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前話ではたくさんのポチポチありがとうございました。正直者め!
★ アナスタシア ★
——不吉な子だ。どうして我がハイエルフの王族からこのような子が生まれたのか。
——おお、涙を流すでない。その涙が穢れていたらどうする。
泣くことすら許されなかった。
声を発することができなくとも、無言で涙を流すことはできる。だというのにアナスタシアの父は、母は、兄弟は、泣くことすら許さなかった。
(声を出せない私の思いを、この方は余さずくみ取ってくださった)
「なにを考えているのかわからない」「声が出ないだけでこれほど不気味だとは」「きっと我らを呪わしく思っているのだろう」——そんな心ない言葉をぶつけられ、いつしかアナスタシアは自らの心を閉ざしていった。
声の出せないハイエルフなんて、エルフの森においてはなんの価値もない。
であれば自分の思いなんて価値はないのだ——と。
(これは、奇跡なのでしょうか)
それだけにこの少年が、たった1度会っただけの少年が、押し殺していた自分の思いに気づいてくれたというのは奇跡としか言いようがなかった。
「す、すみません。僕がなにか気に障ることをしましたか?」
「…………」
涙で濡れた顔を拭く前に、アナスタシアは自分の思いを紙にしたためたかった。
だけれどなにを書いていいのかわからなかった。
この少年に、強く心を揺り動かされた。初めはバッグを持ってきてくれたとき。どれほどこの少年はルルシャのことが大事なのだろうと思った。
でもそれはあくまでもルルシャと少年の関係の話でしかなかった。自分を信じ、バッグを託してくれたことはうれしかったけれど——どちらかと言えばルルシャのためにがんばりたいという気持ちが勝っていた。
(でも、今回は)
自分のことを考えてくれた。
そのせいで危険さえも冒してくれた。
『どうして』
と書き出して、なにをやっているのだろうかとぐしゃぐしゃに書きつぶした。
(私が、この方の、これ以上の負担になることは許されない……)
あふれようとする思いにフタをする。今まで何度も何度もやってきたこと。
アナスタシアは走り寄ってきた侍女が顔を丁寧に拭うのに任せた。拭い終わったとき——彼女の心に立っていたさざ波も、静かになった。
『感極まり、お見苦しい姿をお見せしたことをお詫びいたします。このたびのこと、誠に感謝申し上げます。私にできることはあまりないのですが、必ずあなた方に褒賞を授けたいと存じます』
書けた。完璧な文章だ。
これでこの少年に報いることができる。冒険者が定住しづらいこの国に長居することはきっとないのだろうけれど、後で褒賞を贈れば自分がやれることはすべてやったことになる。
ちくり、と小さな痛みが胸に走った。
(……なに、この痛みは?)
やれることをやった自分に感じた痛み? 違う。
この国の冒険者に対する扱いの悪さ? もちろん違う。
(……この方が、近いうちにこの国を出て行くということ……)
もう一度ちくり、と小さな痛みが胸に走った。
一度その痛みを自覚してしまうと、この人ともっと話したい、この人のことをもっと知りたい、そんな欲望が首をもたげる。
「…………」
少年は、レイジは、じっとアナスタシアを見つめていた。
なにか? という意味を込めて——なるたけ平静を装って——小首をかしげて見せた。今まで生きてきて、この仕草をすればあらゆる男は頬を染めてうつむくのが常だった。それはレフ人においても同じだった。反応しないのは明らかな老齢の男だけだ。
「……殿下、紙を拝借」
だというのに少年は、違った。
先日、筆談したときのようにアナスタシアの紙を借りるとそこになにか言葉を書きつけ、きっちり折ってすぐに中身を見えないようにした。
(……なんでしょう?)
困惑するアナスタシアにそれを差し出すと、
「おひとりのときに、目を通していただけますか」
と言った。彼の行動は予想外だったのだろう、冒険者仲間であるノンもまたきょとんとしていた。
「このたびは類い希なる幸運が重なり、迷宮を踏破することができました。皇帝陛下へのお目通りもかない、さらには陛下直々に褒賞を賜るなどすでに我らはもらいすぎです。アナスタシア殿下からの贈り物は謹んでご辞退申し上げます」
「っ……」
レイジはうっすらと笑みを浮かべてそう言った。
きっと気を遣ってくれたのだ。その日その日を生きているという冒険者が報酬を辞退するなんて、それくらいしか理由が思い当たらない。
悔しい。なにもできない自分が歯がゆい。冒険者であるあなたに財貨を与えることくらい簡単なのよ、と言いたいけれど、アナスタシアは「簡単ではない」ことを知っている。
(私は、籠の鳥……さえずることすらできない鳥)
悲しみが押し寄せてきて、また涙がこぼれそうになった。
「あ、あの、殿下? 要らないというわけではなくてですね——」
レイジが弁明を言うけれど、また彼に気を遣わせている自分がたまらなく惨めに感じられた。
「……殿下、そろそろ次のご予定ですぞ」
廊下から、執事が顔を出して言った。
自室に戻るまでのことはあまり覚えていない。アナスタシアの涙の痕跡を見て執事が怒り狂い、それを侍女がなだめていた。また彼に迷惑を掛けてしまった。
レイジのことばかり考えていた。
あの膝枕をしていた女性はレイジと恋仲なのだろうか?
あるいは他のパーティーメンバーと?
年齢はいくつなのだろう?
類い希な洞察力と、明らかに高等教育を受けたように見えるけれど、どこの出身なのか?
ルルシャとの関係は?
(……あ)
いい加減、ドレスを脱いで部屋着に戻ったアナスタシアは侍女が出て行ったところでようやく気がついた。
手に握りしめていた、レイジの書きつけ。
ハッとして周囲を見るが部屋には誰もいない。そそくさと文机に移ってその紙を開いた——いったいなにが書いてあるのか。
実は欲しいものがあったとか? 皇帝陛下の悪口? だったら面白いけれど、さすがにそれはないか——もしかして、自分への恋文とか……。
ドキドキしながら紙を開いたアナスタシアは、その文面に目を通していきながら——思わず呼吸することも忘れた。
『殿下のスカーフの向こう、包帯に書かれた魔術は声封じですね? 拝見するに殿下は声を発すると火魔法が発動する特異体質のようです。しかしながらこれは魔術ではなく魔力操作のトレーニングでも制御が可能です。もし必要があれば、ご案内が可能です』
数秒。
いや、十秒以上——アナスタシアは呼吸を忘れた。
「……ぁ、そ……」
声を出そうとして、魔術によって声が出ないことを思い出す。そしてほんのわずか発した声ですら身体の周囲に火の粉と、炎の揺らぎが出現してしまい、自分自身が——森に住むエルフとしては致命的な「火」に愛された特異体質であることを思い知らされる。
生まれてすぐに声を封じられ、幼いころにイラ立って包帯を外して魔法を使い——大木を何本も焼き尽くしたこともあった。
だけれどこれは秘中の秘。
直系の家族しか知らないこと。
対外的には「魔導師に呪われた」ということにしてある。声封じの魔術も幾重にもカムフラージュがしてあり、さらには上にスカーフを巻いていることでまず見破られるはずがない。
もちろん、ルルシャや皇帝も知らないのだ。
(どうして)
その疑問と同時に、
(私が、この体質を克服できる……?)
不意に訪れた希望の光に、奇跡のような強烈な光に、アナスタシアの心は強く揺り動かされた。
トクン、トクン、トクン、と動き出した鼓動は、いくつもの複雑な感情によって彩られていた。だけれどその感情がもたらした色彩は鮮やかで甘く、アナスタシアを陶然とさせるには十分だったのだ。




