空は無限だ
今回はいつもの二倍くらいの長さがあるのではないでしょうか?
「ど、どうしよう……」
俺は廊下で呆然としながら立ち尽くす。
倒れているのは本物のエリノラ姉さんだ。残念ながらこれは現実だ。
どうするアルフリート。埋めるか? 放っておくか? そもそも生きているのであろうか。
そうだまずは生存確認だ。手首に手を当てて、脈を測る。この時、ひとさし指と中指で測ることがポイント。親指は鈍感さんだから。
「……脈が……ある」
それから俺はエリノラ姉さんの口元にも手をかざす。
「……呼吸もしている」
ふう。何を焦っていたのであろうか。冷静に考えたらエリノラ姉さんが扉にぶつかったくらいで死ぬはずがない。むしろ扉の方が陥没していそうだ。
ふと、扉に視線を向けるが何も問題は無い。念のためにくまなく観察してみたが血痕一つ見当たらない。
エリノラ姉の額を確認してみたが、少々赤くなっているだけだ。
俺は大きく息を吐く。
「とどめをさすか?」
いや、殺人は良くない。それは人の道を踏み外しているよアルフリート。
「このまま土の中に埋めたら冬眠してくれないかな?」
いや、絶対エリノラ姉さんは餌を求めて起きる。その餌はきっと俺だ。
土に埋めるのは危険だ。
ならば、エリノラ姉さんを丁重に部屋まで運ぶまでよ。
食器類やガラスよりも遥かに、落とすと危険だけど。
そう目が覚めたら貴女はベッドの上。全ては夢だったのですよ。
そう誰も……何も知らない……
「…………」
あ、ミーナだ。
廊下ではミーナがこちらを見ていた。一体いつからそこにいたのだろうか。
しかし、天は俺に味方をした。
サーラやメルではなく、駄メイドのミーナなのだ。そう、奴なら取引の余地がある。
そう、今なら確かに飴玉が沢山あったはずだ。いつでも買収できるようにストックは取ってある。
「これで何卒。何卒穏便に」
俺はミーナのメイド服のエプロンのポケットに、じゃらじゃらと大量の飴玉をもぐりこませる。
しかし、ミーナの反応は薄い。
いつもの間抜けそうな顔とは違う、凛とした表情。その楚々とした顔色からは、その思惑を読み取ることは困難だ。
まだか、まだ足りないのであろうか。俺はミーナの顔色を窺いながら飴玉を投入し続ける。
エプロンのポケットがパンパンに膨れ上がった所で、ミーナがこくりと頷いた。
もはや妊婦のようである。
どうやらこれで納得してくれたらしい。よかった。もうすぐ飴玉が無くなってしまうところであった。
「じゃあ、エリノラ姉さんを部屋に運んでおいてね」
そう頼むとミーナは丁寧な動作で頭を下げた。
さあ、待っていて下さいエマお姉様。アルフリート今馳せ参じます!
俺は先程とはうって変わった楽し気な気分で駆け出すのであった。
「…………わかってないですね、アルフリート様。私はクッキーを頂きたかったのですが」
× × ×
トールと一緒にエマお姉様のお家に向かう。
「一体どんな家に住んでいるのだろう。きっと大きな家で凄い華やかな所だよ」
「いや、一応俺も住んでいるんだからな? そこんところ忘れるなよ?」
何を言っているのだろうか? エマお姉様とコイツが同じ屋根の下? 考えるだけでも羨ましく思える。
「声に出てるっつーの。そのセリフこっちも返すぜ」
「何だと!」
「何だよ!」
この言い合いも今日で何回目だろうか。さっさと家に着いて欲しい。
いつも通りに村へ向かい、道を歩く。たしかエマお姉様の家はセリアさんの食堂近くにあるとの事。今まで何も知らずに素通りしていた事が悔しい。
セリア食堂の近くを曲がり、家が立ち並ぶエリアへと進んでいく。ここらへんは少し家が密集しており、通りかかったことは無い。どことなく屋根や家によってできた影のせいか道はほのかに暗い。
細くなった道をトールに案内してもらいながら進む。
「ここだよ」
「え!? まさかこの家全部エマお姉様の家なのか!?」
「馬鹿言え。俺の家はこのオレンジ色の屋根の奴だ」
「……他の家もオレンジ色なんだけど」
「よく見ろ。うちの屋根は塗り直したところで色が違うだろ」
そう言われるとそうかもしれない。しかしここら辺は同じ時期に造ったのか、家の造りが似ている。他のきっと中の造りも同じようになっているのであろう。
「ちなみに隣の家はシーラ姉ちゃんだからな」
「覚えた。もう忘れない」
コリアット村に咲き誇る美しい花が、二輪もここにあるとは。
「ただいまー」
感慨深く、そんな事を思っている俺を無視して、トールは扉を開いた。
「ちょ! 姉ちゃん何やってんだよ!」
「なーにー?」
するとトールの慌てた声と、女性のだらけきった声が聞こえる。
「今日は友達呼ぶかもしれないって言ってたじゃん!」
「あー、そう言えば言っていたようななかったような。どうせアスモなんでしょ?」
「アルフリートなんだけど?」
「……はあっ? いつの間にそこまで仲が良くなっているのよ!? わかったからちょっと待ってて!」
間の抜けた声が外にいる俺の耳にまで届いてくる。ここらへんの家にプライバシーはあるのだろうか。
ドタバタとする音が聞こえ、トールが扉からひょいと顔を出す。
「悪いけど、ちょっと待っていてくれよ」
「お、おう」
俺が短く返事をすると、トールはまたすぐに中へと戻る。
『ちょっと何で台所にスカート置いているのさ!』
『ちょっと足! 私の下着踏んでいるってば!』
『うわあ! いつも服はちゃんとした場所に脱いでくれって言っていただろ!?』
『後で持っていくつもりだったの! もうてっきりアスモかと思っていたのに』
『いや、アスモでもこれはマズイと思うぜ』
騒がし気なトールと誰かの会話が全て聞こえている。トールのお母さんだろうか?
エマお姉様多分この家の地下から進んだ、お花畑に囲まれた大自然の中に住んでいるはず。
そんな中に建てられた大きな屋敷、あるいは趣ある小さな家で紅茶を飲んでいる。美しい青に髪が生かされる、落ち着きのあるドレスを身にまとい小鳥と戯れる。きっとそんな世界の住人のはずだから。
だから、今聞こえる声の人物とは別人であろう。
『ねえ、姉ちゃん。今俺の事呼んだ?』
『えー? 私呼んでないよ? あ、アスモ、卵焼き一つちょうだいーい』
『ほいよ。全部食べないでよ』
隣のシーラさんの家からはトールの家庭とは違い、とても落ち着いた様子が窺える。
うん、とても和やかだ。
「よし、入っていいぞアル!」
「わかった」
なぜか息が上がっているトールに進められて、玄関に入る。
普通の一戸建ての家だ。二階は無く、奥に行くと広がっている造りだ。
「……おかしい」
「な、何がだよ」
「地下への階段が無い。階段が無いとエマお姉様の住むお花畑の所に辿りつけない」
「……お前は人の姉を何だと思っているんだ」
「ようこそ、アルフリート様。こんな小さな家ですがゆっくりしていって下さいね」
奥のリビングへと進むと、エマお姉様が笑顔で出迎えてくれた。
新鮮! いつもとは違う私服姿。収穫祭以外では見たことのない服装。
首元は丸くゆとりのあるつくりの白い長袖。下には赤茶色の膝程までの長さのキュロットスカートをはいている。
「とんでもございません」
これを見るためだけでも来たかいがあったというものだ。
「じゃあトール今日は帰るわ」
「ちょい、待て。俺の相談に乗ってくれてもいいだろうが」
「ええー、面倒くさい」
「いいからこっち来い」
俺の事などお構いなしにトールは腕をぐいぐいと引っ張り、椅子に座らせる。
少しするとエマお姉様が俺とトール二人分のお水を出してくれる。
「すいません。うちには水しか無くて」
エマお姉様は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
いえ、アルフリート紅茶や高級なワインよりも、貴女が入れてくれた一杯の水の方が大好きです。
「自分、水が大好きですので」
「……何言ってんだよ」
「それにしても家事をしている姿が似合いますね。やっぱり普段から家事とかしているんですか?」
トールの突っ込みは無視して、エマお姉様に声をかける。
こうエマお姉様がこうして木のお盆とか、エプロンとか着けていたりするとグッとくる。
「ええ、うちのは両親は働いていますから」
「はっ。なーに言ってるんだ――ぐへぇ!?」
「どうしたんだよトール」
テーブルに腕を付いていた、トールが突然奇声を上げた。
顔を青く染めて、脂汗のような物が額には滲んでいる。
「足でも攣ったのか?」
「さあ? 変な弟なので」
そういうとエマお姉さんは「ごゆっくり」と言い残して違う部屋へと行ってしまった。
ああ、俺もそっちに行きたい。
目の前では息を荒げる、トールがとても苦しそうにしていた。仕方がない。ここにいてあげるか
× × ×
「で、アル。冒険者になるためにはどうすればいいと思う?」
「自分で考えなよ」
「知識が足りないから聞いているんだろーが。それにほら、お前の親父さん元冒険者だったんだろ」
「ああ……ドラゴンスレイヤーだね」
「そうそれだよ! ドラゴンを倒すだなんてかっこいいよな!」
その輝かしい笑顔。ノルド父さんに見せてあげたい。
だからその話はまた今度、俺の家でしよう。本人がこと細かく教えてくれるはずだ。
「その事はうちの屋敷に来た時に話そう」
「…………」
トールが見るからにコイツわかっていないなぁ、みたいな表情をする。
「俺の屋敷には本物がいるから」
「そうだな! 絶対に呼んでくれよ!」
濁った瞳を一転、爛々とした目つきに変わるトール。変わり身早いなあ。まあ、ここで熱弁されるよりはマシなんだけど。
「で、冒険者でしょ? 確かギルドに登録ができるのは十二歳から」
「俺は今六才だから、あと五年か」
五年か。その長い年月の間に俺の生活はどう変わるのだろうか。ふとそう思ったが、案外変わらない気がする。
「まあ、その間に色々な出来事が起きてどうなるかはわからないけど、色々な努力はしてみるべきだよね」
「やっぱり剣か!」
「そうだね。強さも必要だね」
俺はここで念の為に「強さも」と強調をしたのだが、
「だよな! だよな!」
トールは全く聞いていない。手の平をグッと握りしめて興奮気味に言葉を連呼する。
「幸いな事にエマお姉様とか隣のシーラさんとか、剣を習っている人がいるから教えてもらえるじゃん」
「そう言えば、俺ってば結構いい環境にいる!?」
本来ならば、俺に相談する前にエマお姉様にしてみるべきでは無いだろうか。
「アルの父さんも教えているんだよな?」
「エリノラ姉さんもいるね」
トールが瞳で「行きたい!」と語りかけてくる。
駄目だよトール。人間を止めるには君はまだ早すぎるよ。欲望に忠実なのは結構なのだが、もう少し自分の命を大事にしなさい。
「それはトールが強くなったらだよ? いきなり初心者が来るには……ちょっと」
「だよな。俺、まずは姉ちゃんやシーラ姉ちゃんに剣を教わるよ!」
いい顔をしているトールだが、俺には一つ聞きたい事がある。
「うんうん。ところでトール、文字は読めるの?」
「……あ」
トールが間抜けな表情を晒し、室内はシンと静まり返った。
× × ×
あの後、トールが泣きついてきて大変だった。
文字が読めない、計算がろくに出来ないと大変な目にあうことを説明すると、全力で俺の腰にしがみ付いてきた。
どうやら、トールは見た目通り勉学は苦手のようだ。
まあ、この識字率が低い世界で、田舎の村の子供となれば読めない事は別におかしくは無いだろう。書物は村人が持つ事などほとんど無い。学のある者でも住んでいない限り教わることは無理だろう。兵士や騎士に士官する者は入隊試験さえ受かれば教えて貰えるらしいのだが。
ならば、エマお姉様に教えて貰えと話したところ「姉ちゃんもたいして読めないんだよ!」と言っていた。
意外だった、エマお姉様が文字をほとんど読めないとは。
結局トールの根気に負けてしまい、たまに……大事な事なので二回言うのだが、たまに教えてあげる事にした。
もう屋敷に帰りたかったんだ。
そんな感じで帰り道。
すでに空は夕日になっており、全てのものが茜色に染まっている。
道を歩く自分の影が斜陽によってくっきりと写される。
ようやくスロウレット家の屋敷が見えてきたところで、俺は違和感を覚える。
門が全開で空いている。何でだろう。
不思議に思いながら門をくぐり、屋敷の敷地に入ると玄関の扉が開きだす。
誰だろうと疑問に思いながら、視線を前へと向ける。
サーラが俺を出迎えてくれたのだろうか。
なんて想像していたのだが、扉からは艶やかな黒髪では無く赤茶色の髪が出てきた。
そうエリノラ姉さん。髪を揺らしながら堂々とした足取りでこちらに向かってくる。
そう言えば俺、昼にエリノラ姉さんを扉によるジャブで一撃ノックアウトさせたんだった。
今さらその事を思い出してしまった。一気に体の芯が冷える感覚。
アルフリート冷静になれ。エリノラ姉さんは、突然ドアにぶつかって気絶した事で何も覚えていないはずだ。
冷静になれ。顔色を変えるな。あくまでも自然にだ。
そう自分を叱咤して、こちらも堂々といつものように歩く。
何もやましい事はしていない。
「あら、お帰りアル。今日はどこに行っていたの?」
「今日はトールの家に遊びに行っていたんだよ」
そう答えるとエリノラ姉さんは少し考え込んだ素振りを見せる。
「……ああ、確かエマの弟ね?」
「うんそうだよ。ところでエリノラ姉さんはどうしたの?」
エリノラ姉さんの手には木刀が握られている。当然素振りを行うつもりだと予測はついたのだが、聞かずにはいられなかった。
「あたし? アルの帰りが遅いなーと思いながら素振りでもしようかとしていたの」
なんて笑顔で木刀を肩に担ぐ。
何だろうか。いつでも鋭い振り下ろしが襲いかかってきそうで気が気じゃない。
それにしても出てくるタイミングが丁度良すぎないであろうか。俺が屋敷の敷地へと足を踏み入れた瞬間に出てきた気がする。
これが天然の感知能力なら、エリノラ姉さんはすでに人間ではない。
「あ、そうだったんだ。ごめんなさい。今帰りました」
と、笑顔でエリノラ姉さんの横を通り過ぎる。
「あのねアル……あたし、今日倒れたんだ」
その一言により俺の足が止まる。
まさか覚えているのか? いや、ミーナを買収して誤魔化せたはずだ。契約を違えるなどあり得ない。
「へえ、そうなの? エリノラ姉さんでもそんな事があるんだ。立ちくらみかな? 健康には気をつけないと――」
「ミーナから聞いて全部知っているわ」
「あのクソメイド――!」
容赦なく振るわれる木刀を躱し、距離を取る。
そして再び俺は門を背に、エリノラ姉さんが屋敷を背にする形で睨み合う。
そこでふと俺の部屋に人影らしき物を発見し、視線を僅かに向ける。
そこにはミーナが顔を出しており俺達を見下ろしている。
「どういう事だ!?」
そう叫ぶと、ミーナは何やら小さく丸い物を手にする。
「あ、あれはクッキーだと! 馬鹿な! あれは確か――」
「クッキーならアルの部屋にもストックがあるのでしょ?」
エリノラ姉さんが邪悪な笑みを浮かべて、そう告げる。
恐らく、俺の部屋のクッキーを持ち出してミーナを買収したのであろう。
汚い、なんて汚いんだ!
「弟の部屋を勝手に漁るだなんて!」
やはりコイツ。あの時に埋めておくべきだった。
「あんたこそ、あたしを埋めようとするとかどういう訳よ!」
「そんな事まで!? じゃあとどめをさそうとした事も!?」
「それは初めて聞いたわね」
やばい余計な事を言ってしまった!
エリノラ姉さんはわなわなと体を震わせて顔を上げる。
うわあ、顔がすごい引きつっている。
とにかく今、突破は不可能。アルフリート撤退だ!
剣を構えるエリノラ姉さんに背を向けて一目散に走り出した。
斬撃とか飛んできそうなので後ろの警戒も怠らない。
「待ちなさい!」
エリノラ姉さんが鬼の形相で、地面を蹴りだした。
その足には魔力が纏われている。
こんなところで『魔装』、身体強化を使うだなんて!
「なんで火魔法もろくに使えない癖にそんな技が使えるんだよ!」
まずい、今から発動してはギリギリ間に合わない。かと言ってこのままでも追いつかれるのは確実。
何か使えるものはないか。上下左右に視線を巡らせて思考を展開する。
何か、何かないか。
そう考える間にも足音は迫る。
くそ、上下左右どこにも……上?
俺はふと上空を見る。
空は真っ赤に染まり、僅かな雲が自由を謳歌しているかのように悠然と漂う。
……空は無限だ。
そして俺は瞬時に魔法を発動させる。
その魔法は無属性魔法の『シールド』
魔力を直方体状に象り、圧縮し、己の身を守る盾を作り出す魔法。
それを俺は連続で造形して階段のように並べる。
「待ちなさい!」
エリノラ姉さんの手が、俺の服を掠めて離れる。
俺の足は既に地面へと着いていなかったからだ。
この日俺は空を走った。
× × ×
俺は再びトールの家の前へと戻ってきた。すでに空は茜色から蒼い闇に包まれている。
「トール!」
俺がそう叫ぶと、しばらくして、本人が顔を出す。
「何だよ大声出して、近所迷惑だろ。忘れ物か?」
「……今日泊めてくれないか」
「はあ!? 何でだよ? 屋敷に帰れよ」
「……今日は帰りたくないんだ」
「まあ何があったか知らんが、今日は暗いし泊まってけよ」
「ありがとう。今から文字の勉強教えてあげるよ」
「お、そうか。ありがとな」
トールに促されて、玄関に入る。
持つべきものは、やはり友だな。
『『トール×アルきたああああああああ!』』
その夜にはそんな叫び声があちこちから上がった。
もうすぐ冬のエピソードになるかと。




