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夜だというのに帝国の市民は家から出て空を見上げていた。多くのサーチライトが「月下美人」を追い、のみならず多くの飛行船までもが空を駈ける。
そこへ、9つの光の柱が立ち上ったのだ。
光の柱は帝国を囲むようにぐるり、等間隔で屹立していた。
あまりにも非現実的な光景に人々はなにかのショーではないかといぶかった。
「……なんで星が見えないんだ……?」
僕は空がよく見える場所——付近でいちばん高い建物の屋上に上っていた。5階建ての屋上はなぜか物置になっており、テーブルやイス、工具や木材といったものが雑多に置かれてあった。
空に目を凝らすと、先ほど僕の真上を通っていった「月下美人」が1艇、すばらしい逃げ足を見せており、それを5艇ほどの飛行船が追いかけている。その他の飛行船は左右に展開して、もし仮に「月下美人」が旋回でもすれば追いつけるかもしれない——といった淡い期待でも持っているのか、あるいは追跡を半ばあきらめているのか、そんなふうに見えた。
だけど僕が気になったのは空だ。殿下の部屋に入る直前は、美しい星空が見えていたというのに今では夜空は真っ黒に塗りつぶされている。月も、霧でも掛かっているかのように光量が抑えられ、地上こそ街灯が明るいものの僕の立つ屋上は暗闇に沈んでいる。
(雲が出たのか? でも、ここは年間を通じて雨期以外にほとんど雨が降らないはずなのに)
塗られたように黒い空の不気味さに思いを巡らしていると、その黒が渦を巻いたように見えた。目の錯覚かと思ったけれど、地上のほうで「空が!」なんて声が聞こえた。
メリメリ、メリメリメリメリメリメリメリメリメリメリメリメリ——。
「!?」
そのとき、音がした。生木を、時間を掛けてへし折っていくのに似た音だ。
まるでタチの悪いインフルエンザにでも罹ったような寒気を覚えた。
(【森羅万象】を通しているのに、あの渦の正体がわからないのはなんでだ——!?)
渦の中心に血のような赤い一点が生まれると、渦に沿って赤の色が流れていく。カメラの絞り羽根が開くように赤い点が広がると、大蛇の頭がにょろりと降りてきた。
1匹や2匹ではない。数百数千という大蛇だ。斑もいれば縞もいる。その大蛇たちは同じ場所から生えていて——イソギンチャクに似た幹のようなものが出てきた。
「キャアアアアアアアア!?」
地上は大パニックだ。
イソギンチャク——ヘビギンチャクは大きさにすれば「月下美人」を優に超える。そんなものが空から降りてくれば叫び声のひとつやふたつは当然出るだろうし、その見た目は、生理的な嫌悪を催させる——わざと嫌われる見た目になっているようにすら思われた。
「同じだ……」
気味の悪さを感じ、悪寒を覚えつつも僕はヘビギンチャクから目を離せなかった。
出てきたヘビギンチャクは【森羅万象】で分析することができたけれど、あまり意味がなかった。「生物である」とか「毒性の高い牙を持つ蛇」といった内容だったからだ。
それよりも、僕は直感したのだ。あのヘビギンチャクはウロボロスと同じなのだと。
「『裏の世界』のモンスターだ……!」
ハッとしてヘビギンチャクの周囲を見たけれど、「調停者」の姿は見えない。
安心する一方、なぜこんなことになったのかという疑問が起きる——。
「クソ、考えるのは後だな」
ヘビギンチャクの胴体はどこまで長いのか、数百メートルは伸びて地上すれすれまで迫ってきた。僕からは3キロほど離れた場所だ。
僕は【疾走術】を使って走り、建物の端で【跳躍術】を使ってジャンプ、隣の建物へ飛び移った。屋上を駈け、壁を蹴り、屋根を伝い、ヘビギンチャクへ向かう。
逃げることも考えたけれど、どうやら僕は「裏の世界」に縁があるらしい——そう思うと逃げ遅れた人の避難を助けたりくらいはできるかもしれない。
「え? 人?」
窓から顔を出していたレフ人の横を通り過ぎざま、
「頑丈なところに隠れていろ!」
僕は叫んだ。
眼下の道路はすでに悲鳴と混乱のるつぼになっており、パニックになった市民がヘビギンチャクから逃げようと押し合いへし合いしている。
『市民の皆様、未知の敵の出現を確認しております。できる限り遠くへ避難してください。1分後に、飛行船からの攻撃を行います』
軍用の飛行船が1艇、引き返してきて上空からアナウンスをすると、混乱に拍車が掛かった。
いきなり攻撃かよ! と思ったけれど、すでに大蛇が数人のレフ人に噛みついて持ち上げている。犠牲が出ているのだ。
『避難を強く推奨します。頑丈な建物の中か、あるいは物陰に隠れ頭を出さないように。10、9、8……』
カウントダウンが始まったころには、僕はヘビギンチャクから300メートルほどのところにやってきていた。
ズンッ、とヘビギンチャクが建物を薙ぎ倒しながら地面に突っ込んだ。土埃がもうもうと上がり、僕の足場もぐらりと揺れる。
『……3、2、1』
飛行船の砲台から、3発の砲弾が発射される。それらは放物線を描いてヘビギンチャクの胴体にめり込むと、爆炎を上げた。ヘビギンチャクが身体をねじって嫌がるとますます多くの建物が倒れたが、それでも砲撃は効いているようだ。
「うぇぇええええん! うぇえええええええ——」
崩れた建物のそばで泣き声が聞こえ、僕はそちらに走った。
立ち尽くして涙をこぼすままに泣いているレフ人の女の子がいた。
「どうしたの?」
「うえええええええええええ——」
ダメだ、泣きじゃくってて話にもならない——そのとき僕の耳が、がれきの中から聞こえるうめき声を拾った。
「中に誰かいるのか?」
「お、おがっ、おがあさん……」
女の子がようやく反応する。僕はうなずくと【土魔法】を発動して地面を隆起させると、がれきを押しのけ隙間を作る。中には足をケガした女性がいた。
「腕を! 持ち上げますよ!」
「——うっ、あ、ありがとう、ございます……」
「おがあざああああああん!」
僕が女性を引っ張り出すと女の子が抱きつく。足をケガしている——最低限の【回復魔法】で歩けることを確認するとすぐに避難するよう告げて僕はまた走り出した。
(ほんとうは完治させることもできたけれど、今は魔力を温存するべきだよな……)
それから3か所で逃げ遅れた市民を助け、4か所目の人はすでに亡くなっていた。
その間にも砲撃は続いており、ヘビギンチャクは飛行船を敵だと認めたらしい。巨大な身体をぐるんぐるんと振って飛行船に体当たりする。
「あっ」
精巧にできた模型に腕をぶつけたように、飛行船の胴体は破れ、金属と木材を散らばらせながら飛行船が落ちていく。僕から200メートルほど離れた場所に落ち、建物を潰し、土埃とともに爆風を起こす。
「——……くそっ」
いったい何人が飛行船に乗っていて、何人が助かったのか。あるいは、全員——。
ぎりり、と音がした。それは僕の奥歯が鳴っていた。歯ぎしりのあまりそんな音が鳴ったのだ。
上空の飛行船は、すでに「月下美人」の追撃から、ヘビギンチャクへの対応へとシフトしている。砲台を備えた飛行船は旋回してこちらへ戻ってきており、砲撃を浴びせ始めた。商会の持ち物らしい、武装していない飛行船は逃げるように帝国上空を離れていく。
「ここもヤバイかも」
ヘビギンチャクがいくら大きな的だとしても砲撃を外すことだってある。現に今、外れた砲弾が近くの建物に落ちてきて、炎が噴き上がった。
僕も逃げるべきだ。
そう、思ったのに足がなかなか動かなかった。
「……クソ、クソ、クソ!」
ヘビギンチャクまでは数百メートルの距離だ。上空100メートルくらいのところにいて、僕にはそこまで到達できる手段がない。
これほどの無法をされたというのに飛行船がなければなにもできないのか——。
悔しさが込み上げてくる。
上には上がいるとしても、僕は結構強くなったと思っていた。だというのにこれほどの巨大なモンスターを相手にするとあまりにも無力だ。【火魔法】や【風魔法】といった八道魔法はすべて射程距離外なのだ。一矢報いることすらできない。
「いや、待てよ……『一矢報いる』だけならできるか?」
レオンが裏切ったとき、アイツはノンさんを盾にした。そのとき僕は思ったのだ——精密射撃のような魔法ができればいいのにと。
確かに、針の穴を通すような魔法を使うことはできない。【魔力操作】だけでなくもっと別の天賦があればできそうな気はするんだけれど——ともかく、最小の魔法発動というのがまだ僕にはできないのだ。
でも、逆に最大の魔法を小さく圧縮することはできる。
「【火魔法】は風に煽られて消えてしまうから射程距離が短いけれど、たとえば高出力の【火魔法】を圧縮したら……行けるのでは?」
僕が頭に描いたのは、天銀級冒険者のクリスタ=ラ=クリスタが見せたような極大魔法だ。1発で竜の生命力を大幅に刈り取るようなあの魔法ならばヘビギンチャクにも通用する。
いや、クリスタくらい【火魔法】に通じていれば、爆風を使って空を飛ぶこともできる——僕にはまだまだそこまでの能力がない。正確に言えば能力はあるけれど、熟練が足りないのだ。
クリスタはまさに「一芸に秀でる者は多芸に通ず」を地で行く冒険者だった。逆になんでもできる僕はなんにもできない。
「……今は、『なんでもできる』ことを組み合わせて考えよう」
高出力の魔法を圧縮する、という方法は行けるはずだ。あとはどれくらいヘビギンチャクに接近できるか、だ——。
「!」
そのとき、僕は上空に黒々とした別の影を認めた。
「な、なんだ、あれ……」
それを「飛行船」と呼ぶにはあまりにも大きすぎた。
ムゲさんの倉庫を10個載せてもまだあまりあるほどに巨大で、広い、飛行船——多くの小型飛行船がそこから飛び立っていく。
それはまさに空飛ぶ「空母」だった。




