でっかい男
読んでくれた人に感謝を!
「なあトール……本気なのか?」
俺はトールの言葉を理解するのに数秒ほどかけ、震える声で問いかけた。
「ああ、本気だ」
トールは俺の瞳を真っすぐに見つめてくる。ちょっと止めて近い。こんな体勢、ご腐人方に見られたらとんでもないことになるよ。まるでトールが俺に迫っているようにも見えてしまう。しかし、トールは真剣だ。
確かにエリノラ姉さんの見た目は良い。
外に長時間いるが、肌は白くきめ細やかだ。日頃剣を振って訓練しているおかげか、その体はちょうどいいくらいに引き締まっており、その肢体は細く滑らか。随分と胸元の盛り上がりも滑らかになってしまっているが、ウエストラインは黄金比を体現したように美しい。
まつ毛は長く、瞳は切れ長、顔のバランスも整っており凛々しい。
鮮やかな赤と茶色の入り混じった長いポニーテールを揺らしながら歩き、髪を払う姿には誰もが目を奪われてしまうであろう。
しかし、俺はそんな情報に惑わされたりしない。ここはトールを普通の道へと戻してやるべきだ。本当のエリノラ姉さんの姿を教えてやるべきであろう。トールを茨の道へと行かせてはならない。
「あれのどこがいいんだ? お前には素敵なエマお姉様がいるだろ?」
「あれって、お前あんなに優しくて綺麗な方に惹かれない方が珍しいだろ? お前こそ俺の姉ちゃんをエマお姉様とか呼んじゃって可笑しいぜ?」
「お前は見てくれに騙されているんだ! エマお姉様は綺麗でお淑やかで、笑顔も素敵ですっごく優しいんだぞ!」
エリノラ姉さんが優しい? 一体どうしたらそんな思考にたどり着いてしまうのか。笑えない冗談だよ。
「「ぐぬぬぬぬぬ!」」
俺達は一度離れて落ち着く。
「トールお前の意志は固いようだな」
「お前こそ。俺の姉ちゃんを気に入るなんて」
俺達二人の空間は収穫祭の喧騒が入り込む余地がないほどに切り取られており、重い沈黙が場を漂う。
「エリノラ姉さんは粗暴で乱暴で野蛮で、優しいとはかけ離れた存在だぞ?」
俺はトールを諭すように、ゆっくりと優しい声音で話す。
「お前こそ。俺の姉ちゃんは杜撰で緩慢としていてだらしないんだぜ? 胸だって盛って――」
「――何の話をしているのかな?」
「――あたしも興味あるわね」
俺達の声では無い、第三者の声が二つ響く。
「「…………」」
振り返るとそこにはエマお姉様とエリノラ姉さんが立っている。何だか二人ともとても怒っているように見える。もしかして俺達の最後の会話を聞いていたんだろうか。だとしたら最悪だ。
その後ろには、色濃い疲労の様子をしたシルヴィオ兄さんがいた。
「シルヴィオ兄さん探したよ!」
俺はシルヴィオ兄さんを出しにして、この場から離脱を図る。トールの羨ましそうな表情が視界の端にちらつく。
「どこ行くのよ?」
「ぐふっ!?」
その一言と共に、魔の手が鋭く俺の襟元を掴む。
この技はノルド父さんの技! もしかして会得したのか!?
「ほら、トールもこっちよ」
「ひ、ひいぃ!」
あちらも終始笑顔のエマお姉様に捕まっている。さすがに胸を盛っている、うんぬんはエマお姉様でも怒るだろう。
「じゃあ、ちょっと用事ができたからエマ、また後でね」
「はい、エリノラ様。また後で」
俺達は優しく手を繋がれて、別方向へと歩き出す。
『まあエリノラ様とアルフリート様は仲がいいわね』
『本当。微笑ましいわぁ』
『本当よ。うちの子なんて喧嘩ばかりで見習ってほしいわ』
『シルヴィオ様もすごくかっこよくて可愛いし、いい姉弟よね』
『コリアット村の未来は明るそうね』
ご婦人達の明るい会話が聞こえてくる。違うんですよ。これは拘束なんですよ? 俺が逃げないために繋がれた。この白くて柔らかい手を引きはがそうとしているのだけど、ビクともしない。それなのに一切の圧迫感も痛みもないところが一層と恐ろしい。
村人達から暖かい視線を向けられる中、俺は精一杯笑顔を振りまきながらも屋敷へと連行された。
× × ×
エリノラ姉さんからの寵愛を雨のようにいただいた。
収穫祭という事を考慮してなのか、今日はエリノラ姉さんによるくすぐり地獄という罰をくらった。
屋敷中に響いた俺の笑い声に、誰も違和感を感じないのはおかしいと思うのだが。
エルナ母さんなんて、やつれた俺を見ても『今日も仲がいいわね』と微笑むばかり。
屋敷の皆は俺をどう思っているのか気になる所だ。バルトロに相談でもしてみようかな。
ようやくエリノラ姉さんから解放された俺は、夜の宴が行われる広場へと向かった。
既に空は闇に覆われ、コリアット村は蒼い闇に包まれていた。その中で明るく燃え盛る炎がちらほらと見える。
「トールは来ているのかな? というか生きているのか?」
トールの安否を心配しながら、俺は走り出した。
村へ着くと、広場を中心に人が多く集まっていた。広場の近くの屋台は移動するか、畳まれており多くの人が入れるようになっている。
既に中央では火が付けられており、大きな焚火の光に村人たちの姿が照らされる。その周囲では料理が振る舞われており、村人達はお酒を片手に盛り上がっている。
ところどころでは、男が踊りだしそれに合わせて手拍子が起こり、音楽に自信のあるものは木製の楽器を取り出して、鮮やかに旋律を奏でる。
「おー、始まってるなー」
「遅いぜアル!」
宴の様子に見とれていた、俺に声をかける者が。
「トール! 生きていたのか!」
「ああ、何とかな」
鼻をこすって得意げにしているトールだが、何故か腰が引けているような気がする。
「エリノラ様はいないのか?」
「お前こそエマお姉様は?」
お互いに気になる存在がいないか確かめる。こういうところの思考回路が俺達は似ていると思う。
「姉ちゃんはシーラ姉ちゃん達と合流するとか言っていたな」
「じゃあ多分エリノラ姉さんもそこにいるよ。俺より早くに屋敷を出たから」
「なるほど。なら今日は俺達男同士で語ろうぜ!」
人なつっこい笑みを浮かべて、トールが肩に手を回してくる。何だかえらく元気だな。
「まあいくらエマお姉様がいても、エリノラ姉さんがいたらねえ。それに女には女の付き合いもあるし」
それに俺には大人達くらいしか話せる人がいない。大人達もそれぞれ家族を持ち、お酒を楽しみたいだろう。
「よっしゃ! 今夜は語るぞ! 飲むぞ友達!」
「いや、俺達まだ未成年だから。それにもう友達なの!?」
「おうよ! 想い人を打ち明けた俺達はもう友達に決まってんだろ!」
なるほど。それは一理あるかもしれない。同世代の友達が全くいない、俺にとってはトールの提案は良いものだ。
「いや、俺の場合は敬愛なんだけどね。ところで友達よ、本音は?」
「えへへ、エリノラ様の好みとか知りたい」
だらしない笑みを浮かべるトールと肩を組みながら、俺達は仲良く広場の中心へと向かう。
全く面白い友達ができたものだ。
× × ×
「それで結局エリノラ様に婚約者はいるのか?」
俺とトールは中心部に適当に置かれた丸太の上に、仲良く座っている。
「あ、そういえばそんなこと言っていたね」
「おい! まあいいけど。で? いるのか?」
「……いないよ」
「おっしゃあ!」
俺の返答を聞き、拳を握りしめるトール。雄叫びともいえる音量ではあったが、今は宴のお陰か周りの人も気にも留めない。
「でも、前にはそんな話があったらしい」
「なぬう!? どういうことだ!」
「ちょ、ちょっと、そんなに強く掴んでいたら話しにくい」
「お、悪い」
「ふう、二年前くらいかな? 貴族のパーティーに顔を出した時に、一目惚れした男の人がいたらしいよ」
「で、で? それでどうなったんだ?」
それだけでは満足できなかったらしいトールが、続きを促す。とはいっても、俺もたいして知らないんだけどね。
「話せば長くなるんだけど、エリノラ姉さんは男を剣で返り討ちにした。それっきりパーティーに行くこともなく、縁談の話も来なくなった」
「結構短くまとめたな」
「まあそんなに詳しくは知らないんだけど、エリノラ姉さんのことだから自分より強い人じゃないと認めない! くらいは言いそうだよ」
「あー、それぐらいじゃ無いと釣り合わないよな」
そんな人物は果たしてこの世に存在するのであろうか。
セリアさん? いや、駄目だ。あの人は女にしておくのが勿体ないくらいの人なんだけどね。ナタリーさん? いや、俺は会ったことが無いからわからない。
強い人物と言われて、連想されるのがまず女性という時点で可笑しいのかもしれないが、コリアット村ならば仕方ないかなと思える。
『おお! ローランドが脱いだぞ!』
『いいぞ! 踊れ踊れ!』
『ぎゃははは! 何だその踊り!』
『こっちではウェスタも脱いだぞ!』
『いつ見てもすげえ着痩せっぷりだぜ!』
『なんだ!? ウェスタのあの動き! あれは……踊り……なのか?』
『あいつらこの季節によくやるぜ』
『ワシも脱ぐぞ!』
『爺さん! やめろ!』
『どうして邪魔をするんじゃい!』
『去年それでぶっ倒れただろうが! 歳を考えろ!』
『ふえ!ふえ! それなら爺さんの代わりに、あたしが脱ごうかえ? これでも昔は男共をぶいぶいと――』
『『『やめろおおおおおおおおおぉ!!』』』
何だか大人達が騒がしい。あんまり羽目を外しすぎないようにしてよね。
「……何だか大人達が騒がしいな」
「まあいつも通りじゃない?」
「……それもそっか」
俺達は気にしない。大人には大人の世界があるのだから。
「あー、俺も頑張らないとな」
突然トールが、空を見上げて呟く。その先ではたくさんの星々が輝き俺達を照らしている。
そして焚火の光が蠢きトールの横顔を照り付ける。
「エリノラ姉さんと釣り合うために?」
俺はトールに問いかける。
「そうだな。剣では無理かもしれない。だからって諦めるつもりもない。だけど俺はこう、でっかい男になりたいんだ」
トールの決意のこもった横顔は、八才の男の子とは思えないくらいに大人びていた気がした。
彼はエリノラ姉さんと出会い、憧れ、想いを抱いたことで大きな目標を見つけたのであろうか。これから彼は大きく成長するのであろうか。
「でっかい男か。なら冒険者かな?」
何となく俺の頭の中で浮かんだのは、この言葉であった。
それはきっと、俺とは真反対の物。
世界の観光はしたいけど冒険はちょっとね。その観光ですらも、俺にとっては転移魔法であちこちといけるようになって、様々な食材を得るためなんだけど。
「……冒険者か」
トールが呟いたその瞬間に、焚火の火の粉が大きく舞い上がった。
これで収穫祭は終了となります。




