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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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アバディーン城のディレン隊 4

 夜会が始まる日になると、「鷲頭館」を中心にパーティーの準備に使用人たちが駆け回るようになった。さすがにレティシアたちがいる「黒翼館」はそれほどではないが、続々と客人が集まってきており、ドアの外では使用人たちが慌ただしく駆け回る音がひっきりなしに響いていた。


 窓の外を窺うと、絢爛豪華な馬車が次々に城門をくぐっていっているのが見える。ミランダに聞いたところ、リデル王国配下にある諸侯は全員同じ型の馬車を保有しているが、デザインや配色、その他オプション機能は各自の趣味に合わせてアレンジしているのだという。

 また、その馬車がどの貴族のものか分かるように、馬車の一箇所には必ず家紋を付けるのが鉄則となっているのだそうだ。家紋の付け方も、馬車の側面に彫り込むものもあれば、天井に旗を付けるものもあれば、馬車全体に家紋のペイントを施しているものもあり、そこからも諸侯の美的センスをはかることができた。


 レティシアたちは、夜会が始まるまでは特にすることはなかった。国王への挨拶は登城初日にクラートが代表して済ませてくれたので、その他への個人的な挨拶や自己紹介は全て、夜会が始まってホールで行えばよいのだという。


 そういうわけで、夜会初日の夕方になるまでレティシアたちはミランダの部屋でのんびりと過ごし、出された高級茶菓子に舌鼓を打ったり、インテリアの「無駄さ」を三人で批評し合ったり、これからの計画のおさらいをしたり、はたまた気分転換にとお喋りに興じたりとだらだらと過ごすことができた。









 日が沈み掛けた頃。

 王城仕えの使用人が仕度を促してきたため、ミランダがすくっと立った。


「それじゃあ、そろそろエステス伯爵令嬢に変身しましょうかしらね」

「ドレスの着付けは、本当に私たちでいいのでしょうか」


 テーブルに広がっていたカードをかき集めながらセレナが問う。ついさっきまで彼女らは三人で、レティシアが先日城下町で買ったカードでゲームをしていたのだ。

 ちなみにそれをセレナが片付けているのは、最後の試合でセレナが負けた罰ゲームだからだ。


「普通、良家の子女のドレスの着付けは正式な侍女がするものでは……」

「仕方ないじゃない。今回は二人を入れるためにうちの侍女は全員外しているし、見も知らない他人に体を触らせるのは、私のプライドが許さないからね」


 言いながらミランダはクローゼットを開け、あらかじめ用意していたドレスをハンガーごと出した。


「私の方からあれこれ注文するから、デザインについての心配はしないで。それに、あなたたちにとってもいい経験になるでしょう?」


 確かに、ドレスを着る手伝いや化粧方法などは、今覚えておいても決して無駄にはならないだろう。いずれミランダ以外の貴婦人の着付けを手伝うことがあるかもしれないし、逆に自分が着せられる立場になるかもしれない。


「まさに、『無駄』がないのね」


 セレナがつぶやいて視線を寄越してきたため、レティシアも苦笑するしかできなかった。


「そう言われたら、乗るしかないね……」

「そういうこと。じゃ、よろしく頼むわ」


 ドレス自体はミランダに自分で着てもらい、背中のファスナーやショール、ネックレスなど手の届かないところをレティシアたちが手伝うことになった。他にも、着付け中の貴婦人がしゃがんだり身をかがめたりするのは見苦しいので、ミランダには背筋を伸ばしてドレッサーの前に座ってもらい、靴やマニキュア、背中のマッサージなども「侍女」二人の仕事になった。


「……レティシア、それって揉むというより抓っているんだけれども」

「あ、ごめん!」


 ミランダの指示するように背中を揉んだつもりが、彼女の薄い皮膚を捻り上げることになっていたらしい。

 慌てて指を離すが、レティシアが抓った箇所は既に赤い渦巻き模様になっていた。


「うっ……ごめん、なさい……せっかくセレナがきれいにローション塗ってたのに」

「ま、そういうこともあるわね」


 ミランダはあっけらかんと笑い、しょぼんとするレティシアに鏡越しに微笑みかけた。


「大丈夫よ。ドレスはデコルテ式だけど上からレースのショールを羽織るから。念のために白粉で……」


 ミランダの言葉が途切れ、それからしばらく沈黙が続く。どうやら鏡の中を凝視しているらしい。

 鏡越しにミランダとばっちり視線がぶつかり、レティシアは思わず顔を背けた。鏡に映るミランダの目は、何かを疑うかのように、細く吊られていたのだ。


「……どうしました、ミランダ様?」


 白粉を持ってきたセレナが訝しげに問うと、ゆっくり、ミランダの赤い唇が開かれた。


「……レティシア、あなた、その目……」

「目?」


 言われても訳が分からず、レティシアは反射的に自分の顔の前に手を翳した。セレナも不思議そうな顔でレティシアの顔を覗き込み、そして鏡の方を見て――


「! レティ、目が、赤く……!」

「え」


 指摘され、レティシアは弾かれたように顔を上げて鏡の中の自分を見つめた。そして、えも言えぬ恐怖に体が冷たくなった。


 鏡に映るレティシアの姿。体形や顔立ちには全く変化がなく、特徴的なオレンジ色の髪も、少しだけぼやけた鏡面にしっかり映り込んでいた。


 唯一の変化は、その両目。普段は柔らかな樹木色をしている双眸が今は紅玉のように、血のように、炎のように、毒々しい赤に染まっていたのだ。


(……そうだ! ロザリンドが言っていた鏡……)


 ロザリンドはレティシアが大司教ティルヴァンの娘であることを証明する際、小さな手鏡のようなものを出した。ロザリンドはその鏡を「解呪の鏡」と呼んでおり、魔法によって歪められた姿を打ち破り、真の姿を映し出すものだと言っていた。そして、王都や聖都にある鏡は全て、この「解呪の鏡」だとも。


 エステス伯爵令嬢用の客室に据えられたこの鏡も、「解呪の鏡」だった。よって鏡面には、レティシアが本来持つ色である紅色が映し出されているのだ。


 怖々視線をずらせば、じっと黙り込むミランダが。その向こうには、白粉の缶を持ったまま、おろおろと視線を彷徨わせるセレナがいた。「どうやって説明すればいいのか分からない」と言わんばかりの表情だ。


(ミランダには、私が大司教の娘だってことを伝えていない)


 レティシアが大司教家の末裔であることは極秘事項であり、王族や上級官吏、魔道士団長や育ての親などを除けば、事実を知っているのはディレン隊の五人――クラート、レイド、オリオン、セレナ、そしてノルテだけだった。


(やたらめったら口にすべきじゃない……ミランダ相手でも)


 レティシアはごくっと唾を飲み、後ろ手にきつく手を組んだ。

 ミランダに何を問われようと、空惚けてやるつもりだった。


 だが。


「……ああ、セレナ。白粉ありがとう。レティシア、悪いけどさっきの所に塗ってくれる?」


 わざとらしささえ感じられるほどあっけらかんとミランダは言い、おどおどするセレナの手から缶を優しく奪ってレティシアに手渡した。

 その時の彼女の眼差しには、既に驚きや疑いの色はきれいさっぱり消え去っていた。


(ミランダ……?)


 拍子抜けたが、レティシアは慌てて缶の蓋を開け、中の練り状の白粉をミランダの背中に塗りつけた。

 先ほど自分が抓った箇所を中心に肌に擦り込ませていると、鏡の中からゆっくりとミランダがレティシアに視線を合わせてきた。


「……王都ではあらゆる嘘が暴かれる。それは、王族を守るため。魔法の嘘で塗り固められた鎧を剥ぎ取って、裸の姿で勝負させるためなの」


 静かに語るミランダ。

 レティシアは何も言わず、ひたすら手を動かしながらミランダの言葉を聞いていた。


「赤い目なんて、そんな珍しいものじゃないわ。目が赤から茶色に変わろうと、大きな差でもない。……私は、茶色の方が好きよ」


 最後の一言は、思いついたように付け加えられた。

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