ピョン吉とお弁当
ネット小説大賞、金賞です!
「できた!」
屋敷の台所でリンゴをカットしてでき上がったのは、可愛いウサギさんリンゴ。
鮮やかな赤色の皮と薄黄色の色が非常にマッチしている。
ウサギリンゴの背中のアーチは、本物のウサギを思わせるほどの柔らかく美しい。
胴体の部分は安定して立てるようにカットしつつ、ウサギ全体のシルエットをそこなわずに残されている匠の技。
このお皿の上に乗っているだけで、草を食んでいるかのように思える。これだけでもはや一つの作品である。
特にこのぴょこんと出た耳がすばらしい。
ピンと張ったウサ耳は、今までの人生の中でも一番の出来だ。
俺の腕がいいのかリンゴの質がいいのかはわからないが、いい作品ができたものだ。
リンゴの種でつぶらな瞳を再現してしまった。
これはもう可愛すぎないであろうか? 食べるのが勿体ないほどだ。しかし、リンゴの性質状切断面を空気に触れさせていると茶色く変色してしまう。
可愛いけれど早く食べなければならない。
ああ、そんな可哀そうなことできない! でもこのままだと、茶色く変色してしまう。
いや、でも変色したら茶色い野ウサギっぽくなるんじゃ……いや、リンゴはそんな綺麗に変色してはくれないな。
茶色というよりかは黄ばんだ色になってしまう。それでもとても野ウサギには見えない。
そして何より、最後に食べるとき美味しくない。
これはウサギも俺も幸せにならない最悪のパターンだ。これだけは避けねばならない。
はっ! そう言えば薄い塩水を少しつけてやれば、変色するのを大分抑えられると聞いた事があるぞ。
俺は台所から塩を少し取って水に溶かして、ウサギさんに塗ってやる。
これでお前も長く生きられるからな。
俺はお皿の上でちょこんと並ぶウサギたちに微笑みかけながら、自分の部屋へと歩いていった。
自分の部屋にある椅子に座って、机の上に載せたお皿を眺める。
「あー、可愛いな。お前達このまま塩水を付けてあげれば、永遠の鮮度を保てるんじゃないの?」
なんて和やかな冗談を言いながら、俺は可愛いウサギさん達の耳を突いたりしていた。
勿論、一かじりもしていない。いや、こんな美しい作品を噛み砕いて粉々にするだんてなかなか勇気がいるものだぞ?
それにしても可愛いなお前達。名前でもつけてやろうか。
そう名前は、名前は――
「あら、リンゴじゃないの。一つ貰うわね」
「ピョン吉いいいいいいいぃぃぃぃ!?」
突如音も無く、俺の後ろからやってきたエリノラ姉さんによって食べられた。
お、俺の可愛いピョン吉が名前を授けて三秒で命を散らしてしまった。
命を吹き込んだ瞬間に、こうなるとは。名前なんて付けなければ良かった。
「何ようるさいわね。八つもあるんだから一つくらい分けてくれてもいいじゃない。というか、ちょっとしょっぱくない?」
エリノラ姉さんはピョン吉を半分かじって咀嚼しながら不満そうな顔をした。
少ししょっぱいのはこいつらの延命処置として、俺が塩水を付けたからだ。
「そうじゃなくてね!? こう…見た目を楽しんだりとかあるじゃん! 耳だってほら! ウサギっぽいし可愛いじゃん」
俺が他のウサギさんを見せながら訴えかけるが、エリノラ姉さんは興味無さそうにしながらピョン吉の瞳部分をくり抜いていた。
何て酷いことを……。
俺が愕然とする中、エリノラ姉さんは、
「別にどれだけ形を変えてもお腹に入ってしまえば一緒じゃないの」
年頃の少女とは思えないような発言をし、残りのウサギリンゴを口に放り込んだ。
サクサクと軽快な音がエリノラ姉さんから聞こえてくる。
食べ物は味覚だけでなく、香りや見た目、雰囲気、精神状態といった様々な要因によって左右されるものなのだ。
五感による知覚の割合は全体の八割を占める。つまり、見た目はとても重要な要素なのだ。
それをこの馬鹿な姉にわからせてやらねばならない。
じゃないとピョン吉が浮かばれない。
「エリノラ姉さん今日は一日、自警団の稽古だったよね?」
「ええそうよ。アルも来る?」
突然切り出した俺の言葉に驚きながらも、エリノラ姉さんは上機嫌に答える。
自警団の稽古に興味を持ったとでも思ったのだろうか?
「謹んで辞退させて頂きます」
「……何でよ」
俺が丁重な言葉とは裏腹にきっぱりと断ると、エリノラ姉さんが不満そうに口を尖らせる。
何でって、稽古が無い日にまでなぜ俺が稽古をせねばならんのだ。
ただでさえ、王都から帰ってきてからは稽古の時間が増えているというのに。
多分、エリノラ姉さんが稽古を増やせだのとノルド父さんに文句を言ったのであろう。
俺やノルド父さんが王都に行っている間、エリノラ姉さんは退屈そうにしていたとシルヴィオ兄さんが言っていたし。
その退屈しのぎにシルヴィオ兄さんが扱かれたようだけど。
俺が王都に行っている間、ずっとエリノラ姉さんに扱かれていたから最近のシルヴィオ兄さんはちょっと強い。
どこに打ち込んでも一発入る気がしないんだよ。さらに防御力に磨きがかかったようだ。
自警団の稽古に行けば、エマお姉様と会えるのはかなり魅力だ。
だが、絶対にゆっくりとお話しする時間なんてないと思う。エリノラ姉さんが俺の傍に付きっ切りで、稽古をつけてくるに違いない。
ともあれ、エリノラ姉さんが一日稽古の時はバルトロがお弁当を作っているのだ。
なら、今日は俺がお弁当を作ってやろう。
そして、見た目の大切さを教えてやるのだ。
浮かび上がる笑みを隠すために、興味を失くした風を装って視線を切り、ウサギリンゴを口に運ぶ。
シャリシャリとした食感と口内にしみ込む果汁が気持ちいい。
リンゴ特有の甘さと酸味が絶妙で、それをぶち壊すように塩味がやってくる。
……あっ、笑みを誤魔化すためとはいえ、普通に食べてしまった。ごめんよ。
「……まあ、いいわ。行きたくなったらいつでも来るのよ?」
俺が否定の意思表示をするとエリノラ姉さんはため息を吐き、俺の肩越しに新たなウサギリンゴの一つを掴まみ、口にくわえる。
それからスタスタとドアまで歩き、お行儀悪く片足だけで閉めて去っていった。
いや、そんな「トイレに行きたかったら何時でも行っていいのよ?」みたいに言われても行きませんよ?
◆
ウサギさんリンゴが余りにも可愛すぎて食べる事ができなかった。
なので、俺は残ったウサギリンゴをシルヴィオ兄さんへと渡して一階へと下りた。
決して塩水を付けすぎて味が損なわれて、美味しくなかったからという事ではない。ウサギリンゴが可愛くて食べ切ることができなかったのだ。
一階に下りると、厨房からは今日も甘ったるい匂いが漂っているのがわかる。
厨房へと顔を出して見れば、厨房の主ことバルトロがクッキーの生地らしきものを捏ねていた。大きな身体を持つバルトロが可愛らしく生地を捏ねたり、くり抜いたりする姿が少し笑える。
「……なに笑ってんだよ」
入口から覗いている俺に気が付いたのか、バルトロが不機嫌そうにこっちを睨む。
強面のバルトロがそんな表情をすると怖いのだが、甘ったるい匂いを充満させた厨房のせいか少しもそうは思わなかった。
むしろ、「そんな強面でお菓子作りをしているの!?」とびっくりして笑っちゃうね。ギャップってやつだ。
「おはよう、バルトロ。今日も精が出るね」
「なぁにが精が出るねだよ。坊主のせいでここのところ毎日毎日、菓子ばかり作るはめになってんだぞ! 少しは手伝いやがれ!」
俺が軽く手を上げて挨拶をすると、バルトロがまくしたたてるように文句を言う。挨拶をきちんと返しなさいよ。
「やだね。俺がエルナ母さんと交渉したお陰で手に入ったんだよ? むしろ感謝して欲しいね。最初は購入を渋っていたんだからね?」
「ぐぐぐ、この野郎」
「それより、ちょっと厨房を借りるね」
悔しそうにするバルトロの前を通って厨房へと入ると、バルトロが表情を輝かせる。
「おっ! 菓子作りを手伝う気になったのか?」
やだってさっき言ったじゃん。
「違うよ。それよりエリノラ姉さんのお弁当はもう作った?」
「いや、まだだが? 坊主が作るのか?」
「うん、やってみたい事があってね……」
◆
「いってくるわ!」
「ちょっと待ってよ」
木刀一本を持って、玄関を飛び出そうとしたエリノラ姉さんを慌てて呼び止める。
お弁当や水はどうしたんだ。一日稽古だろうが。
「何? アルも稽古に行きたいの?」
「行かないから。ほら、これお弁当。バルトロが渡してくれって。あとタオルと水筒も入っているから」
「……珍しく今日は気が利くわね」
俺がお弁当やらを入れたバスケットを渡してやると、エリノラ姉さんがジトッとした視線でこちらを見る。
失敬な。俺ってばいつもエリノラ姉さんを甲斐甲斐しく世話しているじゃないか。
「今日はじゃなくて今日もだよ」
俺がそう言ってやるとエリノラ姉さんは、フンと鼻を鳴らして扉へと手をかけた。
扉が開かれ、明るい日射しが玄関へと差し込む。
それからエリノラ姉さんは赤茶色のポニーテールを揺らして、こちらへと振り返り、
「じゃあ、行ってくるわね」
と珍しく小さく微笑んだ。
「……坊主。本当にあの弁当を渡したのか?」
玄関に一人となった俺に声をかけてきたバルトロ。
「うん。見た目の大切さを教えるためだから」
「確かにあれを見れば、誰だってそう思うだろうぜ。ご飯の上に海苔で作った虫やらムカデやら乗せられたらなぁ」
正午。エリノラ姉さんがダッシュで屋敷に戻ってきて、俺を無理矢理稽古場へと連行した。
バルトロに新しくお弁当を頼んでから。
要望がありましたので、キャラクターの簡単な紹介話を挟もうかと思います。




