お湯をつくろう
気付けば40話を越えていますね。これからも頑張りたいと思います。
「アルー、顔を洗いたいからお湯を作って」
リビングのソファーでゆったりと座っていると、エリノラ姉さんが声をかけてきた。
振り返ると、さっさとお湯をつくれと言わんばかりに木製のたらいが俺に突き出されている。
「……エリノラ姉さんの魔法属性は?」
「火よ」
今更こいつは何を言っているのかしらと言うように、片手で髪の毛を払う。
俺の質問の意味を全く理解していない。いや、はなから俺をこき使う気満々なのだろう。
俺が無言になると、エリノラ姉さんは器用に肩眉を上げて「どうしたの?」と尋ねる。
いかん。これは重傷だ。これではますます寒くなるこの季節、毎日エリノラ姉さんの為にお湯を何回も張ることになるじゃないか。いや、もうすでに俺がいるから、毎日お風呂に入るという贅沢をうちではやっているのだが。
「なら自分でやりなよ」
「めんどくさいじゃない」
あたかもエリノラ姉さんはできるけどやらない、という風に答える。あくまでも。
アルフリートは知っている。エリノラ姉さんが髪をいじる時は何かを誤魔化したり、嘘をついている仕草だと。だてに俺はこの人の弟をやっていないのだ、全てはお見通しよ。ならば、少し煽ってみるか。
「ふうーん、できないんだぁ?」
「できるわよ! あとその顔はムカつくからやめなさい」
「できるなら自分でやった方が早いじゃん。本当は出来ないから頼んでいるんじゃないの?」
「なら、見せてあげるから来なさいよ! その顔も駄目よ!」
「今の顔は真顔だよっ!?」
何て酷い事を言うんだ。一回目のしゃくれ顔はともかく、二回目は無表情のはずだったのに。俺の顔ってそんなに歪んでいるのかな?
「じゃあ、ここでやって見せるから水を入れなさいよ」
「外でお願いします」
「何でよ!」
いや、屋敷燃えたら困るでしょ?
肩を震わせるエリノラ姉さんを放置して、俺はたらいを持って外へと歩き出した。
後ろでは「ちょっと!」とか「待ちなさい!」とか叫んでいたが、やがて後ろを付いてきた。
外では乾いた風が枝葉を揺らして、はらりはらりと葉を落とし舞い上がる。空気は冷たく季節は順調に冬へと近付いている。
たらいを持ってきたのはエリノラ姉さんを連れ出す為であって、使う気はない。
だってこんな小さなたらいの水だけを温めるとか、そんな器用な事エリノラ姉さんが出来る訳がないから。
なので俺は空中に大きな水球を作り出した。
ざっと一メートルくらいの大きさはあるだろう。水球は綺麗な円を保ち浮遊し続ける。
これ、意外と円を保つのが難しかったり、水流を動かすのが難しかったりする。
今はぶれる事なく真円を描いているが、制御が甘いとぼこぼことした歪な形になったり、崩壊して水浸しになることもあった。水流を動かすのは得意だが、流れを一切なくすのも困難であった。魔法本では水流を動かす方が難しいと記されていたけど、俺にとっては逆だった。特にトルネードが得意だ。理由はあまり言いたくない。
まあ日本の日常生活からは切り離せないものだったしね。イメージしやすかったよ。
そんな俺の技術のこもった水球を見ても、エリノラ姉さんは不思議そうな顔をするだけだ。
「何でこんな水出したの?」
この水球のクオリティに気付かない時点で、魔法はからっきしと言っているようなものなのだけれど。詠唱していない事にも何も言われてないし。
いや、これはいつもの事だから慣れているだけか。
多分身体強化とかだと違いに気付くんだろうけど。
「いや、いきなりたらいの水を温めるとか無理でしょ」
「できるわよ!」
「それだったら、この水球を人肌に温めてよ」
「人肌ってどのくらいの温かさよ?」
これだから脳筋は。
「…………」
「次その顔をしたらぶつわよ」
「すいません、もうしません。人肌は大体お風呂の温度よりも低いくらいだけど、もうお風呂の温度くらいでいいです」
何かお風呂の温度よりも低いくらいのあたりで怪訝な表情をされてしまったから、お風呂の温度いいです。エリノラ姉さんが温度調整なんて出来るはずがないしね。
「……声が漏れているわよ。いいわ。その口黙らせてあげるから!」
一瞬青筋を立てていたエリノラ姉さんだが、そう告げると瞳を閉じて集中しだす。
いや、大魔法でも使う訳じゃないのに。まあ、集中の仕方は人それぞれだしね。
しなやかな腕を上げて、水球へと掌底を向ける。
「我は求める。いかなるものをも燃やす小さな小さな炎を」
純粋な人の願いを込めた呪文。その言葉が紡がれる事によって魔力が高まり、ポニーテールの髪がゆらりと揺れる。
そして、かっと目を開くと同時に勢いよく炎が出た。
唸るように飛び出た炎は水球に直撃する。
そしてそれは瞬く間に高温となりぼこぼこと弾けようとする。
「や、やばい!」
このままでは高温のお湯が飛び散り、俺達に降りかかることになる。俺は即座に水球に魔力を通し安定させる。エリノラ姉さんよりも多くの魔力で優しく包みこむように。
すると水球は渦を巻くこともなく安定しだした。温度は下げていないために未だに沸騰はしているが。
突然の緊急事態にひやりとさせられたよ。思わず胸を押さえて息を吐く俺。しかしエリノラ姉さんは腰に手を当ててこう言い放つ。
「温度を確かめてみなさいよ」
「火傷するわ!」
結局この水球がお湯の温度であるはずも無く、即座に廃棄した。
× × ×
「で? 何か言う事は?」
「今日は調子が悪いだけよ」
あくまでも、お湯を作れないことを容認しない気か。
よかろう。次はもっと初歩的な事を試そう。うん。次の事が出来なかったなら認めざるを得ないであろう。
「じゃあ次はあれね」
俺はそう言って庭の端にある物を指さした。
その指の先には積み上げられた薪が大量に転がっている。
「……薪? それに火を点けるの?」
おや、エリノラ姉さんにしては察しがいいな。
「その通り。あれに火を点けるだなんて初歩中の初歩。村人のローランドおじさんでも一日に三回ほど火を点ける事が可能です!」
「あの変態に出来て、あたしに出来ない訳ないじゃないの」
可哀想、おっさん。エリノラ姉さんが知っていたのが意外だったけど。それにしても変態って。
俺が笑っている間にも、エリノラ姉さんはお手軽なサイズにカットされた薪を持ってくる。薪を並べている間に、俺は適当な落ち葉や草を拾い薪の上に乗せる。
後で薪が湿気っているせいなのよとは言わせない。
薪の準備が出来上がると、エリノラ姉さんは再び目をつぶる。
「火を点けるだけだよ。小さな種火だけでもいいんだからね」
「わかっているわよ」
そんなに強く言わなくても。
これ以上言うと魔法を俺の方へと向けてきそうなので、黙っておくことにする。
同じように口からは詞が奏でられる。先程よりも丁寧にゆっくりと。心なしか魔力の動きも先程よりも緩やかだ。これならいけるか。
「小さな炎よ」
「……あっ」
順調に抑えて制御されて、いや魔力が最後に膨れた。結果、薪へと向かった炎は一瞬にして最大火力で燃え上がりすぐさま消えた。
まるで料理のフランベを彷彿とさせる危険極まりない炎だった。
エリノラ姉さんは最後の最後、放出の時にやらかした。
俺達の目前には炭化した何かが横たわっていた。
「変態以下だったね」
この言葉はエリノラ姉さんにも効いたらしく、うまく火魔法を扱えないことを容認するのであった。
× × ×
「だからこれぐらいでいいんだって」
俺は少し素直になったエリノラ姉さんにお手本を見せるべく、薪に小さな炎を点ける。
「器用ね。いつも思うんだけど、詠唱はどうしたのよ?」
「そこは慣れで」
「そ、そうなの?」
そこはもう言葉では伝わらない感覚というか。とにかく一日中魔法を使っていたらなんとなく出来るようになるかと。後はそれを数年続けるだけ。
「じゃあ、一回魔力を練り上げてみて」
そう言うと、瞳を閉じる。エリノラ姉さんにとって魔法を使う行為は慣れていないためにこうして集中がいる。これもやがてはいらなくなるのだが、まだ遠そうだ。
「こ、こう?」
「大きいよ。もっと小さくでいいから」
「このくらい?」
「小さすぎだよ」
「じゃあ、これくらい?」
「大きすぎ。はいそこからゆっくり減らして。いいって言うまで」
「…………」
「はいストップ! それを一分維持!」
「ええ! これを一分も!?」
「え? 素振り一分よりも楽でしょ? 立っているだけだし」
「こんな緻密な作業しているよりも、剣を振る方が楽よ! ――うわあっと」
「ほらほら、魔力が揺らいでいるよ」
魔力を維持する事だけに必死になっているエリノラ姉さん。ただ目を閉じて立っているだけにも関わらず、その表情は険しい。
魔力を維持するだけよりも、剣を振っている方が楽だなんて信じられないよ。
こんなの寝転がって本を読みながらでもできるのに。
ただエリノラ姉さんを見ているのも暇なので、火球を浮かべてお手玉のようにぐるぐると回す。
まあ、魔力の制御なんて感覚が全てだし大して口を出せるものじゃないしね。
大体、身体強化とか剣に魔力を纏わせたりとか出来る癖に、初歩の火魔法が使えない事がおかしいんだよ。
「……アルってば実は魔法がすごい上手いのかしら」
「ん? まだ一分じゃないよ?」
「わかっているわよ!」
何をカリカリしているのだろうか。まあいいけど。
それから数えて一分が経過したと同時に火球を空へと打ち上げた。
「はい、終了」
「はあぁ……」
「何へばっているの? ほら早く今の感覚で魔法を使わないと忘れちゃうよ?」
「……ぐぬぬ、今からやるわよ」
エリノラ姉さんは悔しそうに歯を食いしばると、再び集中に入る。
野生動物じゃないんだから、そんなに威嚇しないでよ。
エリノラ姉さんはリラックスをするために深呼吸をすると、ゆっくりと魔力を練り上げる。
さすがは剣をやっているお陰か集中力がすごい。その表情は真剣そのものだ。
立ち上がりは魔力の練りが少しふらついたが、今は安定している。
「我は求める。いかなるものをも燃やす――」
詠唱をする間も魔力はぶれることなく、一定の大きさを保っている。後は放出まで抑え続けていけるか。
「小さな小さな炎を」
最後の言葉を言い終わる瞬間、薪にポンという音を立てて小さく火が点った。
「やったあ! できたわ!」
普段よりも子供らしく、満面の笑みで喜ぶエリノラ姉さん。
あまりに嬉しかったのか、俺を勢いよく抱きしめる。
いつものような凛とした表情ではなく、十二歳の年相応な少女の笑顔がそこにはあった。
「やったああ! 初めてできたわ! ……あっ」
エリノラ姉さんは、目の前にある俺の顔を見て落ち着いたのか動きを止める。
「まあ、おめでとう」
「ま、まあ、あたしにかかればこれくらい簡単よ」
早口で言いながら俺をゆっくりと下ろすエリノラ姉さん。そうは言いながらも頬は染まり、口元が緩んでいる。
そんなエリノラ姉さんを見て、可愛いと思った俺の事は秘密だ。
まあ、感覚を掴むのが早いのは流石というか。これなら次の段階もすぐにできそうだね。
「これで弱い火が出せるようになったからお湯も作れるでしょ」
「うん。後でやってみる」
その日、シルヴィオ兄さんが顔を洗う時に軽い火傷をしたらしい。




