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★ 月下美人 戦略会議室 ★
レフ魔導帝国側の準備は万端、整っていた。クルヴァーン聖王国と光天騎士王国、さらにはキースグラン連邦の分析を終えた。
「隣人の苦しみを見捨てるは騎士ならず」と「プライド」を理由に支援してくれている光天騎士王国は明確な報酬を求めていない。
支援を表明しつつもなんのかの理由をつけながら支援量としてはまったく足りていないキースグラン連邦にもちゃんと一枚噛ませ、クルヴァーンへの牽制とするために、キースグラン代表には控え室で待ってもらい、いつでも登場してもらえる。
月下美人にあったイスの中でもとびきり上等なイスを2脚用意し——そのイスでラルクがうたた寝をしていたことなど知るよしもないのだが——片方に皇帝が座り、もう片方には元聖王を座らせるつもりだった。
皇帝のそばは重臣以外に、見た目からして一種異様な、古代の美術品のごとき金属装備である「英雄武装」を持たせた兵士を5人用意した。ちなみにこの英雄武装は理由不明で稼働しないもので、たんなるこけおどしに過ぎなかった。大体、稼働する英雄武装は武器として前線で大活躍中である。
「——クルヴァーン聖王国より、グレンジード公爵、スィリーズ伯爵がいらっしゃいました」
「うむ」
すべてはこの交渉のためだ。
いかにして彼らを使い、赤い亀裂を攻略するか。こちらの思うように動いてもらうか。それが肝心だ。
開かれた両開きの扉は、まるでサロンにでも続きそうな造りだった。そこにのそっ、と現れたのは分厚い胸板を持つ、見上げるような大男だった。
髪の毛が、それ自体が発光しているかのような青であったことから彼が元聖王、グレンジード公爵であることがわかる。
「——公爵グレンジード。クルヴァーン聖王国女王陛下の命にて参上した」
「卿の来訪を心より歓迎する。さ、座られよ」
皇帝は自分と同じイスを勧めながら、その後ろに現れたスィリーズ伯爵と、どう見ても10代前半にしか見えない少女を見てぎょっとした。
髪の色と瞳の色から、親子であるようだが、いくら貴族家とは言え外交の場に子どもを連れてくるものか……?
しかも、少女の振る舞いの堂々としたこと。さらにはシックな瑠璃紺色のドレスを着た少女は、「ハイエルフの王族」という種族からして見た目抜群のアナスタシアを見慣れてきた皇帝ですら目を剥くほどに、整った顔立ちだった。
瞳はパチリとしているがあどけなさよりも知性を感じさせ、一分の隙もなく梳られた髪は顔の輪郭に合わせて内向きに流れている。健康的なピンクの唇は、うっすらと紅を引いてあるようだった。
「皇帝陛下、このイスに座ることは、少々よろしくないでしょうな」
近くまでやってきたグレンジードに言われ、皇帝はようやく我に返った。
「……と言うと?」
「陛下と同格に見られるのは、我が国としては避けたい。あくまでもこの私は、公爵、いち貴族に過ぎません」
「わかった」
この回答は予想されていたことなので、皇帝が合図をすると、一段グレードの下がったイスが運ばれてきた。
グレンジードは「元」聖王であるが、聖王と同じ扱いをされたくないと言っているのだ。どうも、本心のように皇帝からは見えた。
(見映えを気にするような男ではない、か)
グレンジードがどういう男なのか見極めることも、交渉を有利に進める上では必要だ。
皇帝が視線を、グレンジードの横にずらすとそれに気づいたように、
「同行しているのは、我が国にて内政実務を執るスィリーズ伯です」
「レフ魔導帝国皇帝陛下、以後お見知りおきを」
胸に手を当て腰を折るスィリーズ伯爵の後ろで、娘はその場に片膝を突いて頭を垂れた。
「公爵閣下。そちらの子は?」
「彼女はスィリーズ伯爵の娘、エヴァです。必要があって連れて参りました」
ニィ、とグレンジードは唇をゆがめた。
「その件は、追々話しましょう」
前線の状況について帝国側から説明があった。話をしているのはアバである。全体像から始まり、時系列に従って進む説明は淀みがなく、わずか5分という短い時間ながら、今ここでなにが起きているのかをグレンジードたちは正確に理解したことだろう。
「よくわかりました。……つい昨日まで暮らしていた場所が死地となり、戦闘行為をせねばならない。そのお心、察するにあまりあります」
目を伏せながら言ったグレンジードの言葉尻は震えていた。
それが真心から言われたのだとわかると、もう動かない英雄武装を抱えていた兵士の数人が目尻に涙をにじませた。いや、軍事局長はむせび泣いて鼻までかんでいた。
「聖王国はできうる限りの協力をいたしましょう。最終的なゴールはレッドゲートの封鎖かと考えますが、いかがか?」
「左様。今は近づくことすらかなわぬので、レッドゲートがどうなっているかの観測もできぬ。第1段階は戦線の押し上げ、第2段階は観測チームによる分析。第3段階はレッドゲート研究。第4段階は封鎖作戦……と、この4段階で考えておる」
「妥当なところかと存じます」
それからしばらく、戦線に関する細かな話が行われた。
「ところで——今、帝国はこのような状況ゆえ、国が回復するまでは貴国の厚情に対する御礼ができないものと思う」
「それはもちろん。この場でなにかしてくれなどと言うつもりはありませぬよ」
きっぱりとグレンジードは言った。
ということは、逆に言えば帝国が元の姿に戻ったときにいくら吹っかけられるかわかったものではない、ということだ。
「力強いお言葉、感謝する。しかし卿も、報酬の見込みなく戦闘に移ることはできぬでしょう。そこで提案だが……御礼は我が国最新鋭の船、この『月下美人』でいかがか?」
その言葉に、事前に話を知らされていなかった重臣があんぐりと口を開け、英雄武装を持っていた兵士のひとりが思わず武器を取り落とした。
「それは……ありがたいですが、よろしいのですか」
グレンジードからすれば、先に報酬の話をされ、さらにその内容が今までの帝国ならばけっして手離さないようなものなのだから、困惑するのも当然だ。
「あらかじめお約束することで、存分に武勇を振るっていただけるというのなら、これほど安いものはない。『月下美人』ひとつで国を取り戻せるのならば」
「なるほど……」
腕組みをしたグレンジードだったが、
「わかりました。では本国にはそのように連絡を入れます。反対することはないと思いますが」
「ありがたい」
「——実は、実際に戦闘を行ってから状況を知り、その上でご提案しようと思っていたのですが……1つ、こちらからもお願いがあります」
お願い、という言葉に皇帝は警戒した。
すでに聖王国に入り込んでいる国民の移住を認めよということか? あるいは「月下美人」を動かすためのメカニックもつけろということか?
警戒とともに次の言葉を待つ。
「レッドゲートに接近し、中に入れるようでしたら、是非ともこの私を送り込んでいただきたい」
「…………」
皇帝は聞き間違えたのかと思った。それほどまでに、わけのわからない申し出を受けたのである。
「今、なんと……?」
「『裏の世界』に渡れるようならば、渡りたいのです」
「…………」
皇帝が、グレンジードの横にいる伯爵を見やると、眉目秀麗の伯爵が渋面を作っていた。
この公爵、本気だ。
「……いったい、なんのために?」
あまりにも予想外過ぎて、それしか聞けなかった。
「恩人を救うためです」
グレンジードはきっぱりと言い切った。
「そのために私は自ら最前線へと向かうことを決心し、ここに——我が軍の秘密兵器となりうる、エヴァを連れてきたのです」
そう言えば、この場には不釣り合いの少女がいたと皇帝は思い出す。
エヴァは父とは違い、グレンジードの言葉に苦々しい表情をするでも呆れるでもなく、熱心に話を聞いていた。
「その少女が、いったいなにを?」
さっきから自分が、バカのように、相手の言ったことを聞き返しているだけだと皇帝は気づきながらも、さすがにこの状況ではどうしようもなかった。
「彼女には天賦によらない特殊な力があります。『鼓舞の魔瞳』——これは、前線での戦いを非常に有利にする力がある」
「そして、わたくしもまた、グレンジード公爵と同じように、ある人を救いたいのです」
そこで初めて少女が口を開いた。
涼やかで、知性を含みながらも、「ある人」という言葉に熱が込められていた。




