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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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オルドラントの若獅子 5

「……クラート。さっさと目を覚ませ、クラート!」


 ぴしゃり、と頬に強烈な一撃を受けてクラートは覚醒した。

 ぼやける視界の中、クラートの頬を引っぱたいた本人の方が意外そうに、隻眼を丸くしている。


「っ……びっくりした。おい、意識ははっきりしているか」

「……ああ」


 クラートはレイドの手を借りて、体を起こした。

 クラートの体は、戦場からは死角になっている丘陵の窪みに横たえられていたようだ。遠くの方ではいまだ、兵士と魔道士が争う音が聞こえてくる。

 巨大な爆発が起き、地が震える。クラートは体に付いた草を払い落とし、呆れ顔のレイドを見上げた。


「どうしてレイド、ここに……」

「おまえがいきなりぶっ倒れたと聞いたから来たんだ。おまえの馬もほら、あっちで困っているし、何があったんだ。さっさと立て。ここだって、いつ魔道士どもに気付かれるか分からん」


 レイドはそうグチグチ言うが、クラートは静かに、自分の手首のブレスレットを見つめた。

 ブレスレットの魔石はほんのり暖かい。そして同時に、敵の魔道士たちはどう頑張っても、ここにいるクラートの姿は見つけられないと、悟った。


 ブレスレットが熱を持つ。クラートが気絶する前とは少しだけ雰囲気の違う魔石たちは、チカチカと輝き――


「あっ……」


 クラートが上げた声に、レイドが不機嫌そうに反応する。

 クラートは立ちあがり、ブレスレットを目の高さに持ち上げた。紐に連なる魔石は最初よりもだいぶ数が減ったが、残された石たちが共鳴し、揺れ、ぽわっと淡いブルーに輝いた。


 そして、クラートは見た。丘陵地帯の彼方、戦場を隔てた反対側の草原から、同じように青い光が立ちのぼったのを。

 クラートは瞬きした。そして、すうっと冷水を浴びたかのように、先ほどの白い世界でミランダが言ったことが蘇ってくる。


「っ……レイド、すぐ行くぞ!」

「何?」

「大公と――ミランダ、それにキサの所だ!」


 クラートは側にいた馬に駆け寄り、まっすぐ草原の彼方を見据えた。


「ミランダが危ない……!」












 戦場を駆ける二騎の馬は、非常に目立った。若きオルドラントの大公が猛然と馬を駆り、その後ろを燃え立つ赤髪の騎士が必死に付いていく。

 脇目もふらずに掛ける二人は、魔道士の格好の餌食だった。魔道士たちは交戦中の兵士に目もくれず、ニヤリと笑うと振り返り様、二人に向かって火炎球を放った。


 大公も騎士も、まったくこちらに注意を払わない。魔道士の狙いは、馬の足元。魔具を身につけた大公を魔法で傷つけることはできないと気付いた彼らは、馬を驚かせて落馬させる方法に転換したのだ。


 火炎球は真っ直ぐ飛び、大公の馬の手前で弾ける――つもりだった。

 だが彼が渾身の力で放った火炎球は、大公たちの元に行き着く前に、見えない壁に当たったかのように弾け、青い火花を散らせながら消え去った。

 それは、誰がやっても同じだった。風刃も衝撃波も電撃も、大公たちの元に辿り着く前に弾け飛んだ。

 どれも、深い海のような青い光によって。


 ほとんどの魔道士たちは訳が分からず歯噛みするだけだったが、数名の上位魔道士たちは気付いた。

 今の大公と騎士に強力な守護魔法を掛けた者の正体に。


「まさか、あの光は……」


 フェビアノ子爵の呆然とした呟きを、フォルトゥナの魔道士は聞き逃さなかった。中年の彼は初老のフェビアノ子爵の肩をガッと掴み、無理矢理振り向かせた。


「どういうことだ! フェビアノ子爵、あの防護壁の正体が分かるのか!」


 フェビアノ子爵はごくっと唾を呑んだ。

 目の前のフォルトゥナ魔道士の目は血走っており、ギリギリと子爵の上着を掴み上げてくる。

 フォルトゥナの魔道士は、諸侯たちを軽んじている。領民を盾に取られて駒になるしかない子爵たちを、はなから馬鹿にしているのだった。


「……あれは、あの光は……」


 フェビアノ子爵はそこで一旦口を切り、瞑目した。

 そして心の中で、古くからの知人とその娘に詫びを入れ、口を開いた。


「……エステス伯爵ミランダ嬢の、守護魔法です」











 フォルトゥナ大公の居場所へ行く途中も、クラートとレイドを幾人もの魔道士が狙ってきた。だがいずれの魔法も二人の足を止めるには至らなかった。どの魔法も、青い光の壁によってかき消されたのだ。


 ミランダ――とクラートは耳元で唸る風の中で呟く。あの青い壁が現れるたびに、ブレスレットの魔石が熱くなる。ミランダは魔石に込めた魔法で、大公の居場所を知らせるだけではなく、クラートたちをも守ってくれているのだ。


「あの光は、ミランダの……」


 レイドも気付いたようで、微かな呟きが聞こえてくる。だが、喜んでいる場合ではない。


 レティシアたちも言っていたのだが、魔道士たちは魔力の気配で、ある程度術者が分かるのだという。親しい者や付き合いの長い者ほど正確に分かるそうだから、あの防護壁がミランダの魔力だと気付く諸侯もきっといるだろう。となれば、ミランダの裏切りが明らかになってしまう。


 クラートは唇を噛んだ。

 ミランダは全てを自分が背負う気でいるのだ。「裏切り者」の烙印も、「大公殺し」の汚名も、「クラートの父親殺し」の罪も。

 そしてそれら全ての罪を認め、潔斎するために自らクラートに討たれることを望んでいる。


 違う、と声にならない声で叫ぶ。そんなのは、誰も望んでいない。クラートもレイドも、遠くにいるだろうレティシアたちだって。


 青い光が示したのは、丘陵地帯の麓だった。フォルトゥナ軍の駐屯地らしいそこは、今は人影が少ない。だが乱立する天幕の波の一番奥、ひときわ立派な天幕から男の絶叫が上がった。


「……やってしまったか……!」


 クラートは歯噛みし、全力疾走したせいで汗だらけの馬から下りた。レイドも下馬し、二人はそれぞれの得物を構える。


「……悲嘆に暮れるのはまだ早い。行くぞ、クラート」


 こんな時でもレイドは落ち着き払っている。そんなレイドの横顔に幾分心の揺れを落ち着かせ、クラートは頷いた。


 大きな物音はあれきりで、その後はこちらが不安になるほど、駐屯地は静寂に包まれている。フォルトゥナ軍の指揮官がいるというのに、騎士の一人もいない寂しい駐屯地は、逆に不信感さえ湧いてくる。

 きっとミランダが手配して兵たちを退けさせたのだろう。兵を遠ざけ、クラートたちが到着する時間を稼ぐために。


 二人は起伏の激しい駐屯地を走り、件の天幕に近付いた。見上げるほど巨大な天幕は、おそらく中も一部屋構造ではないのだろう。物音はしないが、こそこそと誰かの話し声はする。

 中にいると思われるのは、ミランダと元大公と、キサ。

 クラートは意を決し、斬り捨てるように天幕の布を払いのけた。


「……フォルトゥナ元大公!」


 クラートの予想通り、天幕内は二部屋構造だった。最初の部屋には誰もおらず、しかしクラートの声を聞きつけてすぐに奥から、つい数時間前にも会った女性魔道士が顔を覗かせた。


「まあ。本当に来ましたのね」


 魔道士――キサはクラートの手首に視線を向け、不快そうに眉をひそめた。


「……本当に、憎たらしい男ですね。いつまでレティシア様の魔力に縋っているつもりですの?」

「この戦いを終わらせるまで」


 クラートは言い、天幕内に漂う異臭に顔をしかめた。

 これは、ものが焼ける匂い。そして――


「ああ、あなたたちの予想通りの展開ですわ」


 そう言い、キサは天幕の天井を見上げると、「汚いし、臭いですわ」と呟き、さっと右手を上げた。


 一瞬、キサを中心に風が吹き荒れた。そう思った直後、バンと音を立てて天幕が破れ、天幕を支えていた金属が弾け飛び、瞬時に天幕は解体される。はらはらと布生地が舞う中、クラートは目の前の光景に目を奪われた。


 床に転がる大柄な男性。クラートも何度か会ったことのある、フォルトゥナ元大公だった。だが彼は豪華なマントも軍服もズタズタに裂かれ、血の海の中で呻き声を上げていた。流れている血の量からしても、もう長くはもたないだろうと分かる。


 そして、その大公の脇に立ちつくすのはミランダ。彼女もまた、軍服のあちこちが焼けこげ、傷ついたらしい右腕を庇っている。それでも意志の強い眼差しは負けることなく、じっとキサを睨み付けていた。


「エステス伯爵が謀反を起こしまして。不意打ちといえど、さすがフォルトゥナ侯。エステス伯爵も相当の痛手を負ったようですわね」


 相変わらず感情の薄いキサの言葉に、ぎりりとミランダが歯ぎしりした。


「……残念だったわね。私以上に、フォルトゥナ公は堪えているわ。……あなたたちの企みも、お終いね……」

「そう簡単に敗北は認めませんわ。あなたがクラート大公とコンタクトを取ったことくらい、分かっておりましたから」


 キサはすげなく言い返し、ゆっくりクラートたちの方を振り返ってプラチナブロンドを軽く掻き上げる。


「……要は、フォルトゥナ公とクラート大公が消えればいいのですわ。そのために――せいぜいお互い、憎み合いながら死になさい」


 言い、キサはほっそりした指先を怪しく閃かせた。親指と人差し指で輪を作り、その間にふうっと息を吹きかける。

 輪を通過した吐息はどす黒い霧に代わり、倒れて動けない元大公と、腕を負傷したミランダの方へふよふよと動きだす。


「なっ……! まさか、あなた……!」


 事の次第を悟ったミランダがぎょっと目を見開き、バランスを失ってその場に膝を突くとキッとクラートたちを見据えた。


「逃げて! すぐに……!」

「ミランダ、一体何を……」

「これは……呪いよ! キサがセレナに掛けた、それとおな……じ……」


 霧がミランダの体にまとわりつき、彼女ははっと息を呑んだ。元大公も同じで、ぶるりと身を震わせると、満身創痍というのにゆっくりと体を起こした。

 とっさにクラートもレイドも身構える。


「……これってセレナが……」


 クラートが言い切るよりも早く。


 元大公が血糊を撒き散らせながら跳躍した。太陽光を遮るかのようなジャンプの後、大公は空中で一回転すると、右の拳を真っ直ぐ、クラート目がけて振り下ろしてきた。


「っ……! 避けろ、クラート!」


 とっさにレイドがクラートに体当たりしてきた。真横から肩にぶつかられてクラートはレイドもろとも草原に転がった。

 クラートが転倒した直後、元大公の拳がゴスッと鈍い音を立てて地面にめり込んだ。ゆっくりもちあげたこぶしからぱらぱらと土の粉が舞い落ち、地面には拳の形の穴がぽっかり空いていた。


「……! レイド、後ろ!」


 地面に寝そべったままのクラートは、レイドの背後にゆらりと現れたミランダを見、声を上げた。はっと振り返ったレイドが身を翻し、クラートも素早く立ち上がる。


 ミランダが繰り出した蹴りは標的を逸れ、天幕の残骸となっていた木箱を叩き潰し、粉々に砕いた。ぱらぱらと木屑が舞う中、体勢を整えた元大公が足元に転がっていた予備の剣を拾い、クラートの喉目がけて振り下ろしてくる。


 元大公もミランダも、正常ではない。二人とも両目が好き勝手な方向を向いており、体中ぼろぼろだというのに超人的な筋力でクラートたちに襲いかかってくる。


 去年の冬、セレナが受けたのと全く同じ呪い。

 術者が死ぬか、二人の命が尽きるか、気絶するまで永遠と続く殺戮劇。

 魔道士である二人も、キサの呪いを受けて爆発的な腕力を振り回しているのだ。


「敵は二人だけではなくってよ」


 ボン、と火炎球が炸裂し、レイドのマントの裾が焦げる。

 キサは少し離れた場所で悠然と笑いながら、両手から淡い緑色の光を溢れさせていた。


「クインエリアの未来のため――オルドラントの血はここで絶えるのですわ!」

「お断りだ!」


 クラートは吐き捨てるように言い、自分の手首を飾っていたブレスレットを外し、レイドに放って寄越した。


「クラート!」

「レイドはキサを頼む!」


 驚きの表情でブレスレットを受け取ったレイドに、クラートは叫ぶように言う。


「この二人の狙いは僕だ! レイドはキサを倒してくれ!」


 キサは、レティシアの魔力が詰まったブレスレットを「嫌って」いる。それがあれば、レイドも真正面からキサと戦うことができる。


 レイドの返事を待たず、クラートは腰に下げていた剣を抜いた。剣術は苦手だ。長時間持っているだけで腕が震えるし、人を斬った時の感触にはどうにも慣れることができない。

 それでも、セフィア城で必死で訓練したのだ。騎士団長泣かせの腕前だったのが、卒業までには少しはましになったと言われたのだ。レイドやオリオン、ノルテには遠く及ばないが、接近戦で弓は使えない。


 それに、身のこなしには自身があった。同級生よりもやや小柄で体が柔らかいため、大柄な相手の攻撃を避けるのは昔から得意だった。


 案の定、呪いによって無理に筋力増加させられた魔道士である元大公やミランダに、戦術や正しい体の使い方の知識はない。特に元大公は、今にも千切れそうな両脚を踏ん張っている状態だ。


 呪いに掛かっている間は痛みを感じないが、体へのダメージがないわけではない。体への負担が大きくなりすぎると、被術者も動けなくなるのだという。


 勝算は、ある。

 クラートは細身の剣を握りしめ、雄叫びを上げて突進していった。

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