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アトイナ様にもレビューをいただきました。ありがとうございます。
それと、おたおめコメントもありがとうございました(プレゼントをもらって兄弟でキャッキャ遊んでいる間にこれを書いています)。コロナの今回こそ兄弟がいてよかったなと思ったことはありません。
魔導ランプの明かりは冷たい、と僕はいつも思っている。自然の炎や、魔法による光よりも、魔術が生み出す明かりは一定で冷たい。
そんな光も、お嬢様の緋色の瞳に映じれば、極上の輝きに見えるのだから不思議だ。
その目に映る僕は、優しげな笑顔——だと思う。少なくとも僕は、必死の努力で笑顔を浮かべているのだから。
「どういう、こと……?」
「言葉のとおりですよ、お嬢様。ここから先は歩む道が違います。僕はこの壁の外へ、あなたはこの壁の内側に留まってください——これまでと同様に」
「冗談でもそんなことを言わないで!」
「冗談でも、ウソでも、虚勢でもありません。お嬢様、ここまでお見送りありがとうございました……あなたに見送っていただいたというだけで、これから先の人生も明るくなりそうな、そんな予感さえします」
「レイジ、どうして……どうしてそんなひどいことを言うの?」
青ざめ、震えるお嬢様をここで突き放す行為は確かに「ひどい」ことだろう。
でも、それでも、僕が決断して実行しなければならないことだ。
だって、お嬢様に決断させるほうがよほど「ひどい」のだから。
「お嬢様、ずっと後ろを気にしてらしたでしょう? 伯爵がひとり……たったひとり残されたお屋敷を」
「……そんなことは……」
「いいんです、僕の勘違いかもしれない。それでいいんです。そして僕が勝手に決定し、あなたには『家に帰る』という選択をしていただくだけです」
「…………」
「……お嬢様、伯爵とあなたはたったふたりの父娘です。今日はいろいろなことが……いや、『新芽と新月の晩餐会』があったあの日から、ほんとうにいろいろなことが起きました。だから、今のあなたにはすべてを消化できるような心の余裕がありません。当然です。それはあなたが子どもだからではなく、大人だって戸惑うようなことばかりでした」
僕は膝を折り、お嬢様と視線を合わせる。
うつむき加減のお嬢様の瞳に、涙がじわりと滲んでいる。
うっすら勘づいていたのだろう、お嬢様は。自分自身が戻らなければ伯爵がどうなってしまうか——あんなふうに取り乱した伯爵を救ってあげられるのは他に誰もいないのだ。
「いいんです。今は、伯爵のところに帰ってあげてください。伯爵は喜びますよ」
「……でも、そうしたら、レイジは……レイジがひとりになってしまうわ……」
「僕はお嬢様よりもずっと大人ですから」
「たった2つしか違わないのに……?」
「はい。その2つの年の差が、ものを言うんです」
それはさすがにウソだけれど、今さらお嬢様に僕が転生者であることを明かしても意味がない。
「お嬢様、僕は言いましたよね。この世界は広くて、一生をかけても回りきれないほどだって。でも逆に、一生ってのは結構長いんですよ。お嬢様が伯爵といっしょに時間を過ごして、大人になってもなお——それでも出て行きたいのなら、この国を出てください。それからでも遅くはないんです。十分に多くの国を回れるほどには一生は長い。だから、お嬢様、泣かないで……これは最後の別れじゃないんです」
ついにぽろぽろと泣き出したお嬢様の頭を僕はなでてあげる。
伯爵のところに帰るのは、今しかない……今戻らなかったら、お嬢様と伯爵の父娘の絆はきっと修復不可能になってしまう。
「……レイジ、わた、わたくしはっ、あなたとずっといっしょにいたかったの……! あなたが、どうして行かなければいけないの……!?」
「僕が話した秘密のとおりです。伯爵は僕を守ると言いましたが、それはあまりに問題を過小評価しているのだと思います。だから、僕はこれ以上伯爵のところにはとどまれません。それにお嬢様、僕は追い出されるのではなくて、自分から進んでこの国を出るんです——その理由は、次に会ったときにお話ししましょう」
「イヤよ! ひとりで行くだなんて許さないのだわ!」
「ごめんなさい、お嬢様」
「謝らないで!」
「……今まででいちばん難しい命令ですね。気をつけましょう。——さあ、お嬢様。お迎えも来たようですよ」
ハッとしてお嬢様が振り返った先に、マクシム隊長が馬を飛ばしてくる。僕らに気づき、僕の視線とお嬢様の泣き顔に気がついて、離れた場所で馬を下りた。
あの人は脳みそまで筋肉っぽく見えて意外と気が利く。まあ、そんな人じゃないとスィリーズ伯爵のところで働けないよね。
「ほんとうに……これが最後のお別れではないのね?」
「はい、もちろんです」
お嬢様は賢い。ほんとうは戻るべきであることはわかっていた。ただ、感情がついてこなかっただけで。
だから僕が背中を押してあげればいいのだ。僕はハンカチを出して——さっき汗をふいてしまったハンカチだけれどこれしかないので仕方がない——お嬢様の目元を拭った。
「……レイジのニオイがする」
「恐縮です」
「わたくしとの約束、覚えている?」
「はい。天賦珠玉をくださるという約束ですね?」
覚えているとも。
——わたくしがあなたにふさわしい、天賦珠玉を与えるのよ! 喜びなさい!
まるで、プレゼントをするような口調ではなかったあのことだ。そして、僕が喜んで見せるとお嬢様はうれしそうにしていたっけ。
ずいぶん昔のことのようにさえ感じられる。
「きっとあげるのだわ。だから、必ずもう一度わたくしの前に姿を現しなさい」
「はい」
僕は右手で拳を作り、心臓に当てた。
「お嬢様のために、スキルホルダーは空けておきましょう」
「……約束よ」
「はい、約束です」
お嬢様が右手を伏せ、人差し指と中指をくっつけて差し出した。僕は心臓から離した手でそれを握る。お嬢様の手は、すっかり温かくなっていた。
僕は立ち上がる。
お嬢様が僕を見上げている。
ああ——この人はなんて美しいのだろう。
今まででいちばん美しいと僕は思った。
賢く、強く、しなやかで、優しく、誰も持っていない彼女だけの魅力を持っている。
「…………」
「…………」
無言で背を向けて歩き出す。お嬢様は動かず、ただじっと僕の背中を見つめている。
ぽたり、となにか滴が地面に落ちる音を、僕の耳が拾った。嗚咽をかみ殺すような音も。
(……僕が、泣いているのか……)
もう、作り笑いをする必要もない。お嬢様に僕の顔はもう、見えていないのだから。
僕の目から一筋涙がこぼれると、あとはもう壊れた水道のようにだらだらと涙が流れてきた。こんな情けない顔は見せられなかったから、ここまで我慢できた僕はがんばったほうだと思う。
お嬢様がそう望んでくれたように。
僕もお嬢様のそばにいたかった。
日に日に成長していく彼女の姿を、いちばんそばで見守っていたかった。
でも、だからこそ、
「今は、さよならです、お嬢様……」
僕は涙の流れるままに、死んだように沈黙する街を通り抜けていった。




