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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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聖女の答え 8

 ユーディンはしばらく窓の外を眺めた後、「分からない」と呟いた。


「ロザリーはなぜ、あの女を最期まで庇った? あの女を見捨ててでも、クインエリアが助かる術はいくらでもあったはずなのに。賢いロザリーなら、いくらでも方法を思いついたはずなのに……」


 そして、ゆっくりとレティシアの方を向く。


「……レティシア。君ならばよき大司教になれるはずだ。君は賢い。どうすれば、クインエリアが生き長らえるか分かっているはずだ」

「……いいえ、分かりません」


 レティシアはしっかりと言った。そして手を伸ばし、脇に転がっていた選定の杖を取る。


「私はあなたが思っている以上にお馬鹿です。私はルフト村の農民。土を耕し、作物を育てることに喜びを感じるただの一般人――そんな私は、大司教にはなれません」


 ただし、とレティシアは唇を湿して続ける。


「――こんな私から、ひとつ提案があります」

「提案とは?」

「クインエリアという存在を終わらせるのです」


 少しだけ表情を崩していたユーディンは、すぐさま固く顔を引き締めた。


「さっきも言いましたが、私はお馬鹿です。深く考えることは苦手です。だから、聖都の存続方法を考えるよりも、根っこから捨てた方が――こんなにも大問題を起こすくらいならいっそ大司教制度を撤廃して、女神信仰を考え直す方が手っ取り早いと思うのです」

「それは無理だ」


 即答するユーディン。


「君は、そもそもなぜ女神信仰が生まれたか知っているのか? 答えは簡単。リデルとカーマルという、絶対的な王政に拮抗できる権力を生み出し、市民の心の拠り所を作るためだ。クインエリアの創始者である聖女エリアは、両国の軋轢に民が苦しまぬよう、身を砕いて女神信仰を世に浸透させ、大司教の選定にも困らぬよう、その杖を生み出したのだ」


 「その杖」は、レティシアの手の中で小刻みに振動している。

 少し前まではあれこれうるさく喋っていたのだが、今は余計な言葉ひとつ話さない。


「だが、永き時を経るにつれ、人の心は変わっていった――ティルヴァン様の御代には既に、女神信仰は傾いていたのだ。君のように郊外で育った者は、祈りの作法すら知らないはずだ。それは聖女エリアのご意志に背くこと――この時のために、我々は諸国にも働きかけていたのだ」


 ユーディンの最後の一言に、レティシアは目を細めて思案した。だがすぐに思い当たる節をいくつも見つけ、はっと息を呑んだ。


「……ひょっとして今までのいろんな事件も、あなたが?」

「そうなるな。最初はリデル王国エルソーン王子の一件。レティシア、私はね、エルソーン王子を王太子にするつもりだったんだ。ティエラ王女とその息子を始末し、エルソーン王子がいずれ覇権を握られるように、キサをエルソーン王子の元に潜り込ませてね」


 エルソーン王子が従えていた謎の魔道士。ティエラ王女お披露目夜会の際にセレナに呪いを掛け、城内の混乱を引き起こしてそそくさと逃げおおせた人物。


「……あれは、キサだったの?」

「そうだ。とはいえ、別に私たちはエルソーン王子に味方するつもりはない。王者の剣にエルソーン王子を選ばせ、彼が王となればいずれ、魔道士迫害の時代が来る。そうなる前に聖都の基盤を固めて、魔道士を――ひいては世界の人々の関心と信頼を得る。そうすれば、人々はエルソーン王子に対して革命を起こすだろう。リデル政権が堕ち、カーマル帝国をも味方に付ければその後は大司教の天下だ」


 だが、とユーディンは厳しい眼差しのまま、レティシアを見つめる。


「君たちが介入してきた。私は、君たちを混乱から遠ざけるために君の親友を呪ったんだ。だがあの使えない王子は、君を捕らえて妻にしようと迫った――全て、キサから聞き出したよ。君に危害を加えた以上、私は黙っていられないのでね。君も知るように、キサには途中で逃亡させて王子一人を針のむしろに立たせた。まあ、簡単に言えば作戦失敗だったな」


 ユーディンの言葉に、納得する自分とそれでも抗う自分がいる。あの夜会の謎はこれで全て解けた。


「――じゃあ、それ以降の大陸中の混乱も……?」

「そう。特に、バルバラ王国のティカ女王、オルドラント公国のギルバート大公は我々にとって脅威になりかねなかった。よって、両国の侵略をもくろむドメティ公国とフォルトゥナ公国に少々、手を貸すことにした。といっても我々が行ったのは技術の献上と部下の派遣だけだ。後は勝手に彼らが動いて――そして見事、両者とも失敗したようだがな」


 悪質極まりないユーディンの計画だが、それでもひとつだけ、確かなことがあった。


 ドメティもフォルトゥナも、失敗した――それはつまり、クラートやノルテたちが勝利したのだ。セレナに化けていた女性の言ったことは、間違いではなかった。


 バルバラは勝った。オルドラントも勝った。後はここ、クインエリアだけ。

 ゆっくり、レティシアは立ち上がった。まっすぐ、杖の先をユーディンに向ける。


「……あなたの気持ちはよく分かった。私を大司教に据えるために、偽のセレナを用意して、あんな夢まで見せて私を乗せたのね」

「お気付きでしたか――そうです。あなたのご友人から頭髪を失敬して、より魔法の精度を高めました。夢も、紅茶もそうです。あなたの判断力を鈍らせ、ご友人に似せた女官の言葉に従うよう、細工させて頂きました」

「そういうことね。よーく分かったわ」


 レティシアはこっくり頷き――抜刀するかの勢いで杖を振り上げた。


 ギャン、と耳を劈く音と共に風刃が放たれる。普段のレティシアの放つそれより何倍も大きな刃は礼拝室の椅子をなぎ倒し、説教台をも吹っ飛ばして壁にめり込んだ。ぱらぱらと漆喰が剥がれ落ち、木屑とレンガの粉がもうもうと舞い上がる。

 ユーディンは中年とは思えない俊敏な動作で刃の猛攻をかわし、左手の指を怪しく揺らめかせた。黒板を爪で擦るような不快な音が波紋状に広がり、鼓膜を震わせる不快音にレティシアはぞわっと身を震わせる。


「……どうか、ご英断を。レティシア様」


 ギィギィ鳴り響く音の彼方で、ユーディンが囁く。


「そうしなければ――私はあなたを傷つけなくてはならない……」

「っ……もう十分傷つけてるっての!」


 レティシアは音響に負けないよう叫び、杖を振るった。杖もレティシアに同調するように、激しく振動する。


「私は――あんたの言いなりにはならない! 私は、私は正しいと思った道を進むんだ!」

「それが、世界の崩壊に繋がるとしても……?」

「繋がらない! 繋がらせない!」


 ボコン、と床が盛り上がる。レティシアを捕らえようと足元から伸びてきた黒い蔦は、杖が放った波動を受けてぼろぼろと崩れ去った。


「私は欲張りなんだよ! だから、私は自分のしたいことをする。それに、世界だって崩壊させやしない!」

「無謀な。お一人でそれほどの偉業を成せるとでも? ティルヴァン様でさえ叶えられなかったことを、あなたが……?」

「一人じゃない!」


 レティシアは吠えた。杖の魔力が渦巻き、レティシアの耳元で囁いてくる。

 ――大丈夫、近くにいるよ、と。


 レティシアは宙を跳び、ユーディンと距離を取った。

 ユーディンはレティシアを捕らえる気でいる。彼が言ったように、レティシアを傷つけないようにしているのだ。だがユーディンは驚くほど身のこなしが早い。よほど上手く不意を突かないと、彼を倒すことはできない。


 ――そう。彼を倒すのだ。

 父親のようだと思ったこともある、ユーディンを。


 キン、と杖が声高く言う。大丈夫、大丈夫と。

 少年のように高い声のそれに、いつの間にか別の声が混じっていた。それは、レティシアが心から慕う青年の声で。


(クラート様……!)


 クラートだって、激戦を耐えたのだ。ノルテも、祖国を守り通したのだ。


(皆、少しでいい。力を貸して……!)


 杖が優しく歌う。その声は次第に、親友の穏やかな声に変わっていった――

 レティシアは小さく、杖に語りかけた。杖は同意するようにぶるっと震え、静かに魔力を四散させる。


 ユーディンの放った光の蛇が、レティシアの足下を掬う。レティシアは瓦礫を足場にして跳び上がり、そのまま礼拝室の外に飛び出した。


「……お逃げなさるな、レティシア様」


 ユーディンは声にわずかな悲哀を込めて囁き、両手から衝撃波を飛ばした。


 帯状の衝撃波は礼拝室の入り口付近の壁を吹っ飛ばし、埃っぽい煙をもうもうと巻き上げた。

 瓦礫の向こう、レティシアが立ち上がる。即座に杖を構え、魔法を放とうと身構える――


 だが、ユーディンの方が早かった。彼の右手から放たれた黒い帯がレティシアの足首に絡みつき、悲鳴を上げる彼女を床に引き倒す。


 ユーディンがほっと息をついたのは一瞬のこと。すぐに彼は電撃を受けたかのように顔を強ばらせる。

 レティシアの体を捕らえる黒い帯と繋がる、自分の右手。

 その帯から伝わる魔力の感触が、違う。


 ――気付いた時には、遅かった。

 ユーディンの左手側の瓦礫が動く。杖を掲げて跳び上がったのは、オレンジ色の髪の少女。その杖先から、真っ白な衝撃波が放たれた。


 ユーディンが目を見開く。レティシアの放った衝撃波は過たず、ユーディンの心臓を貫いた。

 ごふっと血の塊が飛び、ユーディンの体から魔力が消え失せていく。


 廊下側にいたレティシアが立ち上がる。彼女が軽く髪を振るうと、とたんに雨に打たれたかのように体中からあらゆる色彩が抜けていく。後に残ったのは、豊かなミルクココア色の髪を揺らす女性魔道士。彼女は足元の瓦礫を押しのけて、じっとユーディンを見据えていた。


 レティシアは、一歩一歩ユーディンに歩み寄った。床に仰向けに倒れたユーディンの心臓部からはささくれた肉片が露わになっている。魔法で穿ったためか、出血はほとんど無い。それが逆に、不気味でもある。


 せめてもの情けだ。レティシアは杖先をユーディンの胸元に翳した。杖から金色の光が溢れ、みるみるうちにユーディンの傷口は塞がり、口元を伝う血もさっとかき消された。

 だが、完治したように思えるのは見た目だけだ。ユーディンの体は確実に、死へと向かっていっていた。


「……見事、だな。レティシア」


 荒い息をつきながらユーディンは言う。その声は、風の音にもかき消されそうなくらいか細く、弱々しい。レティシアが見かけだけの治療を施したため、これ以上の血は出ないが呼吸するのも苦しそうだ。


「……さすが、ティルヴァン様の、ご令嬢……」

「ありがとう。でも、本当はこんなことに使いたくなかったけれど」


 言い、杖を左手に持ち替えてユーディンの側に跪いた。


「……あなたは本当に、すばらしい方だった……」


 ユーディンはひとつ、大きな息をつくとゆっくり目を閉ざした。


「……あなたが守る世界、冥界から、見届けます……」

「ええ、私からも頼むわ、ユーディン。これからも、私と私たちの仲間を見守っていて」


(あなたの死を、あなたを死なせたことを、無駄にはしないから)


「さようなら、ユーディン・シュトラウス。どうか、あなたの魂がロザリンドとティルヴァンの元へ迎えられますように」


 レティシアは全く意識していなかったし、知りもしなかったのだが。


 今レティシアが呟いた文句は、葬儀の際に司祭が口にする文句のひとつだった。無意識のうちに彼女は、「ユーディンの望んだ大司教」の役目を果たしていた。

 ユーディンもそれに気付いたのだろう、彼は瞼を閉じたまま、微かに微笑んだ。


「……あり、がとう……レティシア、様……」











 ぎゅ、と背後から温かい気配が抱きついてくる。ふわふわと柔らかくて温かい、その人は。


「……セレナ」

「……お疲れ様、レティシア。本当に……」


 レティシアが振り向くと、セレナは自分の目尻に浮かぶ涙を指で擦った。それを見ていると、ああ、これが本物のセレナだ、と思えてくる。


「辛かったでしょう――よく頑張ったわ。レティシア。私はあっさり捕まるだけで、何も役に立てなくて……」

「そんなことないよ! 杖を通して話しかけてくれたの、セレナでしょ?」


 あの時。

 杖は、こちらへ駆けてくるセレナとレティシアを繋いでくれたのだ。とっさにレティシアはセレナにこの身代わり作戦を頼み、杖の強力な魔力でセレナに自分の幻影を被せた。二人ではあまりにも背格好が違うためユーディンに気付かれる可能性もあったが、一瞬だったこともあってうまく騙すことができた。


「本当に助かったよ……ありがとう、セレナ……」

「レティシア……」

「ねえ、セレナ。みんな無事なんだよ。みんな、終わったんだよ」


 その一言に、ぴくりとセレナの体が震えた。彼女は赤く充血した目を真っ直ぐレティシアに向ける。


「……本当?」

「うん。だから――一段落付いたら、アバディーンに戻ろう。みんなに、会おう」


 レティシアはセレナと一緒に立ち上がった。荒れ果てた礼拝室の奥にはユーディンが横たわっている。神官たちに事情を話した上で、彼の遺骸を弔おう。

 埃だらけのレティシアはセレナに支えられて立ちあがり、ふと、思いついて口を開いた。


「……ねえ、セレナ。どうしてセレナは、さっき私の身代わりになってくれたの?」


 ゆっくり、セレナが振り返る。彼女が戸惑いの表情を見せたのは一瞬だけで、レティシアの質問の意図を察したのだろう。

 セレナは花がほころぶかのように微笑み、きゅっとレティシアの肩を抱いた。


「もちろん――友だちだからよ」


 セレナの言葉に。

 胸が震える。鼻の奥がツンと熱くなる。


「……うん、知ってる」


 減らず口を叩きながらも、レティシアはぎゅっとセレナの上着にしがみついた。


 ここからがまた、長い。

 皆に宣言したようにレティシアは聖堂一つ二つとは言わず、広大な儀式の間を破壊し――そしてクインエリアに蔓延っていた悪意を駆逐してしまったのだから。


 レティシアの左手の中で、銀の杖がきらりと輝いた。

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