悪意の真意は懇意の中に
【聴覚強化】によって僕の耳が屋外での喧噪を聞きつける。かなりの人数……3桁は行っているかもしれない。それほどの数がお屋敷の門に集まっているようだ。今はマクシム隊長の部下である騎士たちが対応しているが、向こうが本気を出せばすぐにも破られるだろう。
エタン様のエベーニュ公爵家が、それほどまでに黒髪黒目を敵視しているというのは完全に想定外だった。今日の話し合いの着地点は、伯爵が折れず、お嬢様はふてくされるものの、結局はふたりしかいない父娘なのだからどこかで折り合いをつけてくれるだろう——という楽観的なものだったのだ。
だけれど伯爵はその先に向けてすでに動き出していた。いや、僕のせいで事態が動いてしまった。どうしてバレたのか? あのときの調停者の言動か……。
「お父様! あまりにもひどいのではありませんか!? お父様はレイジに命を救われ、昨日だってレイジがいなければ多くの者が……!」
「いいんですよ、お嬢様。その辺で」
「でも!」
「お嬢様が怒ってくれたという事実だけでうれしいです」
僕が本心から思ってそう言うと、お嬢様は悲しげに僕を見た。
(ほんとうに、それだけでうれしい)
味方がいる。心から信頼できる味方がいる。
それがどれほどまでに勇気づけてくれるか。
伯爵……あなたは知らないでしょう?
「レイジさん、ずいぶんと余裕がありますね」
「ええ。先ほど言いましたよね。僕はもうこの伯爵家とはなんの関係もないと」
「……つまり、今すぐ出て行くと? あそこにいるのはエベーニュ公爵家の手練れたちですよ」
伯爵が眉をひそめたのは、僕が自分の実力をおごっていると思ったからだろうか。
ああ、まあ、伯爵の前で本気で戦ったところを見せたことはなかったけれど。
「伯爵。僕が知りたかった2つの情報……あなたは手に入れることができませんでしたね。いや、星8つの天賦珠玉についてはかすってはいますが、僕が望んだものではなかった」
「なにが言いたいのですか?」
「僕にとってその2つの情報は、ほんとうに必要だったんです。ここに残って、伯爵家の栄光に守ってもらうことも、分不相応に高い給金をいただくことも、そんなものは要らないんです」
「!」
「あなたはとても賢くて、予言者のように先を読むことができるけれど、ひとつ読み違えましたね。僕は、この国の未来になんてさほど価値を感じていません。自分がのびのびと生きていける場所が他にあるのなら、僕はこの国を去るだけです」
「……なんの未練もないと?」
「ありますよ。でもその未練は、お嬢様ただひとりです」
僕はソファを回って、お嬢様のすぐそばに立った。
「お嬢様。僕といっしょに行きませんか? 世界は広いです——すべてを見て回るには一生をかけても足りないくらいです」
お嬢様の目が見開かれた。
差し出した僕の手を見つめ、それから僕の顔を見る。
伯爵は——なにも言わなかった。むしろ執事長とマクシム隊長がうろたえている。
伯爵は、お嬢様が大事ではないのか——違う。伯爵は自分の身を滅ぼしてもお嬢様を守りたいと思うくらいの親バカだ。では、どうして止めに入らないのか。
「……行くわ」
お嬢様が手を取り、立ち上がったとき、伯爵の無表情が崩れた。
「な、なんだって……?」
伯爵は、お嬢様が手を取らないと知っていたのだ。だというのにそれが間違っていたために、驚いている。
「伯爵。今日、伯爵が留守であった間に教会へ行きました」
「……な、なにを……?」
「お嬢様と伯爵が交わした契約魔術を解除したのです」
「!?」
あの眉目秀麗な伯爵が顔をゆがめている。執事長やマクシム隊長も「わからない」という顔をしていた。
「……その様子では伯爵本人しかご存じなかったようですね」
お嬢様に契約魔術が掛けられているのではないか——と僕が疑ったのは、今日が初めてだった。それはお嬢様が僕の話を聞いて、伯爵のことを疑った際に、あまりにお嬢様の体調が悪そうだったからだ。
お嬢様は、実の父を裏切ったりできないような契約魔術を掛けられているのではないか——そう考えた僕はお嬢様とともに教会へと向かった。
そこで初めて、ノンさんから教わったノウハウが役に立った。
教会では、お金を払うと罪や穢れを祓うという儀式を行うことができる。裸になって聖水で沐浴をするのだが、沐浴の手順が特定の契約魔術を解くプロセスに非常に近いらしい。その際に、高い魔力を体内で循環させると、解かれてしまう契約魔術が多いのだそうだ——そんなことを知っている教会関係者は限られているとノンさんは言っていたけれど。
お嬢様は多くの魔力量を持っていて、しかも【魔力操作★★★★】なんていう天賦もあったので簡単に魔術が解除された。
独特な形式の魔術や、魔術師本人が媒介になるようなものは解除できないということだったけれど、お嬢様の場合は違ったらしい。
伯爵が驚愕の表情のまま腰を浮かせる。
「エヴァ、ならば、お前は……!」
「はい、お父様。すべてを思い出しました……わたくしが、お母様を殺してしまったのですね」
なぜ伯爵が契約魔術を使ったのか。
それはお嬢様が母の死について、当時お屋敷にいた執事から偶然聞いてしまったせいらしい。その記憶を封印し、家族仲を二度と壊さないために使ったのが契約魔術だった。記憶を封印するだけでなく父を裏切らない、娘を裏切らない、といったことを書いていたのだろう。ただ問題は、「本人が裏切ったと感じたかどうか」が重要で、伯爵がお嬢様にいろいろな秘密を持つことは「娘のためを思った」ことなのでセーフで、お嬢様が伯爵を疑ったことは「父を疑うことは裏切りかもしれない」とお嬢様自身が感じてしまったために契約魔術が働いた。
母の死の事実を思い出したお嬢様は——そのときは取り乱さなかった。淡々としていて、沐浴から戻ってきたばかりのときは最初、特に変わったところも見えなくて契約魔術なんてものはなかったのかなとさえ僕は思った。
だけれどお屋敷の自室に戻ってからお嬢様はすべてを僕に打ち明け、僕にすがりついて泣いた。泣くだけ泣いたあとは、「もう大丈夫なのだわ」と言って笑ってみせた。
——実は、お母様が亡くなったのはわたくしの「鼓舞の魔瞳」が原因なのでは、と疑っていたから。
お嬢様は薄々勘づいていたのだ。
「違う! お前はなにひとつ悪くない!」
そして伯爵にとって、いちばんの弱点がお嬢様だった。
「わたくしは大丈夫です。ちゃんと自分の罪にも向き合うことができますから。それよりも……わたくしもお父様も、お互いに依存することを止めるときが来たのですわ。わたくしは親離れを、お父様は子離れをしなければいけないのです。あんな魔術に頼らずとも、スィリーズ家の者ならば己の足で立ち、そして歩いていくことができますから」
「だが、だが、お前がこの家を出て行く必要なんて!」
「……レイジ、行くのだわ」
「はい」
僕はお嬢様とともに伯爵に背を向ける。
「エヴァ、エヴァ——!!」
伯爵の悲痛な声が耳に痛い。立ち上がって追いかけてこようとする伯爵に、僕は殺気を放った——伯爵はその場にくずおれ、マクシム隊長も怯んだ。
伯爵はなにより、お嬢様のことが大事だった。
お嬢様の成長を——父を疑うということさえ「娘の成長」だと受け入れていた伯爵は、お嬢様が心底の部分では絶対に父を裏切らないと信じていた。
契約魔術があったから。
でも、お嬢様はそれを乗り越えたんだ。
そして僕らは部屋を出た。
「……レイジ」
「はい」
「お父様のしたことは、間違っていたの?」
伯爵はこの国のために尽くし、お嬢様のために尽くした。
たとえそれが周囲から見て「悪」だと思われることでも、伯爵にとっては真に正しいことだった。
僕は、伯爵を恨んだりはしない。嫌いになりもしない。むしろ、
(なんて不器用な人なんだろう)
と、同情さえ抱いた。
僕が、あの人をもっと頼って、その庇護下に入ることが伯爵にとってすばらしいことだった。だからあんなふうに脅迫まがいのことを言ってきた。
でもそれは僕にとっては悪意にすら見えることだった。
その真意が、僕を守りたいという懇意によるものだとしても。
「間違っていませんよ。あなたのお父様はとても立派な方です」
僕は断言した。
「では」
お嬢様は重ねてたずねる。
僕らは玄関ホールにたどりつく。外での騒ぎに怯えたメイドや執事たちがいる。
僕はお嬢様のために外へと通じる扉を開けた。
「わたくしのしたことは間違っていた?」
薄い月の夜は暗く、スィリーズ家の騎士たちが集まり、多くの魔導ランプが門までのアプローチを照らしていた。
門の向こうには百人ほどの武装兵が集まっていて、あちらもあちらで魔導ランプが光を灯していた。
「いいえ」
僕は断言した。
「あなたが間違ったことをしたなら、僕は全力で止めます」
「……そう」
僕とお嬢様が歩き出すと、それに気づいた騎士たちが制止の声を掛けてくるが、無視してどんどん前へと進んでいく。
「——ここにレイジという護衛がいるべな。彼を出してくれれば済む話だ」
「——こんな夜更けに来ること自体が非常識でしょう」
門のところではレレノアさんと騎士とが押し問答をしている。
近づいてきた僕らに気がついた彼らは、ハッとする。レレノアさんは——苦しそうに顔をゆがめた。
「レイジ……手を」
「はい」
僕はお嬢様の手を握った。信じられないくらい冷たかった。無理をしているんだな、不安なんだな……せめて僕の体温が伝わればいい。
お嬢様は僕を引っ張るようにして前へ前へと進んでいく。門から数歩のところで立ち止まる。
「レイジ」
「はい」
「あなたは……伯爵家を出たわたくしでも、護衛してくれるの?」
「喜んで」
「そう……。あなたたち、門を開けなさい」
「しかし、エヴァ様」
「わたくしの命令です。門を開きなさい」
「……わ、わかりました」
お嬢様の言葉に、戸惑いながらも騎士たちが門を開いた。
向こうには油断なく僕を見ている武装兵がいる。スィリーズ伯爵家の騎士たちよりも練度が低そうだけれど、ヒト種族だけでなくハーフリングも多く混じっていた。
「エヴァお嬢様、どうぞそちらにいるレイジ殿をお引き渡しください。伯爵にはこの旨、お伝え済みでございます」
レレノアさんが膝をついて申し出た。
「レイジはもはや伯爵家とは関係がなくなったのだわ」
「そうですか……ならばなおさら問題はありませんね」
「レイジを連れていってどうするの?」
「……それは言えません」
「殺すの?」
「ッ」
レレノアさんがピクリとした。……殺すのかよ。怖いな。というかあっさり人の生き死にを決めてくれるよね。
「渡すわけにはいかないわ。レイジはわたくしにとって、とても大切な……護衛だから」
「しかしッ!」
「レイジ」
「はい」
お嬢様は振り返って僕を見上げた。その目に光が点る——それは温かな感情だ。僕の心を熱くし、戦う意欲を湧き上がらせる。
ああ、これが「鼓舞の魔瞳」か。コントロールされた魔瞳のなんと心地いいことだろう。
でもお嬢様。
それをかけていただかなくとも、僕には十分、戦う意欲がありましたよ。
「ここにいる全員を倒せる?」
お嬢様の無邪気な質問に、レレノアさんはぎょっとして、武装兵たちは殺気立った。
「本気を出せば、問題ありません」
それは客観的な事実だ。この世界では100人の黒鉄級冒険者よりも、1人の純金級冒険者のほうが強い。
それほどに、天賦の差が大きい。
つまるところ、目の前の武装兵が全員で掛かってもウロボロスを止めることはできなかっただろうと僕は確信している。
「——レイジくん、君はそんなことを言って……」
レレノアさんが僕を落ち着かせるように言ってきたけれど、それは無駄だ。
「本気を出しなさい、レイジ」
お嬢様のオーダーはいつだってシンプルだ。
「道を開くのだわ」
そしていつだって、人使いが少々荒い——まあ、今日ばかりは、
「承知しました、お嬢様」
僕も暴れたい気分だから、ちょうどいい。




