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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
151/188

ディレン隊解散 5

 レティシアはセレナに連れられテラスへ向かった。予想通り、奥の席でオリオンとノルテが言い合っている。


「だから! 女を胸の大小で差別するのがそもそも腐ってるって言ってんのよ!」

「俺、そんなこと言ったっけ」

「言っただろうが! あんたは脳みそにも苔が生えてんのか!」

「生えてねぇし。それに、俺は騎士だし最低限の女の扱いは知ってるつもりだぜ」


 やれやれ、またか。

 レティシアとセレナは四人分の紅茶を有料サーバーで注ぎ、少し離れた席から二人の喧嘩を見守ることにした。筋骨隆々で厳ついオリオンと、小柄で身長が彼の胸辺りまでしかないノルテの喧嘩は、なかなか周囲の目を引いている。かといって止めに入る勇気は誰にも、ない。


(しばらく様子見るか)


 二人大人しく紅茶を啜っているうちに、口論はヒートアップしてゆく。


「じゃあなんで、さっきわたしを猫の子みたいに掴んだのよ。てか、あんたは胸の小さい女だったらああやって掴み上げるわけ?」

「んなわけないだろ」


 言い合いに疲れたのか、オリオンの言い方も段々雑になっている。

 そういうわけで。


「俺がああいう扱いをするのはおまえだからだろ。あれはおまえだけだ」


 ぽろりと、とてつもない勘違いを生みそうな発言をかますわけで。

 静かに紅茶を啜っていたレティシアはぶっと吹き出し、セレナもティーバッグを摘む手を止める。


 ノルテも珍しく機能停止している。オリオンはそんな周囲の様子に気付かないのか、呆れ顔でぼりぼり頭を掻いてそっぽを向いた。


「いい加減気付けよな。おまえ、俺がおまえ以外の女に対してああいう扱いするの、見たことあるか? おまえが特別ってことだよ」

「特……別……」


 呆けたように反芻するノルテ。その、雪のように白い頬が――ぽん、と可憐な緋色に染まる。


 レティシアは、紅茶のカップをテーブルに置いてこしこし目を擦る。気のせいだろうか。つい先ほどまで殺伐としていた二人の周囲に、薄ピンク色のオーラが舞っているように見えるのは。

 周囲は不穏な空気に包まれているというのに、オリオンはなおも、ノルテの異常に気付かないらしい。


「それだけ、おまえは俺にとっても近しいってことだ。だから勘違いするな」


 そう締めくくったオリオン。言い切ったぞ! とばかりに晴れ晴れとした表情でこちらを見たのだが、残念。愛想笑いができるほど、レティシアは人として成っていなかった。

 そして、彼の視線から逃げるようにセレナと揃ってそっぽを向く。この後起こることが、何となく予想が付く。


 オリオンは不思議そうに、視線を反らすレティシアとセレナを見た後、先ほどから黙りのノルテを見る。


「……どうしたおまえ、燃料切れか?」


 と言って、身をかがめて彼女の肩に両手を置く。彼のぶ厚い手の平で、ノルテの薄い肩がすっぽり包めそうだ。


「……し」

「ん?」

「この……」


 キッと顔を上げるノルテ。その顔はリンゴのように真っ赤で、目はなぜか潤んでいて――


「……女ったらしー!」


 強烈な蹴りを、丁度いい高さにあった彼の股間にお見舞いした。


 あっ、とセレナが慎ましく目を覆う。レティシアは直視する。

 ぎゃっと悲鳴を上げて膝から頽れるオリオンと、怒り心頭でドスドスと歩き去っていくノルテ。いいものを見たとばかりに、ニヤニヤ顔を見合わせる野次馬たち。


「……かわいそうに」


 レティシアが呟くと。


「……どっちが?」


 セレナに冷静に問われた。











 その日の夜。

 レティシアとセレナは、お茶会セットを持ってノルテの部屋を訪問した。

 普段、お茶会は一番広いレティシアの部屋で行うことが多く、ノルテの部屋に入ったのは今まで数えるほどしかない。

 ノルテの部屋は本人の趣味なのか、白と青で統一されている。ベッドに突っ伏すノルテも、冬の空のような薄いブルーの部屋着を着ている。気を付けの姿勢のままベッドに倒れ込んだ形なので、一瞬死体のように見えたし、なによりその姿勢は呼吸が苦しそうだが。


「……ノルテさんの部屋によーこそ」


 ベッドサイドに椅子に二人が座ると、くぐもった声でノルテが言う。


「ただし現在、ノルテさんは充電中です。ご用の方は、もう三分お待ちください」


 顔を見合わせ、二人頷く。触らぬ神に祟りなし。そのまま、物音を立てないよう気を付けながら夜のお茶会の仕度をすることにした。

 火に掛けたポットがシュンシュン湯気を立て、セレナが皿に菓子を盛りつける頃、海老反りのような形でノルテがむくりと上半身を起こした。


「……いい匂い。さては、リデル南部特産の木の実パウンドケーキ?」

「ご名答よ。蜂蜜漬けのブドウ菓子もあるわ」

「……もらう」


 セレナの説明を受けてノルテはころんころんとベッド上を転がって、俯せから一気に上半身を起こす。先ほどまで寝ていたからか、勝手な方向に跳ねた黒髪がふわふわと宙を漂っている。

 レティシアが熱めの紅茶を淹れると、ノルテも空いた席に座る。腫れぼったい目を擦っているところから、ひょっとしたら泣いたのかもしれない。


「熱いから気を付けてね」


 レティシアが一言添えてから紅茶を差し出すと、ノルテはこっくり頷いてふうふう紅茶に息を吹きかける。ちょこんと座る仕草が、彼女を幼い子どものように見せていた。


 レティシアは彼女の正面に座り、ちびちび紅茶を啜るノルテを見つめる。子どもっぽさが抜けきらないノルテに対して、オリオンはかなりきわどい発言をかましたのだ。聞き取り方によっては大変な事態を生み出しかねない言い方で。


 ちなみにオリオンは最後まで分かっていなかったようで、レティシアとセレナで説明しても「そうかー?」と首を捻っていた。彼は出された紅茶を二人分しっかり飲んでからゆらゆら揺れつつ、部屋に戻っていった。

 紅茶をちびちび啜っていたノルテは、ぼそりと問う。


「……二人に確認したいんだけど」


 やや声が低い。二人は、ぎょっとしつつ笑顔で頷く。


「もち、もちろんだよノルテ!」

「何でも聞いてちょうだい」


 どうも、ノルテの頭の上に数字が浮かんでいるようだ。きっとこのカウントがゼロを迎えたとき、彼女はかつてない勢いで爆発することだろう。レティシアたちにできるのは、ゼロを刻むまで時間を稼ぐことのみ。止めることなんてできないし、最初から望んでもいない。


「オリオンは……どういうつもりでああ言ったんだと思う?」


 直球ストレート。既に彼女の爆発カウントは残り十を刻んでいる。

 レティシアは取り落として割る前にとカップを置き、先にお願いします、と視線だけでセレナに訴える。セレナは珍しくも怯えた表情で肩をすくめ、ノルテに愛想笑いを向けた。


「えーっと……そうね、私はあれがオリオン様の本心だと思うわ」

「本心?」


(あっ。今、十が九に減った)


「そ、そうよ。オリオン様は他の女性とノルテをきちんと区別してらっしゃる。どんな思いであれ、あなたのことを私たちとは別の思いで見ているってことよ」


 無難にまとめてくれたセレナ。ノルテの爆発カウントは九のままだ。

 ただ、無難にまとめすぎており――


「……なるほど、じゃあレティ。あいつの思いってどんなのだと思う?」


(難題来たーっ!)


 一番手をセレナに丸投げした報いだろうか。ガチガチに固まったまま隣を見ると、セレナ引きつった笑顔で、若干申し訳なさそうにこちらを見てくる。ちくしょう、と心の中だけで毒づく。


「あー……そうねぇ、つまりノルテは、オリオンがあなたに抱く感情が、れ、恋愛なのかってのが気になるのね」

「……ふふ、よくもまあぶっちゃけてくれたわね」


 ゴリゴリと音を立てて自爆カウントが四に減る。まずい。


「つっ、つまり……」


 そうだ、以前ボーレ・クラウンが言っていたではないか。「特別な感情」にもいろいろな形があると。


(頼みます、ボーレ様!)


 レティシアは姿勢を正し、息を吸った。


「ノルテ、間違いなくオリオンはあなたに特殊な感情を抱いているわ」


 ああ、無表情のノルテ爆発カウントが二になった。隣のセレナも終焉を感じているのか、鼠色のクッションを抱えて防御姿勢を取っている。


「といっても、その感情の種類はいろいろだよ。たとえば、兄弟愛」

「わたしの兄弟は永遠に姉さん一人だけど」

「わわわ、分かってるって! つまり、オリオンはノルテを妹のように見ているとか!」


 妹ならば、つい世話を焼いたりくどくど言ってしまったりする。ノルテを抱えるのも、兄が妹を世話する感じで。

 ふっと、ノルテカウントが六に戻る。


「……それから?」

「他には……男女の仲を越えた親愛の情とか。恋愛抜きにして――例えば、私がレイドに抱く感情と同じ。親愛の情と言っても、人によって微妙に表現の仕方は違うでしょ? オリオンの場合、ノルテに対してちょっとガサツになっちゃうってことが、オリオンなりの表現方法なんだよ」


 つまり、とレティシアはどんとテーブルに拳を乗せた。


「正直なところは、オリオン本人に聞かなきゃ分からないってこと!」


 最終奥義、「人任せ」。後は頼んだ、オリオン。元々は自分が蒔いた種だろう。

 ひゅっと、ノルテの頭上から自爆カウントが消滅する。おおおっ! とノルテに聞こえないよう、心の中だけでレティシアとセレナは歓声を上げた。


「……そっか」


 一気にしおらしくなり、ノルテは冷えた紅茶を啜る。


「とにかく、あいつはわたしのことが嫌いでああやるんじゃないのね」


 ノルテの発言に、レティシアセレナと目を見合わせる。そして二人同時に何度も頷く。


「もちろんよ、ノルテ」

「そこは心配しないでいいよ、絶対!」

「二人とも……」


 ノルテはこくんと喉を鳴らせてから、パウンドケーキを一口で頬張った。


「……ならよかった。そこが一番心配だったから」

「オリオン様に嫌われているのかもしれない、ってところが?」


 こういう繊細な場面での対応は、セレナの方が向いている。セレナは先ほどのレティシアへの難題提供に責任を感じているのか、全力でノルテに向き直っている。


「そう。愛情だの親愛だのは……そうよ、あいつ本人に聞けばいいのよ!」


 めらめら燃えさかるノルテ。そのまま勢いよく立ちあがる。


「決めた! 今度本人に問いただしてやる!」

「えっ、今日じゃない……んぐっ」

「そうね、日を改めた方がいいわ」


 とっさにレティシアの口を塞いでうんうん頷くセレナ。


「ノルテも気分を変えたいし、もうこんな時間だものね」

「そうよ。乙女のお肌にとって大切な時間を、野郎のために費やしたくないわ」


 そう言い切り、ノルテはすとんと腰を下ろしてくれたため、二人はこっそりと、安堵のため息を零したのだった。

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