香辛料通りでチャイを
コミック12巻発売中!
お婆さんの秘蔵の書物により、想像を越えるとんでもない出費となったけど、とりあえずシルヴィオ兄さんへのお土産を買い終わることができた。
「あとはエリノラ姉さんのための香辛料か……」
こちらについては目途がついている。
以前、訪れたことのあるラズールの香辛料の専門店に行けばいいだけだ。
記憶を頼りに五分ほど歩くと、漆黒のレンガで造られた二階建ての店舗があった。
今回は正規のルートで王都にやってきているのでここで誰かと遭遇しても問題はない。
そのまま中に入ると、異国の雰囲気を感じさせる内装に香辛料の匂いを感じた。
「いらっしゃいませ」
恰幅のいい店主がにこやかな笑みを浮かべながら出迎え、従業員たちが棚の前で品物をチェックしていた。
店主に軽く会釈をすると、俺は棚に並べられている香辛料を確認する。
クミン、ターメリック、コリアンダーとカレーに必要な基本の香辛料は揃っている。
……だけど、やっぱり高い。
クミンは白金貨一枚、ターメリックやコリアンダーは一瓶で金貨三十五枚となっていた。
「何かお探しのものでもありますか?」
「あったのですが、思っていたよりも高くて予算オーバーになってしまいまして」
「申し訳ございません。今回はラズールからの仕入れに手間がかかってしまいまして……」
以前よりも若干値段に変動があるのはラズールからの流通に影響があったらしい。
気候、魔物などによる影響が大きく時間がかかってしまえば、商品の値段も上げざるを得ないようだ。
以前はたまたま流通の影響で価格が高騰していたんじゃないかと思ったが、やはりラズールの香辛料を王国で手に入れようとすれば、これくらいの値段が基本のようだ。
エリノラ姉さんが出してくれた金額じゃ精々が大匙のスプーン一杯分だろうな。
やっぱり、香辛料を買うならラジェリカに行くのが一番だな。
「それでも売れるということは王国にとって需要が高いのですね」
「ええ、あちらの香辛料は王国よりも種類は豊富で刺激的なものも多いですから」
会話を切り上げて店を出ようとしたが、どうせあちらに行くのであれば、こちらから持ち込んで売れるものもあるかもしれない。試しに俺は店主へと尋ねてみる。
「逆にラズールに需要があるのはどのような物なのでしょう?」
「やはり、一番は水や氷ですね。水作成や氷作成の魔道具は目玉が飛び出るような値段で取り引きされます。あとは果実酒などのワインやウイスキーなども人気が高いです」
やはり、万年水不足な砂漠地帯だけあって水や氷の需要はとても高いらしい。
あちらではそれらの魔道具が香辛料と同じか、それ以上の値段で取り引きされているようだ。
「水や氷以外ですと、どんなものが?」
それらについては俺でも容易に想像ができたので、他にどんなものが必要とされているのかを知りたい。
「質の良い木材や魔物の骨、属性魔石、毛織物……あとは砂でしょうか」
スラスラと答える店主が最後に驚きの品を告げた。
「砂? ラズールにはたくさんの砂漠があるのでは?」
「ええ、嫌というほどありますが、あれは土っぽいせいで壁材の元とするには相応しくないのです」
前世でもコンクリートを作るには砂が使用されていたな。
「ですが、あちらでは砂漠の砂を原料とし、魔法で造り上げた建物が多いのでは?」
「ええ、魔力を使用すれば砂漠の砂でも建造物とすることは可能ですが、魔法使いの魔力量や質に左右されてしまいます。何百年という耐久性や、魔法使いに依存しないメンテナンスの事を考慮しますと、砂漠の砂ではないものを使用した方が良いのです」
ああ、あくまで特別な砂の使い道はラズール宮殿や公共施設、歴史的価値の高い建造物の修繕などに使用したいというわけか。
「……それにしてもお客様はラズールについてお詳しいですね?」
しまった。ジャイサールで見聞きしたことを喋り過ぎただろうか?
「ラズール王国出身の知人がいるものでして……」
「ああ、そうでしたか!」
エリックの母親であるナターシャはラズール王国出身だ。
だから、知人というのも嘘ではない。
店主は納得したように笑った。
やはり、お金に余裕はあっても王都で香辛料を買い込むのは割に合わないな。
転移がある以上、直接ラジェリカに向かって買い付けるのが一番だ。
それならエリノラ姉さんがくれたお小遣いでも十分な量を買い込むことができる。
「こちらのハイビスカスティーとゴマ油を一瓶ください」
「ありがとうございます」
とはいえ、さすがにこれだけ話を聞いておいて、何も買わないというのも悪いのでラズール特産の紅茶とゴマ油だけを買ってお店を出た。
「さて、久しぶりにラジェリカに行こうかな」
香辛料店から離れて人気のない通りに入ると、俺は空間魔法を発動させてラジェリカへと転移した。
●
視界がぐにゃりと曲がると、俺はラジェリカの裏通りへと着地した。
王国とは違った厳しい太陽の光に、熱を孕んだ乾燥した空気。
日陰にいるのに日光が肌をじりじりと焼かれ、ただ立っているだけで汗が噴き出してくる。
さすがに王国の服装だとこの気温に適応できないし、浮きまくりなので亜空間からラズール変装セットを取り出してこっそりと着替える。
ターバンを巻いてマントを羽織ると、肌を焼いてくる日差しが気にならなくなった。
あとは日差しで焼けないように日焼け止めをしっかりとする。それはもう丹念に。
王都に戻って肌が焼けていたら何をしていたんだと思われかねないからね。
「よし、これでオッケー」
元の平服を亜空間へと放り込むと、俺は裏通りから表通りへと出ていく。
香辛料通りと呼ばれる大きな通りでは、あちこちで香辛料が売られていた。
「この通りにやってくると、ラジェリカにやってきたって感じがするなぁ」
日に焼けた肌をしたラズール人が往来を行き来しており、異国情緒感の溢れる色彩豊かな布を纏っている。
あちこちで笑みを浮かべる店員たちが通りを歩く人たちに声をかけていた。
「少年、香辛料はいらねえか?」
「今日はめっちゃ新鮮な青野菜が入ったんだ。どうだ?」
俺もこうやって数メートル歩いているだけで気さくに声をかけられてしまう。
「へい、そこの少年。顔が寝惚けているぞ? さては今日のチャイを飲んでいないな?」
「いや、この顔は元々だから」
しまった。こういう声かけには反応しないのが一番なのに。
聞き捨てならない声かけをされてしまったのでつい反応してしまった。
「そうか? でも、チャイは飲んでいないんだろ?」
「飲んだことならあるよ」
「俺が聞いているのは今日飲んだかどうかだ。その口ぶりは飲んでないな? 今日の分を飲んでけ」
一言も飲むとも言っていないのに店主がチャイの用意を始める。
まあ、ちょうど喉も乾いていたし、いいんだけど。
店主は大鍋にお湯を入れ、香辛料の混ざった紅茶の粉末を投入。生姜と香辛料をいくつか入れると、ミルクを投入し、大きなお玉でぐりぐりと鍋をかき混ぜる。それからカルダモンを石で磨り潰し、砂糖と一緒に入れると、再びかき混ぜた。
動作自体は豪快だが飲み物一杯にかける手間暇が半端ないな。
真剣な店主の顔つきを目にすると、チャイにかける情熱のようなものを感じた。
やがて鍋がボコボコと煮立ってくると、布を敷いた別の鍋へ入れる。
コップを二つほど用意すると、布で濾したチャイが注がれた。
「ほれ、チャイの完成だ。上のコップは熱いから手で持つなよ」
上のコップに触れようとしたら注意されたので慌てて重なっている下のコップを持った。
俺は代金として銅貨二枚を払う。
「……これめちゃくちゃ熱そうなんだけど、どうやって飲むの?」
「上のコップの縁だけを持って、下のソーサーに移し替えるんだ。それを繰り返すことで温度が下がり、砂糖や香辛料がよく混ざる」
「なるほど」
俺は言われた通りに熱々のコップの縁を持って、コップからソーサーへとチャイを移し替える。それを何度か繰り返していると、チャイの温度が下がってきた。
ソーサーからは香り高い香辛料の匂いがする。
ソーサーを傾けると、シナモンの甘さ、カルダモンの芳香、クロープのスパイシーさ、生姜のピリッとした辛みなどが口の中に広がった。そこに煮出した紅茶と牛乳のクリーミーさが加わり、香辛料との絶妙なハーモニーを奏でている。
「香辛料の香りが豊かで甘さと見事に調和しているね」
チャイの感想を伝えると、店主がニヤリと自慢げな笑みを受かべながら作ったチャイを飲んでいた。お前も飲むのか。
「だろう? 癖になると毎日飲まないと落ち着かなくなるぜ」
「……それってヤバい原材料とか含まれてない? 飲まないとソワソワしたり手が震えたりとか……」
「それくらいハマるって意味の比喩表現だ。そういうやべえのは入ってねえ!」
なんてしょうもない会話をしながら俺は香辛料通りで一休みするのだった。




