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野獣の種類はわからなかったけれど、初夏鳥の数が減ったことに気づいたのか、あるいはもともとそういう習性があるのか、初夏鳥の卵を襲って食べる種類の野獣なのだろう。
この「卵置き場」には割れている卵も多くて、その理由が「捕食されたから」ならば説明がつくし。
時刻はゆっくりと夕方になろうとしていた。
初夏鳥はわずかに数を増やしたけれど、野獣の群れは森の中で息を潜めている。
これがなにを意味するのか。
——野獣は夜を待っているんだと思います。夜になれば行動が見えにくくなりますし。ただ初夏鳥も「卵置き場」に何者かが侵入すればそれはわかるので、警戒を怠っていないんじゃないかと……。
というのはプンタさんの分析だ。
ならば、夜になる前にこちらの用事を済ませなければならない。
夕方——ついに僕が待っていたものが現れた。
霧だ。
日中との気温差で生まれる霧は、夕方から朝にかけて生まれる。
だから今時点で発生している霧はかすかに過ぎない。
だけど——ゼロよりは不自然じゃない。
僕は【水魔法】と【火魔法】で人工的な霧を発生させ、【風魔法】で「卵置き場」に霧を送り込む。
かすかに初夏鳥の動きに乱れが出たようだけれど、すぐに群れは元の通りとなった。
視界はかなり悪くなっている。「卵置き場」近辺だけだから、野獣は気づいていないはずだ。現に、野獣に動きはない。
「……プンタさん、アーシャ、どうですか?」
「で、できてます」
「たぶんこれなら……」
ふたりにお願いしていたのは頭からかぶるカムフラージュ用の布だった。フード付きの僕のマントに、落ちていた卵の殻を拾い集め、貼り付ける。だいぶギザギザのマントになってしまったけれど卵と同じ乳白色に擬態できるので十分だ。
「キミドリゴルンさんは?」
「……これでいけるはずだぬ」
キミドリゴルンさんが手渡してきたのは石板と魔石をくっつけた魔道具だ。「ゆで卵判別機」の軽量化をお願いし、「生卵かどうか」だけがわかるものになっている。
「くっつければ2秒で『生』と出る。出なければ死んでいる卵か、中が空かだぬ」
「わかりました」
「気をつけるんだぬ。3秒くっつけたら回路が切れて爆発する」
なにそのトラップ魔道具。
「わ、わかりました」
だけど機能に関しては十分だ。
僕は卵の殻つきマントを羽織り、「生卵判別機」を手にする。
「……ほんとうに、レイジさんだけで行くのですか?」
「はい。足音を殺して動けるのは僕だけですし、なにかあったとき逃げ帰るにしても僕が適任だと思います」
「……そう、ですね」
アーシャは心配そうな顔だ。
「この周囲にも霧を発生させましたが、野獣がこちらに気づく可能性もあります。そうなったときにはアーシャの魔法が頼りです」
「!」
「よろしくお願いします」
「はい!」
アーシャにいざというときの防衛戦を頼むのは気が引けたのだけれど、初夏鳥やフォレストイーターとの戦いを見る限り、彼女を子ども扱いしてはいけないのだろうと思う。
「行ってきます」
僕はひとり、「卵置き場」へ向かって進んだ。
背後を見やると、20メートルほど離れるともうアーシャたちの姿は見えない。
霧を濃く出しすぎただろうか……。
不自然過ぎると初夏鳥が降りてきそうだし、降りてきてしまえば天賦珠玉探しどころじゃない。乱戦でぐちゃぐちゃになって天賦珠玉をなくすことがいちばんの懸念点だった。
とはいえ、命が掛かったら天賦珠玉なんて放り出して逃げるけどね。
(確か、ここから見て11時の方角だっけ)
卵が集積している広場へと出た。
つん、と腐ったニオイがしていったいなんだろうと思ったけれど、確認する余裕はない。
プンタさんに教わった方角へと進んでいく。【疾走術】を使えば足音が鳴らずに済むけれど、割れた殻を踏んだらどうしても音が鳴る。
パキッ。
やばっ……。
霧の中、僕は身を伏せて息を殺す。
静まり返っている。薄闇が降りてきており、霧がなくとも見えなさそうだ。
「!」
ばたばたっ、と羽ばたく音が聞こえ、オレンジ色の炎が上空をひらりと走っていった。
初夏鳥が確認のために降りてきたっぽいな。
だけど僕からは少し離れていたし、光は見えたものの初夏鳥の形までは確認できなかった。霧の目隠しは十分に効いている。
(よし、急ごう)
僕は目的地の手前から、卵を見つけるやそこに石板を2秒くっつけては剥がす、を繰り返した。
「生」
「生」
「生」
「生」
「生」
「反応なし」
……これか? 聞いていた場所からは手前だけど。
もう一度確認のために石板をくっつけると、「生」と出た。
(あっぶな。2秒に足りなかっただけか?)
こうなってみると「余裕を持って3秒」ができないのがつらい。
3秒経つと爆発するし。
「生」
「生」
「生」
「生」
「生」
「生」
「生」
「生」
「反応なし」
……もう騙されないぞ。
再確認。
「反応なし」
もう一度。
「反応なし」
これはまさか……? 僕はそっと手を伸ばして卵の殻に手を触れると、それはゆっくりと持ち上がった。
「……空か」
正真正銘のカラッポだった。
全身で脱力しつつ次の卵に手を伸ばす。次々に確認していく。遠くで野獣の遠吠えが聞こえた。野獣が、動き出したかもしれない。
(急げ、急げ……!)
野獣はやはり暗くなってから活動するつもりだったのだろう。ここまで来て狙いは卵じゃなくて別にある、なんてことはあるはずがない。
僕は焦りを抑えつつ、きっちり2秒数えて確認していく。「反応なし」はそれから3回あったけれど、再確認ですべて「生」だった。
どこだ?
もう、プンタさんに聞いていた場所は通り過ぎて、その周辺を探し始めている。
すっかり夕陽は沈んで辺りは相当に暗い。月明かりがか細く照らしていたけれど、霧のせいでだいぶ暗い。
「反応なし」
次、次の卵——いや、待て、「反応なし」か。
クセでつい次、次、と行ってしまうところだった。僕は再確認して「反応なし」と出ると「やっぱりな……」と思って次に……。
(反応なし!?)
2回目の「反応なし」だ。僕はあわてて石板と魔石を道具袋に突っ込んで卵に手を伸ばす。
その卵の殻には、ナナメに亀裂が入っていた。あとから殻を載せたのがよくわかるけれど、数メートル離れたらもう見えない亀裂だ。
よくよく考えれば、この卵の高さはプンタさんの胸くらいだった。
ちょうどいい、高さだ。
僕は期待のあまり高鳴る鼓動を抑えきれず、ドキドキしながら卵の殻を手に取った。
それをゆっくり持ち上げると、周囲に、赤、青、黄……と明滅するような光があふれ——。
『ギャアオウッ!!』
そのとき霧の向こうから、2メートルほどはあろうかという4本足の巨体が僕へと飛び掛かってきた。




