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★ アナスタシア ★
(今のは、なに?)
あり得ない光景を目撃した。
「月下美人」の甲板に立った少女が右手をかざせば、黒く巨大な刃が現れ、空ごとモンスターを斬ったのだから。
『——危険です! 第1、第4、第5エンジンに損傷。浮力の維持がこれ以上できません!』
鳴り響く警報と、オペレーターの声に我に返る。
そうだ、今、自分はモンスターがどうのと言っていられる場合じゃない。
(墜落、する——)
たとえ帝国を襲ったモンスターを退けたとしても、ここで墜落して死んだりしたらなんの意味もない。
さらに、ここには皇帝を始め多くの閣僚が乗っている。彼らが全員死んだりしたら国は大混乱だ。
「陛下、緊急脱出ポッドへ!」
「急げ、陛下だけでも!!」
ふだんは、おべっかやゴマすりに余念のない閣僚たちだったけれど、この危機的状況では皇帝を最優先にした。そこに下心や思惑は一切ない。純粋に皇帝を慕い、助けたいという一心だ。
「豊穣ノ空」が傾いたときに皇帝は転んで身体を打ったらしく、ぐったりしている。その身体を複数の閣僚が支えて運んでいく。
『高度低下! 残り600メートルです!』
「全エネルギーを浮力に回さんか!」
『すでに実行済みです!!』
「ぐぬう……ならば砲塔や砲弾を緊急射出しろ!」
『ッ!? しかしそれでは帝国の街が……』
司令官の命令は、「豊穣ノ空」の重量を下げるために重いものをすべて捨てろと言っているのだ。
「周囲はほぼ焼け野原だ、構うな!! それに、ここにおわすは皇帝陛下ぞ!! やれぇええええ!!」
『は、はい!』
震動とともに金属音が伝わってくる。主砲や砲塔が「豊穣ノ空」から切り離され、落ちていく——。
『降下速度低減しています! ですがこのまま不時着します!』
「陛下は!?」
「いまだこちらに……!」
「肉の壁を作れ、陛下を守れェー!!」
皇帝を中心に閣僚たちが集まったその姿は、まるで冬の夜に暖を取るために集まった小動物のようでもあった。
彼らは衝撃に備えた。
そして、アナスタシアも——。
(これが、最後に見る月かもしれない)
主砲が外され、落ちたせいで「豊穣ノ空」はバランスを崩して大きく傾いた。
そのときアナスタシアが見たのは、帝国の街だ。
あちこちから煙が立ち上り、周囲はがれきの山になっている。
「あ……」
思わず、声が出た。
彼女の周囲に炎の花びらが舞った。
そこにいたのだ。
ただひとり、がれきを蹴って、こちらへ走ってくる冒険者の姿が——レイジの姿が。
「ああぁっ……!」
握りしめていた木製の手すりが燃えた。彼女の周囲が炎によって明るくなった。
思わず涙があふれた。
最後の最後で、彼の姿を目にすることができるなんてと神に感謝をした。
(生きる希望を与えてくれた。生きる意味を探してもいいと教えてくれた)
だけれど、自分はこのまま墜落する——。
(来ないで、レイジさん。そしてもしも私が死んでしまったら……ごめんなさい)
ぎゅう、と目をつぶったアナスタシアはそれを見ることがなかった。
レイジは両手を突き出し魔法を発動した——。
★
僕が引き返してくる「月下美人」に気がついたのは、まさにヘビギンチャクが大蛇を地面に放出している真っ最中だった。
(逃げていたはずの「月下美人」がなぜここに?)
頭の中は疑問符でいっぱいだ。
だけどそれを考えるよりも暴れ回る大蛇の対処が先だ。
1匹ずつは、図体が大きい割りに素早さはなく、倒すのは簡単だ。だけど問題は数だ。見渡す限りのヘビヘビヘビで、ヘビ嫌いが見たら卒倒すること間違いなし、ヘビなら食べるくらいには大丈夫な僕でも鳥肌が立った。夢に見そう。
「……は!?」
僕がヘビをどうこうするよりも前に、ヘビギンチャクがとんでもないエネルギー砲を放ち、そちらに今度は注意を持っていかれた。
圧縮して魔法を撃とう——とか思っていたのは僕なのに、ヘビギンチャクに先を越されたのだ! マジかよ……モンスターのほうが僕より進んでるってどういうことなんだよ。
(「裏の世界」のモンスターはみんなこうなのか?)
「調停者」はもちろん、ウロボロスにヘビギンチャクはどれも強い。僕はこのヘビギンチャクが「裏の世界」の住人であることを確信していた。
生ぬるい風と焦げ臭いニオイ——それは「調停者」と戦ったときに感じたものと同じだったのだ。
いくつもの飛行船を葬ったヘビギンチャクは、植物が枯れるようにしおれたけれど、その後に大蛇を食い始めたのを見て僕の鳥肌は加速、蕁麻疹まで出そうになった。
「今が、チャンスか……!」
大蛇をかき分けて行けば直接ヘビギンチャクに魔法攻撃を当てられそうだと僕は思ったのだ。
そこへ、空母飛行船が砲塔を出して同じような威力の攻撃を放とうとする。
「あ——」
ヤバイ。ヘビギンチャクの口が空母飛行船を向いた。
カッ——と光が放たれるのと同時に、飛行船からも攻撃が行われる。
ヘビギンチャクがぶっ放したせいで周囲には衝撃波が走り、僕の身体は吹っ飛ばされてごろごろと転がる。
「いってててて……」
たいしたダメージはないけれどだいぶ距離を飛ばされた。
そしてそのときに見たのは、削れたヘビギンチャクと、腹に大穴をあけた空母の姿だ。
(なんだよ、これは……)
この世界に戦争というものがあるのなら、きっと、こんなふうに強大なエネルギー攻撃によるやりとりになるのだろう。
そのとき僕はなにができる?
星10の天賦珠玉を手に入れたところで、たったひとり、生身の人間になにができる?
(自信、なくすよなぁ……)
でもぼんやりしているわけにはいかなかった。
巨大な飛行船は見る見る高度を下げていて不時着——最悪、墜落——まっしぐらだし、ヘビギンチャクはまだ生きているようなのだ。
そこへ、どんどん「月下美人」が接近していく。
(なんで……? ヘビギンチャクは、まだ生きてるのに——)
僕はそのとき、飛行船の先端、船で言う船首に立つ人影に気がついた。
「あ——」
その人を、僕は見間違えるわけはない。
たとえ僕が【視覚強化】を持っていなかったのだとしても。
金髪をなびかせ、見たこともないすみれ色の戦闘服を着て——あれから4年が経っていたとしても。
「ああ……そうなのか」
その人が、今やろうとしていることも、「月下美人」が戻ってきた理由も、僕は理解した。
なにも持たず、なんの力もなかった僕に手を差し伸べてくれたように。
黒髪黒目を忌まれ、公爵に殺されかけたときに目の前に立ちふさがってくれたように。
彼女なら、たとえ自分の利益にならずとも、目の前にこんな巨大なモンスターを目にしてしまえば戻ってきてしまうのだ。
自らの危険など百も承知で、この、多大な人命を犠牲にしかねないモンスターを倒そうとして。
「ラルク……!!」
僕の姉。
僕の大切な人。
この世界で初めて僕に与えてくれた人。
そのラルクは、右手を天に掲げ星6つの天賦【影王魔剣術】を発動する。その笑顔は4年前といっしょだ。なにも変わらない。「お前、生意気だぞ」と僕に言ったときのように。
4年間で彼女も天賦の使い方が洗練されてきたのだろう、巨大な刃をいともたやすく操り、天を斬り、敵を斬り、大地まで斬った。
ヘビギンチャクから噴き出した血の雨が降り注ぐ——僕はラルクが、気を失うように背後に倒れるのを見た。
「ラルクゥゥゥゥウウウウウウウウウ!!」
声は届かない。届くわけもない。ちらりと見えたラルクの仲間が、彼女を運んでいく。
今すぐ追いかけなきゃ。ヘビギンチャクを倒した今、「月下美人」はすぐさま離脱するだろう。他の飛行船が戸惑っている今が、最大のチャンスなのだから。
「……っ」
僕は両手を握りしめた。
そして、ラルクに、姉に、背を向けた。
今僕がなすべきことはラルクを追いかけることじゃない。
「……できるか、どうか、わっかんないけどッ!!」
僕は走った。がれきを蹴って、地を蹴って、大蛇を蹴飛ばして走った。
落ちてくる空母。落ちてくる砲塔や砲弾。飛行船は「墜落」を予測して自重を少しでも減らそうと重荷を落としている。
あれだけのサイズならば相当数の乗組員がいるはずだ。
全員を救うのは無理かもしれない。
与えられる影響なんてほんのわずかかもしれない。
でも、それでも。
僕の魔法でひとりでも救えるのなら。
危険を冒し、自分の力を使い果たしてでもやり遂げたラルクのようになれるかもしれない。
「おおおおおおおおおおおおお!!」
複数の魔法よりも1つの強力な魔法だ。
僕は着地点の数十メートル手前にたどり着くと、両手を前に突き出し、身体中の魔力を集中する。
「集まれ、突風ゥゥウゥゥウウウウ!!」
【風魔法】の扱いは難しい。空気、と言うより大気を操るこの魔法は形を持つわけでもなく、目に見えるわけでもなく、さらには散りやすい。
だけれどこのシチュエーションならば最高の力を発揮してくれるはずだ。
僕が発散した魔力に応じて周囲の大気が渦巻き、空気が圧縮されていく。僕の髪の毛が逆立ち、服がはためく。目を開けていられないほどになったころ——巨大な飛行船は地面までの距離が50メートルほどになった。
「っくう……」
魔力をゴッソリ抜かれて気を失いそうになるが、ぎりぎりまで魔法をコントロールし、前方へと放った。
巨大な竜巻となった圧縮空気は落下地点へと入り込むと、押さえつけていた魔力がほどけると同時に周囲へと発散する。その圧力は地面をつぶし、飛行船を下から持ち上げる。みしみしみしと船底が音を立てている。
だけれど、足りない。僕ひとりの魔法では。
「……ミミノさんッ、使わせてもらいます!!」
僕は道具袋から、預かっていた魔法複製薬を取り出すと、地面に叩きつけた。
ビンが割れ、中の液体が出ると同時に紫色の燐光が周囲に立ち上る。
先ほどの魔力がもう一度再構成される。
魔力は使わないけど、気を抜けば暴走しそうな魔法をコントロール……正確に、狙いを定めて、放つ!
「行っけええええええええええ!!」
突風は、同じように飛行船の下へと滑り込んでいく。
もう、船底から地面まで10メートルもない。
圧縮空気が炸裂すると、船底が凹み、割れる音が響き渡る。飛行船の落下速度はどんどん遅くなっていく。
やがて——ごつん、と鈍い音がして——。
「や、やった……」
穴が空き、火を噴いている飛行船は、地面に着陸したのだった。
僕はその場にぶっ倒れた。安心といっしょに、強烈な眠気が襲ってくる。
(ラルクを、追わなきゃいけないのに……。僕だって、こんなにできるようになったんだよ、って言ったら、ラルクはどんな顔する……かな……他にも、いっぱい、いっぱい話したいことが……)
目を閉じた。




