気だるげなカップル
あれからカップルの痴話喧嘩は男が何とか立ち上がり、誠意を見せたことにより終息した。
あれだけ真剣に頭を下げられたら彼女だってたじろいでしまうよね。
最後に男が彼女の手を引いて歩く姿は軽く感動すら覚えた。彼は最後に男を見せたのだ。
まだ体にダメージが残っていたのか、足が生まれたての小鹿のように震えていたが。
あれからあの二人は手を繋いであちこちを歩き、お洒落で雰囲気のいい素敵なお店でお茶して会話に花を咲かせたりしているのだろうな。
――きっと全部男の奢りで。
広場はとても広く開けているので、ここで待っていればエリックの到着に気付くだろう。
そう思い適当な長椅子に腰掛ける。
お昼頃になるとお腹が空いたのか、噴水で遊ぶのが飽きたのか、子供たちの姿はない。
昼食の時間帯のせいか、人々の行きかう流れが南へと変わる。
力工事をしているであろう、筋肉のたくましい男達が肩を組みながら楽しそうに南のメインストリートへと歩いている。
「今日は何にするよ?」
「やっぱ力仕事するには肉だな」
「なら、ウーシーの串肉か?」
「ああ、そうだな。考えただけで腹が減ってきた。ウーシーの串肉と一緒にお酒をグイッと」
「バーカ。まだ昼だっての、酒は夜まで我慢だ」
「わかってるよ」
そしてその少し後ろにはそれを眺めて頬を染めている女性達。
男達の服装が薄着なせいで気恥ずかしいのだろうか。女性達は身を寄せ合って黄色い声を上げている。
「……盛り上がった筋肉と日焼けした肌」
「……汗と脂によるツヤが眩しい。そして――」
「「あんな薄着で密着するだなんて!」」
…………。
一瞬でも王都の女性たちは純情なのだろうか、と思った俺の気持ちを返して欲しい。
コリアット村のように田舎には女性は強気で豪胆な人が多い。
勿論エマお姉様のように花も恥じらう可憐な乙女が少なからず存在するが、それは天然記念物が如し。滅多にいるものではない。
だから男の薄着を目にして、顔を赤く染める女性達に対して、少し新鮮な光景が見られたと思っていたのに。
貴族交流会の時から不安に思っていたが、王都にまでご腐人達が蔓延っているとは……。
しばらくは長椅子にもたれかかってエリックを待っていると、昼食を買い終えた人がぞろぞろと食料を手にしてこの広場へとやってきた。
長椅子や腰掛け噴水などとゆっくりと落ち着ける場所がある広場は、昼食時には人が多くなる。
「あ、すいません。隣いいですか?」
「……どうぞ」
「……ありがとうございます」
どこか気だるげな男が女性を連れて俺に声をかける。
おそらくカップルであろう。
当然、長椅子を一人占めしていた俺もこの時ばかりは素直に端っこで小さくなる他はない。
この世界、日本のように知らない人が隣に座っているくらいなら立って食べるなんて人はいないのだ。カップルだろうが隣に知らない人が座っていようが遠慮なく座る。
そういうものなのだ。さすがにご老人を立たせたりする人はいないようだが。
あっという間に広場は人々で溢れかえり、全体に香ばしい匂いが漂う事になった。
寝坊をして朝を抜いている、俺からしたら地獄のような匂いだ。隣では男がウーシーの串肉を食べている。
香辛料とタレの匂いが暴力的だ。俺はそれを無意識に眺めていたが、はっと我に返り前を向く。それでも美味しそうな香りは漂ってくるわけであって。だからと言って立ったままエリックを待ち続けるのも疲れるし。我慢するしかない。エリックが来たら速攻でウーシーの串肉を買いに行こう。
「…………ほら」
そう心の中で決断した時、目の前にウーシーの串肉が俺の目の前に差し出された。
差し出した人物は、さっき俺の隣に座った気だるげな瞳をした男。
ウーシーの串肉をくわえながら、右手で俺の方へと突き出す。
その視線は真っすぐと前を向いており、俺の方へと向いてはいない。その瞳は何を考えているのか全くわからない。
「……食わないのなら俺が食うぞ?」
「……ありがとうございます。貰います」
「……うむ」
「……それ、あたしの串肉よね?」
「……いいものだ」
男の答えになっていない返事に何が? と思って俺と女性は顔を見合わせる。女性の方は長い付き合いなのかやれやれといった様子で背もたれに体を預けた。どうやら気にしない事にしたようだ。
俺も、皆で食べる昼食はいいものだ。辺りかと推測を付けたのだが、その言葉の真の意味はすぐさまにわかることになった。
そして俺はウーシーの串肉を受け取り、真っすぐに視線を固定しながら肉にかぶりついた。
「確かにあれはいいものですね」
「……わかるか」
「はい」
「……だから何がよ……」
女性が呆れた表情をしながら、俺達の視線を辿る。
「……あっ! あんた達今、あの女性の胸を見ていたでしょう!?」
「「いんや、見てないよ」」
「……とんだ言いがかりじゃないか」
「全くですね」
さっき出会ったばかりの名も知らぬ他人だと言うのに、俺達の息はぴったりであった。
俺達の視線の先には夫婦と子供一人が噴水の周りに座っていた。
「どう見ても仲の良い三人家族じゃないですか」
「……あの子供いい笑顔をして抱かれている……できれば変わりたい」
最後にボソッと呟いた小さな声は男の情けで聞かなかった事にしてあげよう。うん、気持ちはわかる。
「ふうぅん……てっきりあの綺麗な奥さんの大きな胸でも凝視しているのかと思ったわ」
「「ないない」」
「それにしても大きいわね。サイズはいくらかしら? 八十六くらいかな?」
「「八十九だよ! …………あっ」」
× × ×
あれから男は頬に紅葉を咲かせる事となった。
俺は勿論、恋人でも友達でもなんの関係もないただの子供なので引っぱたかれる事はなかったが、ちくちくと小言を言われるはめに。
現在は俺に悪影響を与えるとの判断で、男と女性の位置は入れ替わっている。
向う側では、眠たげな瞳に僅かに滴を溜めながら頬をさする男が。
結構痛かったらしい。
「だからね、あんな脂肪の塊に見惚れたらダメなのよ? 人は内面。外見で選んだら駄目なのよ?」
「……はい」
やたらと胸について棘のある言い方をする理由は皆まで言うまい。言ってしまったら俺まで紅葉を咲かせる事になりそうだ。まだ春なのに。
なので、とりあえず機嫌を損なわせないために適当に相槌を打っておく。
すると女性は満足したのか、自分の髪の毛をくりくりといじりながら語りだした。
「それにしてもあんな美男美女の夫婦がいるだなんて凄いわよね」
いや、貴方達も目が死んでさえいなければ、相当な美男美女のカップルだと思うのですけれど。目つきと仕草のせいで色々台無しになってはいるが。
こら、男の人。鼻をほじらないで下さい。もう、イケメンが台無し。
「どれだけ夢見て、憧れようとも、最後には妥協するのが世の常だというのに」
女性は感慨深い面持ちでそう言う。
隣にいる彼氏に不満でもあるのだろう。
「……まあ結局は妥協することになるだろうな」
「おい、今どこを見た? 私の胸を見て言ったろ!?」
「……そ、そんなことは……ない!」
「誰が無いだって!」
「違う! 胸のことじゃない!」
「誰も胸のことだなんて言ってないわよ!」
もう嫌だ。このカップル。何でかわからないけれども見ていられない。どうしてだろう?
俺は横でぎゃあぎゃあと取っ組み合うカップルをしり目に、ただひたすら火の粉が飛んでこないようにじっと佇んでいた。
……早くエリックが来てくれないだろうか。




