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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第5部 紫紺の面影
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その想いの名は 1

 ばたばたしつつ三百五十年祭が終わり、城内は騎士団長と実行委員会の指揮の下、後片づけと事後処理に奔走していた。

 突然の事故でざわめきが止まない中、皆の努力で来客も気持ちを落ち着け、それぞれの帰路についたという。


 その頃、レティシアは――


「まずは、君の友人でもあるティーシェ・グラスバーンについて話しておこう」


 重々しく口を開くのは、ユーディン。


 今、この封魔部屋にはクインエリア関連の者――レティシア、ユーディン、魔道士団長しかいなかった。

 レティシアは魔道士団長の隣に座り、虚ろな眼差しでユーディンの話を聞いていた。テーブルに置かれた紅茶に手を付ける気力もなく、その水面に映る自分の顔をぼうっと見ているのみだった。

 ユーディンはそんなレティシアを労しげに見つめた後、口を開いた。


 ――ティーシェ・グラスバーンの本名はカテリナ・ベルウッド。フェリシアを暗殺したミシェル・ベルウッドの実妹である。

 昔からベルウッド伯爵はクインエリア大司教の座を狙っており、娘二人にも相応の教育を施そうとしていた。だが娘二人が幼少の頃、父親と母親が離婚した。母親は政略結婚でカーマルからリデルに嫁いだのが、ベルウッド派の企みを次第に恐れるようになったのだという。


 父であるベルウッド伯爵は姉妹両方を奪おうとしたが、母親は辛くも妹だけ抱えて祖国に逃亡する形で逃げ切った。姉妹の母親は遠縁ではあるがカーマル皇家皇妃の血筋で、祖国に帰ると娘共々手厚く保護されたのだという。


 だが母親は、父親が自分――それ以上に、娘を奪い返しに来ることを恐れ、娘カテリナを手放すことを決意した。当時懇意にしていたカーマルの貴族であるグラスバーン男爵家の養子に出し、名前も変えてティーシェ・グラスバーンと名乗らせた。男爵家は跡取り長男を始めとした息子には恵まれていたが、娘が生まれなかったのでティーシェを心から歓迎してくれたそうだ。


 ティーシェはカーマル帝国グラスバーン男爵家の娘として育ったが、生母ともまめに連絡を取り合っており、自分の生まれや離別した父親のこと、姉の存在についても理解していた。ティーシェはそのままカーマルで暮らし、十四歳の秋にリデル王国でベルウッド伯爵一味が捕縛されたことを知った。

 実姉が人殺しをしたということはショックだったが、もともと父親を快く思っていなかったため、これでやっと母が楽になれると思ってほっとした。


 だが安心したのも束の間。ティーシェ十五歳の年――つまり去年の秋、母親が何者かに誘拐された。普段は娘と離れて皇都で暮らしている母だが、ちょうど地方に出かけた隙に攫われたそうだ。この件に慌てるティーシェの元に、脅迫状が届く。


 ――母親は、ベルウッド一味の残党によって攫われていた。彼らの野望は、聖都クインエリア大司教一族の抹殺。母を返してほしいならば、リデル王国セフィア城にいるフェリシアの妹を殺害しなければならない。他の者に口外すれば、母を殺される。


 まだ年若いティーシェは苦渋の決断をし、渋る養父母兄弟に頼み込んでセフィア城に編入した。レティシアの容姿については知っていたので、編入後すぐに声を掛けて近付いた――







 ――ユーディンの話を聞き、レティシアは背筋を震わせた。確かに初日に会ったときからティーシェは人懐っこかったが、まさか最初から、自分を殺す気で近付いていたとは。


「でも……だったらどうして、ティーシェは私を殺さなかったのですか?」


(隙なんて、いくらでもあったのに……)


 そう問うてみると、ユーディンは緩く首を振った。


「その理由は、意外と君が一番よく知っているのではないか?」


 静かに見つめられ、レティシアは閉口する。


「もちろんティーシェ・グラスバーンは君を殺す気で接触した。彼女の部屋からは暗殺用と思われる毒薬も見つかっている。だが……彼女は行動に移さなかった」


『わたくしはそんなレティシア様を尊敬しています』


 まっすぐなティーシェの眼差し。レティシアの手を握る、嘘偽りのない、優しい手つき。


「ベルウッド残党は、なかなか行動を起こさないティーシェ・グラスバーンに痺れを切らした。そして兼ねてから計画していたミシェル・ベルウッドの逃亡を成功させて今日、三百五十年祭城内開放の隙にセフィア城に侵入し、妹と接触した」


 ミシェルは第二幕を終え、聖女の格好をしたティーシェを捕まえて詰ったそうだ。なぜレティシアを殺さない、なぜ行動に移さないのだと。

 それに対してティーシェは、震えながら黙る。とどめとして母を殺すと脅され、ティーシェは母の助命を訴えて劇の流れを説明した。そして、レティシアを殺すのにいい場面があることを伝えたそうだ。


 ミシェルはティーシェを仲間に引き渡し、彼女の衣装をひん剥いて自ら舞台に上がった。そして山場の場面で騎士たちに呪いを掛け、レティシアを襲わせた。

 さらに、レティシアが信頼しているというクラートにも呪いを掛けた。信頼する友人に攻撃させることで、レティシアを心から痛めつけようとしたのだろう。


 そこで黙り、ユーディンは「レティシア」と重く呼びかける。


「君は、ミシェル・ベルウッドを止めるつもりで衝撃波を放ったのだな」


 指摘され、レティシアは黙った。


 確かにレティシアがミシェルに放ったのは、軽い衝撃波だった。自分の命が危険にさらされている。それは分かっていても、ミシェルを魔法で傷つけようとは思えなかった。

 だから、威力を抑えた衝撃波でミシェルを攻撃した。狙ったのも、一撃死を図れる喉や頭、心臓ではなく腹部。


(私はやっぱり、甘かった……)


 あの時――ユーディンが放った魔法でミシェルにとどめを刺さなかったら、今ここにレティシアは五体満足で座っていなかっただろう。

 知らずうちに、膝の上に乗せていた拳をきつく固めて手の甲に血管が浮かび上がる。


(自分で解決したいと思っていたのに。皆に安心して劇を見せたかったのに、やっぱり迷惑を掛けてしまった……ユーディンたちに助けられてしまった……)


「……ごめんなさい」


 震える声で謝ると、ユーディンはゆっくり首を横に振る。


「君の気持ちはよく分かる。同時に、戦場で敵に気を使うのは命取りだと、自分でもよく分かっていることだろう。今までもきっとそうだったろうが、今回は私やキサ、レイド殿たちの援護が遅ければ君の命も危うかった」


 だが、とユーディンは幾分表情を和らげた。


「……怒りに身を任せてミシェルを殺していれば、君もミシェルと同じ人間になっていた。君は、そうなる必要はない。君が手を出す前に僕が仕留められて……よかったと思っている」


 はっとして、レティシアは顔を上げる。そっと、レティシアの肩に魔道士団長の手が乗る。


「自分を卑下してはいけません、レティシア様。あなたの手を守るために、ユーディン殿はご自分で手を下されたのです」


 そっとなだめるような魔道士団長の言葉に、レティシアは頷く。震える肩を静かに抱き、魔道士団長は慰めるようにレティシアの背中を撫でてくれた。


(ユーディンたちは、私が殺しをしなくてもいいようにしてくれたんだ)


 彼らはレティシアの命だけではなく、心も守ってくれたのだ。「人殺し」という重いレッテルをレティシアが一生背負って生きなくてもいいよう、ユーディンが自ら躍り出てくれた。


「私は……ミシェルを殺せなかった」


 ぽつりと、レティシアは呟く。


「姉やロザリンドを殺したんだから、すごく憎かった……ロザリンドの敵を取ってやりたいと思っていた。でも、どうしても本気で掛かれなくて……」

「それでいい。ロザリー……カウマー前魔道士団長も、自分の敵討ちのために君の手を汚してほしくはないと願っているだろう」


 ――君の判断は正しかった。

 ユーディンは優しい眼差しで言い、ふと顔を上げた。


 叩扉の音がし、ユーディンが立ってドアを開ける。封魔部屋に入ってきたのは、キサと騎士団長。

 騎士団長はその場に膝を折って、騎士の敬礼をする。


「客人は全員城から帰させました。後片づけも終了し、生徒は全員宿舎棟で待機させています。怪我人やミシェル・ベルウッドに操られていた騎士たちも体を休め、ほぼ全員意識を取り戻しています」

「ありがとうございます、騎士団長。騎士たちはさぞ心を痛めていることでしょう。まずは彼らのケアをよろしくお願いします」


 魔道士団長の言葉に頷き、騎士団長は静かに退出する。それを見送り、キサが癖のある髪を掻き上げた。


「……宿舎棟の様子も見てきましたが、大半の生徒は落ち着きを取り戻していました。セフィア城の教師陣も宿舎棟で生徒の相手に奔走しているようですが……ひとつ、問題が」

「何か」

「……レティシア様のご身分が既に、生徒の中で噂になっていました」


 ユーディンに答え、キサはモスグリーンの目をレティシアに向けた。


(……やっぱり、そうなったか)


 キサの眼差しが揺れているのに対し、レティシアはソファの肘掛けに爪を食い込ませながらゆっくり頷く。


「……ミシェルが、私のことをクインエリアの小娘って言ったからですね」

「そうです。噂は瞬く間に広がり……ディレン隊の者たちが鎮めようとしておりましたが、既に生徒たちの間では確信事項となっております」

「レティシア様が大司教の娘……つまり亡きフェリシア様の妹であり、次期大司教候補であることか……」

「ここまで広がれば、もはや鎮火は不可能です」


 キサは苦々しく言って、レティシアを見る。


「……我々の力及ばず、申し訳ありません」

「そんなことないです」


 レティシアははっきりと言い、自分を見る大人たちを真っ直ぐ見返す。


(遅かれ早かれ、ばれることは覚悟していた。それに……)


「舞台は破壊されて、ミシェルは死亡するし、それどころじゃなかった……むしろ、皆さんは私を助けてくれたんです。身分がばれるのは、前々から覚悟していたことですし……大丈夫です」


 それより、とレティシアは身を乗り出す。


「……お願いがあります」

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