路 ★
前後左右に明かりはひとつもなく、魔法で光を出そうとしても不思議とその周囲だけはほんのり明るいものの周囲が照らされることはなかった。
両手を広げれば左右の壁に手が届くので間違いなく一本道を進んでいるようだ。
だけれどその道を歩んで、数分過ぎ、30分過ぎ、1時間過ぎ、しまいにはどれくらい時間が経ったのかもわからず、下っているのか、上っているのか、カーブしているのか、直線なのかも定かではなくなってくると、身体が闇の真空に浮かんでいるような気持ちになる。
近くにいるはずの仲間に声を掛けていたのも最初のうちだけで、次第に、世界には自分しかいないのではという気持ちになってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が上がり、汗が垂れ、足は重く、体力は限界だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
呼気と鼓動だけが自分の生きている証だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
やがて身体は闇に溶け、肺と心臓だけが前に進んでいく感覚が訪れる。
意識が明瞭になり、深い安息と洞察が生まれた。
『盟約を成立せしむる要素は「天賦珠玉」と、「盟約者」と、「調停者」である』
その三者は不可侵だ。
だから天賦珠玉を生み出す「一天祭壇」を調停者は破壊することができなかったし、祭壇の下にあるこの通路にもやってこなかった。
クルヴァーン聖王国では盟約者の聖王が調停者と戦ったけれど、あのドームが破壊される前には調停者にダメージを与えることはできなかった。調停者は聖王騎士団長を倒したけれど、聖王に攻撃をすることはなかった。不可侵だから、意味がないことを知っていた。
『天賦珠玉を取りすぎてはならない』
こんな、警句のような内容が盟約に書かれている。取りすぎればどうなるとかはない。
——天賦珠玉は『神が与えたもの』……ですが一方で『循環するもの』でもあると考えています。え、そう言っているのは聖王宮ではわたくしめだけですがね。こちらの世界で消えた天賦珠玉は、『裏の世界』に行き、『裏の世界』で消えた天賦珠玉はこちらの世界に来るのではないかと。
エルさんはそう言った。その推測が正しければ「取りすぎてはならない」という内容に沿う。
さっき見た、「裏の世界」の「一天祭壇」が吐き出した天賦珠玉の山。
あれだけ数があれば星4つ以上のものがもっとあっても良さそうだけれど——星が多いと産出確率が低くなるのはもちろんそうだとしても、星が多いと光が増し、発見しやすくなる。
見渡す限りの茂みに星4つ以上のものは、とりあえず僕が完璧に記憶する限り、ない。
(「表の世界」では星の多い天賦珠玉は貴重で、超高額で取引されていた。【オーブ着脱】を使って、使用者が重病に罹った場合は取り出されたりもした)
——星1つは、銀貨1枚。街の食堂で飯が3回食えるほど。星2つは銀貨100枚。
——100枚!? ちなみに、星6つは?
——値がつかぬ。
僕は唐突に、「六天鉱山」でのヒンガ老人との会話を思い出した。
値がつかないほど貴重な天賦珠玉は大事に大事に扱われる。実際、クルヴァーン聖王国ほどの大国、さらには「一天祭壇」という取りこぼしようがない天賦珠玉製造機を抱えている国であっても、星5つ以上の天賦珠玉は7つしかなく、それらは所有する貴族家が代々に渡って保管していた。
(「表の世界」で希少な天賦珠玉の流通を止めてしまった結果、「裏の世界」には回らなくなったんだ。だから、「裏の世界」では凶暴なモンスターに対抗する術がなく、人々はどんどん数を減らしていった)
もっとも、8つの巨大種なんてものがいる時点で「裏の世界」のほうが厳しい世界には違いないのだけれど。
エルさんに、盟約や「裏の世界」の話をしたらきっと喜ぶだろう。エルさんは盟約が破棄されることで「裏の世界」からモンスターが押し寄せる……というふうにとらえていた。2つの世界の間で、天賦珠玉のバランスが崩れ、「裏の世界」にはモンスターがはびこっているということをすでに知っていたのだろうか?
——これは、実はわたくしめの発案ではないのです。『盟約』と『裏の世界』に関する古文書解読、及び『天賦珠玉』研究の第一人者であられたヒンガ博士という方が提唱したものです。もう、20年以上も前の論文でございましたな……。
エルさんはヒンガ老人の研究によって多くのことを知ったみたいだ。
——この身は、罰を受けるためにあり。死ぬことでは償えぬ罪を犯したゆえ。されど、今際にて日の光を浴びるほどの僥倖に浴した。天地を統べる万能の神よ、願わくばこの忌み子に祝福を授けよ……。
ヒンガ老人は最期にそう言った。
ヒンガ老人は天賦珠玉について研究していたということだけれど、それは「罪」なのだろうか?「死ぬことでは償えぬ」ほどの?
(ヒンガ老人はいったいなにをしたんだろう……)
孫娘のルルシャさんはヒンガ老人の論文をまだ手元に残しているだろうか? それを読めばなにか手がかりがつかめるかもしれない。
空に現れた赤い亀裂から落ちていったモンスターが、破壊していなければいいんだけど……。
そうだ、「表の世界」に戻ったら僕はレフ魔導帝国に行かなければ。
赤い亀裂はどうなっただろう。
それに——ラルクは。
ラルクはまだ無事だろうか。
ラルクのことだからきっと無茶をしているに違いない。「こんなのへーきへーき」とか言って。
僕が止めなきゃ。
弟の、僕が。
★ レフ魔導帝国・レッドゲート最前線 ★
アバは毎日忙しかった。各国の軍が続々と到着するので高官同士の調整はすべてアバの仕事だった。
仕事の漏れがあると何百何千という兵士に影響があり、下手をすると食料も配られないままひもじい思いをさせるかもしれないとなると——しかも兵士たちは自分の故郷であるレフ魔導帝国のために戦ってくれるのだ——アバは一時たりとも気が抜けない。
自分の天幕に戻って仮眠を取ると、すぐに起き出して外へ飛び出していく。
「…………?」
その日はふと、天幕の隅に置かれてある魔道具が気になって視線を送った。
25センチくらいの台座と、その上に載せられた平たく丸い、銀製の金属。
「裏の世界」へと旅立ったレイジの生存を確認するための魔道具だった。耳を近づければいつものようにウウウウと音がするのだろうけれど、冒険者の「銀の天秤」たちがルルシャとともに「九情の迷宮」調査に出払ってからはアバもあまりチェックできていなかった。
今日は耳を澄ませておこうか——と思ったアバは、「アバ様! 会議が始まります!」という部下の声にハッとして、
「わかった。すぐ行く」
書類を小脇に抱えると天幕を飛び出していった。
ウウウウウウ——と魔道具は鳴っている。
だが、その振動はどんどん大きくなっていった。皿のような銀製の金属はカタカタと台座の上で震えると、
——パキッ。
真っ二つに割れたのだった。
激務に追われ自分の天幕に戻って眠ることすらできなかったアバがこれに気がつくのは、数日後のことである。
あっさりしていますがこれにて4章は終了となります。
後日談を挟まずに、次話から5章「竜と鬼、贄と咎」が始まります。
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