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コツ、と窓に小さな石を当てる。それから10秒ほど待つと窓の向こう側——薄い布地のカーテンの向こうに人影が現れた。僕はもう一度コツ、コツ、コツ、と3回石を当てる。するとカーテンを開いて——アナスタシア殿下が現れた。
窓が開かれたので僕は滑り込むように中へと入る。
魔導ランプの明かりが寝室内を浮かび上がらせる。
殿下の寝室はムゲさんの倉庫と同じくらいの広さで、ひとりで眠るにはあまりにも巨大な天蓋付きのベッドが中央に鎮座していた。
『ドキドキします』
さらさらと殿下がメモ紙に書きつけた。
夜更けにアナスタシア殿下の部屋を訪れたのにはワケがある。殿下の天賦珠玉を取り出すためだ。これが露見したら僕の首は胴体とバイバイしなくちゃいけないのでフードを目深にかぶって口元には布きれを巻いた。どう見ても空き巣である。
ドキドキする、なんて言った殿下は、淡い水色の絹のようなワンピースを着ている。これが寝間着なんだろうか……住む世界が違いすぎる。迎賓館で僕が借りた礼服よりも高価そうなんだけど。
それだけに首に巻かれた包帯が痛々しく見えた。
「こちらが【魔力操作】の天賦珠玉です」
昼の会合の後、僕は天賦珠玉を買いに帝国内を走った。レフ人は天賦珠玉を使えないので売っていないのかと思ったら、雑貨屋にふつうに売られていた。いや、専門店でなく雑貨屋にあるあたり、ふつうじゃないのかもしれないけど。
星2つのものがなかったので、【魔力操作★】を2つ買ってきた。
「急ぎましょう」
僕が促すと殿下はこくりとうなずく。緊張しているのは、誰かに見つかったら大変だろうという緊張と、これから——うまく行けば声を発することができるかもしれないという緊張の2つがあるのだろう。
殿下の特異体質は声によって【火魔法】が自動的に発動してしまうこと。魔力を操作する技術が向上すれば魔法の発動を抑えられるはずだ。
これくらいはハイエルフの王族ならばすぐにわかりそうなものなんだけれど、それをしなかったのは【火魔法】がそれほどまでにエルフにとって禁忌だから……ということなのかもしれない。「【火魔法】に魅入られた王女」というのはあまりにも外聞が悪いのか。
(……今はそんなこと考えてる場合じゃないな。集中しよう)
部屋にあったイスに殿下を座らせる。【オーブ着脱】については何度か試したことがあるので問題ないはずだ。
「とりあえずすべての天賦珠玉を抜き出すことになります。よろしいですか?」
殿下は、自分になんの天賦珠玉があるのかは知らないのだという。それすらも教えてもらえないというのは……殿下の境遇を思うと心がざわつくけれど、今はそこに感情を引っ張られている場合ではない。
この世界には【オーブ視】みたいな天賦があるので、殿下のオーブがなんなのか帝国の皇帝も調べられたはずではある。
僕の問いに殿下はうなずいた。僕は殿下の前に回り、胸元に手を伸ばす——殿下がビクッと身体を震わせた。
「あ、す、すみません、ぶしつけに。その、ここに触れて天賦珠玉を抜き出しますので。僕に触られるのなんて気持ち悪いかもしれませんが、少しだけ我慢してください」
「…………!」
殿下は顔を赤くして首を横にぶんぶんと振っていたけれど、背筋を伸ばして両手を膝に置いた。
……いや、ほんとね。夜更けに女性の部屋にやってきて、イスに座らせて、床に置いた魔導ランプの光が照らす中、胸を触ろうとしている。
これ、目撃されたら言い逃れできないヤツだよね?
(急ごう……)
こういうのはささっと終わらせるに限る。
僕は殿下の胸に右手を載せる——殿下の身体がぴくりと動いたけれど、それだけだった。
柔らかくてすべやかで、温かい肌の感触に僕がおののきながら天賦珠玉を抜き出すイメージを頭に思い浮かべる。
「……ッ、……!」
かすかに殿下の喉から声が漏れた。すると周囲にひらりと蝶が舞うように炎が浮き上がっては消えた。これが自動発動する【火魔法】か……こんなちょっとの声だけで。
僕の手には黒色の天賦珠玉が握られていた。そこには青白く光る文字が浮かび上がっている。
【オーブ擬態★★★】
オーブ擬態?
なんだこれ。
とりあえず残りをすべて出さなきゃ。
次に出てきたのは赤色のオーブ——黒が「オーブ強化」であるのに対し、赤は「身体特性」だ。
【生殖途絶★】
オーブに浮かび上がる文字を見て僕は思わず言葉を失った。
なんだよ、これ……。
なんだよこれは!
【生殖途絶】——つまり殿下には子どもを産ませないということか?
(ああ——そういうことか)
最初に出た【オーブ擬態】は、おそらく【オーブ視】などを避けるためのものなのだろう。殿下の身体にどんな天賦珠玉があるのかを、真実を悟らせないために。
殿下は他国に贈られた。
そこで「子を成すな」という意味なのだ、この天賦は。
ハイエルフの王家には、殿下の、アナスタシアというひとりの少女の人生を、もてあそぶ権利があるというのか。ふざけるなよ。厄介な特異体質で生まれてきた彼女に、さらに重荷を背負わせることがハイエルフ王家の——家族のやることなのか?
「…………?」
怒りに震える僕に、殿下はきょとんとした顔をする。
一度経験したことなので二度目は特に殿下は声を漏らすこともなかった。僕が持っている天賦珠玉はまだ見えていないはずだ。
「……今は、すべての天賦珠玉を抜き出します」
話をするのは後にしよう。僕は天賦珠玉を革袋に入れると、殿下の胸に手を伸ばした。
最後に出てきた天賦珠玉は極めて珍しい——青色の天賦珠玉、「魔法特性」のものだった。
【魔力伝播★★☆☆】
今まで見たことのない星のパターンだった。星は4つなのに、そのうち2つの星がカラッポのように見えるのだ。
正直なところホッとしていた。【短命】とか【不運】とかそんな天賦珠玉があるのではないかと思っていたからだ。
でも、
「ッ!?」
最後の天賦珠玉を抜き出した瞬間、殿下の身体から魔力が噴出し——それと同時に火の粉が周囲に舞う。
マズイ。【魔力伝播】というものは、なにか、殿下の魔力を封じ込めるようなものだったのか?
僕は【魔力操作★】をふたつ取り出し、
「これを!」
殿下に手渡すと、2つの天賦珠玉は殿下の身体に吸い込まれていった——と、奔流のような魔力は収まったように見えた。
「……どう、ですか?」
「…………」
無言で僕を見てウンウンとうなずく殿下は、先ほどの魔力が暴走しそうな気配はなかった。
「少し、声を出してみましょう」
僕は手を伸ばし、殿下の首に巻かれていた包帯を外した。
「…………」
「怖がらないで、大丈夫」
「!」
僕が殿下の手をそっと握ると、殿下は小さな口を開いた。
「あ……」
僕は初めて殿下の声を——思いがけず漏れてしまったような声ではなく、ちゃんと本人が発しようと思った声を聞いたのだ。
それは透き通った、クリスタルのように美しい声だった。
ちりり、と小さな火の粉が周囲を舞った。だけれど、それだけだった。
「!」
殿下は僕を見る。
僕はうなずく。
「訓練しましょう。もっと星の数の多い【魔力操作】の天賦珠玉があれば、きっと完璧にコントロールできますよ」
「————」
殿下の瞳に涙が浮かぶ。そしてぽろぽろとこぼれる。
「〜〜〜っ、〜〜〜〜〜」
うれしくて泣いてしまうときでさえ、アナスタシア殿下は声を抑えている。
これまでの生活を想像すると、やりきれない気持ちになる。だけどこれからは違う。いつか好きなときに声を上げて笑い、歌だって歌える、そんな日が訪れるはずだ。
僕がそう——感じ、一仕事終えたと思ったときだった。
少し、油断していたのかもしれない。
いや油断していなくともこれはあまりに予想外だった。
パリンッとガラスが割れて何かが飛び込んで来た。それは僕の左肩に突き刺さった——毒が塗られている、麻痺毒が、そう【森羅万象】が警告してくれたけれど僕の身体から力が抜けていき、ついに前のめりに倒れてしまった。
「——アナスタシア様」
窓から入ってきたのは、エルフ。
「黄金旅団」のポリーナさんだった。




