44
目が覚めると頭がガンガンした。ヤバイ、風邪ひいたかも……とか思いながら身体を起こすと【森羅万象】先生による診断で「二日酔い」であることが判明。
マジですか。これが二日酔い……最悪の気分だ。
ベッドから降りると足がふらつく。
ムゲさんの倉庫内は通気性抜群なのでもはやほとんど外と同じである。夏の、朝のひんやりとした空気を吸い込むと多少は気分がすっきりした。
「ん……」
部屋を出るとテーブル代わりに使っている作業台があり、そこに陶器のビンが置かれてあった。ミミノさんの手書きのメモで、「二日酔いの薬」と書かれてあった。……ありがとうございます。いただきます。ビンが2本あるということは残りはダンテスさんの分ですね、わかります。僕の背後からとんでもないいびきが聞こえてくるもんね。
ビンの中身をぐいっと飲むと、ハチミツで甘くして誤魔化そうとしたけれど誤魔化しきれない苦みとえぐみが口の中に残った。水でも飲もうかと【生活魔法】を使おうとして、せっかくだから井戸を使うかと思い立って倉庫を出た。
朝焼けが、商会周辺の荒れた土地を照らしている。ムゲさんの住居兼仕事場兼商店である母屋はこの倉庫に負けず劣らず掘っ立て小屋なのだけど、そこは沈黙していた。僕らが帰ってきた夜遅くにも明かりが点いていたんだけどね。
「ん? そう言えばどうやって帰ってきたんだっけ……記憶があいまいだぞ」
昨日の帰り道が思い出せない。その事実に僕は——テンションが上がった。
だって、【森羅万象】は忘れることができないんだもの! そうそう、忘れるってこんな感じだった、って思い出したらうれしくなったんだ。正確には「忘れた」んじゃなくて酔いのせいで「記憶しなかった」んだろうけど。
白い幹が特徴の大樹があり、井戸はその下にあった。
ポンプ式の井戸は帝国内に普及しており、なんなら上水道下水道もあるのだけれどムゲさんの住んでいるここに水道を通すほど豊かではないようだ。
僕はポンプを押して水を出す。シャアアアと流れ出た水に手を浸すとキンとするほどの冷たさを感じる。じゃぶじゃぶと顔を洗うと一気に気持ちがよくなった。水をすくってうがいをして、2回水を飲んだところで出てくる水も止まった。
手ぬぐいを忘れたことに気づいたけど、【風魔法】と【火魔法】で温めれば問題ない。お手製ドライヤーである。ぶおおお、と前髪を吹き上げるように顔を乾かしていると、
「あー……それは、なんだ?」
そこにひとりの女性が立っていた。
「————」
細長い布をぐるりと巻く、サリーのような衣服に、フード付きのショールを合わせている。
この国では珍しいヒト種族——の見た目に、僕は思いがけず言葉が出なかった。
「すまないな。なるべく早くお礼を言いに来たくて……こんな時間に来てしまった」
ルルシャさんは、困ったように笑った。
あわてて部屋に戻った僕は着替え(だってパジャマに使っているボロ着だったから)、倉庫内に戻った。ルルシャさんにはイスに座ってもらい、僕はいつものようにピッチャーに水を入れて差し出す。
「す、すみません、お見苦しいところを見せました……」
「なにを言うんだ。私の命を救ってくれた君に、見苦しいだのそんなこと思うはずがないだろう」
「いえ、それとこれとは違うというか——と、とりあえず、ご無事でなによりです」
改めてルルシャさんを見ると、迷宮内で見たときと変わりない。疲れているような感じはあるけれどね、迷宮にいたときだって極度の緊張で疲れてたんだろうし。
「ああ……」
ルルシャさんは、少し戸惑うように、
「……その、助けてもらって言うのもおかしな話なのだが、どうして君はそこまでしてくれるんだ?」
「え?」
「私とは迷宮で会ったのが初対面だろう? 私に話したいことがある、と言っていたが……それと関係が?」
「あ……そうですよね。確かに、見ず知らずの人間から過ぎた親切を受けると疑わしいですよね」
「い、いや、もちろん感謝はしているのだが——」
「もちろんお話しします。そのために僕はこの国に来たのですから。……でもその前に」
僕はふだん持ち歩いている道具バッグから革袋を取り出した。
そこに入っていたのは小指の爪よりも小さいけれど、確かに青色に光る小さな鉱石だ。
鉱石を取り出す僕の手が震えていた——僕は緊張していた。
「!」
ルルシャさんの目が見開かれる。
「これは燐熒魔石ではないか?」
「ご存じでしたか」
「あ、ああ……母の遺品にもあったから」
「僕はよく知らないのですが、特殊なものなのでしょうか」
「……そうだね。今はもうないフォルシャ王国の、さる鉱山でのみ少量採れたという記録が残っている。魔力に対する反応が極めて特徴的で……」
「流した魔力を3から4倍に増幅して返すようですね」
実際に試したわけではないけれど【森羅万象】で僕は知っていた。【森羅万象】では産地まではわからないからね。
でも、そうか……フォルシャ王国のものだったのか。
それはヒンガ老人の出身地だ。
「そのとおり。これが大量に採れれば魔術の革命が起きると言われていたんだけれどね、あいにく他に採れる場所もなく、鉱山もほどなく枯渇したと聞いたよ。……これはどこで?」
ルルシャさんに問われ、僕は居住まいを正した。
「あなたのお祖父様、ヒンガ様に僕は大変お世話になりました。そして、ヒンガ様の最期を看取りました。お祖父様がどのような方だったかを、お孫さんであるルルシャさんにお伝えするのは僕の責務だと思い、ここまで来たんです」
ついに、この日がやってきた。ルルシャさんにヒンガさんのことを話すという僕の最大のミッションの1つを、今、ようやく果たすことができる。
それから僕は一気に話した。
どうしても避けては通れないところなので、まずは自分が鉱山奴隷であったこと。
そこでの生活がどんなものだったか。
ヒンガ老人が全員のまとめ役のような立場であったこと。
毎晩、この世界の知識を教えてもらったこと。
鉱山が崩壊し、ヒンガ老人が巻き込まれたこと。
そして、老人の最期の言葉を——一言一句過たず、僕は告げた。
——もしもワシの孫に会うことがあれば、ワシは最後まで誰を恨むことなく死んだと伝えてくれんか。
——お孫さん、ですか。
——名をルルシャという。ワシに似ず、利発で、可愛らしい女の子だったな……。
自分の名前が出てきたところで、ルルシャさんの目が見開かれた。
ルルシャさんは幼いころに会ったきりで、その後ヒンガ老人がどこでなにをしていたのかまったく知らなかったようで、僕の話を聞きながら鼻と耳が赤くなっていた。
「……すばらしい方でした。なにも持たないただの奴隷だった僕に、この世界を生きていくための武器となる知識を授けてくださいました。見返りなんて、僕が出せるはずもないことはわかっていたでしょうに。だから、僕はあの人が最後に望んだことを叶えたかった……」
話しながら、感情が込み上げてきた。
ああ、ダメだ。ルルシャさんがこらえているのに、僕のほうが先に泣いてしまう。
「ヒンガ様は、ご自身を振り返りながらも、ぼ、僕のことを祝福してくださいました」
今でも、あのときの言葉が耳元によみがえるような気がする。
今でも、あのときの祝福が僕の背中を押してくれる気がする。
——この身は、罰を受けるためにあり。死ぬことでは償えぬ罪を犯したゆえ。されど、今際にて日の光を浴びるほどの僥倖に浴した。天地を統べる万能の神よ、願わくばこの忌み子に祝福を授けよ……。
今でも、僕の黒髪をなでてくれたあのシワだらけの手を頭に感じることができる。
——レイジ、お前の人生に幸多からんことを願う。
ようやく、ここまで来られた。ルルシャさんに、ヒンガ老人のことを伝えることができた。
僕は濡れた目元を拳でこすりながら、自分の身体が軽くなるのを感じていた。
目の前に、ハンカチが差し出された。ルルシャさんのものだ。
「……バカだな、君は。私の家族のために、『畏怖の迷宮』を踏破するなんて」
微笑みながら、ルルシャさんの右目からも一筋の涙がこぼれた。
「でも、ありがとう……。お祖父様のことを聞けて、とてもうれしいよ」
それから僕らはしばらく、沈黙の時間を過ごした。
ヒンガ老人を思うには必要な時間だった——というのもあるし、いつの間にか途絶えていたダンテスさんのいびきや、ミミノさんたちの部屋に続く扉の向こうでも鼻をすするような音が聞こえていたから、みんなが落ち着く時間も必要だと僕は思ったのだ。
話せて、よかった。ほんとうによかった。




