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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
157/188

女王の運命 5

ゲス注意

 ――バルバラ王国にて、謎の奇病発生。

 寒さ厳しい冬の真っ直中、突如バルバラ王国内でドラゴンのみ感染する病が発症した。ドラゴンたちは突如、悶え苦しみ、血の塊を吐いて事切れた。急にドラゴンが落下したため、同じように墜落して死亡した竜騎士や落下してきたドラゴンに押し潰されて圧死した国民も多数。


 国内のどこということをなく発生した、恐ろしい病。突如苦しみだしたドラゴンを前に、国民たちは何もできず絶望に暮れるのみだった。彼らにとってドラゴンは何にも代え難い、国の象徴なのだから。

 そのような時、ティカ女王がカルティケーヤに乗り、王城から飛び出した。何事か、と驚く国民たち。


 女王は、上空から雨を降らせたと言われている。正確に言えば、青い小さな玉を上空から放ったのだ。

 球は地面に当たるとぱちんと弾け、ふわふわとしたライトブルーの霧を放った。すると、どうだろうか。苦しみもがいていたドラゴンたちは見る見る間に健康を取り戻したのだ。


 女王はそのまま王都を飛び去り、バルバラ王国中に青い薬を撒いた。雪が降る中、ひたすら薬を撒いていく。地方の町や村はもちろん、野生の大人しいドラゴンが住んでいる山間部にも。

 後に、女王は公言した。この秘薬は、ドメティ公国から遙々お越し頂いたドメティ大公が持ち込んだものだと。研究熱心な大公は謎の奇病を聞きつけ、急ぎ自国の秘薬を女王に献上した。これでバルバラ王国のドラゴンを救ってほしいと。


 ドメティ大公の献上した薬によって、悪夢のような日は一瞬で過ぎ去った。国民はドラゴンが回復したことに安堵し、そして女王の英断と大公の偉業を讃えた――










 ティカは、ドラゴンの厩舎にいた。

 十数日前よりもずっと空きが目立つ厩舎に入ると、ドラゴンたちが一斉に首を上げて低く鳴く。クルル、と歌うようなこの声はティカの到来を歓迎しているのだ。

 女王はドラゴンたちの鼻を撫でながら、厩舎の一番奥に向かった。藁を敷き詰めた舎内で、とぐろを巻いて寝る大柄なドラゴン。


「カルティケーヤ」


 ドラゴンの鱗がぴくっと揺れ、ややあってからカルティケーヤはのそりと体を起こした。

 このドラゴンは、あの時ティカに「逃げろ」と言われたのが相当不満だったらしい。いや、仲間を見殺しにした自分が許せないのかもしれない。カルティケーヤはあの日から、空になった厩舎をじっと見たり、シュエルイザがいた場所を見て悲しげに鳴くことがあったのだ。


 ティカは振り返った。厩舎の入り口に立っているのは、竜騎士ではない。全く違う異国の鎧を着た、ドメティの兵士だった。

 ティカはカルティケーヤに向き直り、檻に手を伸ばしてそっと鱗を撫でた。カルティケーヤを外に出すことは禁じられた。こうやって会うときも、檻越し。


「……ごめんね、カルティケーヤ。お外を飛びたいでしょう」


 カルティケーヤは主人の涙を見て、拗ねモードから戻ってきてくれた。低く鳴き、慰めるようにティカの手に鼻先を押しつける。


 あの日、ティカは多くの物を失った。信頼できる部下、多くの仲間、ドラゴンたち。

 ドメティ大公の命令に従うことを条件に、ティカは大公の薬を国中に撒いた。見る見る間にドラゴンたちは回復し、そして――ドメティ大公を英雄に仕立てた。


 聡い者は、「大公が毒を撒き、解毒剤を使ったのではないか」と気付くかもしれないが、大公は先手を打った。ティカ自身の口で、大公が偶然持ち込んだ秘薬だったことを告げさせたのだ。

 これによって国民は大公を認めた。認めざるを得ない。我らが女王陛下が宣言したのだから。


 あの日に起きたことの真実は、城内のごく一部の者のみにしか知らされなかった。血みどろの部屋となった謁見の間から遺体が運び出され、謁見の間は現在修繕中である。

 ティカはぎゅっとカルティケーヤの皮膚を掴んだ。痛いだろうに、カルティケーヤは文句を言わず主君のしたいがままにさせている。


『女王陛下には今後も、国民の信頼を得てもらわなければならない』


 もはやティカを掌握したと言っていい大公は、言った。


『何度も申し上げるように、私は陛下を傷つけるつもりはありません。けれどもあなたの背には国民とドラゴンの命が掛かっているのです。私に反旗を翻そうというおつもりならば、お止めください。まだ毒薬は大量にあるのですから』


 ティカは大公に逆らえない。一人で負うにはあまりに大きすぎるものを背負い、大公には彼らの命を握られているのだから。

 そして、ティカは大公に命じられるまま――


「っ……!」


 厩舎から出た先。ひゅうひゅうと風を唸らせる谷を見て、ティカは体を震わせた。


 大公はこう命じた。今後大公を裏切らないという意志を見せろと。

 膝が力を失い、その場にへたり込みそうになる。先導するドメティの兵士が胡散臭げな眼差しを寄越してくる。


 そう、この場所だ。この、深い谷が臨める場所で。

 ティカは――


「……おい、立てよ女王陛下」


 後ろから小突かれ、ティカははっとした。見ると、剣の入った鞘でティカの背中を押すドメティ兵の若者が。彼はペッと唾を床に吐き、もう一度ティカを小突いた。


「立て。邪魔だっつってんだろ」


 命じられるまま、ティカは立つ。一国の女王に対してあまりにも無礼だが、今回ばかりはこの青年に感謝した。


 そのまま谷に背を向けて、ティカは歩く。

 この谷に。ティカは、ヴォミの亡骸を放り投げた。


 地面が見えないほど高い崖の上から、ただでさえぼろぼろに傷ついたヴォミの亡骸を、大公が命じるように突き落とした。

 せめて、埋葬してやりたい。彼女のドラゴンと共に、バルバラの古き習慣に則って、静かに雪山に眠らせてやりたかった。


 だが、大公はそれを許さなかった。大切な部下で、友人だったヴォミの亡骸を千尋の谷に突き落とさせる。あまりに高すぎて、彼女の体が粉々になるのを見ずに済んだのは幸いだったのかもしれない。


 ああ、とティカは嘆息する。

 この谷は、想い出の場所だったのに。「彼」に会った、大切な場所だったのに。


 谷に落ちそうになった彼を救ったのは、一体何年前のことだろうか。今でも、その時のことは鮮明に思い出せるのに。この出来事を赤面しつつ語ると、ヴォミが柔らかく笑ってくれたというのに。


 この谷は、ヴォミの墓場になってしまった。

 幽霊のようにフラフラの足取りの女王を、すれ違うバルバラの者たちは悲痛な眼差しで見る。彼らの大半からすれば、「急な事故」でヴォミを失った女王がショックを受けていると思うのだろう。


 一方、ドメティ兵は一様にティカを険悪な眼差しで見てくる。明らかに、ティカの存在を認めていない。


「……何でまた、こんな女王の護衛になったのかな」


 ティカを挟んで前と後ろで、兵士がぶつぶつ文句を言い合う。本人が居る前で堂々と言うとは、肝が据わっている以上に彼らはティカをその程度としか見ていないのだ。


「だよなぁ、大公様もご趣味が悪い。こんな細っこいガキみたいなののどこがいいのやら」

「おまえはドメティ公女様狙いだろ? あの肉体がいいって言ってたろ」

「ったりめーだ。誰が好きこのんで汚れた女を抱くかっての」


 ティカは虚ろな眼差しで窓の外の雪景色を見やる。そして、ああそうだったと他人事のように思う。


 自分は――遥かリデルの地にいるだろう、「彼」と想いを通わせる前に、あの大公のものにされたのだと。

 望まぬ結婚を強いられることは覚悟していた。国のためなら、女王として最善と思われる結婚相手を見つけることも。母のように恋い慕う人と結ばれるなんて、最初から望んでいなかった。


 自室に戻り、ティカはぐったりとベッドに倒れ伏した。

 この体はもう、きれいではない。何が起ころうと、「彼」に愛されることは今生あり得ないのだ。


 ――ノルテ。

 ティカはぐっと唇を噛みしめた。先日、妹宛に書いた手紙。

 ドメティ大公は、ドラゴンの一件のことを他国に口外しないよう宣言した。理由は簡単。より魔道の意識の強い他国に漏れると、自分の企みが明るみに出る可能性が高まるから。


 だから大公はティカに、妹宛の手紙を書かせた。大公は既に、国民の信頼と女王の身を得ている。あと、彼の野望に邪魔になるのはもう一人の王族。リデル王国セフィア城で暮らしているティカの妹、ノールタニア・レのみ。

 まだ大人になりきれていない王女だが、あの行動力と発言、奇抜な発想は脅威になりうる。何より彼女はセフィア城で暮らすことによって、他国との繋がりを深めている。個人的な縁とはいえ、リデル王家やリデルの貴族たち、加えてクインエリアの末裔とも親交があると最近耳に入った。


 王女は、ともすればティカ以上に厄介な存在になりうる。だが今はセフィア城という守られた場所にいるため、大公は手出しできない。無理矢理連れ出そうものならばリデル国王に見つかり、バルバラからの撤退はもちろん、大公位を剥奪されかねない。ドメティ大公はまだ、リデル国王に刃向かえるほどの力は持っていないのだ。


『あなたの妹は非常に勘が鋭いそうだ。絶対、感付かれないようにここまで誘き出せ』


 ティカは大公が見ている前で、妹への手紙を書いた。一見すれば、普通の手紙。姉が妹を気遣い、最近の様子を聞いている。そして手紙の後半には、国内で起きた問題について話し合いたいから一度戻ってきてくれとしたためた。

 これは、ノルテの性格を考えて書いたものだ。「国内で起きた問題」はドラゴンのことではない。だが近々バルバラでは催し物はないし、ただのパーティーならばあの妹は「やーだ」と言うに決まっている。


 ノルテは何よりも、女王として背筋を伸ばす姉の姿を見ている。だから、姉が政治のことで困っていると言えば必ず飛んでくる。あの子はそういう子なのだ。

 手紙の文面は大公が何度も見て、ドメティの兵にもチェックさせた。その上で速達としてセフィア城に送られたのだ。


 ノルテ、とティカは呼びかける。

 賢いあなたは分かってくれるでしょう。自分が何をすべきなのか。あの手紙が――何を示すのか。


 ティカは身を起こした。そして、祈るように胸に手を当てる。


 ごめんなさい、ノルテ。

 姉さんは、もうきっと長くありません。

 ティカは昔から、何かある度に妹に言い聞かせていた言葉を、口の中で言う。


「……わたくしに何かあれば、バルバラを頼むわ、ノルテ……」


 雪が、降る。

 絶望に身を染める女王を、何も知らない国民を、雪が包み込んでいった。

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