アルとエリック
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――リーングランデ公爵の屋敷内。
庭園の木陰では「いい天気ね」と呑気な声を出すアレイシア。
心地の良い日差しを浴びて、アレイシアが切れ長の瞳をふっと細める。
肌を撫でるような風が吹き、彼女の艶やかな紅い髪と、紅いドレスを揺らす。
「ここなら安全に観戦できそうね」
そう呟くと、傍らに控えていたメイドがお茶の用意をしだした。
今日も面白いことが起きる。
アレイシアは庭園の中央にいるブラムを見据えながら、心の中でそんな事を思っていた。
そのアレイシアの視線の先ではブラムが木刀を手にして突っ立っていた。
ブラムは来るべく強敵をこの場で待ち受ける。
時間は二回目の鐘が鳴る時刻。
約束の朝の時間帯としてはそろそろアルフリートが来てもいい頃だ。
はやる鼓動を押さえつけながら、ブラムはジッと待つ。
あの少年は七才とはいえ、エリノラの弟。あんななりでもそれなりの腕はあるに違いないとブラムは思っていた。
なんせエリノラ自身が指名するくらいである、生半可な実力であるとは思えない。エリノラほどではないにしろ、年に不相応な腕を持っているはずだ。油断はできない。
ブラムは瞑目し、頭の中で決闘のイメージを鮮明に思い描く。
そうしてブラムが全神経を剣のように鋭く研いでいる中、アルフリートといえば。
――宿のベッドで気持ちよく眠っていた。
× × ×
あれから横のカップルが長椅子の上で取っ組み合い、俺は巻き込まれる事を恐れて立ち上がるはめになった。
最初はこんな公衆の面前で寝転がって熱い抱擁を交わすとは何事か!? という表情をしていた人々だが、互いを口汚く罵り合いながら叩き合うカップルの姿を見て安心したように視線を逸らした。物好きな奴はそれを観戦していたようだが。
ちらほらと聞こえる囁き声の中で、俺があのカップルの子供と勘違いされて、気の毒そうな視線を向けられた事が凄く遺憾に思った。
それからしばらく、女が男を締め上げる頃にエリックが遅れてやって来た。
「すまん。遅れた」
「遅いって、お腹空いた」
肩を揺らして荒い息を吐くエリック。どうやら走ってきたのであろうか? それにしては尋常でないくらいの汗を掻いている。
ただ宿から走ってきたのではなく、もっと激しい運動をしたような感じだ。
貴族が泊まる宿は貴族街の北部分。一番端だとしてもそれほど遠いわけではないが。
「ちょっと、厄介な奴と出会ってしまってな。お詫びにウーシーの串肉でも奢ってやろう」
「えー、もっと高い奴がいい」
ウーシーのお肉とか銅貨一枚程度じゃないか。
どうせ無料で食べるならもっと高いものがいい。
「高い奴って何を食べる気だ?」
「どうせなら噂で聞いたネオウーシーの肉がいい」
「おい、あれは滅多に売られないレア食材だぞ? しかもウーシーとは違い一つで銀貨一枚だ。ウーシーの串肉で勘弁してくれ」
「まあ、ウーシーの串肉も美味しいしそれでいいや」
さっきウーシーの串肉を一本食べたのだが、あれなら五本くらいは食べられそうだ。
中途半端に一本食べたせいかお腹が空いてしょうがない。
俺は素直に妥協して歩き出す。
その瞬間、周囲で歓声が上がった。
「……何なのだあれは?」
エリックが声の方を見て、怪訝な声を上げる。
歓声の上がる中心地では、地に伏せて白目をむいた男と勝利の咆哮を上げる女がいた。
「……さあ、知らない。それよりさっさと屋台に行こう」
「お、おう。そう言えば貴様、決闘はどうなったんだ?」
「……あー、終わったよ。無事に解決」
もう不戦勝って事でエリノラ姉さんと戦うなり好きにしてくださいよ。
ついでに嫁としても貰ってあげて下さい。
あ、でもあれが兄貴となると嫌だな。もっとマシな人がいいや。
「傷一つないその姿を見ればわかる事だったな。行くか」
王都の南メインストリートでは、今日も辺りから甘い匂いや香ばしい匂いが漂う。
多くの屋台や料理店、商店が立ち並ぶ南のメインストリートは、お昼時の時間帯という事もあってか無数の人々が行き交っていた。
近くの屋台では、香辛料をふんだんに使った大きな肉をじっくりと焼き上げて肉汁を垂らしている。その向こうでは多くの野菜を鍋に入れてかき混ぜる姿。
ナンのようなものに様々な食材を巻いていく者。
何かを練って焼いたもの。蒸したもの。炒めたもの。様々な料理が売られている。
見た事のない変わった料理は異国の料理であろうか。
様々な人種が入り混じる王都の事だ、おかしくはない。
「いい匂いだ」
俺が隣を歩くエリックへと顔を向けると、エリックは顔をキョロキョロと動かしていた。
それは屋台を眺める先程の様子とは違って真剣に辺りを警戒している様子そのもの。
「どうかしたの?」
「い、いや、何でもない。ちょっとした確認だ。問題ないぞ」
何だかエリックの様子がおかしいのだが、エリックがおかしいのはいつもの事だと思いなおして気にしない事にする。
「……ん?」
そこで不意に後方から不審な存在に気付き、振り返る。
さっきから一定の間隔を空けてついてきている存在がいるような。
空間魔法を使えるようになってから、俺の空間の把握能力は敏感だ。何せしっかりと把握できないと転移した時に思わぬ事故が起きる。
安全な場所なら少しぐらついたり、尻もちを着いたりすることくらいは許容できる。
しかし足場が悪いところではそれさえも許されないのだから、転移魔法の訓練は定期的にしているのだ。消費魔力も多いおかげで魔力増幅の訓練にもなるしな。
すなわち異変に気付けたのは日頃の努力の賜物だと思う。
エリノラ姉さんの気配を察知して逃げ続けた日々のお陰ではないと思いたい。
そんな事で身に付いた力とか……何か嫌だ。
「ど、どど、どうかしたのか!? 何かいたのか?」
エリックがやけに過剰に反応する。こいつは誰かにでも追われているのだろうか?
そう思う間に、不審な気配は遠ざかり消えていった。
「……いや、何でもないよ」
「そ、そうか」
しばらく街路を歩く中、屋台の中でも一際強烈な匂いを放つそれを見つけた俺が呟く。
「あの肉凄く真っ赤だな」
褐色の肌をした体格の良い男性が、大きな肉にたっぷりの香辛料や香草を練り込んでいる。
屋台から離れているというのにこの濃い匂いだ。一体どんな味がするのであろう。
「あれは西の国、ラズール王国の料理だろう。濃い味付けと辛さがあるのが特徴的な料理だな」
ラズール王国。ミスフィリト王国から遥か西にある国の一つ。
広大な国土を持つがそのほとんどが砂漠だと言われている。気温が高くて乾燥した土地なのだそうだ。
国名や大体の事は勉強で習っていたので知っているが、実際の料理は食べた事がないな。
「へー、辛そうだね」
「辛いがやみつきになる美味さだな。あれの一番辛い奴でも奢ってやろうか?」
エリックのニヤニヤとした笑顔でそんな事を言ってくる。
こ、これは相当にヤバい奴だ。
普通の奴でもあんなに赤いのに一番辛い奴となるとどうなるか。
もはや香辛料そのものを口にする事になるのではないのだろうか。
「い、いや遠慮しとくよ。ウーシーの串肉の約束だろ? ほら、あそこだろ行くぞ」
「ちっ……根性の無い奴め」
俺は舌打ちするエリックの言葉を聞き流して、ウーシーの串肉の所へと慌てて並びにいった。
× × ×
三回目の鐘が王都に鳴り響いてしばらく。
「……遅い!」
ブラムが庭園で吠えた。
「おいおい! もう昼を過ぎたぞ! 決闘の時間は朝だったはずだ! もう朝は終わってしまったぞ! アレイシア嬢、奴はまだ来ていないのですか?」
「あら? もうお昼なのね。このコマで遊んでいたらすっかり時間を忘れてしまっていたわ」
顔を真っ赤にして声を荒げるブラムだが、アレイシアの声はいたって呑気だ。
今のアレイシアにはブラムの事などは眼中にない。
といよりは無くなったに等しい。
最初はアルフリートがブラムを相手にどんな戦いをするかという興味があり、こうして庭園に来てみたのだが、肝心のアルフリートが来ないのでは話にならない。
来ないなと思いつつここでのんびりしている間に、あるものが届いた。
それは最近ラザレスが何やら広め始めたコマというもの。
偶然にもアレイシアの部下がそれを見つけ、買い取ってきた。
これは誰でも簡単に遊べるが故に面白い。厚紙と串だけで簡単に作れる物で単純なのだが発想が凄いとアレイシアは思った。
誰が厚紙に串を刺して、回す遊びを思いつけたであろうか。
リバーシといい、将棋といい、アルフリートは非凡な発想をしている。
ぶつけ合うにはいささか強度に物足りなさがあったが、それはこれをベースとすれば簡単に乗り越えられる。むしろ、それすら完成しているであろう。
最近の慌ただしいラザレス商会の動きがそれを示している。コマが売り出される日は近いであろう。
これすらも彼の頭の中では一部に過ぎないのではないか。他にはどんな面白い事や物を考えているのだろうか。
そう考えるだけで退屈なアレイシアの日常は鮮やかに彩られる。
「……お嬢様」
そんな事を考えながら、コマに着色を施していた所に声がかかる。
黒衣の装束をきた女だ。彼女は影と同化しているかのように突然現れた。
少なくともアレイシアにはそう感じた。
「リム、彼は今何をしているの?」
「……現在エリック=シルフォードと南のメインストリートを散策しております」
「…………決闘は?」
リムの思いのよらぬ報告にアレイシアは瞳を丸くして、年相応な声を出す。
これにはリムも少し歯の奥に詰まったように、言いにくそうに報告する。
「……彼は寝坊したのか向かう気が無かったのか、決闘は放棄した模様です。三回目の鐘が鳴る前に宿を出て、真っ先に広場へと向かいました」
これにはアレイシアも一瞬言葉を失ったが、堪えきれないとばかりに笑う。
「ぷっ……あはははは! 決闘をすっぽかして遊びに行くだなんておかしいわ。普通じゃ考えられないわ!」
「決闘をすっぽかして遊びに行った!? それはどういう事だ! いえ、どういう事ですか!?」
アレイシアの言葉を聞きつけたブラムが、猛然と駆け寄ってくる。
今にもアレイシアに掴みかからんばかりの勢いだが、ちゃんと理性は残っているらしい。
影であるリムはまた木陰に溶け込むように、気配が消えていった。
「どうやら南のメインストリートをエリックと共に散策中らしいわよ?」
「……な、何だと!? あいつめ! では、俺はこれにて!」
青筋を立てて肩を震わしたブラムだが、落ち着きをすぐに取り戻したのか頭を下げて庭園を飛び出した。
向かった先は言うまでもないであろう。
「また面白いことになったわ」
庭園に残されたアレイシアは一人艶やかに微笑んだ。
今回は少し細かく区切り過ぎましたかね?
次回はいつも通り一人称であわただしく濃厚に行きたいです。




