編入生はお嬢様 5
翌朝。
「ええ、わたくし役者になりましたの。レティシア様からの推薦だったとかで」
朝食の前にティーシェをつかまえて事の次第を聞くと、彼女はニコニコの笑顔で答えた。
「タリス様でしたっけ? とてもすてきな女性でした。わたくし、興奮のあまり、昨夜一晩で台本を全て読んでしまいましたの」
そう言って、ティーシェは胸に抱いていた台本を示してきた。おそらく昨日の晩タリスにもらったばかりだろうに、既に表紙は折れ、ページをめくった痕が強く残っていた。
「それと、わたくし以外の役も全員決まったそうですの。今日の夜から本格的に練習が始まりますわ」
「……そっか」
嬉々として語るティーシェを、レティシアは若干複雑な思いで見ていた。
タリスにティーシェを紹介したのは、確かに自分だ。だが聞いてみれば、劇の練習は相当ハードらしく、時間の制約も掛かってくる。レティシアが「推薦した」というよりは、「提案した」だけであり、編入したてのティーシェに重荷を負わせてしまったのかもしれない。
ティーシェはレティシアの顔色を読み取ったのか、ふと真面目な顔になってレティシアを覗き込んだ。
「レティシア様、わたくしは役者になれて、本当に嬉しいのですよ。だって、編入初日でたくさんお友だちができましたし、新しいことに挑戦するのはとても楽しいことですもの」
心の内を見透かされたようで、レティシアはドキッとした。そして、ニコニコとあどけない笑顔を向けてくるティーシェを凝視する。昨日ミランダたちが言った通りだ。
(この子、私が思ってる以上に強かなのかも……)
「それに、カーマルでも神聖視される『聖槍伝説』の舞台に立てるなんて、これ以上ない光栄です。故郷の両親にも伝えたいですわ」
さすがにカーマルから来るのは無理でしょうけど、とティーシェは小さく笑った。それを見ていると、自然とレティシアの気持ちも解れ、頬が緩んでくる。
「そっか……実は私も、ちょっと離れたところ出身でね。晴れ舞台があるなら両親に見せたいなぁ、って思ってるの」
「まあ」
ティーシェはレティシアの話に興味を持ったようで、愛らしく小首を傾げてみせた。
「レティシア様のご出身はどちらですの?」
「ルフト村って言ってね。オルドラント公国の北端にある農村で……」
レティシアが熱弁を振るおうとした、その時。
廊下の奥――食堂の方角から響く、男性の怒鳴り声。
廊下を歩いていた者たちもぴたりと足を止め、何事かと互いに顔を見合わせたり、野次馬精神で足早に食堂へ向かったり。
「喧嘩でしょうか?」
のんびりと首を傾げるティーシェだが、レティシアはごくっと唾を飲み込んだ。
(今の声……ひょっとして……)
「ごめん、ティーシェ。また後で!」
レティシアは口早に言い、食堂に向かって足を進めた。
廊下の角を曲がると、そこには既に小さな人だかりができていた。どうやら件の「喧嘩」は食堂入り口付近で起きているらしく、食堂から出入りしようとする生徒たちが迷惑そうにそちらを見やっていた。
「どけて! ちょっと……道を開けて!」
レティシアは人混みに頭を突っ込み、背の高い騎士にもみくちゃされ、化粧の濃い先輩女性魔道士に肘鉄されながら前進し、やっとの思いで騒ぎの中心に飛び込んだ。
野次馬に囲まれるようにして対峙するのは、二人の騎士。片方は、レティシアが予想していた通りの人。真っ赤な髪を怒りに逆立て、目の前の者に向かって怒鳴っている。
「ふざけるな! なぜ俺の許可なしに承諾した!」
「さっきから言っているけれど、劇団に入ったからって僕は仕事を放棄したりしない」
対する相手は、努めて冷静に言い返していた。
「レイドはそのことが心配なんだろうけど……与えられた仕事は全て必ずこなすし、みんなの足を引っぱるような真似もしない」
(クラート様……?)
怒髪天を突かんばかりのレイドと、彼と向き合う金髪の少年――クラート。
クラートは静かな眼差しでレイドを見つめていたが、ふと、レティシアに気付いたようで目を丸くする。
「レティシア……」
「ちょうどいい、レティシアか」
クラートが何か言うよりも早く、ぐるりとレイドが振り返ってツカツカとレティシアに詰め寄る。いつも以上に機嫌が悪く、目つきも怪しいレイドが近付いてきたので、思わずレティシアはヒッと息を呑んで後退する。
「いいえ。レティシアによく似た別人です」と言ってこのまま人混みに戻ってしまおうか、と思ったが背後にいたらしいお節介が、ご丁寧にレティシアの背中を押し戻してきた。そのままずいずいと、怒り心頭のレイドの前まで押し出されてしまう。
「おまえの方からも、この馬鹿に一言言ってやれ。こいつ、勝手に劇の役者に名乗りを上げたんだ」
「勝手にとは心外だね」
クラートはツンと目線を反らす。彼らしくもない、素っ気ない態度だ。
「それに、名乗り上げたわけじゃない」
「……さては、あのうるさい実行委員会共に何か言われたのか」
「別に。確かに誘ってきたのはボーレたちだけど、それを受けたのは僕だ」
レティシアは目を丸くした。クラートが劇団に入ったということよりも、レイドに対するクラートの物言いの冷たさが意外だった。
加えて、レイドを真っ直ぐに見つめるクラートの、揺るがぬ強い輝きを放つ双眸に。
(クラート様がこんなに険しい顔しているの、初めてかも……)
レイドに「一言言ってやれ」と言われたものの、とても口出しできる状況ではない。レティシアはただ、二人から一歩離れたところでその口論を見届けるしかできなかった。なおもぐいぐい背中を押してくる第三者の野次馬が憎い。
「……レイドに相談せずに事を進めてしまったのは、申し訳なく思っている。だが、一度決めたことはやり通したい……それに、騎士団としての役目も決して疎かにはしない」
言い切ると、クラートは口をつぐんでまっすぐにレイドを見つめた。
レイドも、唇を真一文字に引き結んでクラートをにらんでいた――が、珍しくレイドの方が先に視線を反らした。
「……その言葉、決して忘れるな」
吐き捨てるような、苛立ったような台詞を残し、レイドはくるりと踵を返した。
ほぼ全ての人がわたわたと彼に道を譲る中、人混みの中からふわふわしたココア色の巻き毛が揺れた。あっという間に野次馬にのまれて姿は見えなくなったが、彼女は足音高く去っていくレイドの側にそっと寄り添ってくれたようだ。
一件が一応落着し、ひそひそ話しつつ人垣が割れていく。レティシアはこくっと唾を呑み、その場に立ちつくす少年騎士に歩み寄った。ついさっきまでは毅然と前を向いていた彼だが、今は力なく頭を垂れ、何かに耐えるように唇を噛んでいた。
「……クラート様」
「……レティシア?」
はっとしたように顔を上げ、クラートは素早く服の袖で自分の額を拭った。そうして、レティシアを見つめて力なく微笑む。
「……情けないところを見せてしまったね」
「そう、ですか?」
(別に、情けないなんて思わなかったけど……)
滅多に見せないクラートの姿に驚いたのは確かだ。
レティシアは首を傾げるが、クラートは緩く首を振り、廊下の人の往来をぼんやりとした目で眺めていた。
「……また、レイドを怒らせたな。僕が勝手に判断して、勝手に行動したから」
(怒らせた……?)
レティシアはクラートの言葉に、妙な引っかかりを覚えた。そして、先ほど見たレイドの横顔を思い出す。
あのレイドの顔は、怒っているというよりも――
「そりゃあ、そうだよね。僕が劇の役者になっても、レイドにとっては何の利益にもならない。むしろ戦力が落ちるだけ。……怒らせても仕方なかったね」
「……本当に、そうでしょうか?」
口を衝いて言葉が出てきた。
クラートが驚いたようにレティシアに視線を合わせてくる。
脳裏に浮かぶのは、立ち去り際のレイドの――幼い子どものように、悔しそうに歯噛みする横顔。
「レイドは……きっと、怒ったから声を荒らげたんじゃないと思います。多分、レイドへの相談なしにクラート様が劇団入りを決めてしまったから……だからじゃないでしょうか」
今までにも、クラートが自分の判断で物事を決めることはあった。昨年冬のティエラ王女護送計画も、従軍がほぼ決定してからレイドたちに事を打ち明けたのだ。その時も、レイドは不服そうな顔をしていた。
「レイドも世話妬きすぎるのかもしれませんが……でも、クラート様を思ってのことです。だって、最後には渋々だけど認めてくれたでしょう? クラート様の思いは必ず、伝わってます」
なぜこれほど熱く語るのか、自分でもよく分からなかった。それでもレティシアは真っ直ぐクラートを見つめ、そのスカイブルーの目を見据えて思いを語った。
クラートはしばらく沈黙していたが、やがてふいと目を反らした。
「……僕はレイドだけでなく、君にも……いや、君たちも巻き込んでしまったのだな」
「クラート様……?」
「……ありがとう、レティシア」
クラートはふっと唇の端を緩めて笑い、先ほどよりずっとすっきりした顔でレティシアの肩をぽんと叩いた。
思わぬ急接近にレティシアの体がびくっと震え、クラートは少し意外そうに目を見開いたものの、すぐに笑顔を浮かべた。
「朝っぱらから迷惑掛けた……よかったら一緒に朝食取らないか?」
「……はい」
断る理由はなかった。
レティシアは素直に頷き、クラートに促されて食堂へ向かった。
「……落ち着きました?」
食堂に続く廊下を見下ろせる、上階の吹き抜け渡り廊下。
穏やかな声で問われ、レイドはこっくり頷いた。
「……すまなかった」
「あら、謝る相手が違いますよ?」
言いつつも、セレナは穏やかな眼差しでレイドを見つめていた。セレナの隣で欄干に両腕を預けるレイドは、ぼんやりとした眼差しで食堂の天蓋を見下ろしている。
「……それもそうだな」
「レイド様も、そろそろクラート様離れしないといけませんね」
どこかおもしろそうに言われ、レイドはムッと唇を歪めた。
「その言い方だとまるで、俺がクラートに依存しているみたいじゃないか」
「違ってましたか?」
当たり前だ! と言い返したかったが、自信を持って否と言えない自分がいた。
レイドはふてたようにセレナから視線を反らす。くすくすと小さく笑う声が、背中に突き刺さった。
「……食事に行きます?」
「……嫌だ。もう少し後にする。おまえも一緒だぞ」
「レイド様の仰せの通りに」
ぺこりと頭を下げるセレナを、レイドは三白眼で見た後――すぐに、目尻を下げた。
この恋人は、腹を立てるレイドに何も言わず付いてきて、ぶちぶち愚痴を言うレイドを穏やかな眼差しで見守ってくれた。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
ふと、レイドは目を細めた。
劇の役者になったから認めてほしいと、我を貫いたクラート。後で一言詫びようとは思うが、何か、クラートの目の奥に別の思いが見えたような気がしたのだ。ただ役者になりたいという思い以上の、何かが。
「……レイド様?」
遠い目をしたレイドを不審に思ってか、セレナが心配そうに声を掛ける。
レイドは首を横に振って一歩セレナに歩み寄り、その柔らかい体に身を寄せるようにして、眼下の光景を見下ろしていた。




