アルの災難
「あはは、アルだー」
無邪気な笑顔で俺に抱き着いてきたのはラーちゃん。それによりエリックがギョッとして離れる。
それにより俺の貞操の危機が去るが、また新しい危険がやって来た気がする。
というかラーちゃん、やっぱり貴族だったのか。
最初に出会った時の仕立てのいい服や、馬車でお迎えに来たお姉ちゃんを見て予想はしていたのだけれどね。今は淡い水色のフリフリとしたドレスを身に纏っている。フリフリとツインテールが揺れて、とても可愛らしい。
「アルも貴族さんだったんだねー」
なんて嬉しそうに言われてしまうと、こっちも邪険にできなくなってしまう。
しかし、ラーちゃんのお姉ちゃんはそうはいかないらしく。
「こら! 初対面の人に抱き着いちゃ駄目よ!」
めっと叱りつけるように注意する。
それを聞いたラーちゃんは、俺の腕から手を離して無垢な表情で答える。
「初対面じゃないよ?」
「えっ?」
言葉足らずなラーちゃんの言葉の意味を測りかねて、ラーちゃんのお姉ちゃんが俺に説明してという風に視線を向ける。
俺は、エリックのせいでズレた上着をきちんと直して説明した。
数日前に王都の南メインストリートで迷子になっているラーちゃんと一緒に行動をしていたという事を。
ラーちゃんが迷子になっていたと言うとラーちゃんが頬を膨らませて「違うもん」と口を尖らせていた。
そうだったね。このお姉ちゃんが迷子だったんだね、と訂正するとラーちゃんは満足そうに頷いた。
それについてはお姉ちゃんも理解しているらしく、苦笑いをしていた。
「では、貴方が私の妹を保護してくれたのですね。ありがとうございます。ごめんなさい、今まで気付かなくて、あの子にその日の事を聞いてもおにーちゃんに遊んでもらったくらいしか言ってくれなくて……」
申し訳なさそうに深々と頭を下げてくるラーちゃんのお姉ちゃん。
それから顔を上げると恥ずかしそうに頬を指で掻いた。
「いや、大丈夫ですよ。こちらも楽しかったですから」
「……そうですか。うちの妹が迷惑をかけてすいません。ところで少し時間を頂戴してもよろしいですか?」
ニッコリと微笑みながらそんな事を言ってきた。
何だろう。目が全然笑っていないんですけれど。
何か絶対いい事が起きる気がしない。
でも、妹がその日どうしていたか、危ない目にあっていないかとか確認したいだろうし断るわけにはいかない気がする。
「あ、はい。大丈夫ですよ」
俺は苦笑いを堪えて何とか答えた。
「……では、そこのテラスへ」
そう言うとラーちゃんのお姉ちゃんは金色にも見える茶髪の髪をなびかせた。
俺もそれに続いて歩き出す。
はあ、またテラスに行くのか。さっきみたいに長話にならなければいいのだけれど。
「あー! お姉ちゃんアルと二人で遊ぶの? ズルい!」
「違います。少しの間だけお話するだけよ。すぐに戻るから、そこの目つきの悪いお兄ちゃんに遊んでもらいなさい」
何だか違いますっていう所だけ妙に冷たく言われた気がする。俺の気のせいだろうか……。俺は彼女に嫌われる事は何もしていないはずだ。気のせいだと思っておこう。
「お、俺の事なのか!?」
エリックが困惑の声を上げて、ラーちゃんを見る。
ラーちゃんはエリックを見てはにかむような笑みを浮かべて言った。
「えへへ、目つきの悪いお兄ちゃん遊ぼう!」
どうしよう。俺テラスで話すよりも、エリックがラーちゃん相手にどんな対応をするのか見てみたい。
「……ちょっと早く来てよ」
「はいはい」
テラスからはリーングランデ公爵が保有する庭園が一望できる。昼時であれば、綺麗に緑豊かな光景が一望出来たであろうが今は夜だ。
空には雲一つなく、宵闇を照らす月光とあちことに設置されている光源のお陰で一味違った風景を見せてくれていた。
一定の距離を開けた別のテラスでは、カップルらしき貴族の男女が身を寄せ合いながら静かに月を眺めていた。
そこには言葉なんてものは無く、俺でもわかるくらいにいい雰囲気というものが流れていた。
この美しい光景では賛美の言葉すら無粋な物なのかもしれない。
彼らは黙って空を見上げる。
俺はそれを見て、あーあ、月食でも起こらないかなと思っていた。
俺が大人ならば、この光景を眺めながらワインでも飲んでいるところだが生憎俺は七才児。お酒を飲むのはこの世界でも禁止される年齢だ。
この世界に生を受ける前は大人でお酒を嗜んでいたので、こういう美味しい食事があるとつい、お酒を飲みたいという衝動にも駆られてしまう。
あー、あの肉は赤ワインにきっと合うだろうな……。
「ちょっと聞いているの?」
俺がそんな事を思っていると苛立たしげな声がかけられて、現実へと引き戻させる。
「あの日、ラーナと行動していた男はあなただけなのよね?」
ラーナと言うのはこの場合はもちろんラーちゃんの事を指すのであろう。彼女はスッと目を細めて俺の瞳を射抜く。
「そうですよ。後、うちのメイドが一人付いていました」
何故俺がこんな尋問のようなものを受けなければならないのだろうか。
むしろ、俺は礼を言われる立場であるはずだが。
「そう。という事は、あの日からラーナが変な言葉を使い始めたのは貴方のせいなのね!」
「……はっ?」
× × ×
「お兄ちゃんの名前は?」
ラーナが屈託のない笑顔を浮かべてエリックへと尋ねる。
「……エリックだ」
それに対してエリックは素っ気なくも思える態度で答えたが、ラーナは気にしなかった。
「好きな食べ物は?」
ラーナの中でアルと仲良くしていた(本人にはそう思えた)友達もきっと面白い人なんだろうという好奇心からの質問だったのだが、エリックがそんな事に気付くはずはない。
四才児相手に意思を推し量ろうともしている時点で彼が、子供の面倒を見るという事に不慣れだという証でもあるが。
「……肉だ」
「嫌いな食べ物は?」
これについてはエリックも少し恥ずかしい質問であったので、少し間が空いた。
「…………野菜だ」
「……あたしと同じだね!」
「……ああ、同じだな」
× × ×
「あんたのせいでラーナがメイドの事を『駄メイド』って呼んだり『面倒くさい』とか言ったり、お菓子は『クッキーがいい』とか言うようになったのよ!」
彼女が突然吠えるように叫んだ。
その声に、離れたテラスで月を眺めていたカップルがビクリと反応し、興ざめしたかのようにいそいそと消えていく。
……確かに駄メイドには心当たりがある。
俺とラーちゃんでミーナをからかった時に覚えてしまったのであろう。
ラーちゃんの屋敷のメイドは、突然駄メイドと呼ばれて驚いたに違いないな。
しかし、面倒くさいなんて言葉は面と向かって言った覚えはなかったのだが……。
俺のぼやき声でも拾われていたのだろうか。それとも歩くときの雑談や、屋台で並んでいる時にでも言ってしまったのだろうか。
クッキーに関しては断固として俺のせいではないと否定する。
屋台で並んでいる間にクッキーの話を吹き込んでいたのはミーナだ。これは俺のせいではない。ミーナのせいだ。
「それに最近は、私にクッキーを消す芸をやってとか無茶を言うのよ」
ごめんなさい。それに関しては確実に私のせいでございます。
「……甘えたい年頃なのですよ」
「ふざけないでくれるかしら?」
ちょっと空気を和ませるついでに誤魔化せないだろうかと思ったのだが、じろりと睨まれてしまった。
どうして女性はこうも怖いのだろうか。そんなに睨まないで欲しい。
俺が苦笑いを浮かべていると、彼女は大きな溜息をついた。
「……はあ、まあいいわ。それほど、あの日が楽しかったみたいだし。変な言葉はその都度注意していくから」
「なんか、すみません」
「次に会う機会があるかはわからないけれども、あの子の前では言葉使いにも気を付けて下さいね」
彼女は俺に向けてビシッと指を突き付けると会場へと戻っていった。
まあ、王都に滞在する間も短い事だし、そんなに出会う事はないだろう。
そう思っていると彼女がカツカツと戻って来た。
なんだろう。まだ文句があるのだろうか。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったわ。私の名はシェルカ=ミスフィード。建国期からこの国を支えてきた公爵家に名を連ねる者よ」
……どうして今日は公爵家に絡まれるのだろうか。
それにミスフィードって名前聞いたことがある。
というか、魔法本の著者だったのではないだろうか。
「こちらはアルフリート=スロウレットです。スロウレット領を治める男爵家の次男です」
これ以上特に言う事は無いな。
俺の平凡な自己紹介を聞いて、シェルカは「そう」と答えると今度こそ会場に戻っていった。
という事は、ラーちゃんはラーナ=ミスフィードという訳か……。
まあ、ラーちゃんはラーちゃんだしこのままでいいか。
会場に戻ると、エリックがぐったりしていた。
それに比べてラーちゃんは元気そうなので、さぞ振り回されたに違いない。
俺は喉が渇いたので、給仕の男性に水をもらう。
お酒をねだってみたが、とりつくしまも無かった。さすが公爵家の使用人。しっかりとしていらっしゃる。
水の入ったグラスを眺め、これが赤ワインに変わらないかなーなんて思っている俺のところに、てててと駆け寄り俺の腕を抱えるラーちゃん。
うん、ラーちゃんはやっぱりラーちゃんだ。
公爵家とか気にせずに接しよう。
「アルー! アルはいつまで王都にいるの?」
「だから気軽に男の人に抱き着いては駄目なのよ!」
抱き着くって言い方はよして欲しい。小さい子がちょっと俺の腕を抱えているだけじゃないか。そんなにムキになることとは思えないが。
まあ、公爵家となるとそれなりの品位と言うのを求められるのかもしれないな。
「アルは初対面じゃないよ?」
「じゃなくても駄目よ」
「じゃあ誰ならいいの?」
「そ、それは家族とか……恋人とかよ」
「恋人って?」
そこまでは四才児のラーちゃんには理解が及ばないらしく、小首を傾げて純粋な疑問をシェルカに投げかける。
なるほど、深い質問だな。
シェルカは言葉に詰まり、どうしたものかと視線を彷徨わせたが、俺は巻き込まれないように水を飲んでいた。ついさっき余計な事を教えないでと釘を刺されたところだしな。
エリックも同様に、給仕の人に水を貰っている。
あいつも中々の危険察知能力の持ち主だな。
俺達の援護は望めないと気付くと、シェルカは苦しそうにしながら、当たり障りのない言葉で答えた。
「恋人って言うのは、想いを寄せる異性というか……」
「うーん、よくわからない」
確かに四才児には少し難しい言い方だと思う。
「えっと……ようするにキスとかする相手の事よ」
わーお。シェルカさん思いっきり言葉を砕きましたね。
まあ、これならラーちゃんでも何となくわかるか。
「なら、大丈夫だね! 私キスしたよ?」
「へっ? 誰となの!? 本当なの!?」
これにはシェルカも血相を変えて叫び出す。
へー、最近の若い子は進んでいるとは聞いたけれど、異世界までそうなのか。
俺は面白い展開を第三者の気分で眺めながら、水を口に含む。
「アルとしたよ!」
俺は口に含んでいた水を勢いよく噴き出した。
『俺、動物や魔物と話せるんです』
こちらもほのぼのとしております。よろしければ是非。
http://book1.adouzi.eu.org/n8660db/




