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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
154/188

女王の運命 2

 バルバラ王国内で採れる石材は、どれもくすんだ灰色をしており、どれほど磨いてもアバディーンで使われる大理石のような白い輝きを出すことはできない。初代女王の時代に建設されたバルバラ王城は、その原料となる石のせいで一見、薄暗くて沈んだ光景に見られがちだ。

 雪国のため、人々の表情も硬くて年中葬式のように待ちは静寂に包まれている――バルバラ王国に関して出回っていたそんな都市伝説が払拭されて、もう十数年になる。


 先代女王エイナの時代から国交が活性化し、徐々にではあるがバルバラ王城も他国に対して内側から開かれるようになった。国の方針を揺るがしてはならない、その一点のみに気を付けて、女王は他国の者が王城内を歩くことを許した。

 そして異国の人々は知るのだ。バルバラ王国は、不気味な静けさとドラゴンの咆哮に包まれた寂しい僻地ではない。厳しい寒風に身を晒されながらも笑みを絶やすことなく、女王を心から尊敬する国民に恵まれている。決して豊かではないが、争いのない日々を慈しむ心に満ちた国であることを。


 愛竜カルティケーヤを連れて廊下を歩く女王を見て、城内の者は笑顔で女王を見送る。軽く会釈すると、女王も手を上げて応えてくれる。年若くも冷静で聡明、類い希な美貌と竜騎士としての素質に恵まれた女王を、誰もが敬愛していた。


 謁見の間に入ったティカは、すっと息を吸って王座に着いた。いつものようにすぐ隣にカルティケーヤを座らせ、硬い鱗で包まれた首筋を撫でる。

 他国との重鎮との面会は、いつも神経を使う。今回のドメティ大公のように、「バルバラ王国女王」を欲している者に対するときは、よりいっそう。

 グルル、とカルティケーヤが低い唸り声を上げて鎌首を持ち上げる。来客の到来を衛士が告げ、謁見の間に豪華な身なりの一団がやってきた。


 五十がらみと思えるよく肥えた男性を先頭に、城内だというのに武装完備した近衛兵たち。バルバラ騎士が微かに身を震わせる中、ドメティの騎士たちは顔色一つ変えることなく、手に持った槍をこれ見よがしに煌めかせている。明らかに、穏便な空気ではない。

 先頭の男が玉座の前で立ち止まり、ティカに向かってリデル風のお辞儀をした。


「お目に掛かれて光栄です、バルバラ女王ティカ陛下」

「遠いところから遙々よくお越し頂きました、ドメティ大公殿」


 脂肪で詰まった彼ではあるが、バルバラの寒風はなかなか身に堪えることだろう。まだ暦は秋の月の終わりだが、バルバラは既に雪で包まれている。謁見の間の壁際にもしっかり暖炉を焚き、ティカを始めとしたバルバラ王国の者は長袖一枚にコートを羽織っただけ、ドメティの騎士でさえプレートメイル姿だというのに、ドメティ大公はこれでもかというほど着込んでおり、それでも唇を青く震わせていた。


「此度は陛下とお会いできる場を設けて頂き、誠に嬉しく存じます。バルバラ王国のことや我が国について、語り合いたいと存じております」

「勿体ないお言葉です。わたくしも、大公殿のお治めになるドメティ公国についてお話を伺いたかったところでございます」


 この言葉は決して嘘方便でも社交辞令でもない。ティカがドメティについて気になっていたのは事実だ。もっとも、物騒な意味で。

 もし大公が何か企むならば、阻止しなければならない。武力で押し返すのではなく、礼儀と敬意をもって、大公を納得させる必要がある。


 ドメティ公国一行を客間に案内しつつ、ティカは胸にそっと手を当てた。今までもこの手の会談は切り抜けて来られた。だが、今回は何か嫌な予感がする。ティカの隣を歩くカルティケーヤも、主人の心の乱れを察したかのように低く唸り、コートの脇腹に鼻面をこすりつけてきた。


 大公一行を先導していたティカは、自分と――カルティケーヤを見つめる大公の目がいびつに歪んだことに、気付かなかった。










 バルバラ風の客間の調度品は、どれもこぎれいで明るい色彩のものばかりだ。暖房費節約のために平たい造りにはなっているが、惜しみなく取り付けられた窓からは暖かな冬の日光が降り注ぎ、バーミリオンカラーの絨毯や目に優しいクリーム色の壁からは温かさと、開放感が感じられた。


「なるほど、部屋の体積を補う色彩ですな」


 客間に通された大公が感心したように言う。

 ティカはゆっくり頷く。大公がそう思うのも当然だ。この客間は、異国から来る要人のために数年前、ティカが全て模様替えを行わせたのだ。

 元々はオールドハウスを彷彿させるような暗い色彩の床に、重厚な赤の緞帳を張り巡らせた壁という、何とも息苦しい色合いだった。これではリデルの者たちは圧迫感を感じてしまうだろうと、リデルの建築様式や美的センスを習ったティカは思いついたのだ。


 ソファにどかりと座った大公の側に、いまだ武装解除しないドメティの騎士が並ぶ。逆にティカの方はカルティケーヤのみ隣に居させ、他の使用人や騎士たちは壁際に退去させた。これは、「こちら側からは手を出しません」という意味合いを込めている。これまでの会談でも、ティカはずっとこの手法を取ってきた。三百五十年間戦をしたことのないバルバラの女王としての、誇りの表れだった。


「いやしかし、バルバラには見事なドラゴンが多数おりますな」


 大公はとぐろを巻くカルティケーヤを見て言った。


「こちらにおります女王陛下のドラゴンはもちろんのこと、バルバラ王国のドラゴンの姿にはいつも、感涙を耐えることができません」

「お褒めに与り光栄です」


 ティカは長年の女王訓練の中で鍛えた、業務用の笑顔を浮かべる。幼い頃は上手く笑えず、ヴォミたちを困らせたりしていたのが今は懐かしく思える。


「ドラゴンは我々バルバラ国民の宝。決して戦闘用の乗り物でも、家畜でもありません。ドラゴンは国民の友。よき仲間であり、我々と同じくバルバラに生を受けた、国民も同然です」

「なるほど、馬車馬とは違うということですか」


 大公は興味を持ったように、身を乗り出してきた。


「女王陛下はドラゴンに対して厚い信頼と愛情を寄せていらっしゃるのですね」

「はい。全てのドラゴンはわたくしの友であり、バルバラ国民も同様です」


 ドラゴンも人間の国民も、どちらもバルバラで暮らす者という点では違いはない。ただ、見目姿が違うだけ。どちらも、ティカが命を掛けて守らなければならない者たちだった。

 強い口調で言い切り、ティカはふうっと息をついて大公を見た。


「っ……!」


 びくっと、体が震える。大公は相変わらず、にこやかに微笑んでいる。膝の上で手を組み、ティカとドラゴンの絆の強さを褒め立てる言葉を、その口は吐き出している。

 だが。


 ティカは大公に気付かれないよう、テーブルの下でぎゅっと拳を固めた。

 先ほどの大公の、眼差し。いびつに歪められた目。憎悪や嫉妬などではない。獲物を見つけた猛禽類のような、残虐な眼差し。


 先ほどのティカの発言に、大公は反応した。ドラゴンと国民は同じだという発言に食いついた。

 ティカは真っ直ぐ、前を見据える。過去の失言を悔いても仕方がない。今は、この場を乗り切らなければ。

 真摯な眼差しで大公の話を聞くティカを、彼女の愛竜が爬虫類の目でじっと見つめていた。

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