アルスタットへ 1
オルドラント公国公子クラートと、セフィア城騎士団ディレン隊の遠征許可が下りた。
許可をもらったレティシアたちは城の事務にも遠征届けを出し、手早く荷造りしていた。
遠征メンバーはクラート、レイド、レティシア、セレナ、オリオン、ノルテ、そしてミランダの七人。
カティアたちも名乗り出たのだが、ディレン隊全員が城を空けるわけにはいかない。よってレイドらで話し合った末、遠征に出る人員が選定されたのだ。
馬車に荷物を積む手伝いをしながらも、レティシアはそわそわと目線を彷徨わせていた。
クラートのために働きたいと意気込んだものの、正直なところ自分がメンバーに選ばれるとは思っていなかった。
レイドとクラートは必須で、竜騎士のノルテも大変重宝する。となると、あと騎士が若干名と魔道士が数名となるのだが、きっとカティアたちが真っ先に選ばれるだろうと思っていた。だからこそ、ディレン隊の会議でレティシアの名が呼ばれたときは、喜ぶより前に驚きで足がすくんでしまった。
(私が新人だから、レイドも気を遣ってくれたのかな)
レティシアは視線を上げた。
レイドは手慣れた仕草で馬に馬具を取り付けており、時折クラートやミランダと打ち合わせするように、小声で何か話し合っている。
(そういえば、結局ミランダとセレナはどっちが立場が上なんだろう)
ふと思い立って、レティシアはせっせと馬車の手入れをするセレナに視線を移した。
レティシアの記憶が正しければ、レティシアが初めてディレン隊と行動を共にした、昨年秋の遠征実習ではセレナがレイドと轡を並べていた。普段からレイドに一番近く控えているのも、セレナのような気がする。
だが、冬の実習地ではミランダが魔道士の練習の指揮を執っていたし、普段の仕事でも下級生にあれこれ指示するのは、専らミランダやカティアらだ。今現在も、任務に関わる打ち合わせに加わっているのはミランダの方だ。
「……おい、レティシア」
ふいに背後から声を掛けられ、レティシアは小さく声を上げて手に持っていた壺を手放してしまう。すかさず脇からにゅっと太い腕が伸び、レティシアが両手で持っていた壺を片手で掴んだ。
「おっと……悪い、なんか思い詰めたような後ろ姿だったもんで」
「いや……こっちこそ、ぼうっとしてたから」
レティシアは笑顔でオリオンに言う。オリオンは壺を馬車に乗せ、緑の目を瞬かせてレティシアを見つめてきた。
「……で? 大切な遠征前に物思いかね」
「んー……」
レティシアはオリオンの背後にいるセレナと、もう少し先にいるレイドたちを順に見た。オリオンならば事情を知っているかもしれない。
「えっと、そんなに重大なわけじゃないけど、純粋に気になったことがあって」
「ほう」
「今までのディレン隊の様子を見ていて、セレナとミランダは隊の中でどういう立ち位置なのかな、って思って」
レティシアの言葉を聞いたオリオンは目をくるっと回し、こまごまと雑用をするセレナと、レイドと何か話し合うミランダを順に見、ああ、と地が震えるような太い声を上げた。
「つまり、ぶっちゃけちゃうとセレナとミランダではどっちが立場が上なんかってことな」
「う、うん」
「当然、年齢的にもミランダの方が上だ。あいつは俺と同じく、レイドがガキだった頃から知っている仲だ。頭の回転も速いし、脳みそに詰まってる知識の量も常人以上だ。当然、レイドもあいつの頭脳や機転に頼ることが多い」
(やっぱりね……)
オリオンの答えに、レティシアは納得したように頷いた。
「だから今も、クラート様と一緒に話をしているのね」
「うん、まあ。でもレイドが一番頼りにしているのは、セレナなんだろうな」
そこでオリオンは声を潜め、大きな体を狭苦しく畳んでレティシアに耳打ちするような体勢になる。
「ミランダはちっとばかり説教臭いし、いろんな意味で強すぎるからなぁ。セレナはぎゃんぎゃん言わないし世話焼きだから、レイドも気が楽なんだろう。多分、レイドにとってのぬいぐるみ的な何かなんだろう。もしくは精神安定剤とか。怒り狂ったレイドを抑えるのは、セレナじゃなきゃ無理だからなー」
オリオンは自分の言ったことに自分で納得するように、うんうんと頷きながら言った。対するレティシアも、ぽんと手を打ってセレナを見る。
(ぬいぐるみ……ははぁ、そういうことか)
つまりは、レイドに必要なのは能力の高い人材だけでなく、癒しとなってくれるような心優しい部下だったのだ。今回の場合、ミランダが前者、セレナが後者に当たる。
だからこそ、ミランダとセレナの立ち位置が全く違い、彼女らの役目もおのずと差が出てくるのだろう。
「……そういうことだったのね」
「どした。さてはレイドに惚れたとか?」
「いや、別に」
さらりと返し、レティシアはオリオンに笑顔を向けた。
「オリオンが期待するようなことはなくってよ? それに、出発前に疑問が一つ解けてよかったわ。ありがとう、オリオン」
オリオンは不意打ちを受けたように目を丸くしたが、すぐにふっと笑顔に戻ってレティシアの髪をぐしゃっと撫で回した。
準備を終えたディレン隊は、意気込んでセフィア城を出発した。
アンドロメダに乗ったノルテが真っ先に地平の彼方へ飛び去っていき、レティシアらは馬車を走らせた。
レティシアたちはリデル国境を出てアルスタット地方に入る前に、国境沿いの中継町で他の護送隊メンバーと合流することになっていた。先にノルテが街に入って彼らと接触し、遅れてレティシアたちが合流する予定だった。
ちなみに今回のレティシアたちは、普段城で着ているような質素な騎士服やローブ姿ではなかった。男性陣は簡素な旅着を着ており、ひらひらして動きにくいばかりのマントも全員取っ払っている。ミランダやセレナもタートルネックにタイツ、スカートといった出で立ちなのでレティシアも彼女らに倣い、動きやすいジャケットとシャツ、防寒用のタイツとキュロットスカートを身につけていた。
「ノルテには既に言っているが……街で合流する他のメンバーに過度な期待は抱いておくなよ」
馬車の中はガタガタとうるさい。おまけに車輪が小石を踏むたびに車体が大きく揺れ、出発直後だというのに既にレティシアの尻は痛みだしていた。
荷物からブランケットを出して尻に敷いていたレティシアは、レイドの言葉に目を丸くした。レイドは向かいの席で、メンバーの名簿らしき書類を見ながら顔をしかめている。
「貴族出の者は言い寄られるだろうし、俺たち平民はまあ、間違いなく蔑まれるだろう。良くっても無視だろうな。貴族ばかりだから仕方ない気もするが」
「他の奴らは全員貴族なんだ?」
オリオンの問いに答えたのはクラートだった。
「というよりも、僕以外にも国内の貴族の子息も呼ばれてるんだ。条件は僕とほぼ同じで、彼らにも護衛の騎士や魔道士が付いている。さすがに僕のようにリデル王家の血が入っている人はそうそういないだろうけど、彼らの護衛は全員貴族なんだ」
クラートは口を濁しつつ、レイドから受け取った名簿を渋い表情で眺めた。
「護衛の中にレイドたちのような一般市民が入っているのは、うちだけだろうね。他の所は、子息の護衛でもリデルの爵位保持家系の者がごろごろいるみたいだ。みんなには――特にレイドやレティシア、セレナには肩身の狭い思いをさせるかもしれないから申し訳ないけれど……」
「あなたが謝ることはないし、うちはうちでやってけばいいのよ」
暗いクラートの声を撥ね除けてぴしゃりと言うは、ミランダ。
馬車内の視線を一斉に浴びたミランダは臆することなく、堂々とした眼差しで皆を見返した。
「要は仕事さえきちんとこなせばいいんだから、他の貴族と必要以上の接触を持つ必要はないわ。きっと、私もエステス伯爵家の令嬢だとすぐに気付かれるだろうし、近寄られるでしょうね。でも、私は絶対みんなと一緒にいた方が心地良いし、楽しいわ」
今のミランダは上質な絹のローブではなく、目の粗い生地でできたワンピース姿だった。それでも確固として自分の意志を貫くミランダは眩しく、貴族の子女として恥じない威厳を纏っているように思われた。
じっと隣のミランダを見ていると、ミランダはレティシアの視線に気付いたようでゆっくりこちらを向き、静かに微笑んでくれた。
今までレティシアが出会ってきた「貴族」はほんの一握りだ。それでも、ほとんどの貴族はレティシアを認め、対等に接してくれた。
だが、それは貴族のほんの特例なのだ。今から合流することになる人々こそが、本来の「貴族」の姿と考え方を持っているのだろう。
レティシアはミランダに微笑み返し、きゅっとブランケットの裾を掴んだ。




