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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
163/188

それぞれの想いを胸に 2

「……今回の一件だが、大方はティエラ殿下のおっしゃったことで正しいだろう」


 アバディーン王城「黒翼館」の客間。

 オーク製のテーブルに大陸地図を広げ、そこにシルされた各諸侯の名を指で辿りながらクラートが言う。


「ドメティ大公は大公位返上の前段階で、既にバルバラ王国に駐屯している。女王陛下崩御の際も、バルバラにいたのはドメティ大公だ。最初からフォルトゥナ大公と結託してバルバラを落とすつもりだったと考えていいだろう」


 レティシアはクラートの話を聞きながら、ゆっくり視線を動かした。

 バルバラ王家最後の生き残りとなったノルテは腕を組み、クラートの正面の席でじっと地図を見つめている。


「……姉さんの死因は公表されてないわ」


 ノルテが徐に言う。クラートが目を瞠り、そして頷いた。


「そのようだな。ティカ女王がお亡くなりになり、後継者である君が求められていると、そこまでしか公表されていない。もちろん、国葬のことにも触れられていないんだ」

「たとえドメティ大公がバルバラを掌握していたとしても、女王の葬儀を行わないってのは国民も不審に思うだろうよ」


 オリオンも続け、窺うように隣のノルテを見た。


「……大公が国民を言いくるめてるって可能性は?」

「十分にあるわ。ドメティ大公ってったら、こすい手を使うってことで有名じゃない。あることないこと吹き込んだか、国民を嵌めるか何かしていいように扱ってるんでしょうよ」


 ノルテの語り口はあくまでも淡々としている。


(ノルテ、我慢してるんだろうかな……)


 セフィア城で姉の死を告げられたときも、ノルテは平然としていた。いや、「平然」と言えば語弊を招くかもしれない。ノルテは「女王崩御」の知らせを受けたとき、一瞬だけブルーの目を潤ませたのみで、後は淡々と事務作業に移っていた。


 今回もそうだ。先ほどノルテは、クラートたちが問う前に姉の死因について言及していた。他の者に気を使わせる前にと、一手早く行動したのだろう。

 これだけ小さいのに。レティシアより年下なのに、既にノルテは「セフィア城の騎士ノルテ」から「バルバラ王国の王位継承者タニア」の顔になっているのだ。


「おおよそ、姉さんが手紙をくれたときには既に、大公はバルバラを籠絡していたんでしょうよ。でも、さすがに姉さんも手紙にその件のことに触れることはできなかったのでしょうね」


 ほら、とノルテは荷物から例の姉の手紙の原本と複製版を出してクラートに渡した。クラートとレイドが鉛筆で黒く塗りつぶされた複製版に目を通し、小さく唸った。


「なるほど、女王陛下はバルバラの危機を察しておられて、敢えてノルテに帰ってくるなと命じたのだね」

「そう、それこそが大公の目的でしょうから」


 きらり、とノルテの目が危険な輝きを放つ。


「あいつはわたしの命も狙っている。よしんば目的がわたしの拉致だったり政略結婚だったりしようと、わたしが応じなかったら痺れを切らして仕留めに来るでしょうよ。きっとそれまでにバルバラ王国を懐柔して、自分が覇王に乗り上げる外堀を固めるんだろうね」


 ノルテは手紙を受け取り、姉の残した筆跡を指の腹で撫でた。


「……きっと姉さんは耐えたんだよ。姉さんはわたし以上にバルバラの慣習に誇りを持ってたからね。最後まで大公の要求を突っぱねて、わたしも国に近づけないようにして耐えたのよ。……姉さんの策が折れた以上、姉さんにできることはなかった。だから――姉さんは全部わたしに託してくれたんだよ」


 大公の罠にはまり、身動きが取れなかったティカ女王。彼女は国外にいる妹が突破口を見出してくれることに望みを掛けて、ひたすら大公の仕打ちに耐えた。

 そして――


「……わたしは大公に会いに行く」


 きっぱり言い切るノルテ。


「あいつがわたしを狙っていて、人質状態だった姉さんがいなくなった以上、こっちから動かないといけない。それも、可及的速やかにね」

「……ティカ女王が崩御し、妹王女が不在の今、大公はバルバラを手に入れるために策を巡らすだろうから、先手必勝というわけか」

「そういうこと」


 オリオンの言葉に頷き、ノルテはしばしの沈黙の後、ふうっと息をついた。


「……それに、姉さんの死もわたしがこの目で確認したい。甘ったれた考えにはなりたくないけど、ひょっとしたらはある。エドモンド国王陛下のお許しがいただけて準備が整い次第、わたしはここを発つわよ」

「護衛は必要だろう。あてはあるのか」


 レイドに指摘され、ノルテはゆっくり頷いた。


「もちろん。バルバラ国内にいる竜騎士は身動きが取れないだろうけど、わたしみたいに国外に出ていた竜騎士がけっこういてね、彼らにはもう事の次第を説明して、アバディーンに来るよう伝えている。彼らも連れて行って――後は、リデルの兵もお借りしようと思う」

「リデルの?」


 セレナが気遣わしげな声を上げる。彼女はそれまで、黙って人数分の茶の準備をしていたのだが、ポットを持ったまま不安そうにノルテを見つめていた。


「ノルテ、でもそれはバルバラの慣習を破ることになるんじゃないの?」

「なるよ。でも、背に腹は替えられない」


 それに、とノルテはやや言いにくそうに続ける。


「……こう言っては何だけど、姉さんはバルバラの慣習を堅持したゆえに大公の策にはまったことになるわ。おまけに国内の竜騎士も身動きが取れないだろうし、そうなれば他国の力を借りるしかできない。今回ばかりは助力してもらって今後は親密な関係を断るなんて、リデルからすれば虫のいい話だろうけど、頭を下げてでも頼み込むわ。何せ、こっちは手数が足りなさすぎる。あっちの軍とぶつかれば、いくら優秀な竜騎士を抱えてようと不利になるだろうから」

「陛下には君の方から話を付けるんだね」

「もちろんよ。これ以上クラート様たちの手は患わせられないから」


 ノルテはしっかりと答え、セレナが淹れてくれた紅茶に手を付けた。彼女の方からはここまでということだろう。

 クラートはノルテに頷きかけ、体の向きを戻して地図の、フォルトゥナ公国の位置を示した。


「では次に、二つ目の懸念。ドメティ大公と同時に大公位放棄したフォルトゥナ大公だ」


 リデル三大諸侯は、王国の南部に領地を構えている。三大諸侯領のうち、西端がオルドラント、東端がドメティ公国、二つに挟まれてフォルトゥナ公国が広がっている。三国の領土はほぼ均一で、オルドラントは豊かな農作物と肥沃な大地、ドメティは工業、フォルトゥナは魔道とそれぞれ特色を持っている。


「皆も知っているように、我がオルドラント公国とフォルトゥナ公国は昔から小競り合いが絶えなかった。過去にも幾度となく侵攻され、その度に我々は苦戦を強いられてきた。とりわけ――」

「……十七年前の草原侵攻か」


 わずかに言葉を濁したクラートの後を、レイドが引き受けた。

 彼は仲間たちを見回し、長い前髪で隠された自分の右目に触れた。


「……知ってる奴は知ってるだろうが、俺はガキの頃に草原の牙として暮らしていて、侵攻してきた魔道士軍に一族を壊滅状態にまで追い込まれた。右目はその時に吹っ飛ばされたし、仲間の大半は魔法で殺された」


 レティシアはひやりと汗を掻きながら頷く。


 以前、レイドは自分の生い立ちを打ち明けてくれたことがあった。彼は南部遊牧民族――草原の牙の生まれで、弓を嗜んでいたと。だが隣国の侵攻を受けて民を殺戮され、援軍として現れた前オルドラント大公ギルバートの助力でなんとか生き延びたのだと。

 レイドの言わんとすることが分かり、レティシアは温かい紅茶のカップで手のひらを温めてそっと問うた。


「……その時侵攻してきたのが、フォルトゥナだったのよね」

「そういうことだ。アバディーンの貴族も俺のことは毛嫌いしているが、フォルトゥナ大公の憎悪はまあ、凄まじいものだ。……大公位を返上し、身軽になった今、奴らは真っ先にオルドラントを潰しに掛かってくるだろう」


 さらりとレイドは言うが、告げられた真実にレティシアは身震いした。


(フォルトゥナが、オルドラントに攻め入ってくる……)


 今まではリデル三大諸侯という、称号にも枷にもなる身分を持っていた。それを放棄した今、フォルトゥナ公に残っているのは「オルドラントに堂々と攻め入ることができる」権利。

 リデル王国の庇護を失うことも考慮の上の、大公位放棄だ。先ほど謁見の間でノルテやエドモンド王が言ったように、フォルトゥナにはリデルの脅威にも打ち勝てるような強力な切り札があるということだろうか。


 そこまで考え、レティシアははっとした。

 ドメティとフォルトゥナがこれほど強気に侵略に掛かっている理由。彼らがリデルと渡り合えると確信する理由。

 彼らの背後には、リデルと同じくらい強大な影が付いているのではないか。


(大陸中で、リデルと同等の力を持つ国といえば、西の帝国カーマル。それから――)


 レティシアが今思いついたことを相談しようと口を開いた、その時。


「クラート大公、タニア王女殿下。失礼します」


 部屋の外から叩扉の音がする。すぐさまセレナが席を立ち、ドアを小さく開けて対応した。


「何用でございましょうか」

「エドモンド陛下およびティエラ王太子殿下から緊急の報告です」


 言い、ドアの前に立つ兵士がセレナに一通の封筒を渡す。


「すぐさま確認し、方針が決まり次第報告に参るようにとのお言葉です」

「わかりました、ありがとうございます」


 セレナは封を切り、クラートに渡した。彼が緊張する手で中の便箋を取りだし、ひと目文面を見たとたん、はっと息を呑んでレティシアに視線を注いだ。


(え、私?)


 きょとんとしたのは最初の一瞬のみ。瞬時に手紙に何が書かれていたのか察しが付き、レティシアはがたっと席を立った。


「クラート様、その手紙……」

「……そうだ、君が見るべきだ」


 クラートはレティシアに便箋を渡した。その表情は、いつになく厳しい。

 レティシアは便箋を受け取り、震える手で広げた。


「……聖都クインエリアにて内乱発生。聖都の神官が大司教マリーシャを拘束し、新たなる大司教の擁立を主張……」

「何……!」


 皆、一斉にレティシアを凝視する。


「どういうことだ……まさか、クインエリアでも反乱が起きたのか?」

「わ、私に言われても……」


(私だってわけわかんないっての!)


 問いつめられたレティシアの方が戸惑ってしまう。手の平サイズの便箋に書かれているのはこれだけで、レティシアはぐしゃりと便箋を握りしめた。


「でも……聖都の神官は大司教に絶対の忠誠を誓ってるんじゃなかったの? 確か、ナントカの儀式で大司教になった人は、聖都のトップに当たるんだから……」

「……もちろんそのはずだ」


 クラートも硬い表情で頷く。驚き戸惑う他の者に比べて、彼はかなり落ち着いている。ひょっとしたら、近いうちにこのようなことが起こると予測していたのかもしれない。

 ふと、レティシアは先ほど謁見の間でティエラ王女が言ったことを思いだした。


 ――揺らぎつつあるクインエリア。


 彼女は確かに、こう言った。


(遅かれ早かれ、聖都でも謀反が起こるって分かってらっしゃったの……?)

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