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★ ダークエルフ集落 ★
「はぁ、はァッ、ヒィッ、はぁ、はっ、はァッ」
「しゃっきり走れ! てめえも死ぬぞ!」
「ヒィィィッ」
プンタは百人長にどやされながら走っていた。緩みきったプンタの身体はすでに限界を超え、肉体は悲鳴を上げていた。まだ走れているのが不思議なくらいだった。
「降下ァッ!」
「ヒィッ」
百人長に襟首をつかまれ、横にぶん投げられる。頭から地面に突っ込むと、口には落ち葉と泥とが入ってきた。
直後、ギィェェという鳥の鳴き声と、羽ばたきによる突風が吹き荒れる。
初夏鳥は降下して獲物を捕まえるのだが、その身体は翼を広げると5メートル以上にもなり、降下できる場所は限られていた。
「起きろ、走れェ!」
「も、もう、無……」
「走れャァ!」
ならば木々の密集したところに立ち止まればいいのでは、と考えるのは素人だ。
初夏鳥は身体に炎を纏っており、立ち止まれば遠巻きに火を点けられ、逃げ道を断たれてしまう。
できることは逃げるだけ。
どこまで逃げればいいのかも、わからない。
おそらく逃げ切ることはできない——と感じている。
追ってきている初夏鳥の数は3桁を優に超える。
すでにこれらの情報は百人長に伝えていた。ダークエルフ集落も遠目に見えた。だというのに百人長はなぜか、プンタを放置して逃げなかった。
樹上集落には初夏鳥に気づいたダークエルフたちが武器を手に現れていたが、数が少ない。今日は多くの手練れが偵察に出ていることをプンタは知っている。
その中に、輝くような金色の髪を持つハイエルフがいる。
(ハイエルフ様。ごめんなさい。死ぬのが怖くて。殺されるのが怖くて。初夏鳥を連れてきてしまいました……)
プンタもハイエルフの貴さを知っており、幼いころから過去の種族興亡の話を刷り込まれるほどに聞かされている。
自分の軽はずみな行動が引き起こした、この事態に、肉体的な苦しさとは違った涙があふれてくる。
「もう、ダメッ……」
涙と息苦しさで頭が混乱して、プンタは前のめりに倒れた。それをまた、無理矢理引き起こされる。
「起きろ! 死にてェのか!」
「ど、どうせ、死ぬ、んダ……」
「うるせェ、バカ!」
横っ面を張られ、少しだけ正気が戻ってくる。
「で、でも、アンタも自分を、ダークエルフを殺すつもりで……」
「うるせェ、バカ!」
またひっぱたかれる。
「すぐそこがゴールだろうが! 仲間は助けてくれねェのか!? ひとりで勝手に死ねと放り捨てるようなヤツらなのかコラァッ! 生きろォ!」
もうめちゃくちゃだった。
最初、プンタの話を聞いていた百人長は「おっかねェ鳥だ」と思い、部隊を3つに分けて逃がしたのは英断だったと思った。
そうしてダークエルフの集落まで向かい、鳥の群れをぶつけてやろうと思っていた。ダークエルフと食い合いになれば自分が逃げる隙も生まれるし、なんなら夜になれば闇に紛れて逃げられると。
だが、そんなことができるのは「ふつうの怪鳥」を相手にしたときだけだ。
走り出して30分、1時間、1時間半と、振り返るたびに膨れ上がっていく鳥影。
全体の4分の1になって追ってきているはずの集団が、これほどの数になっているのを見ると、地底都市を目指して逃げた仲間が無事であるという自信がなくなり、ひいては地底都市すらヤバイのではと思い始めた。
こうなれば、なんとしてでもこの4分の1をダークエルフたちに打ち倒してもらわなければならない。
あの鳥は、空を飛べない種族でも倒せるのだと、そう信じられる確証が欲しくなったのだ。
「あれはプンタ!? 横にいるのは、地底人かッ——バカ者が、地底人に操られ、命惜しさに初夏鳥を連れてくるとは……!」
弓を手にした族長が怒りの声を震わすと、プンタと地底人は射程距離に入ってきた。
「族長、どうするのダ。ここで射殺すか?」
ニッキが問うと、力なく首を横に振った。
「もう遅い。初夏鳥はこの集落もターゲットにした」
巨大な鳥の群れは横に広がると、集落を囲むように上空を旋回し始めた。
それは空を背景に、炎が渦を巻くような気味の悪い光景だった。
「全員、弓を持てぇ! ノックたちが戻るまで、耐えきるぞ!」
族長の号令に「オオッ」と声が上がった。
初夏鳥は一斉に降下を始めた。あちこちで弦が鳴り、矢が走る。
1本刺さった程度では鳥の勢いを止められず、近くを通り過ぎると風圧で身体が煽られ、枝から落ちていく。
「ここは危険ダ。ハイエルフ様は小屋に——」
「小屋に戻っても危険、そうではありませんか?」
「……そりゃあ、そうだけどね」
じゃあどうするのか、とニッキの目がたずねる。
「族長さん! 鳥を相手に樹上は不利です! むしろ大地で、大樹を盾に戦うほうが有利なのではありませんか!?」
アナスタシアの声に、族長がハッとする。
「そ、それは……確かに。地上の敵と戦うことばかり考えておりました。——皆の者、聞いたか! ハイエルフ様のおっしゃったとおり、すぐに地上に降りよ!」
族長の命令であり、なおかつハイエルフの言葉でもあるとなればダークエルフの動きは早かった。次々に枝から枝へ飛び降りていく。
「ハイエルフ様はアタシが連れてくよ!」
「えっ、えっ、あのっ、あっ——」
弓を地面に放り投げたニッキはアナスタシアを片手に抱くと枝から飛び降りた。絹を裂くような悲鳴を上げてしまったが、ニッキは危なげなく枝から枝へ、ロープを片手でつかんでぶら下がり、地面へと降り立った。
「立てますかい、ハイエルフ様」
「あ、ひゃ、ひゃい……」
レイジよりも乱暴で、レイジよりも直線的に降りたものだから思わず腰砕けになりかける。
「来るぞォ!」
誰かが叫んだ。
初夏鳥の一羽が、地面すれすれまで降りて迫ってくる。砂塵を巻き上げ、降下の速度そのままにすさまじい速度で。
そこにいたのはプンタと地底人だ。集落にたどり着いたからか、汗だか涙だか鼻水だかヨダレだかでびしゃびしゃになった顔は失神しており、その場にどしゃりと崩れ落ちる。
あっ、とダークエルフたちは声を上げる。
マッチョばかりの集落にあってプンタは確かに異質な存在だった。丸くてふにふにしていた。
だけれども嫌われていたのかと言えばそうではない。
彼が、気の利く男だということはみんな知っている。
「おいィ! ここで気ィ失ってンじゃねェよ!」
そのとき、地底人は——敵であるはずの彼は、腰の短剣を引き抜くと、プンタを守るように立った。
なぜ、どうして、なんでアイツが、とダークエルフたちは思ったが、プンタを守ってくれるのであれば是非もない。
「撃てェ!」
族長の命令で放たれた弓矢は、突っ込んで来る初夏鳥に何本も命中し、その身体はぐらりと揺れ、右羽根が地面に触れるとぐるりと身体は回転し、地面にもんどり打って跳ねた。
初夏鳥の巨体はプンタたちから離れた大木に激突すると、幹を震わせ多くの葉を落とす。
「…………」
百人長は、初夏鳥が巻き上げた泥が顔にべっしゃり掛かっていたが、それよりもなによりも、大木に打ちつけられてぴくりぴくりとして戦闘不能状態になった初夏鳥を見て、
「うおおおおおおおおッ!」
声を上げた。
「おィ、見たかプンタ! 倒したぞ! 1羽、倒しやがったぞ!」
「う、うぐぅ……」
胸ぐらをつかまれてがっくんがっくんされたプンタが泡を噴いた。
「まだダ!」
その喜びを吹き飛ばしたのは族長の声だ。
「次が来るぞぉ!!」
次々に、初夏鳥たちが降下を始めた。




