選ばれた侍従魔道士 3
一時間目の授業だったというのに、ディレン隊に扱かれた騎士見習たちはへろへろだった。授業開始時にセレナに突っ掛かってきていた少年も青白い顔でへたり込み、終礼の鐘が鳴るやいなや、逃げるようにグラウンドから逃走していった。
「今年はやっぱりモヤシが多いわね。扱き甲斐がありそう?」
疲労困憊の少年たちを見送ってミランダが振り向かずに問うが、レイドは無言で肩をすくめるのみだった。返事がなくても、ミランダが気にした様子もない。どうやら、隊長様が無言なのは当たり前のことのようだ。
レイドの代わりに、練習用の木刀を片付けていたオリオンが分厚い肩をそびやかして応える。
「扱き甲斐はあるが、俺たちや教官の労力と引き算すりゃあ、まずマイナスになるな。あれほど鍛えたいと思えない奴は珍しい。あいつら、俺たちに喧嘩売ってやがる」
「次の授業までに闇討ちする?」
「いい案だが……ばれたら俺たちやレイドの首が飛ぶぞ」
「それはまずい。やめておこう」
ディレン隊の先輩たちが好き勝手に言う中、セレナはカードを抱えたまま、グラウンドの片隅に一人で立つレイドを見つめていた。部下たちの会話の輪にも入らず、腕を組んで一人あさっての方向を見つめるレイド。わずかな風が彼の髪を持ち上げ、孤高の英雄、といった雰囲気を醸し出しているようだ。
「……隊長が気になる?」
そっと耳打ちされ、セレナは弾かれたように顔を上げる。見ると、赤い唇を少しだけ曲げて笑うミランダの顔が間近にあった。同性といえど、絶世の美女が近くまで迫っておりセレナはわずかに赤面する。
「その……はい」
「ひょっとして惚れた?」
「ほれ……じゃあないと思いますけど」
セレナはもう一度、レイドの方を見る。ミランダも腰をかがめてセレナに視線を合わせ、同じ方向を見つめた。
「……気にしなくていいわよ。うちの隊長はあれが基本だから。口下手なんでしょうね。別に特別怒っているとか、不機嫌ってわけじゃないから」
本当に不機嫌だったら雰囲気で分かるからね。ミランダはそう付け加えて笑う。つられて笑ったセレナだが、すぐにその笑みは引っ込んだ。
視線は、グラウンドの反対側にいるレイドに釘付けになる。彼はしばらくじっとセレナとミランダの方を見ていたのだが、ゆっくりと手を持ち上げ――
「……ミランダ様。少し、行ってきます」
セレナはミランダに言い、ドキドキと鳴り始めた胸に手を当てた。
見間違いではない。レイドはさっき、セレナに向かって手招きしたのだ。現に今レイドはセレナが反応したのを見て、すっと踵を返して建物の方に向かっている。付いてこいということだろう。おそらく、セレナ一人で。
セレナは何か問いたげなミランダに詫びて、ローブの裾を摘んでレイドの消えた方に向かった。今し方オリオンたちが整備し終えたグランドを踏みしめ、煉瓦製の校舎の方に足早に駆けていく。
はたしてレイドは建物の影にいた。壁に背中を預け、長い前髪を無造作に垂らして頬に暗い影を落としている。暗がりの中だと彼の赤髪は彩度を落とし、くすんだ煉瓦の色に映えていた。
「……呼んで悪かった」
「いえ」
セレナはぴっと背筋を垂らし――そして、顔を上げたレイドの表情を見て身を強ばらせた。
心なしか、レイドが怒っているように感じたのだ。
ひょっとして、入隊初日からクビを言い渡されるのだろうか。先ほど年下の騎士見習にからかわれ、うまく言い返せなかったセレナが既に邪魔になったのだろうか。
レイドは何か言おうと口を開いたが、すぐにその柳眉を寄せる。
「……おまえ、泣いているのか」
「……泣いてません……まだ」
「なぜ泣きそうになっている? 先ほどのガキ共にからかわれたのが、そんなに嫌だったのか」
表情とは真逆に優しげに問われたが、セレナはふるふると首を横に振った。ともすれば目尻からボロボロと涙をこぼしてしまいそうだが、耐える。レイドの言葉を聞くまで泣くことは許されない。いや、聞いたとしてもここで泣く権利はない。
「……大丈夫です。レイド様、私にご用でしょうか」
「……ああ。ひとつ、聞きたいことがあった」
レイドは眉をわずかに緩め、壁に寄り掛かったまま軽く頭を振るう。
「おまえはリデル王国内辺境の町出身と言っていたが……今まで、人を殺したことはあるか」
いきなり投げかけられたのは、物騒極まりない質問。
セレナはそれまでウジウジ心配していたことも吹っ飛び、目を瞬かせてレイドを見つめ返す。
「殺す……ですか?」
「ああ。……おまえは剣なんて持ったことはなかろうから、魔法などで。経験はあるか?」
「あ、ありません! 剣でも魔法でも、人を殺したことは……」
「傷つけたことは?」
「……魔法の練習中に誤ってぶつけてしまったことはありますけれど、ちょっとかすったくらいで。あと、子どもの頃は男の子と喧嘩したこともあるので……」
「では、殺傷目的で人に刃物をぶつけたり魔法を掛けたりしたことはないのだな」
レイドは納得顔で言う。相変わらず声の抑揚に乏しいが、わずかだが安堵の響きがあるような気がした。セレナはレイドの質問の意図が分からず、しばし沈黙していたがやがてはっと息を呑む。
「ひょっとして……あの、戦い慣れていた方がありがたかったとか……」
「逆だ。脳みそまで筋肉の騎士や喧嘩っ早い女魔道士はもう飽和状態だ。むしろ、いらん」
レイドはすげなく返し、じっとセレナを見つめてきた。唸る嵐のような灰色の目に見据えられ、セレナはもじもじと後ろ手に手悪さする。
「……俺はおまえのような部下がほしかった。身分なんて皆無でいい。魔法の腕なんぞ並み程度でいい。真面目で一生懸命、人を殺したことのない手を持つ者がほしかったんだ」
セレナは瞬く。
「それが……私なのですか」
「そうだ。俺はこの条件に当てはまる部下がほしかった。そして見つかったのがおまえだ、セレナ」
レイドは体を起こした。それまでは壁に寄り掛かっていたのでセレナとほぼ視線の高さが同じだったが、きちんと立つとレイドの方が圧倒的に背が高い。
高みからセレナを見下ろし、レイドは口を開く。
「ひとつ、約束しろ。おまえはこれからディレン隊として働く。その際、何があろうと決して、人を殺すな」
「レイド様……?」
「おまえも大体知っているだろうが、騎士団の仕事はきれいな役目ばかりではない。時には敵を傷つけることも、相手の首を刎ねなければならないこともある」
レイドは冷徹な眼差しで言い、だが、とわずかに目に宿る炎を弱めてセレナを見つめる。
「それは、俺たちの仕事だ。おまえは、側にいて俺たちを助けろ。だが、決して血で汚れた手を持つな。俺がおまえに求めるのは、それだけだ」
セレナはレイドの言葉を数度、口の中で復唱する。そしてゆっくり目を細めた。
「……でも、それだと私はレイド様たちの足手まといになりませんか」
「ならない。……俺は自分でも思っているが、頭に血が上りやすい。オリオンやミランダは俺の怒りを増幅させることはあっても、なだめすかそうとはしない。……それが奴らの役目でもあるのだが、俺は逆の人材もほしい。俺の側にいて、人を殺さない手を持って、俺が人道を外れそうな時には諫めてくれる人物が」
セレナはこくっと喉を鳴らす。
今レイドは、セレナに重大な任務を与えてきたのだ。この騎士隊長の側にいて、彼を助け、その心を支える役目を。それは、オリオンやミランダたちでは決して成し遂げられないこと。
セレナだからと、レイドが見込んでくれたこと。
「……私にできるでしょうか」
「できると思ったから俺はおまえを選んだ。……おまえはもう少し、自分を評価しろ。謙虚と自虐を同じにするな」
セレナはこっくり頷いた。少しずつ、冷えきっていた指先に熱が戻ってくる。そして胸の奥には、言い様のない熱い思いが溢れる。
自分は、レイドに選ばれた。セレナにしかできないと、背を押してくれた。
彼に、認められた。
静かに、セレナはその場に膝を折った。レイドは微かに眉を上げたが何も言わず、セレナが自分の前に跪くのを許した。
「……レイド様。お約束します」
セレナは目を閉ざし、今自分を無表情な眼差しで見下ろしているであろう、赤い髪の青年騎士に静かに誓った。
「私は、何があっても人を殺めません。人を殺す手を持つことなく、あなたにお仕えします。あなたの側で、あなたを支えます」
レイドは何も言わない。言葉だけでは足りなかっただろうか、とセレナがヒヤヒヤしたのは一瞬のこと。
目の前に手袋の填った手が差し伸べられ、セレナは顔を上げる。
「……立て。おまえの誓い、確かに受け取った」
レイドはぼうっとするセレナの手を引いてやや強引に立たせ、そして少しだけばつが悪そうに視線を逸らす。
「……俺の我が儘を聞いてくれて助かった。……セレナ、今後よろしく頼む」
「……はい。よろしくお願いします、レイド様」
セレナはおずおずと、レイドの手を握った。レイドはその行為を咎めることなく、きゅっと優しく手を握りかえしてくれた。
歩きだしたばかりの私は、未熟な魔道士。
腕前も知識も、まだまだ一流魔道士には及びません。
でも、私は負けません。
だって私は、レイド様に選ばれた侍従魔道士なのですから――




