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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第5部 紫紺の面影
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編入生はお嬢様 1

『リデル王国王都アバディーンにて王太子就任式挙行!』

『新たなる王太子は、若き王女ティエラ!』

『エルソーン王子の真相! 無期謹慎決定!』


 今し方「号外」として配られた新聞記事に目を通してみる。大きな題字に続き、先日のアバディーンでの出来事がつらつらと書かれている。


「あっ、あの人、ディレン隊の魔道士だ」

「じゃあ、ティエラ王女王太子就任式のことを知ってるの?」

「いや、そういうわけじゃないってさ……ほら、これ見ろよ」

「『今回の一件は王室に関する事項のため、これ以上の詮索や調査を固く禁じる。関係者の口外も厳禁』……かぁ」

「だったら教えてくれないよな」

「というか、ディレン隊は偶然その場にいたけど、誰も深くは関わってないそうよ」

「なんだぁ」


 廊下を通り過ぎていった見習魔道士と見習騎士たちが、壁に寄り掛かって新聞を読む彼女を見て、そのようなことを話している。

 彼女は目線だけ上げ、件の年少者たちが去っていくのを見届けてから、ばさりと新聞を閉じた。


 レティシア・ルフトは豊かなオレンジ色の髪を掻き上げ、三白眼で手元の新聞を見た。


(ティエラ様のおかげだな……まさか、就任式のからくりに一枚噛んでました、なんて言えないし)


 レティシアは新聞を小脇に抱え、廊下を歩きだした。通りすがる生徒たちはレティシアを見て目を丸くさせるが、それも一瞬のみ。

 皆、新聞の同じ記事を見たのだろう。すぐに興味なさそうに目を反らして、別の話題に花を咲かせる。

 聞きたい気持ちは山々だが、教えてくれないのであればわざわざ声を掛けるのも億劫だ。

 彼らの眼差しはそう語っていた。








 レティシアが所属する騎士団、ディレン隊が重大任務を受けたのは、昨年の冬。

 それまで行方不明だったリデル王家エンドリック王子。その娘が見つかったということで、王都までの護衛任務を受けたのだ。


 道中、謎の集団からの襲撃を受けたり護衛隊の仲間から冷たい目で見られたりと、すったもんだの末に王女一家を王都まで送り届けたら、第一段階終了。

 その後、一行はティエラ王女が王太子に就任するまで王城に留まった。


 だがティエラ王女の王太子就任を快く思わない、王女の叔父に当たるエルソーン王子が暗躍し、魔道士を雇ってティエラ王女派の壊滅を企てていた。後にティエラ王女側に寝返ったエルソーン王子の息子エヴァンス王子が、事の次第を暴露したのだ。


 護送中のマックアルニー子爵館襲撃事件の主犯は何を隠そう、エルソーン王子から命を受けたエヴァンス王子だったのだ。だがディレン隊を始めとした護送隊の抵抗により、ティエラ王女と彼女の息子のレアン王子を狙った暗殺事件は未遂に終わった。


 子爵館襲撃事件に失敗したエルソーン王子は続いてアバディーン王城にて、ティエラに近しい人間を失わせるため、魔道士にレティシアの親友であるセレナに呪いを掛けさせた。


 呪いによって自我を失ったセレナは殺戮人形となり、王城の兵士を惨殺した。そしてレイドによって辛くも血生臭い殺戮劇を止められ、ディレン隊もろとも身柄を拘束されたのだ。


 そこへ救いの手を差し伸べたのが、エヴァンス王子。彼の助力によってレティシアたちは軟禁状態から逃げだし、エルソーン王子の罪を公衆の面前で暴いてティエラの王太子就任を確立させた。そして、エヴァンス王子が匿っていたセレナとの再会も叶ったのだった。


 ……と、波乱に満ちた冬を送ったのだが、もしこれまでのことが全て明るみに出ていれば、今レティシアはこうして暢気にセフィア城の廊下を歩いてはいないだろう。


 レティシアが聖都クインエリア大司教の娘であること。

 セレナが殺戮を行ったこと。

 レティシアたちの介入によって、ティエラ王女が王太子に就けたこと。

 レティシアたちにとって、プラスのこともマイナスのこともあった。それらを全て、彼らは闇の中に葬ることを承諾した。


 ティエラ王女は取材に対し、「王室関連であるため詳細は伝えられない」「殺戮事件はエルソーン王子付き魔道士の仕掛けた罠だった」と伝え、なおかつその場にいた貴族たちには固く口止めしてくれた。


 世間からすれば、あまりに謎が多すぎる王太子就任式に不満を抱えることが多いだろうが、レティシアたちにとってはありがたいの一言に尽きた。特に、貴族たちの目の前で素顔を晒したレティシアと、拭いきれない殺人の血で手を染めてしまったセレナにとっては、自分たちの身を守るということでティエラ王女に心から感謝していた。


(最悪、クインエリアの後継者ってことで貴族社会に引きずり込まれることも覚悟してたけど)


 こうして自分は今、春の初めの暖かな日差しの中、セフィア城にいる。

 レティシアは立ち止まり、吹き抜けの回廊から覗く青空を見やった。今日もよく晴れており、遥か彼方の山際にぽつりぽつりと真綿のような雲が浮かぶ以外、空の青を汚すことのない晴れの日。


(……またここから始めよう)


 澄んだ朝の空気を吸うと、レティシアは再び、足を動かした。









 レティシアが図書館に向かうと、いつもの席に既にミルクココア色の髪を持った女性が座っていた。


「ごめん、待たせた、セレナ?」


 鞄をテーブルに置いて女性の顔を覗き込むと、彼女はゆったりした動作で振り向いて首を横に振った。


「いいえ、私もさっき来たばかりだし、本を読んでいたから」


 彼女の声はレティシアよりも少しだけ低く、落ち着いた響きを持っている。

 レティシアは彼女の隣に座り、早速鞄の中身を逆さまにして出した。


「忙しいのに手伝ってくれてありがと。今度お菓子おごるから」

「あら、じゃあ期待しておくわね」


 女性――レティシアの親友である魔道士セレナ・フィリーはにっこり微笑み、隣の席に置いていた本の束をどんとテーブルに置いた。


「今日はそんなレティシアに先んじて、ちゃんと資料を取っておいたから」

「わお、ありがとうセレナ!」


 迷路のごとく立ち並ぶ書架から目的の本を探すのは、至難の業だ。しかも、レティシアにように探し物が苦手な者にとってはなおさら。

 セレナが見つけてくれた本の表紙を見て、レティシアは自分の荷物を脇に押しのけると上ずった声を上げた。


「あっ、『リデル建国伝』……これって予約が殺到してて入手困難って聞いたんだけど……?」

「それね、よく見てごらん」


 ちょいちょい、と本の裏表紙を示すセレナ。言われた通り本をひっくり返すと、なるほど、ラベルには「文庫版初版」と銘打たれている。


「予約が来月の頭まで埋まっているのは、単行本版だったの。でもついこの前同じ本の文庫版が出て、セフィア城の図書館にも入荷されたの」

「なるほど……その、入荷したてホヤホヤの文庫版をセレナががっちりマークしたってことか」

「そういうこと」


 二人は顔を見合わせ、くすっと笑みを漏らした。なんだか、とてつもない悪戯を成功させた子どもになった気分だ。


「それじゃ、ありがたく見せてもらうよ……わあ、指を切りそうだな、この紙」

「私が貸し出し一番手だからね。あと、汚さないように」

「分かってるって」


 レティシアは腕を横に伸ばし、先ほど鞄から出したレポート用紙を掴んだ。手頃な辞書を引き寄せ、くるんと角が曲がっている用紙の両端を辞書で押さえる。


 今回課題として出されたレポートの題名は、「『聖槍伝説』についてまとめよ」。


「……てか、そもそも私、聖槍伝説についてよく知らないんだけど」


 レティシアはぼやく。


「リデル建国に大きく関係してるって言うけど、授業で聞いてもいまいち頭に入ってこなくって……」

「『伝説』と銘打たれているけれど、リデルとカーマル両国を語る上では外せない史実だからね」


 言い、セレナは手元にあった薄めの本を引き寄せた。そして辺りをきょろきょろ見回し、近くに人がいないのを確認して本の一項を読んだ。


 「聖槍伝説」――それは、リデル王国とカーマル帝国成立の礎となった、とある王女の物語である。


 今から三百年以上前、この大陸の東半分――現在リデル王国とカーマル帝国が大きな割合を占めている――は、セディン帝国という国に支配されていた。セディン帝国は当時屈指の軍事大国で、戦争で戦績を上げることによって代々領土を増やし、最盛期にはここら一帯を征服していたのだという。


 当時の東大陸はセディン帝国を中心として、その他無数の小国家や自治区によって成立していた。ある国家は帝国に服従し、ある国家はその他の諸国と手を組み、反帝国の意識を燃やしていた。


 セディン帝国とは冷戦状態であった小国の王女・ルーシは、槍術に秀でた女傑であった。

 彼女は諸事情あって祖国を旅立って各地で仲間を募り、膨大な数に膨れ上がった連合軍を率いて皇帝の首を討ち取った。王女に討たれた皇帝には二人の息子がおり、彼らはルーシ王女の要望を聞き入れ、混乱の中にある大陸を統制すべく、それぞれ国家を設立した。

 これが「聖槍伝説」であり、皇帝の息子たちが興した国がリデル王国とカーマル帝国であった。


 「伝説」と言えば大概のものは真実と虚構の織り交ぜ、場合によっては嘘八百をきれいに並び立てただけのものも多数あるが、この「聖槍伝説」は違う。

 当時の歴史学者たちが書き残した情報を長い年月を掛けて集約し、真実のみを取り上げた、まさに「正史」である。


 というのも、現在のリデル王家とカーマル皇家は、件の皇帝の息子二人の血を継いでいる。この「聖槍伝説」は両家の成り立ちを語っており、なおかつ両国成立の歴史を明らかにしているのだ。

 全く気風の違うリデルとカーマルだが、「聖槍伝説」を重要視しているという点では二者は共通していた。


 そして、なぜこの時期に「聖槍伝説」のレポート課題が出たのかというと……。


「……もうすぐ三百五十年祭だものね」


 「聖槍伝説」の項を読み上げたセレナが、ぽつりと漏らす。レティシアも、わずかに顔をしかめて頷く。


「どうやら今年が、セディン帝国滅亡――というか、ルーシ王女が皇帝を討ち取って三百五十年目になるみたいだね」


 ルーシ王女が故郷の国を出て数年後、彼女は帝国を滅ぼした。三百五十年前の大体この時期、王女が皇帝の首を討ち取ったのだと伝えられている。

 その節目になる年には、国家設立の祝賀祭が開かれる。リデルとカーマルの王都ではもちろん、国内の町や村でも祭りが催されるのだ。


 その祭での恒例行事が「聖槍伝説」の劇。王女ルーシの冒険譚をモチーフにした劇があらゆる団体で披露される。

 それはセフィア城も例外ではなく、生徒主体の実行委員を立てて三五十年祭の企画運営、そして「聖槍伝説」の劇も行うそうだ。


 レティシアはセレナが出してくれた資料を読み、レポート用紙に内容を書き写していった。セレナは慣れた手つきで資料をめくり、時々何かつぶやきながら資料に付箋を挟み、レティシアが読みやすいようにしてくれた。


 その作業を続けること、数十分。


 レティシアたちのテーブルの横を通って司書のカウンターへ向かっていた少女たちが、あっと声を上げる。彼女らは出入り口付近にいる人物を目にして額を付き合わせ、こそこそとお喋りを始める。


「見て! すっごいイケメン!」

「私、知ってる。『紅い狼』って呼ばれる騎士様だよ」

「本当に、きれいな赤い髪……」

「あっ、こっち来るよ!」


 少女たちがきゃっきゃ言いながら道を開ける。背後の出来事に気付かないレティシアとセレナの方に、その人物はやって来て――


「ここにいたのか」


 低く、耳朶を震わせる心地よい男性の声。

 弾かれたようにセレナが顔を上げ、ちょうど一文書き終えたレティシアもゆっくり面を起こす。


 書架の間をゆったりと歩いてくる青年。彼が歩く度に、顔の右半分を覆い隠す赤い前髪が揺れ、細く吊った灰色の左目が瞬く。

 その背にはためくのは黄金のマント。セフィア城でも数少ないゴールドナイトの称号を持つ彼は、いつもは冬の湖面のごとく怜悧な顔をわずかに緩め、レティシアたちを見ていた。


 ……正確に言うと、レティシアの隣にいる「恋人」を。


 セレナが慌てて立ちあがり、青年に向かって頭を下げる。


「レイド様……すみません、ここまでご足労いただき……」

「構わん。俺が来たくて来ただけだ」


 いつも通りそっけない言い様の彼だが、恋人であるセレナに対してだけは、少し――本当に少しだけ、表情を緩めることにレティシアは気付いてた。

 セレナは振り返り、レティシアに向かって申し訳なさそうに眉を垂らしてみせた。


「ごめんなさい、レティシア。後は任せてもいいかしら」

「もちろん」


 レティシアは即答し、テーブルに散らばったセレナの荷物を片付ける手伝いをした。恋人同士の時間を邪魔するほど、レティシアは我が儘ではない。

 セレナはわたわたとカバンに荷物を詰め、軽やかな足取りでレイドの元へ向かった。


「お待たせしました、レイド様」

「レティシアは放置していいのか」

「小動物みたいな言い方しないでくれる?」


 わざと唇を尖らせて言い、レティシアはひらひらと手を振った。


「セレナ、手伝ってくれてありがと。あとレイド、セレナはお返しするね」

「言うようになったな、おまえ」


 レイドはふっと鼻で笑い、隣に立つセレナの手を取った。セレナも、レティシアに向かって済まなそうな顔をした後、レイドの方を見てふわりと微笑んだ。


 それは、今までのセレナのどんな笑顔よりもずっときれいで、輝いていて。


「……では行こうか、セレナ」

「はい、レイド様」


 二人、手を取り合って図書館を出ていく。

 周りにいた野次馬たちが仲睦まじい恋人を見て顔を赤くさせたり、ぎりりとハンカチを噛んだり。


 レティシアはしばらく友人カップルを見送った後、ずるりとテーブルに伏せった。両腕の上に顎を乗せ、前髪の間から図書館のドアをぼんやり見やる。


 慎ましくて優しいセレナと、冷静無表情なレイド。

 二人ともレティシアの大切な友人であり、仲間である。そんな二人が長い両片想い期間を経て恋人同士になったことに、何の不満があるだろうか。セレナの笑顔が明るくなり、あのレイドもセレナの前では表情を崩すのだから、まさにいいこと尽くめ。


 それなのに。


 つきん、と胸が痛む。同時に、胸の奥にぽっかりと大きな空洞ができたかのような、足元の床が音もなく砂塵と化していくかのような、言い様のない虚無感に襲われる。


(……どうして?)


 レティシアは、自分自身でも説明のできない感情に、眉をひそめるしかできなかった。

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