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★ 地底都市 外郭 ★
戦いは、長く続かなかった。
いかに【身体強化★★】を身につけていたとしてもサルメの元の肉体は、まったく鍛えられていないのだ。
対するヒトマネは、他に類を見ないような巨体とはいえ野生で暮らしてきた。
到着した元帥が見たのは、数々の巨大な斬撃がヒトマネの黒く巨大な肉体に襲いかかるところであり、その体躯が揺れ、たじろぐところだった。
おおっ、と周囲でどよめきが上がった。
だがそれは短い間のことだ。
絶え間なかった斬撃は散発的になり、やがてぽつり、ぽつりといった、閉めきらなかった蛇口からこぼれる滴のようになる。
息切れした呼吸のように、と言ってもいいかもしれない。そしてそれは比喩ではなく、実際のことなのであろう。
ヒトマネは斬撃に慣れた。
そうして斬撃を巨大な腕で受け止めるようになると、大足を振り上げて——踏み潰した。
一瞬遅れて、ずーん、という音と、地響きが元帥たちのところまでやってくる。
しばらくヒトマネは動かなかった。
その沈黙の時間は——地底人たちにある事実を思い知らせた。
斬撃を放っていた人物は、死んだのだと。
ヒトマネが顔を上げた。顔はこちらに向いている。
空の初夏鳥はすでに姿を消し、近場にエサはもはやない。
ダメージは与えたはずだが致命傷ではない。
そうなれば——ヒトマネは次になにを狙うか——。
見られた。
元帥が感じ取ったのは動物的な恐怖の本能だ。全身が総毛立つと同時に、
「ランプを消せェッ!!」
叫んだ。
人々はぎくりとしたように身じろぎした。
「ランプを消せ! バカ野郎! あの化け物の標的になってしまうだろう!」
「は、はいっ」
あわてて兵士たちは手にしていた魔導ランプを消したが、周囲は初夏鳥が暴れたせいでいまだ火がくすぶっている。
ヒトマネの目はこちらへと向いている。もう、姿を確認されている。
ヒトマネが、動き出す。
こちらへと、歩いてくる。
「クソッ……二手に分かれるぞ! ここに都市への入口があることを知られてはならん! 手近な入口へと向かってそこから帰還せよ!」
「し、しかし元帥、この暗がりでは……」
「魔導ランプなんぞ点けたら、それこそ標的になるだけだろうが! いいか——ここに、この先に、都市があることだけは絶対に知られるなよ!? あんな化け物がやってきたら、我ら種族が滅ぶのだぞ!!」
「は、はいぃっ!」
兵士たちは、山を左右に逃げ出した。それは遁走とでも言うべき無様な走りっぷりだったが、ぐずぐずされるよりはよほどいい。
しかし元帥は、兵士たちとは違う方向へと走り出そうとした。
「待ってください」
その腕を、つかまれた。
「どこへ……行くつもりっすか」
元帥の間近で見続けていただけはあり、参謀は彼の心境変化について気づいていたようだった。
「離せ。俺は行かねばならん」
「どこへ」
「……サルメ様のところだ」
確かにヒトマネは足を振り下ろした。そして斬撃は完璧に止んだ。
しかし、彼女が死んだという確証はない。
気絶しているだけかもしれない。疲労困憊で動けないだけかもしれない。大ケガを負って倒れているかもしれない。
だとしたら、彼女を救わなければならない。
自らの命を使ってでもあの化け物を止めようとしたサルメを。
「元帥、バカなことを言っちゃいけませんよ。サルメ様は、元帥を次の指導者に指名してったじゃないっすか」
「だからなんだ。サルメ様が生きていれば、まだサルメ様が指導者だ」
「……なにを聞いたんすか。中で。急にサルメ様サルメ様って」
サルメを探しに行くと言うことはとりもなおさず、自分自身の良心の呵責を少しでも和らげる行為であることは元帥も承知していた。
これは罪滅ぼしなのだ。
戦略的な意味などなにもない、自己満足だ。
「それは……お前には関係ない」
だがこの罪は自分が背負うべきだと元帥は思っていた。
参謀や設計士は自分についてきてくれただけなのだ。
「関係あるっすよ」
「いいや、関係ない」
「あるんすよ!!」
その強い口調に元帥は驚き——ようやく彼女をちゃんと見た。
参謀は、酒場で荒くれ者たちをあしらってきた気丈な彼女は、青ざめ、唇を震わせていた。
「どうした、いったい……?」
「…………」
参謀は、ぽつりと言った。
「……サルメ様は死にました」
「なんだって?」
「死んだんすよ。間違いなく」
「どうしてそんなことがわかる」
「だって——」
泣きそうな顔で彼女は言った。
「なんか、頭ん中に薄気味悪い声が響いてきたんすよ! 地底種族の長は死んで、次はあたしが導けって! そんで、盟約がなんとかかんとかって——」
★ ダークエルフ集落 ★
どんなに無害な生き物でも、それがとてつもないサイズにまで巨大化すれば、大きな脅威となる。森喰い山羊はその典型だった。
見た目はヤギ。
行動もヤギ。
だというのにサイズが桁違い——5桁くらい違うので、そこにたたずんでいるだけでも脅威だった。
フォレストイーターは、巨体だが、小さなヤギ同様よく走る。
「散開ぃぃぃぃいい!」
族長の声に反応し、ダークエルフたちは一斉に動き出した。
アナスタシアはノックに抱えられ、気を失ったプンタや大ケガを負ったニッキたちも他のダークエルフが避難させている。
集落があった場所へとフォレストイーターが駈けてくる。地響きとともに。木々が揺れて葉が散る。
『ぶみぇええええええええええ』
ひたすら不細工な鳴き声で突進してきたフォレストイーターは、ダークエルフたちの生活を何百年と支えてきた大木をあっけなくへし折り、駈け抜けていった。
大木が倒れて家が地面を打ち、掘り返された土砂が舞う。
「きゃああああっ!?」
離れた巨木に隠れたアナスタシアとノックだったが、飛来した土砂がその木にも当たってびしびしと揺れる。
アナスタシアは頭を抱えてうずくまった。
戦うと言ったのに。自分の魔法なら、なんて言ったのに。身体が動かない。震えて立ち上がれない。
「……ハイエルフ様?」
ノックの気遣わしげな声が聞こえる。
情けない自分が惨めで、思いがけずアナスタシアの目に涙がにじむ。
(こんなとき、あの人なら、あの人ならどうするでしょうか)
閉じたまぶたに浮かぶのは、閉じ込められていた自分を、特異体質の呪いに囚われていた自分を解き放ってくれた彼の姿だった。
(レイジさんなら、きっと——)
立ち上がる。
悩んでいた時間は短かった。
つないでくれた手の、抱きかかえてくれた腕の温もりを思い出し、アナスタシアは両手と両足に力を込めて立ち上がる。
「ノック」
自分の声は震えてはいないだろうか。まつげに涙は残ってはいないだろうか。
王族としての務めを果たせているだろうか。
「はっ!」
ノックは長い背を折ってその場に跪いた。
混乱のさなかに、そんなことをやっている余裕はないのだが——そうせざるを得ない空気が、彼の崇拝する少女から発散されていたのだ。
「魔力を練って魔法を撃ち込みます。敵をこちらに誘導してください」




