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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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剣の記憶 2

「見つからない……? ふざけるな!」


 エルソーン王子の執務室から怒号が飛び、部屋の前の廊下を歩いていたメイドがぎょっとして飛び跳ねた。そして、八つ当たりは勘弁だとばかりに押していたカートの取っ手を固く握り、そそくさとその場から撤退した。


「あれは重要な証拠であり、決して外に出してはならない機密だ!」

「殿下、お気を鎮めてください」


 そう諭すのは、エルソーン王子に長く仕える執事。彼はデスクを挟んだ向こう側のエルソーン王子に頭を下げた。


「今回の一件は決して、外に漏らしてはなりませんゆえ……」

「貴様は自分の失態を差し置いて私に命令するつもりか!」


 怒り狂ったエルソーン王子の投げた辞書が、執事のこめかみに命中する。

 よろめいた執事を支える近衛兵にも、エルソーン王子の怒りの矛先は向けられた。


「貴様らがあの女を捕らえたのだろう! なぜ監禁部屋にいない!」

「それが……件の女性を受け渡す過程で何者かに奪われたようで……」

「クラート公子共の監禁室には? バルバラ女王や……ティエラ王女に繋がる者たちの部屋にはいなかったのか!」

「午前中に全て確認しましたが、どこにも発見されず……」

「あの女性は魔道士ですので、匿われていても魔力反応が出て必ず見つかるはずなのです」

「『はず』で私を満足させろと言うのか! 現に貴様らはあの女を見失い、魔力反応とやらも見つけられていないのだろうが!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るエルソーン王子。近衛兵たちは力なくその場に膝をつくしかできなかった。


「あやつはどうした! あの女に呪いを掛けた奴は……」

「それが……」


 近衛兵の一人がガクガク震える足で立ちあがり、懐から封書を出してエルソーン王子のデスクに差し出した。


 それを奪うようにもぎ取り、荒々しく封を千切ったエルソーン王子。封筒の中の便箋に書かれていたのは、「殿下のご命令通り任務を遂行しましたゆえ、失礼します。就任式の日に王太子となられた殿下とお会いできることを、心より願っております」との、素っ気ない二文。


「……あやつ、逃げおったか……!」

「はっ……自分の役目は既に終わったので、王太子就任式にまた来ると……」


 近衛兵の言葉は不自然なところで途切れた。エルソーン王子がデスク上にあった燭台で兵の頭を殴り飛ばしたのだ。


 歪な形の燭台で力の限り殴られた若い近衛兵の体が吹っ飛び、どさりと倒れる。その頭部の皮膚が裂けて血が流れ出し、ざわめく近衛兵たち。


「この役立たず共! さっさと出て行け! すぐさまあの女の捜索を続けろ!」


 エルソーン王子の怒号を受け、近衛兵たちは慌てて敬礼すると一目散に駆けていった。一人は足元がおぼつかない執事を脇から支え、数人掛かりで気絶した近衛兵を担ぎながら。


 誰もいなくなった執務室。近衛兵を殴った際に一部破損した燭台を叩きつけるように床に放り、エルソーン王子は皺の寄った顔を歪めて歯ぎしりした。


「……なぜ、うまくいかない……あと一歩の所で、なぜ……っ!」










 焦る心を嘲笑うかのように時間はゆるりと流れ、そしてついに、ディレン隊たちは監禁部屋にて王太子就任式の日を迎えた。


「せめて、部屋の外の状況が分かればいいのに……」


 レティシアは顔をしかめ、親指の爪を噛んだ。


「エルソーン王子が動いてないとしても、でもやっぱりティエラ様にとって不利な状況だってことに変わりはないのよね」

「無論、俺たちにとってもな」


 さらりとオリオンが付け加える。彼は憔悴しきったディレン隊とは少し離れたところで、高速腕立て伏せをしていた。彼にとって、体を思う存分動かせないのが目下の悩みなのだろう。


「エルソーン王子は俺たちのことも扱き下ろすだろうし、俺だったら即、男爵家から追放だろうなー」

「……だったらセレナも」


 ノルテはそこまで言い、部屋の中を満たす重苦しい空気に耐えかねたのか、ぎゅっと口を閉ざすと近くにいたオリオンの背中に飛び乗った。


「うぐえっ……! おま、いくら軽いからっていきなり乗るなよ」

「うっさい。優しい優しいノルテさんが、あんたの全身筋肉計画に協力したげてるんでしょーが。感謝しなさいよ」

「するかってのクソガキ。とにかく降りろ」

「やーよ」


 オリオンの背中に馬乗りになってその髪を引っ張るノルテ。ノルテに文句を言いつつも、腕立て伏せを止めないオリオン。

 まるで沈痛な仲間たちを慰めるかのように賑やかに振る舞う二人を見つめ、そっとミランダが口を開いた。


「……エルソーン王子はそういう人なのよ」


 レティシアとクラートが同じタイミングでミランダの顔を見上げる。その横顔は怜悧としており、相変わらず表情が読めない。


「自分の敵になりうる人物はことごとく潰す。たとえそれが身内だろうと実子だろうと、ね。しかも、それだけじゃない。自分の味方だろうと、用がなくなったら始末する……」

「……典型的な腐敗貴族の姿だね」


 苦々しく言い、クラートは窓辺で微動だにせず佇むレイドを横目で見た。


「でも悲しいかな。歴史を鑑みても、政治に成功した君主の多くは、エルソーン王子と同じ思考を持っていたんだ。今のような時代はともかく、戦乱時代では残虐王と呼ばれようと、敵を徹底的に始末しなければ君主も生き延びられなかったんだ」

「じゃあ、そんなの時代錯誤じゃないですか」


 レティシアは語気を強めて言い返す。


「今は戦乱の世じゃないし、エドモンド国王陛下だってすごく優しくて穏やかな方だって聞いてます。実際に、王太子に選ばれるのはティエラ様の方なんでしょう」

「もちろんだ」


 しかし、ティエラ勢は今、大きな濡れ衣を掛けられている。後ろ盾になれる者たちも動きが取れず、無論王太子就任式に出られるはずもない。


 ふう、と息をついてオリオンが腕立て伏せを止めて立ち上がる。その背中からころりとノルテが転がり落ちる。

 二人の口論が再開されようかとしていた瞬間。


「昼食の時間です」


 事務的な声に続き、ガチャガチャとドアの鍵が外される音。この軟禁部屋は外から厳重に鍵が掛けられており、しかもミランダの見解では「魔力を込めた特製の錠前」らしく内側からの破壊も不可能なのだそうだ。


 解錠して部屋に入ってきたのは、いつも定時に食事を持ってくる使用人。カートを押してやって来た彼を守るように、甲冑姿の騎士が四名、鎖帷子の音を立てながら入室する。

 ディレン隊の面々が見守る前で使用人は黙々とカートの上の料理をテーブルに並べ、そして一礼するとそそくさと部屋を出て行った。


 施錠の音が鳴り響き、足音が遠ざかってゆく。一番テーブルに近い場所にいたレティシアはドーム型の覆いを取り、はあっとため息をついた。


「相変わらずおいしそうだけれど、食欲ないなぁ」

「俺はいただくぞ」


 言うなりオリオンはにゅっとレティシアの脇から手を伸ばし、骨付き肉を素手で握った。


「おまえたちも、少しでも食べておけよ。腹が減ってたら戦はできねぇぞ」

「……その戦に赴けないから、困っているんだけれどね」


 ミランダがふうっと重い息をつく。

 オリオンはミランダを振り返り見、大きな口で肉を食いちぎった。


「何言ってやがる。いつチャンスが来るか分からないだろ。いざというときに動けなかったらまずいだろうが」

「じゃあ、あんたはそのチャンスがほいほいやって来るとでも思ってるの」


 場の雰囲気にそぐわないオリオンの行動が頭に来たのか、ノルテが愛らしい顔を歪めてずいとオリオンに詰め寄る。


「こっちは動きたくっても動けないのに。てゆーか、セレナがどういう状態か分かったもんじゃないのに、あんたもよく、そうやってがっつけるわね」

「セレナの性格を考えりゃ、むしろ食べれるときに食べてくださいって言うだろうけどな」


 オリオンの指摘にノルテが眉をひそめる。ミランダもまた、呆れたように二者を交互に見ていた。どうも止める気はないらしい。


(……でも、セレナなら確かにそう言うだろうな)


 レティシアはぐっと唇を噛み、皆に背を向けるとテーブルの上に据えられていたポットに手を伸ばした。


「……悪い」


 レティシアの手が宙を掴む。レティシアより一拍早く茶器を取ったレイドは、灰色の目をすっと反らしてレティシアに背中を向けた。


「……俺が淹れる。おまえは座ってろ」

「でも、レイドにさせるのは……」

「レティシア」


 肩に乗る、大きな手。優しく、しかし断固とした力で引き寄せてくるクラートの手。


「今はレイドにさせよう。そっちの方があいつも気が解れる」


 レティシアは急にクラートに引き寄せられたことにぎょっとしつつ、ゆっくり視線をレイドに向けた。

 今までレイドが茶を淹れた所なんて見たことがない。たいていはセレナ、もしくはレティシアの仕事だったから。


 レイドはレティシアとクラートが見守る中、意外にも慣れた仕草で茶葉を淹れ、湯を湧かそうと簡易シンクに向かった。


「……ん?」


 レイドの小さな疑問の声。

 すぐ側にいたレティシアたちはもちろん、ぎゃあぎゃあ口論を始めていたオリオンたちでさえ、はたと動きを止めてレイドの方を凝視する。

 レイドはゆっくり振り返り、ひとつまばたきすると右手に持つポットを軽く上下に、続いて左右に揺すった。


「……妙な音がする」

「中に虫でも入っていたのかい?」


 クラートの問いにレイドは肩をすくめ、ポットを額の高さまで掲げると、その底部分を撫でるようになぞった。


「……ここが外れそうだ」

「どれどれ」


 レイドが両手でポットを持ち、クラートが歩み寄ってポット底部を捻った。

 力を入れて回すと、底部分が瓶の蓋のように外れた。もともと解体できる仕組みになっていたのだろう。クラートは底部を見、その受け皿のようになっているところに入っていた紙切れを摘み上げた。


 皆、クラートの周りに集まって驚きの眼差しで紙切れを見つめる。

 クラートはこくりと唾を呑み、細い指でそれを広げた。

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