剣の記憶 1
「納得いかない! ええ、いってたまるもんかぁーっ!」
天井を震わせるような怒声を上げるノルテ。いつもならばディレン隊の誰かが彼女を窘めるのだが、今日は誰も、ノルテの暴走を止めようとは思わない。彼らもノルテと同じことを思っていたし、そもそもノルテを止める気力さえ湧かなかった。
真四角正方形の、味気ない小部屋。人数分のベッドと必要最低限の家具のみが設置された室内。
大人六人が暮らすにはあまりにも狭すぎる箱庭だが、野宿や宿泊まりに慣れたディレン隊の皆にとってはさほどの心痛ではない。
それよりも今、彼らの精神を削っているのはこの部屋に放り込まれたという事実である。
昨夜、呪いを掛けられたとおぼしきセレナの暴走事件の後、レティシアたちはすぐさまこの小部屋に連行され、監禁状態となった。
今朝から昼前にかけて一人ずつ呼び出され、衛兵に囲まれる中で事情聴取を受ける。ようやっと六人分の取り調べが終了し、疲労困憊でうなだれているところだった。
「あいつら、鼻っからわたしたちを疑ってたのよ!」
ノルテはベッドに大の字に寝転がり、駄々をこねるように手足をばたつかせながら咆哮する。
「わたし、ちゃーんと言ったよ! セレナは肉体戦慣れしていない魔道士だから、あんなことシラフでできるはずないって! なのに衛兵共、封魔体勢が完備された城内での魔法が使えるはずがないの一点張りで!」
「兵たちの言い分も分からなくはないけれど、どう考えたってあのセレナはおかしかったわ」
ミランダもやんわりとノルテの言葉に賛同する。
「あの時……本当に微かにだけど、倒れたセレナの体から魔力の澱屑を感じたわ。もちろん、セレナのものでない誰かの魔力の」
「……セレナはあの後、衛兵に引き取られてしまった」
自分のベッドに腰掛けていたクラートが暗い面持ちで言う。
「セレナの体をきちんと調べれば、魔力の反応が出てくるんじゃないかな」
「それ、私も言いました」
はい、とレティシアは挙手する。
「強力な呪いは効果が切れた後も、しばらくの間は体に魔力反応が残ることが多いんです。特に今回みたいな、体力を削る系統の呪いの場合は、残存魔力が体に染みつきやすいって何かで読んだことがあって。だから、それも言ったんですけど……」
「切り捨てられたってところか」
丸椅子に腰掛けていたオリオンが、大きく伸びをする。粗末な造りの椅子なので、重量のあるオリオンの尻に潰されて今にも壊れそうにキシキシ悲鳴を上げている。
「そりゃあ、黒幕からすれば調べられちゃー、お終いだもんな。とにかく俺たちからセレナを引き離そうって魂胆か」
黒幕。
レティシアはこくりと唾を飲み、それぞれ沈痛な面持ちをする仲間たちの顔を順に見つめた。
(……言うなら、今だよね)
レティシアは後ろ手にきゅっと手を握り合わせ、深く息を吸い込んだ。
「……昨日の夜のことなんだけれど」
つっかえつっかえ、昨夜王妃の庭園で起きたことを説明する。
最初は不可解な表情をしていた仲間たちだが、徐々に顔色を変え、話し終えた直後にノルテが飛び付いてきた。
「レティ……! ごめんね、そんな辛い思いをしてたなんて……」
「よく頑張って耐えたわ、レティシア」
正面からノルテに抱きつかれ、背後から包み込むようにミランダに抱きしめられる。女友達二人に守られるように抱きつかれ、急に目頭が熱くなった。
一度堰を切ったら、もう我慢できない。
薔薇園や中庭の時には押し込められていた恐怖と、恥辱。それらが一気にぶわっと吹き出し、レティシアの涙腺を刺激する。
優しく頭を撫でてくれるミランダ。うんうん頷きながら抱きついてくるノルテ。
ぽたり、とノルテの黒髪に水滴が落ちる。
「ごっ……ごめん、ノルテ……」
レティシアは慌ててノルテから体を離して目元を擦るが、その腕が横から伸びてきた手に捕らえられる。
「もう我慢することはないよ、レティシア」
レティシアの手首を優しく掴むクラートが、スカイブルーの目を優しく細めて言う。
「ミランダも言っただろう。君は十分頑張った。辛くても泣きたくても、セレナのためにと泣くのを堪えていたんだ」
今はもう、我慢しなくていいから。
するりと、クラートの指先がレティシアの髪の房を梳るように撫でる。オリオンのたくましい手が、ぎゅっと肩を抱いてくれる。
泣いてもいい。
その言葉が、枷を破る魔法の鍵になった。
(ごめん、みんな。ごめん、セレナ……)
体の奥からこみ上げる熱。呼吸が苦しくなり、喉が熱くなる。
(今だけは……)
仲間たちに包まれ、見守られ。
レティシアはぼろりと、大粒の涙を親友の肩の上にこぼした。
レティシアが泣きやみ、すっかり呼吸が整った頃。
「……今のレティシアの話で、分かったことがあるな」
そう言い、ノルテが淹れた茶を一口飲むと、オリオンは顔をしかめた。この小部屋にも茶器は据えられていたが、茶葉の質はお世辞にも良いとは言えなかった。
「正確な時間は不明だが、セレナがおそらく何者かによって呪いを掛けられたと思われる同時刻、王妃の庭園でもレティシアが魔法を使うことができた」
「レティシアが魔法を使えたのは、その一瞬だけだったのかい?」
クラートに優しく聞かれ、その隣で茶を啜っていたレティシアは眉をひそめた。
「……多分。頭の中がグチャグチャになってて、よくは覚えていないんですけど……迫られてる時にも、魔法で吹っ飛ばしてやろうとしたとは思います」
「……じゃあやっぱり、あの時刻に城内の所々で部分的に封魔が解除されてたってこと?」
ノルテもしかめ面で考え込む。
「ノルテさんは城の封魔体制をよく知らないんだけど……ミランダ、どう?」
「私も、全部を知っているわけではないけれど」
ミランダはカップを置いて顔を上げた。茶を淹れてくれたノルテへの礼儀なのか、まずい紅茶を全て飲み干していた。
「私の父は、この封魔体制に一枚噛んでいたらしくて、研究グループで話は聞いたことがあるわ。どうやら城内のどこかに封魔制御装置みたいなのがあって、封魔解除は一括でそこですることができるそうよ」
「解除できるものなんだね」
「それはまあ、式典やパーティーによってはどうしても魔法が必要になることはあるからね。といっても、気楽に切り替えできるはずはないわ」
ミランダはクラートに返し、胸の前で腕を組んだ。
「だって、そもそも王城での不正な魔力行使や事件を防ぐために封魔体制が設置されているのですもの。やたらめったら切り替えするわけにはいかないし、そもそもその装置部屋に容易く入れるはずがないわ。無茶な封魔解除をすると、いろいろ不都合が起きるそうだから」
「……じゃあ、昨夜その封魔制御装置をいじった奴がいるんだな」
厳つい顔をさらにしかめてオリオンが言う。
「セレナを呪うつもりで局地的に封魔を解除したんだが、同時に歪みが生まれて偶然、薔薇園でも封魔が解かれた。だからレティシアも魔法を使って、王子を吹っ飛ばすことができたってところか」
「確信は持てないけど、おおよそそんな感じでしょうね」
徐々に形を持ってゆく今回の事件の全貌。
レティシアは静かに目線を上げた。
「……そういえば、エルソーン王子が……言ってたんです」
すかさず、隣のクラートがぎゅっとレティシアの手を握ってくる。彼は、「エルソーン王子」と口にしたとき、レティシアの指が微かに震えたのを見逃さなかったのだろう。
レティシアは自分より一回り大きなその手をぎゅっと握り返し、ゆっくり息を吸った。
「……セレナに、最も相応しい役目をさせるとか、何とか。だからきっと、王子の言っていた役目っていうのが……」
「呪いを掛けて殺戮を行わせるってことだったか」
オリオンが言葉を引き継ぎ、チッと舌打ちする。
「ほんっとーに、どこまでも腐ってやがる」
「……だが、エルソーン王子の発言とセレナの暴走を鑑みれば、だいたいのことは察しが付いた」
静かに言うクラート。
レティシアは手を握ったまま、クラートの冴え渡る横顔を見つめた。
「もう隠す必要もないだろう。封魔解除させたのはエルソーン王子。レティシアを捕らえ、セレナを暴走させ、こうやって僕たちを閉じこめた。セレナの身柄も確保して検査できないようにして、昨夜の一件を全てセレナの――ひいては、ティエラ王女を支援する僕たちに背負わせるつもりだ」
「……確かに、今回はティエラ王女にとっても痛手になるわね」
ノルテの細い眉が寄せられる。彼女は立ちあがり、ポットに湯を注いで席に戻った。
「オルドラント公国公子のクラート様、魔道に通じたエステス伯爵家令嬢のミランダ、そしてバルバラ王国王女のわたし。どうやらわたし繋がりで姉さんも事情聴取受けたらしいし、これだけの後ろ盾を失うのは、今の時期の王女にとっては嬉しい話じゃないわ」
「加えて、貴族の失態ということで世間の風評も左右されてしまう」
オリオンも続ける。
「今の世間は、エルソーン王子とティエラ王女の二者の王太子候補ということで揺れている。そんな時にティエラ王女側の人間が大量殺人を行ったとなれば、当然世間はエルソーン王子側に靡くだろう。俺たちはティエラ王女護送隊にも加わっている。これだけ王女と接点のある人間が揉め事を起こすとなると、そりゃあエルソーン王子からすれば美味しいネタになるだろうよ」
「さらに言えば、この混乱に乗じてレティシアを手に入れようってところだったのね」
そう言うミランダの表情は努めて冷静で、感情が読めない。
「世間の関心がエルソーン王子側に移ってしまえば、レティシアの身分を暴露してしまえばいい。高貴な生まれのレティシアが殺戮事件に絡んでいたとなれば、汚名返上のためにレティシアが王子に嫁いだ……ってのも、十分通用する言い訳になるから」
「私は死んでも御免だけどね」
レティシアは毅然として言ったが、クラートの手を握ることは忘れなかった。
「エルソーン王子は反魔道士思考だが、中には王子から賄賂を受け取って奴に従属している魔道士もいるらしい」
オリオンも納得顔で頷く。
「とすれば、エルソーン王子派の魔道士がセレナを呪ったのだろうな。王子が薔薇園にいる間に、封魔を部分的に解除してセレナを襲ったってところか」
皆が神妙な面持ちで頷く。
くしゃり――
少し離れたところから小さな音が鳴り、レティシアたちは振り返った。
部屋の隅。一番端っこのベッドに腰掛ける、長身の男性。これまでずっと会話に加わらず、微動だにしていなかった赤髪の青年。
先ほどの音は、ゆっくり振り返ったレイドの手の中から発されたようだ。彼の手に握られているのは、真っ赤な薔薇を象ったコサージュ。セレナが持っていたそれは返り血を浴びて、赤黒く変色している。
昨夜会場前で受け取ったものを、レイドが持っていた。あれよあれよという間に事情聴取を受けたが、とっさにこのコサージュは隠すか何かして、没収から逃れたようだ。
レイドの灰色の目は、小さなガラス玉のように虚ろだった。元々感情に薄い面立ちをしているが、その肌は紙のように白く、少しの風圧でもぼろぼろに崩れ去ってしまいそうなほど、儚く見えた。
言葉も掛けられないほど意気消沈している隊長を、皆は「そっとしておこう」との暗黙の了解で放置していた。そのため皆、緊張と恐怖の混じった眼差しで顔を見合わせた。そして何が起こるのかと身構えた。
暴走か。説教か。あるいはオリオン辺りに八つ当たりか――
だがレイドの行動はよい意味で、レティシアたちの予想を裏切ってくれた。
「……どうやら話がまとまりつつあるようだが」
徐に発されたレイドの声は、危惧していたほど弱ってはいなかった。いつものような覇気はないにしろ、絶望しきっている様子ではない。
レイドは驚きの眼差しで自分を見る仲間たちを一瞥し、コサージュを近くの棚に置いた。
「なるほど、全てはエルソーン王子の策略というわけか……まあ、全く予想していなかったことではないな」
だが、とレイドは顔を上げた。その目は、いつものディレン隊隊長としての輝きがわずかに戻っているようだった。
「それほど事がエルソーン王子側にとって有利に傾いているならば、なぜ奴は動かない? 王子にとってこれ以上ない証拠や事実が集まっている。王太子就任式はもう間近……なのに俺たちは閉じこめられているだけ。外の動きも見受けられない」
それはなぜだ。
冷静で的確な隊長の指摘。皆、それを受けてはっと息を呑んだ。
エルソーン王子が一番に狙っているのは、リデル王国王太子の座。目下の敵は、姪であるティエラ王女。
そのティエラ王女をけ落とせるだけの準備はしたというのに、なぜまだ動かないのか。
(王子が動けない理由がある……?)
それは、何か。
レティシアは言葉もなく、レイドを見つめた。つい先ほどまで打ちひしがれていたとは思えないほど、レイドの左目には静かな炎が宿っていた。




