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「——その器とって。スパイス足らないなら入れるべな」
「——酒があれば最高なんだが……」
「——お父さん、こんな状況でお酒飲んだら傷口にさわるでしょ」
「——じょ、冗談だって」
「——ん? 坊ちゃんが目覚めやしたね」
もわんもわんと声が聞こえていたけど、ゼリィさんの声で意識がはっきりと覚醒する。目を開けるとそこには、
「レイジくん!」
飛びついてきたミミノさんがいて——放り出された汁物の入った器をダンテスさんが器用にキャッチしていた。
「意識はあるな? この指は何本に見える?」
「い、1本……」
「他になにか具合の悪いところは?」
「いえ、別になにも——うっ」
身体を起こすのをミミノさんの細い腕が支えてくれる。頭がくらっときて痛みが走ったけれど、
「大丈夫!?」
「あ、はい。いつもの魔力切れの症状ですね」
「よかった……」
ノンさんがやってきて僕の額に手を当ててくれる。そこがほんのり黄金色に光り、魔力がじんわりと伝わってくる——頭痛はかなり楽になった。
「な、なんですか、これ?」
「【光魔法】で魔力を分け与えることができるんです——消費魔力に対して付与魔力量が少ないので、緊急時にしか使えませんけど」
そんな魔法もあるんだな。すごいな、【光魔法】。研究したらいろいろなことができそう——と思っていると、
「レイジくん」
ミミノさんに両頬をつままれた。
「ひ、ひゃい」
「レイジくんが強いのはわかっているけど、全部ひとりで、魔法で、やろうとしちゃダメなんだべな!」
僕とジャガーノートとの戦いは霧に閉ざされて見えていなかったはずだけれど、強力な魔法を発動するときには魔力の気配が充満するのでそれでわかったのかもしれない。
「……す、すひまへん……」
「強い魔法を撃つならわたしの『魔法複製薬』だってあるんだから!」
「あ」
ヤバイ。その存在をすっかり忘れてた。
ミミノさんの秘密兵器であるその薬剤は、一度構成された魔法を魔力消費なしでもう1発撃てるというとんでもない代物だ。
これがあれば、確かに、【火魔法】2連発でジャガーノートは沈黙させられただろう。
忘れてた——というより、この存在は考えないようにしてたんだよな……。だってこれ、めっちゃ高価な素材を使うし、それに……。
「レイジくん。まさかとは思うけど、高価い薬だから使いたくないとか思ってるんじゃないべな? しかもわたしのポケットマネーで作ってるからとか?」
「うっ」
「だ〜〜〜め〜〜〜〜〜!」
「い、いひゃひゃひゃひゃ!?」
「ミミノ、その辺にしておけ」
ダンテスさんが止めに入ってくれたけれど、「坊ちゃんのほっぺた、そんなに伸びるんですね」とか言って笑っていたゼリィさんは許さない。
「レイジ。いくら金を積んでも命には替えられない」
「……はい」
頬をさする。【回復魔法】を使う魔力はなかったし、この痛みはミミノさんが僕を心配して感じていた心の痛みなのだと思うと——いや、きっともっと心配してくれたに違いない——痛みをちゃんと感じなきゃと思う。
「ミミノはレイジに『魔法複製薬』を渡しておいたらどうだ」
「そうするべな」
ぽいっ、と投げられた小さなビンを、僕はあわてて受け取った。危なっ! これ1つで金貨が飛ぶっていうのに……。
……ミミノさん、「こんなのたいしたことない」って言いたくて、投げて見せたんだろうな。
「ミミノさん、ごめんなさい」
「……いいんだ。ほんとはわかってるから。今回のことはわたしとダンテスが悪い」
「え?」
「ミミノの言うとおりだ。これは、レオンを警戒しきれなかった俺がいちばん悪い。ノンにもつらい思いをさせた」
ダンテスさんは悲痛な表情を浮かべた。
「レオンのあの剣は出血を促す魔術が仕込まれてあって……俺はなにもできなかった。すまない、レイジ」
「違いますよ、ダンテスさん。ミミノさん。いちばん悪いのはレオンです。おふたりがそんなふうに悲しそうな顔をする必要はないんです」
「レイジ……」
「レイジくん……」
「それよりご飯の準備ができてたんですか? めっちゃお腹空いてたんで早く食べたいです」
僕が言うと、ノンさんがふわりと笑った。
「そうですね。さ、お父さん、ミミノさん、冷めてしまう前に食べてしまいましょう」
「……わかった」
「ん……」
大鍋に穀物や野菜、干し肉や干し魚を入れて煮込んだ食事だった。ミミノさんこだわりのスパイスが効いていて、パァッと鼻に抜ける爽やかな香りと、ぴりっとくる辛さが美味しい。
ミミノさんが僕の横にちょこんと座ってご飯を食べ始めた。さっき叱られたのは僕だというのに、なんだか今はミミノさんが叱られたみたいになってて——僕よりも年下みたいにしょんぼりしていた。ダンテスさんはダンテスさんで、いつも以上にご飯を食べた。
きっと、レオンのことで思うところがあるんだろう。
でもふたりは悪くないんだから、そんなに悩まないで欲しい。そう言いたいけれど、言ったところでしようがないよな……僕が当事者なわけではないんだから。
短刀はゼリィさんが拾ってくれていて、ジャガーノートからはいくつかマシな魔術部分を抜き取れたらしい。ムゲさんが喜ぶといいな。
そうして食事が終わろうとしていたとき、僕はふと思い出した。
「そう言えばさっき、地面が揺れませんでしたか?」
「それ、それですよ坊ちゃん! 今は霧で見えませんけど、あーしが見回ってみたところ、なんと『顔』が並んでた壁に通路ができてたんです!」
やっぱりジャガーノートを倒すことがきっかけだったってことだろうか。
そそくさと食器を片づける。早くその通路とやらを確認したい気持ちに駆られるけれど、荷物と装備のチェックが先だ——けれど。
「……霧が薄まってませんか?」
もう戦闘がないせいなのか、明らかに視界が遠くまで開けていた。
僕はちらりと「顔」のあった壁面を見て——ドキリとした。確かに壁の中央に一筋の切れ目が発生していて、それは奥へ続く通路のようになっていた。
そこに誰かがいたのだ。
「レオン!?」
「えっ」
人影はするりと中へと入っていってしまったけれど、確かに誰かがいた。そして見えた後ろ姿の——黄色のマントは、「黄金旅団」のものだ。
「……あの野郎」
だいぶ血液を失ったはずのダンテスさんは、食事のおかげか、血色が戻っている。額に青筋を立てたその表情に僕は思わず「ひぇっ」と声が出てしまった。
ダンテスさんが、マジギレしてる……! この迫力、ヤバすぎる。獰猛な獣すら突進を躊躇するほどだよ。
「ゼリィ、先行してあのバカを止めろ!!」
「りょーかい!」
しなやかなバネを活かしてゼリィさんが走り出す。だけど彼女は壁面通路の前で動けなくなったように立ち止まった。
「どうした!」
「そ、それが……」
通路まで遅れてたどり着いた僕らは、15メートルほど先にレオンを見つけた。彼の向こう側は行き止まりになっていたけれど壁面に何かが書いてあるようだった。
そしてレオンの目の前にはレバーのようなものが左の壁から出ている。
「ご苦労さん、ダンテス! あんなバケモノ相手によくやるぜ!」
「レオン!! お前!!」
「おっと動くなよ。このレバーを引けば、『ひとりだけ』『迷宮の深淵にたどり着く』んだそうだ。お前らには世話になったからな、最後にちょっとだけおしゃべりしてやろうと思った俺の優しさをフイにするんじゃねーよ」
レオンは勝ち誇ったように笑った。
あのレバーを引けばなにかが起きる、ということがあの先の壁に書いてあるのか?
(……なんだろう、これは)
僕の胸がざわざわした。
これは猛烈にヤバイという気がしたのだ。
根拠なんてない。
ただそう感じたんだ——こんな壁にデスマスクを並べたような場所の奥に、まともなものがあるわけがないって。




