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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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剣の記憶 5

 ディレン隊が会場を封鎖している、丁度その頃。壇上では。


「……まさかあやつ、私を最初から切り捨てる気で……」


 エルソーン王子が怒りに体を震わせ、そして振り返ると背後に控えていた騎士たちと息子に怒鳴った。


「なにをしている! すぐさまティエラ王女とこの小娘を始末しろ!」

「……お言葉ですが、父上」


 すっとエヴァンス王子が歩み出て、困惑顔の騎士たちを一瞥すると小さく頷いた。


「この際、この場で白黒はっきり付けましょう。確かにこの騎士たちは父上に従って参りました……しかしそれは、父上が次期国王に相応しいと信じていたからこそです」


 息子の言わんとすることを察し、エルソーン王子は顔に憤怒を浮かべて息子の胸元に掴みかかった。


「この親不孝者め! 父を捨てるというのか!」

「その息子を捨てようとした人の台詞じゃないでしょ」


 冷静に指摘したのは、オレンジ色の髪の少女。

 レティシアは隣に立つティエラの手を軽く握り、そして一歩下がった。ここからは全てティエラ任せだ。


(……大丈夫です、ティエラ様)


 あなたはもう、誰の支えがなくても立っていらっしゃる。

 立ち向かう敵にも臆することなく、対峙している。


 ティエラ王女はじっとエルソーン王子を見据え、そしてディレン隊によって足止めを喰らっていた群集に向き直った。


「まず、皆様にお詫びいたします。わたくしは確かに、王女として生まれたことを悔いる発言を致しました。それはわたくしの心身の未熟故であり、貴い血を身に宿しながらも皆様の期待を裏切ることを致しましたことを、否定するつもりはございません」


 それでも、とティエラ王女は声を張り上げる。


「わたくしはこの国を守りたい……皆様と共に歩んでいきたい。そのために、エルソーン殿下。あなたの罪を見逃すことはできません」


 ティエラ王女は言葉を切り、胸元に両手を重ねて静かに瞑目した。何が起こるのだろうか、と逃げだすのも忘れてティエラ王女に見入る群衆たち。何かを察したのか、微かに眉を吊り上げて孫娘を見守るエドモンド王。不快な表情を浮かべるエルソーン王子。王女の半歩後ろに立ち、その凛とした後ろ姿を見つめるレティシア。


 あっ、と誰のものか分からない声が上がる。

 瞼を伏せて祈るティエラ王女。風もないのに、ふわりとその黒髪が持ち上がる。

 そうしてティエラ王女がゆっくりと両手を前方に向かって、何かを差し出すかのような形で伸ばすと――


 ざわめく群集。瞬きするほどの間に、ティエラ王女の華奢な両手には、きらきらと輝く銀刃を持つ宝剣が握られていた。

 刃渡りはそう長くもないが、今にも油が滴りそうな光沢を放っており、うかつに触れてしまえば指先をすっぱり切り落とされてしまいそうな、怪しい美しさを孕んだ剣。

 ティエラ王女は目を開け、たどたどしい手つきながら剣を持ち直し、御前試合に臨む騎士のように地面に垂直に剣を構えた。


「この剣はかつて、わたくしの父……エンドリック王子が持っておりました。この剣は初代国王の血を継ぐ者に反応し、王として最も相応しい者の前に現れます。そして……この剣は、全ての出来事を記憶しているのです」


 ティエラ王女の言葉を受け、宝剣の刃がきらりと輝いた。直後――


『エルソーン……どうした、こんな夜遅くに』


 静かに会場内に響き渡る、青年の声。

 レティシアを始めとする若者が微かに首を傾げる一方、多くの貴族は雷に打たれたかのように身を強ばらせ、そしてエルソーン王子は落ちくぼみかけた目をかっと見開いた。


『……なんだ、エルソーン。そのような物騒な物を抜いて……』

『兄上がお悪いのですよ』


 苛立ちと怒りが籠もった、別の青年の声。

 剣から紡がれる謎の会話を耳にした者は皆、一体何が話されているのかを悟った。


『兄上がいるから……私は、父上に必要とされなかった。剣にも選ばれなかった! あなたが……おまえがいなければ!』

『愚かな……では、私を殺めて王太子になろうというのか』


 激昂する弟に対して、兄は努めて冷静に言い返している。


『賢いおまえなら知っているだろう。争いのない平和な時代において、王位を欲して親兄弟を殺めた者は誰一人、剣に選ばれることはなかったのだと。今回剣は私を選んだが、私よりおまえの方が王に相応しいとなればおのずと、剣はおまえを選ぶはずだ』

『綺麗事を! そのような日は、何年経とうと訪れないと知ってて言っているのか!』

『まさか。私はおまえのことをよき弟として認めているし、時代が変わればおまえが剣に選ばれる日も決して遠くないと思っている……そう、昔から私も父上も言っているだろう』


 優しく冷静に諭す兄王子だが、逆に弟王子の逆鱗を逆なでしてしまったようだ。


『その兄上も父上も、私を見捨てた! 誰一人私には振り向いてくれなかった! おまえが、おまえがいたからだ! おまえがいなければ!』


 獣の咆哮のように獰猛で、それでいて切ない叫びはだんだんと遠のく。

 皆がしんと静まりかえる中、ティエラが真顔で一度、剣を軽く振るうと今度は別の声が会場内に響いた。


『すまない、リーヤ。私が王子でなければ、おまえにこのような苦しみを味わわせることはなかったのに』


 先ほど「兄上」と呼ばれた青年の声。だが、それよりも若干声が低くなっているようだ。


『あなた、そんなことおっしゃらないで。私は幸せです』


 青年の声に続いて奏でられるのは、若い女性の声。


『だって、あなたがリデルの王子で、お城を出てここに来てくれたからこそ、私はあなたと出会えたのです。そんな顔しないで。あなたが誰であろうと、私たちはずっと家族ですよ……エンディ』


「これは……この剣に刻まれた、わたくしの両親の記憶です」


 エルソーン王子、とティエラ王女は揺るぎない口調で叔父に語りかける。


「そう、王太子の座を狙ったエルソーン殿下に城を追い立てられ、アルスタット地方の田舎村で父は母と出会ったのです。そして生まれたのがわたくしです」


 剣を持つティエラの手が微かに震えている。ロングドレスのスカートに隠れているが、きっと彼女の両脚も緊張で震えているのだろう。

 ティエラ王女は怯むことなくエルソーン王子を見つめ、再び剣を振るった。


『……いつか来るのではないかと思っていた。エルソーン』

『ええ、生きていらっしゃったのですね、兄上』


 残忍で、嫌みと殺意の籠もった声。若い頃のエルソーン王子の声だ。


『お一人でいらっしゃるということは、とうとう腹を括られたのでしょうか』

『そうだな。もし、おまえがこの結末で満足するならば』

『……いつになっても剣は私を選びに現れない。だから確信したのです。あなたが生きていると。このような泥臭い村にまで来た甲斐があったというものです。さようなら、兄上』


 エルソーン王子の狂ったような哄笑が響き渡る。やがてその声もだんだんと遠のき、沈黙した剣は微かな光を放ちながら大人しくティエラ王女の手に収まった。

 事の一部始終を見守っていた群集は互いの顔を見合わせ、壇上の者たちを恐れの混じった眼差しで見上げた。


「……今のは、一体……」

「リデル王国に伝わる王位継承の魔具、『継承の剣』の力だ」


 答えたのは、それまで沈黙を保っていたエドモンド国王。

 初老の国王はゆっくりと立ち上がると、演説台を回って皆の前に立った。


「剣は、リデルの国王に相応しいと思った者の前におのずと現れる。そして常にその者の側に寄り添い、王たるに相応しいかを見張っているのだ。それと同時に剣は人間と同じように、出来事を記憶する。王位継承者が正しく使えば、剣は継承者の願いに応えて真実を奏でるのだ」

「陛下」


 近衛兵の一人が国王の横に立ち、静かに頭を垂れた。周囲の若い兵士とは違う、重厚で豪奢な鎧に身を包んだ、国王と同世代だとおぼしき老年騎士である。


「よろしいのでしょうか、王家の極秘事項を公にして……」

「……むしろ、これまで内密にしていたことがわしには疑問だ」


 国王は元の位置に戻り、苦楽を共にしてきたかつての戦友に静かに微笑みかけた。


「国民も皆、知るべきであろう。己らが君主がどのようにして選ばれているのか」


 哀愁の満ちた眼差しで国王が見つめる先には、剣を下ろして叔父に向き直る凛々しい孫娘の姿があった。


「エルソーン殿下。あなたは王座欲しさにわたくしの父を殺しました。その罪を、わたくしは決して許しません。そして……何があろうと、あなたにこの剣を譲るつもりはありません」


 エルソーン王子が膝から頽れる。


「今のわたくしでは、とうてい父には及ばないでしょう。しかし……必ず、父が愛したこの国を守ってみせます。あなたには……一切、譲りません」

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