上空での出会い
「や、やっちゃった。どうしよ」
死んだ蛙のように転がっているブラムを見て、呆然と呟くシェルカ。
度重なる羞恥心と怒りで俺達を追い立てていたシェルカだが、全く関係のないブラムを風魔法吹き飛ばして少し冷静になったらしい。
ブラムもこんな残念な奴ではあるが、一応は伯爵家の長男だしな。
公爵令嬢であるシェルカであろうが、風魔法をぶつけて気絶させました! というのは外聞が悪そうである。
決闘をすっぽかした俺が言えたことではないのだが。いや、俺の評判は元からあってないようなものだし? 正式な約束ではないし、きっと大丈夫。
エリックと俺はちらりと視線を合わせてから大げさに言う。
「シェルカ嬢が介抱をしてやるべきだな」
「そうそう」
これなら俺達は自然にシェルカから離れることができる。そう自然に。
冷静になった今のシェルカならきっと話しが通じるはずだ。
「……くっ、あなた達逃げるつもりね」
俺達の意図を即座に見抜いたのか、シェルカがじとっとした目でこちらを見てくる。
それでも、気絶させてしまったシェルカに責任があるので、その通りになってしまうという事が悔しいのであろう。
それにしても「そうそう」としか言っていない俺が、どうしてこんなにも睨まれるのであろうか?
顔でいったらエリックの方が余程ムカつく顔をしていると思うのだが。
「貴様がやってしまったんだから責任はとれよ?」
はは。これは明らかにエリックがシェルカを挑発している。
これは流石にシェルカもムッとして……
「ちょっと、アルフリート! さっきからへらへらした顔をして私を馬鹿にしているの?」
「真顔だっつうの!」
何故だか俺が怒られた。意味がわからない! 挑発したのはエリックだというのに。
「まあ、こいつはあれだ。もともとだらしがない奴だからな。顔まで緩んでしまっているのだ」
「よし、エリック決闘だ」
俺はブラムの落とした木刀を拾い、即座に構える。
こいつとは一度決着をつけてやる必要があるな。
ブラムが俺に決闘を挑んだ気持ちが少しだけわかった気がする。
「やめろ。木刀を目に向けるな。危ないだろう。半分は冗談だ」
「顔が緩んでいるというのが冗談なのか?」
「それよりシェルカ嬢。そいつを介抱してやれよ? 馬車で来ていたんだ。それくらい平気だろう?」
エリックは俺の木刀をやんわりと払い、平然と俺の言葉をあっさりと流した。この野郎。
「わかってるわよ」
とりあえず俺は、のびているブラムを壁にもたれかけさせ木刀を太もも乗せて返してあげる。
すでに周りの人々はいつもの落ち着きを取り戻して歩き出していた。切り替えの早い人々である。
それから程なくしてシェルカの馬車が俺達の下へと到着した。
人目のつくところでバンバン魔法を使っていたし、俺達のいる簡単に所はわかるしな。
その辺にいる人にでも聞けばすぐに教えてくれるだろうし。それくらいは目立った。
ただ、俺達が細い横道を使ったので、馬車は回り道をせざるを得なかったのだろう。
それから先程見かけたメイドさんが馬車から降りてやって来る。
ちらりとシェルカへと視線をやると、彼女は居心地が悪そうな顔をしている。
そして俺達の目の前でピタリと止まると、軽く頭を下げた。
「この度はシェルカ様、ラーナ様がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
公爵家の体裁があるせいか、深く頭は下げないが本当に申し訳なく思っている様子が感じられた。
「ちょっとリエル!」
「シェルカ様。緊急時以外、街中では攻撃性のある魔法を使用する事は禁じられています。それくらいお分かりですよね?」
メイドさんの謝罪を見てシェルカが焦った声を出すが、メイドさんの言い訳を許さないという声に押し黙る。
良かった。この人は常識がある人だ。
シェルカとラーちゃんの教育係も兼ねているのだろう。シェルカも先程とは違い、頭が上がらない様子。
「で、でも、わ、私の下着を……」
「今回の事はラーナ様が原因ですので。まあ、それでもレディの下着を見たという事で、ビンタくらいで手を打てばよかったかと」
俺とエリックは今にもビンタをされると思い、後退る。
それじゃあ周辺にいた男全員にビンタをすることになるではないか。一人ずつビンタをしてく光景は中々シュールである。
「リエルならそうしたの?」
「いえ、私ならグーで殴ります。まあ私のメイド服はロングスカートですので無理でしょうけど」
このメイドさんなら本当にやりかねない。そんな雰囲気を醸し出していた。
見た感じ、捲ろうにもそんな隙なんて一切ないんだけどね。
メイドのリエルさんが気を失ったブラムを肩に乗せて馬車へと向かう。
いわゆる米俵を担ぐような感じだ。
線の細い女性であるリエルさんだが、その足取りは全く重さを感じさせない。
あの細い体にどれだけの力があるというのか。
呆気にとられながらリエルさんを見ていると、シェルカがこちらへと振り向いた。
「ああ、そうそう。帰り道には気を付けなさいよ? ……フリード」
「帰り道?」
俺が問いかけるもシェルカは悪戯っぽく微笑みを返すだけで、髪をなびかせた。
「公爵令嬢らしかぬ物騒な言葉だな。ところでフリードって誰だ?」
「いや、俺にもさっぱり」
さっきも聞いた気がするが、俺の知り合いにフリードなんて名前の奴はいないはずだ。
愛称も含めて。それに俺を襲いそうな奴などブラムぐらいしか考えられないしな。
意味深なシェルカの言葉に二人して考え込んでいると、馬車の窓からラーちゃんが顔を出していた。
リエルさんに怒られたのであろうか、その瞳は涙目であり少し赤かった。
それでもラーちゃんは俺達と視線が合うと、顔を笑顔にして手を振ってくれた。
本当に可愛らしい。できれば、姉のように凶暴にはならないで欲しいものである。
俺達が手を振って見送り、馬車はゆっくりと去っていった。
「さて、劇は夕方ごろに開始するはずだ。日も高いし、まだ時間はあるが、早めに着いておいて損はないな。さっきの横道を使えば近道できる」
何て事を抜かしながらエリックは腐のエリアへと戻ろうとする。
本当に無知って恐ろしい。
「待て! 遠回りでもいいから普通の道を使って行こう! ここは危ないんだって!」
こんな所にいたら、何をされるかわかったものではない。
ここでは自分達を年頃のうら若き少女とでも思い込んで行動するべきなのだ。
「こら、引っ張るな! 服が伸びるだろ! 近道に使うだけではないか。何が不満なんだ? 暗いところが怖いのか?」
俺の腕を振りほどいたエリックが、何を勘違いしたのかニマニマと笑う。
馬鹿野郎め。あそこには暗闇よりもなお恐ろしい世界が広がっているというのに。
「違うわ! そんな物よりももっと恐ろしいものが――」
あそこの道を避けるには説明してやる他ないと思い、声に出したがそれはとある女性の声によって遮られる。
『いたわ! あの男の子よ!』
『凄く似てるわ! まさか、実在していたとは……』
『男を誘い受けるような気だるげな瞳。あんな瞳をする男の子なんてそうはいないわ!』
『間違いない。フリード様だわ!』
『シオン様はいないのかしら? カップリングが見たかったのだけれど』
エリックの進もうとした先には、腐のエリアにいた女性達がいた。
「何だ? 誘い受け? カップリング? あの女達は何を言っているのだ?」
無知ではあるが、何かしらの危険性を感じとったエリックが警戒する。
「あー! もう! だからさっさと離れたかったのに! ちょっとエリックこっちに来い! 逃げるぞ!」
「お、おお?」
俺は困惑するエリックの手を取って走り出す。
後方ではご腐人達が黄色い声を上げて喜んでいるが仕方がない。今は全力で逃げる事が優先だ。
本当に今日は逃げてばっかりだ……。
普通に王都を散策したいだけなのに。
◆
「お、おい。こ、これはどうなっているのだ。人があんなにも小さいぞ……」
エリックが声を震わせながら言う。
ご腐人の恐ろしさを知っている俺は、即座に距離を取り、建物の陰でシールドを使い
上空へと逃れた。
中途半端な高さにいると、視線を上げただけで発見されてしまうので結構な高さにまで上った。下から人々が目視したとしても、今の俺達は点くらいにしか見えないはずだ。
「なあ、本当に落ちたりしないだろうな? 落ちたら死ぬぞこれは」
「大丈夫大丈夫。ちゃんとした魔法だって。さっきも使ったシールドの応用だよ」
四つん這いになりながらエリックは、足元に展開したシールドを恐る恐る叩く。
俺が保証しているというのに、顔色はちっともよくはならない。
強度なら、シェルカから逃げる時に散々確認したであろうに。
「ほ、本当に本当だろうな!? ここから落ちたら絶対に助からんぞ!」
「全く心配性だな。ほら、こんなにもいい景色をしているというのに楽しまないと損だろ?」
「せめて足場を大きくできんのか!? このままだと少し足を滑らせただけであの世だぞ!」
すぐ傍でエリックが騒ぐので、シールドの範囲を大きくしてやる。畳六畳分くらいの広さはあるはずだ、これなら怖がりなエリックでも問題ないであろう。
生まれたての子馬のように、ぷるぷると立ち上がるエリックの姿を確認して、俺は視線を前に戻す。
円形に広がる王都の街並み。それを突っ切るように川が流れている。上空から見るとそれは意外と大きなものだとわかる。
人々の住む建物の屋根が道に沿って整然と並んでいる。ひと際大きく見える道は各メインストリートで、その中心には俺達の待ち合わせ場所に使った広場が。
俺の宿はあそこからもう少し上らへんだろうか。
流石にここからコリアット村は……見える訳がないな。城壁と山に阻まれていて全く見えない。
少し風が強くて肌寒いものの、上空から眺める景色は最高だ。
コリアット村に戻ったら、空にでもピクニックに行こうかな。
空で食べるお弁当はきっと美味しいに違いない。
その時はトールやアスモも……いや、アスモは止めておこう。あいつが乗ったくらいでは割れないが、冬の事を思い出すとどうも不安になる。
各城門からは人や馬車が今日も多く入り乱れており、所々衛兵や騎士らしき者が走り回っている姿が見受けられる。
そして、やはり何よりも目を引く建造物は巨大で勇壮さを誇るミスフィリト城だろう。
俺達も結構な高さにいると思うのだが、さすがに城の高さには届かないらしい。
ミスフィリト城を上から見てやりたい気もするが、これ以上高度を上げるとエリックが気を失いそうなのでやめておく。
それに王族を見下ろすだなんて。不敬罪になりそうだしな。
城の中はどうなっているのかと思い、魔力で視力を強化する。
すると、三階の渡り廊下らしき所で偉そうな服を着た老人が胸を張って廊下を歩いており、その後ろには何人もの人を従えている。
あの老人が王様なのだろうか?
そう思いきや、王冠を頭に載せた中年くらいの男性が二階の渡り廊下をこそこそと歩いている。
何だ? あの怪しいおっさんの方が王様なのだろうか? 一応王冠を載せて、すごく質の良さそうな服を着ているし、クーデリア王女と同じ金髪だな。
いや、でも王様は多くの妻がいるって話しだし当てにはならないかな。
そして、視線を流していくと端の方の部屋に一人の少女が見えた。
ふと気になり視線をそちらに固定する。
別に女性がいたからと言って視線を注視したわけではない。
女性なら先程から庭を掃除していたり、窓を拭いたりしているメイドや警備の女騎士などがよく目に入っている。
その中でも、窓から外を眺めているあの少女は明らかにこちらを見ている気がするのだ。
絹のような金髪から覗く深い海のような碧い瞳は一瞬息が詰まる程に綺麗だ。
肩程までしか見えないが青いドレスに身を包んでいる。
補色に近い色合いのお陰か、お互い一層鮮やかに魅せていた。
整った顔立ちだが、今は驚いた表情で口が半開きになっており少し台無しだ。
魔力で視力を強化するのは地味に結構難しいのだが、彼女も魔力操作が得意なのだろうか。
試しに手を振ってみると、少女は恐る恐る手を振り返してきた。
やはり鮮明に見えているらしい。
結構な距離があるので並みの魔力操作技術では、ぼんやりとしか見えないのだが少女は並みではないらしい。
余りジッと見られるのも居心地が悪いし、人を呼ばれたら面倒なのでそろそろ退散するか。
「おい、エリック降りるぞ」
「お、おう。やっとか。それでどうやって降りるんだ?」
未だ顔を青くしたままのエリックが、ぎこちない笑みを浮かべたまま尋ねてきた。
「走って降りるに決まってるじゃん」
◆
ミスフィリト城の一室。
そこでは第三王女である、レイラが車椅子に座りながら呆然と空を見ていた。
いや、正確には上空にいる人物を。
「人って空を歩けるものでしたっけ?」
「いえ、そんな事は不可能ですよ?」
窓から静かに空を眺めていたレイラの突拍子もない一言に、ピンク色の髪をした女性のメイドが可笑しそうに笑う。
優し気な瞳も相まってか、その笑顔は母性が体現したようである。
「レイラ様が冗談を言うだなんて珍しい」
「いえ、サリヤそういう事ではなくて」
「はいはい、今紅茶を淹れますから。そろそろ喉が渇いたでしょう?」
レイラは車椅子を器用に回転させて振り向き、誤解を解こうとするも、サリヤは笑顔で室内に置いてあるワゴンの下へと行ってしまう。
ただのメイドと第三王女にしては、仲の良い関係。
まるで親子のようでもある。
「そうですけど。あの、サリヤ?」
レイラが呼びかけるも、サリヤは鼻歌交じりに紅茶の用意をしている。今話しかけても無駄だと思ったレイラは再び視線を窓の外へと送る。
魔力を瞳へと集めると、上空にあった点は次第にピンとが合うように鮮明なものへとなる。
そこでは先程手を振って来た少年が、もう一人の少年にしがみ付かれているところであった。
あんな所で何をやっているのか、どうやって空を歩いているのか見当もつかないレイラだったが、ただただ二人の少年が楽しそうだと思った。
あの場所から見える光景はどんなものであろうか。
自分の第三王女という身分。足が不自由なせいもあり、自由に歩く事も動き回る事もできないレイラは、彼らをとても羨ましいと思いった。
自分は彼らのように笑った事があったであろうか。
――私もあんな風になれたら。
そう思い、レイラは自分の意思では全く動かすことのできない足へと視線を落とした。
自分の手のように動かそうとしても、足は全く言う事を聞いてくれない。
まるでそこだけ自分の体ではないかのように、命令を受け付けてくれない。
それはいつもの事で諦めていたつもりだが、やはりまだ割り切れていなかった。
元気にはしゃぐ彼らを見たからであろうか。
レイラは暗い気持ちを振り払うかのように、再び空を見上げる。
少年は魔法の力であそこまで上ったのであろうか?
あの距離でレイラを視認した少年は確実に魔法使いだろう。もう一人はわからない。
レイラと同じように瞳を魔力で強化しなければ、この一室の人間をしっかりと見ることは不可能だ。
あの足場となる四角い物は、恐らく無魔法『シールド』という魔法だとレイラは推測をする。それくらいは彼女ではなくても魔法を扱う者であれば大抵の人はわかるものだ。
あれを足場にしてあそこまで上ったと言うのであろうか。
シールドを足場として移動する研究というのも聞いた事があったが、失敗に終わったと聞く。
走りながら、強度、大きさ、持続、正確な空間を指定しての連続発動。消費する魔力は膨大である。
宮廷魔導士や騎士団長が戦闘で稀に足場として使うのを見た事はあるが、精々一瞬だ。
宮廷魔導士をも上回る者なのか、それとも全く違う方法なのかはレイラにはわからなかった。
もし、推測通りの非常識な方法であそこにいるのなら、宮廷魔導士をも上回るとんでもない逸材である。
「紅茶がはいりましたよー」
「あ、うん。ありがとう。そこに置いておいて」
レイラがサリヤに顔を向けて返事をする。
そして、視線を元に戻すと、
「…………えっ? ……消えた……?」
そこには誰もいなかった。
王都を照らす太陽と、どこまでも広がる青い空。
まるでそんな所に二人の少年などいなかったかのように。




