23 「雪の王」と「夜月の女王」⑤
トレニアがゾルダ王国を訪れて早半月。この国としては珍しい程の快晴が続いていた。一年を通して青空が見える日が少ないゾルダ王国の滅多にない出来事に、国民は「帝国の皇女様の恩恵では」などと噂していたが、トレニアは「天候に関与出来る力等ありませんわよ」と軽やかに笑っていた。
「神殿、ですか?」
「はい。王都から馬車で二時間ほどの場所にあるのですが、王族の婚姻が行われる際は、必ず祈りを捧げに行かなければならないのです。婚約式の時にもですが、私たちの婚約は発表のみで式は帝国で行いましたから、ぜひ一度祈りを捧げに行きたいのです」
「まあ!慣例ならば早く仰ってくださいませ。神への祈りは大切な事でしてよ」
帝国の皇族は神の加護を受けている。それもあってトレニアは敬虔な信者であった。
皇族の信仰する神は創世神だが、数多の神がいる世界なのでどの神を祀るかは国民の個人の自由である。大抵は創世神ともう一柱、商人であれば商売の神、芸術家ならば芸術の神を信仰している。
神殿参りをするにしても今日の今日、思い立ったからとはいかない。寄付金の準備や訪問の為の衣装なども考えなければならない。
「その神殿は王都にある神殿とは異なり特別な場所となります」
曰く、王都は王国の中で見ればやや南側に存在している。国の中心と思われる場所にその神殿はあり、そこはどこの領にも組みしていない独立した場所なのだという。
「行けばわかるのですが、人が住める場所では無いですし、敢えてそのように作られたとしか思えないのですよ」
出発は二日後と決まり、トレニアはジューノに支度を委ねた。
この旅行には二人の侍女見習いが着いてきている。モーラとユーナという名であり、彼女達はショモナ王国において魅了の魔道具で混乱と騒動を巻き起こしたプニカの異母姉であった。
プニカとその母である後妻だけでなく実父にすら虐げられていた二人を救ったのがトレニアであり、彼女達は帝国に連れてこられ、ジューノの下について侍女見習いとして働いていたところだった。
帰る家はなく、王国にも戻りたくない二人はジューノ同様、ゾルダ王国への移住を拒否することは無かった。
元々家で使用人扱いをされていた彼女達は一通りのことは何でも出来た。出来なければ生きては行けない環境だった。
一年をかけてマシなったとはいえ、モーラもユーナもあまりにも痩せていた。男爵家という事もあり、使用人の数が少なかったし、誰もがあまりにも贅沢を望みすぎた結果、皺寄せは全て食事に来た。削れるのは使用人の給料や食費で、間違いなく男爵令嬢で貴族の二人なのに、片方は平民の親を持つプニカにより満足に食べる事も叶わなかった。
帝国であればプニカは「男爵令嬢」と名乗ることは出来なかった。帝国の貴族はかなり厳密に定められていて、親の片方が平民であれば貴族を名乗れない。庶子であっても両方が貴族であれば貴族院に登録出来るが、片方では出来ない。
また、平民が貴族になる為には功績が必要で、一代と決まっている。
貴族には責任がある。義務があり、そこには大きな責任があるからこそ贅沢を許されている。
帝国は長い時間をかけてその責任を理解しない愚か者を淘汰してきた。贅沢は享受するのに、義務を果たさず責任を負わない者は帝国にはいらない。
プニカは貴族になりえなかった。中身が『テンセーシャ』と成り代わっていたのだから結末がこうなったのだろうか。
「ジューノさん、装飾品をお持ちしました」
「ドレスをお持ちしました」
宛てがわれている客室の隣の部屋に荷物を運び入れている。皇女ともなればドレスの数はかなりの量になる。何度も使い回すことなく仕立てるのは経済を回すことになるので、一度着れば袖を通さないものも出てくるが、今回はトレニアが好んで何度も着ているものを選んでいるので、それなりに枚数抑えられている。
「やはり、神殿参りならばこのドレスね」
そっと触れるのは白を基調とした首まで詰まったドレス。装飾は控えめだけれど、刺繍はよく見れば緻密に入っている。
姉妹が神殿に訪れる時の為の特別なドレスには、それぞれ創世神話の一節を現した図案が刺繍されている。
トレニアのドレスは神の息吹と大地の芽吹きの場面である。極めて白に近い銀の糸で刺繍されたドレスはワンピースの形をしていて、腰を幅広のサッシュで絞る形になっている。
ギュウギュウに締め上げるコルセットは付けない代わりに、研究所にて『テンセーシャ』の知識から作られたブラジャーとよぶ胸当てを付けることになる。
これは二年前にカルミアの婚約者の元に押しかけ婚姻をしようとした公爵令嬢が完成させたもので、初めこそ心元なかったが、付けてみればしっかりと支えられる安定感に感心した。ただ、トレニアのドレスは肩を出すものが多いので紐が無粋となるので、使い時が限られてくる。
「カルミア様はわざわざコルセットをつけなくても素晴らしいスタイルですから羨ましいです」
ジューノが下着を見えないように箱にしまいながら零す言葉に、無言でうなずくモーラとユーナ。トレニアは思わず笑ってしまった。
「姉妹の中でワタクシが一番太っているのよ?他を見てご覧なさい。華奢で細いでしょう?」
「トレニア様、違います。トレニア様は太っているのではなくて、メリハリが付きすぎているのです」
胸と尻が大きい上、背も高いので肉付きがよく見えるが、ウエストはかなり細い。カルミアに聞いて腹回りを太らせない運動を毎日している成果は出ていた。
帝国の神殿への寄付はお金と物、どちらでも良いとされている。貴族はお金を、平民は物を寄付することが多く、それらは神殿の運営に半分、残りは貧しい者への救済という形で貧民街の子供への仕事を依頼した報酬になっている。
ただ与えるだけが救済ではなく、生きる術を教えるのが神殿の在り方で、そこで働く神官達は奉仕の心が強く、質素倹約を苦にしない者が多い。
大昔に神殿は何度か腐敗した。信仰を名目に金を巻き上げ、神職者が贅沢に浸っていた結果、神罰が下された。
腐敗した神官の顔には悍ましい痣が浮かび、罪に応じた罰が与えられたという。そこからあり方が変わった。
そもそも神殿とは神の住居である。そこを勝手に占拠して我が物顔をするなど許されるわけがないのだ。
馬車に乗って北に進むこと二時間。王都から整備された道が露出していた。ここ最近の快晴のお陰で雪が溶け始めたので雪を避けたらしい。ここは誰もが使う道なので人出に困ることはないそうだ。
とは言えども途中でそれは終わる。丁度神殿のと領地の境目らしい。
「ここから進むと分かりますよ」
道中、木々が連なる森がまるで壁のように存在していた。ぐるりと円を描くように森があり、そこを人が住む土地にしてはならないように静かに阻んでいるように思えた。
森を抜けたところで馬車が止まる。窓の外を、と言われてそちらを見て分かった。
「降りても、宜しくて?」
「はい」
目の前の光景はあまりにも現実的ではなかった。
雪は一切なく、草が地面を覆っている。そして大きな湖が存在していた。湖の中央には荘厳な佇まいの神殿があり、トレニア達が立つ場所と神殿までの間には馬車が三台ほど並べる石造りの橋がかけられていた。
「ここからは申し訳ないのですが、歩きとなります」
「構いません」
神殿に赴く時は基本的にヒールの無い靴を履いている。靴音が響くのは好ましいと思えなかった。
神殿の前までは他の者も共に行く事は出来るが、中に入れるのは王族とその婚約者、もしくは伴侶となるものだけど定められているという。
「雪が積もっていないのはなぜなのかしら」
「神殿が魔道具となっていて、森が境界だと思われています」
「民が滞在することは無いのですか?」
「ありません。出来ないのです。二時間がおそらくは限度で、それ以上は体調が悪化して最悪は意識を失うのです。ですから、我々も二時間以内には森の外に出なければなりません」
古代の時代より残っているとされるこの神殿には神官もいないが常に清められているという。
橋の中央にはきらきらとした石が埋め込まれていて、その上を歩いてはならないという。
「神の通り道とされているらしく、行きはこちら、帰りはあちらの道を通ります」
「そうなのですね」
人が歩くには十分な幅で、余程端に寄らなければ湖に落ちることは無いだろう。
どこよりも澄んだ空気だけれど、だからこそ人が生きる場所には向いていない。ここは神の為の場所なのだ。
十分ほど掛けて着いた神殿前。ノクトとジューノ、騎士を待機させてベイセルはトレニアと共に二人だけで入る事になる。大きな扉の片方に何が仕掛けがあるようで、ベイセルが手を乗せるとゆっくりと扉が開くが完全に開き切るわけではない。
人ひとりが通れる隙間をベイセルが先に入り、トレニアが入れば扉はまた勝手に閉まった。
この神殿自体が魔道具だというベイセルの言葉を裏付けるように、通路の脇に付けられている灯りが次から次へと光っていく。
「出ていく時にはどんどんと消えていくのです」
「どういう仕組みなのかしら」
「魔道具の解体は恐ろしくて出来ませんから分からないままですね」
少し歩いた突き当たりに扉があり、近付くとこちらも勝手に扉が開く仕組みになっていた。
無人でも問題無いのはこの仕組みがあるからなのだろう。
「え……」
「王都や帝都にある神殿とは全く異なるでしょう?」
広いホールの奥には創世神の像があるが、その形が今までに見たことも無いものだった。
トレニアが知るのは深くフードを被り顔を見せずに立っているものばかり。創世神のお顔を誰も知らないからだ。
しかしここにあるのは、顔を顕にしたお姿で、椅子に腰掛け足を組み、誰か親しい友人を前にしたような気安さがあった。
長い髪の毛を緩く編んで前に流したそれは、神像なのだろうが――。
「これを作った方は、創世神様と、親しかった?」
「おそらくは。両側の壁を見てください。どちらにも羽が生えているでしょう?神の御使いと思われています。左の方の像は困り顔で、右の像は少し怒った顔をしているのです」
あまりにも思わぬ光景に言葉を失っていたトレニアは、言われた通りに左右の像を見て、そして自然と光景を思い浮かべた。
友人と何気ない語らいをする創世神。その神を迎えに来た御使いは呆れたり、まだ終わらないのですかと怒ったり。
その創世神の像の前には丸いガラスが嵌め込まれているが、様々な色が使われているように見える。
「上を見てください。下の円形と同じものが天井にもあるのです。ですので、私達はそこに立たず、その前で祈ります」
「分かりましたわ」
意味があるのならばそれに従うのがトレニアである。
跪いて手を組んだベイセルの隣でトレニアも同じように跪くと手を組んで祈りを捧げた。
どれくらい祈ったのであろうか。
それは不意に生じた。
――――リーン
とても軽やかな鈴の音にも思えた。
一度、二度、三度。
一つ鳴る度にホールの中に音が広がり大きくなる。
「これは」
「初めて、です。いえ、ですが、嫌な気配はなく」
「寧ろとても心地良く感じるのですが……」
思わず祈りを止めても鈴の音は鳴り、七度目で音は止まった。
今までに無いことが起きた、それは間違いがないらしい。ベイセルは何かを考えているようだけれど、答えが見つかるはずもなく。
結局のところ、時間に限りもあるので外に出る事にしたのだが。
「ベイセル!中で何があった!?」
「どうした、ノクト」
「鐘が七度鳴った」
「異変は」
「……森の外に出ないと分からない。だが、あの音は間違いなく王都まで響いていたと思う」
トレニアがジューノを見ると必死に頷き、騎士達も同様だった。
聞けば、鐘の音は大きいのに頭が痛くなるものではなく、とても不思議だったと言う。湖面を見ていたものは波紋が広がるのを見たと言うので、神殿を中心に円状に音が広がったのかもしれない。
「中では鈴の音が響いたけれど、悪い気持ちにはならなかったわ」
「こちらもです。寧ろ、清涼感というか……体の中の汚れが流されたような」
「ああ、分かるわ」
ジューノが胸に手を当てて語る言葉にしっくりとする。
悪い気はしない。しかし、あまりにも未知なことで早く王都に戻らなければと誰もが無言のままに感じていた。
魔法はかつてありました。
神により力は奪われました。
帝国南部の辺境伯家の更に南には森が広がっています。
そこからは大型獣が出てきますし、ドラゴンもいます。
ゾルダ王国には魔晶石の鉱床があります。
何故魔法は消えたのでしょうか。
もう、魔法は二度と使えないのでしょうか。




