道中にて
葉を落とし、寂しかった庭の木々も蕾を次々とつけて花を開こうとしている。そこでは鶯に似たような鳥のさえずりが聞こえており、春の到来を知らせてくれるようであった。
気温も徐々に上がり、熱くも寒くもないくらいでほど良い。
そんな緑に包まれ始めた屋敷の庭では、慌ただしく馬車へと荷物がつめ込まれている。
そう、王都に行くためだ。
まだまだパーティーの開催日までには日にちがあるのだが、何分コリアット村は田舎であるために王都までの道のりが遠い。
なんせミスフィリト王国の王都から一番東に離れた位置であるために、馬車で辿りつくのに一週間はかかってしまう。
そんなにかかるのか……
途中で何があるかもわからないので早めに出発するのが当たり前。
まあ王都に着いて、次の日にいきなりパーティーとか言われても嫌だ。馬車の旅とはそんなに楽じゃない。何回か乗ってみた事があるが、自動車とは違い凄く揺れるのだ。
道が日本ほど整備されていないというのもあるかもしれないが、平坦な道でも揺れたんだ。
快適な旅になるとは思えない。
そんな諸々の事情もあって、開催日より二週間早めの本日出発だ。
俺といえば自分の着替えぐらいしか持っていく物がないので、既に準備は万端だ。
大き目の鞄にそれらをつめ込むだけ。
まあ色々あったとしても全部空間魔法で収納してしまうのだから手ぶらでも行ける。どんな荷物もポンポンと入るよ。忘れ物の心配もない。食料から下着まで何でも入っているから。
改めて思うとこの能力は商人にとって喉から手が出るほど欲しい能力だと思う。転移も然りだが。
今はする事がなく皆が荷馬車へと荷物を乗せる姿を、扉の近くに腰を下ろしてぼーっと眺めている。
メイドのミーナ、メル、バルトロといった面子が荷物を荷馬車へと乗せる。その中にはルンバや、知らないおじさんなどの姿も見える。
あれは乗せた、これは乗せていないなどと声を掛け合いながら走り回る。
旅の途中で必要なものが足りないとか食料が足りないとかなったら大変だからね。
ノルド父さんは元冒険者で慣れているのか、落ち着いたようすでエルナ母さんの準備を手伝っている。
「ティーセットはちゃんと入れたかしら?」
「さっきミーナが乗せてくれたよ」
「後は、暇つぶし用の本にクッキーに飴にパスタに……」
エルナ母さんほとんど食料ですよ。
「はいはい、荷物はもう大丈夫だよ」
「あなたがそう言うなら大丈夫ね」
二人とも仲良さそうに二人並んで歩き馬車へと歩き出す。
そこにサーラがしずしずと近付きエルナ母さんに鞄を渡す。
「……奥様、パーティー用のドレスを忘れております」
「いらないわ」
「いや! いるよ!?」
慌ててノルド父さんが説得して、憎々しげに鞄を受け取り乱暴に荷馬車へと放り込むエルナ母さん。
なんという策略。自分では荷物を心配するふりをしておきながら、パーティーに参加するためのドレスを屋敷に置いてくるだなんて。サーラがいなかったら王都に着いた頃には、「ドレスを忘れちゃったからパーティーには参加できないわ」作戦が成功していた事だろう。
エルナ母さんは見ての通り、パーティーに参加するのは嫌なようで。腹黒い貴族のご夫人を相手するのが大層お嫌いのようだ。そのせいで前回のパーティーにも参加していないようで。
しかし王都にあるエルナ母さんの実家から顔をだせとのお手紙が届き、渋々参加。
エルナ母さんの本心は屋敷でゆっくりしたいとの事。
劇や食材、魔導具うんぬんが無ければ俺だってそうだ。
やっぱり俺はエルナ母さんの子だよ。
それにしても忘れ物作戦いいな。
そうすれば俺も貴族のパーティーとかに参加しなくてもよくなるかもしれない。
そう思い俺は自分の鞄を目立たない隅っこの方へと移動させる。
この中には俺専用の正装も入っている。これを忘れればエルナ母さんが実現しえなかった忘れちゃった作戦ができるはず。
鞄を放置して何気なく馬車へと向かおうとしたところで、後ろから頭を叩かれた。
「何してんのよ。鞄持っていきなさい。どっちにしろ王都にも服屋はあるんだから、急ごしらえの正装を買う事になるだけよ」
全くこの馬鹿はというような呆れた表情をしながら鞄を突き出すエリノラ姉さん。
くっ……確かにそうかもしれない。もとより俺は絶対参加。エリノラ姉さんの言う通り子供服などすぐに用意できるだろう。あれは女性のドレスだからできる技だったんだ。女性用の大人のドレスとなると色々と時間や値段もかかるから。それなら今回は出席はやめておこうとなるかもしれない。
侮れない、エルナ母さん。
「……いつのまに近くにいたんだ……」
「玄関の前で間抜けな顔をしていると思ったら、急に気味の悪い笑みを浮かべるんだもの……警戒するわよ」
間抜けな顔とは失礼な。俺がトールみたいだとでも言いたいのだろうか。
「俺は間抜けな顔なんてしていない。ちょっと暇だから周りを眺めていただけで」
「はいはい、早く乗りなさい」
とても重要な話だと言うのに、エリノラ姉さんと言えば腰に手を当てて、しっしと片手で追い払う仕草をする。
確かに俺の顔はシルヴィオ兄さんやエリノラ姉さんほど整っていないが、間抜けな顔とまではいかない……そのはず。
俺が無言で抗議の視線を向けると、エリノラ姉さんは「ん」と言って鞄を乱暴に俺の胸元に押し付ける。
ちょっとそれ可愛いのでやめてください。
エリノラ姉さんに荷物のように馬車へと押し込められた。
ちなみに今回王都に行く面子は、俺、ノルド父さん、エルナ母さん、ミーナ、サーラ。
護衛にはルンバと移民者で元冒険者のゲイツとかいうおっさん。御者兼使用人には村で牛や馬の世話をしてくれる村人のロウさんだ。
シルヴィオ兄さん、エリノラ姉さん、メルやバルトロは屋敷で待機となっている。
王都まで行くのが面倒なのとパーティーに参加すると前回みたいに面倒事が起きるからとの事。
ちょっとずるいと思う。
慌ただしくも、荷物と護衛二人を乗せた小さめの荷馬車と、俺達が乗っているドラゴンの紋章が入った大き目の馬車が出発する。
玄関の前ではエリノラ姉さんとシルヴィオ兄さん、メルやバルトロが手を振って送り出す。
エリノラ姉さんの「変な貴族に絡まれないようにするのよ」という言葉がすごく俺を不安にさせる。
そう言えば言い寄って来た男を剣で返り討ちにしたとか言っていた。その男が逆恨みして俺にちょっかいかけてくるとかないよね……?
俺の不安など関係無いとばかりに、馬車はあっという間にコリアット村から離れる。
外から見える民家や柵や、物見台があっというまに小さくなる。
これで当分は屋敷に帰る事ができないのか……。と思ったがいざとなれば、いつでも転移で帰る事ができるのだった。
魔力を増やす特訓は一応毎日欠かさずに行っているので大丈夫のはず。王都から一発でコリアット村まで帰ってこられるかはわからないが、最悪途中の村や町を伝っていけば二日で帰ることができるであろう。
そう思うとなんだか不安が軽くなってきた気がした。
× × ×
「いやー、やっぱりこの辺りは平和だぜ」
「ここまで緑が続くと気持ちがいいね」
しばらく真っすぐと平坦な道を進むこと数時間。小さな村一つを通過して馬を休憩させている。現在は馬車を一本道へと停めて、見通しの良い草原にて休憩中。
「さっきの村、ポダ村も随分と活気が出てきたもんだ。俺が子供の頃は食べるものも少なくてもっと家も少なかった……」
昔を思い出すように顔を上げる男、ゲイツ。
ほりの深いシャープな顔立ちに青い瞳。髪の毛は男らしくワイルドなソフトモヒカン。
長く太いもみあげが一層顔を濃い印象を持たせる。
そして何より注目すべきところは顎。
そうこの男顎が長いのだ。
空を見上げる顔の形はまるで夜空に浮かぶ三日月のようだ。
ゲイツは昔冒険者をやっていたのだが、引退して嫁と共に田舎へと帰ってきたらしい。
先程通り過ぎたポダ村が故郷なのだそうだが、家族の家へと帰ってくるとそこには知らない人が住んでおり、住む家が無かったとの事。
ご近所さんに親がコリアット村へと移民した事と、知り合いだったルンバがそこにいる事を聞いてコリアット村に移民する事を決めたと。
ここらに帰って来た時には、昔よりも村が賑やかになっていて大変驚いたらしい。
「あの時は驚いた」と笑いながら遠くを見るゲイツ。
きっと昔の事でも思い出しているのだろう。
俺はその横顔を見て思った。やはり顎が長いな。
「この世には例え好奇心でも触れてはいけない物があるんだぜ? 女の胸や尻と同じだ……まあ子供にはまだわからんか」
俺の凝視する視線に気付いたのか忠告の言葉を発し、ふっと笑みを漏らすゲイツ。
絶対心の中で「今いい事言った」みたいなこと考えているよ。
「うん。俺、子供でわからないから。存分に触れるよ」
どや顔をしているゲイツの顎を落ちていた枝で突く。
「…………」
「……ツンツン」
そのまま突いたり、撫でたりしてすると枝が折れた。
すげえ、枝が折れた。
まじまじと折れた枝を眺めたが、短くなっては使いようがないのでその辺に放り投げる。
次の枝を探そうとしたところで、近くから草木の揺れる音がした。
何故かゲイツが俺に掴みかかろうとしていたようだが気にしない。今は音を立てた存在が気になる。もしかしたら魔物かもしれない。
音の方へと振り返ると、少し後方にある茂みが揺れている事がわかった。
ゲイツはスンスンと鼻を鳴らすと、
「……臭うな。魔物……ゴブリンだ」
その言葉と同時に一匹のゴブリンが出てくる。
ゴブリンからはきつい匂いがするので臭いを嗅げばいるかどうかわかる。そんな事をルンバも言っていた気がする。確かになんとなくここまで臭いがする。
ゴブリンはきょろきょろと周りを見渡し、俺達に気付くと醜悪な笑みを受かべて跳ね出した。
まるで獲物見つけて喜んでいるようだ。
「馬車へ戻りな。ここからは俺達の仕事だぜ」
ゲイツはかっこつけた笑みを浮かべて、鞘から剣を抜き出し、左腕に装備した円形のシールドを構えた。




