魔王と勇者と失われた盾と
今回は少し多めです。
朝稽古の前に、朝食は食べないと力がでない。朝食はとても大事なのだ。
日本では『夜は抜いてもいいけど、朝は抜くな!』ってよく言われたな。
朝ってあんまりお腹が空かない日があるんだよね。
そういう時は夜ご飯を食べすぎだったり、食生活が狂っているからなのかな。
でも朝食の欠食が続くと将来の健康にも影響を及ぼすし。いいスローライフをおくるためにも健康な身体づくりは重要だ。
さあ、今日もバルトロが朝早くから作ってくれた朝食を食べよう。
ダイニングルームに入ると、テーブルには優雅に紅茶をすするエルナ母さんの姿が。
「おはようエルナ母さん」
「あらアル。おはよう…………今日も元気そうね」
にっこりと微笑み挨拶を交わす。なんだか、『おはよう』の後に随分間があった気がする。
俺が今日も元気か確かめていたのだろうか? それにしてはやけに俺のおでこを凝視していた気がする。
エルナ母さんはまだ眠気が抜けていないのだろうか、俺が対面の席に着くと同時に欠伸を漏らす。
俺の眠気? そんなものエリノラ姉さんの愛のおかげで見事に吹き飛んだ。危うく意識も飛びかけたけどね。俺はひりひりと痛むおでこを撫でる。
もしかしたら、エリノラ姉さんのアイアンクローによって、頭の形がヒョウタンみたいになっているかもしれない。
「ねえ、エルナ母さん」
「なあに?」
「俺の頭おかしくなってない?」
「どういうことかしら?」
「ひょうたんみたいに変形とか、へこんだりしていない?」
「大丈夫よ。変形なんかしていないわ……フフ」
「え? 今何で笑ったの?」
「笑ってなんかいないわ…………フフフ」
「今絶対笑った! 笑ったよね!?」
体が震えているし、カップもさっきテーブルに置いたよね!? 持っていたら笑った時に零れるからでしょ!?
「アルフリート様。朝食をお持ちしました」
ちょうど俺がエルナ母さんを問い詰めようとした矢先に、サーラが朝食を運んできた。
さすがサーラ、できるメイドだな。エルナ母さんへのフォローが上手い。駄メイドのミーナとは違い空気が読めるな。
もっとも、その力を俺の尋問のために使ってくれないのが残念なのだが。
「ありがとう。サーラ」
朝食がきては仕方がない。今はエルナ母さんの不審な態度はひとまず置いておこう。
「いえ………………クスッ」
「今サーラが笑った!」
「いーえ、サーラはくしゃみをしただけよ」
俺の訴えかける叫び声を、毅然とした態度で受け止めるエルナ母さん。
俺とエルナ母さんの茶色い瞳が正面からぶつかり合う。
(随分と短く可愛らしいクシャミでしたね?)
(女の子なのよ? クシャミには気をつけるわ)
すがすがしいダイニングルームに長い沈黙が訪れる。
そうですか。女の子ですしね、仕方がないですよね。
しぶしぶ俺は身を乗り出していた状態から、腰を下ろしフォークを手に取る。
エルナ母さんが満足そうに頷き、紅茶をすする。
釈然としない気持ちだったのだが、クシャミをした、サーラはすでにこの部屋にはいなかった。
気分をすっきりとさせる為に、ドレッシングのようなものが少しかかったみずみずしい新鮮な野菜をもしゃもしゃと食べる。
水分をたっぷりと含んだ野菜が、身体全体に水分を巡らせてくれるようだ。
酸味の効いた、白いドレッシングも野菜の甘みとうまく調和している。
「ふっふふんふふーん♪」
野菜の美味しさに舌鼓を打っていると、駄メイドのミーナが鼻歌を歌いながら部屋へと入ってきた。
随分と可愛らしくてユニークな歌だね。
「あ、エルナ様、アルぶふうッ!? あははははは! アルフリート様、どうしたんですか! そのおでこ!」
「なっ! ええ? 母さん!?」
「もー、駄目よミーナ。我慢しなくちゃー」
エルナ母さんの方を慌てて見るが、母さんもこらえ切れないとばかりに笑い出した。
「だっておでこに手形がついているんですもん! いきなり見たら笑っちゃいますよ!」
「フフフ。そんなに笑っちゃ可哀そうよ。きっとエリノラの手形ね」
「んあああああああ!」
俺はいつまでも笑い続ける二人を放って、鏡があるエルナ母さんとノルド父さんの寝室へと直行した。
大きな鏡にはおでこにくっきりとついたエリノラ姉さんの手形が。
なんて握力の強さなんだ! くっきりと痕がつくような力とは。おのれー!
全くそれを笑うエルナ母さんも、サーラも、ミーナもだ。素直に教えてくれたらいいのに。
それはともかく、今日こそは朝稽古を利用して、日頃の借りをたっぷりとエリノラ姉さんにお返しする必要があるようだ。
その為にまず朝食をしっかりと食べないと。まだ野菜しか食べていないから。
野菜だけじゃアイツには勝てないから。
× × ×
朝食を食べ終わった俺は、いつもの中庭へと向かった。
朝食を食べにダイニングルームへ真顔で戻ったら、エルナ母さんとミーナが申し訳なさそうに謝ってきた。
怒っているんじゃないよ? ちょっとそんなことよりも、今は優先度の高い事が目の前にあるだけ。だから、廊下で笑っていたサーラにも怒ってなんかいないんだからね?
「アル遅いわよ。朝食に時間かけすぎよ」
出たな魔王! 俺は貴様を倒して―――
「何よ?」
「遅れて申し訳ございませんでした」
くう! 一睨みで気おくれしてしまった。すでに俺は調教済みだったのか!? いや、まだだ。まだアルフリートは調教なんかされていないはず。もしされていたのなら、前世のように抵抗する気力すら沸いてこないのだから!
「朝から変な言葉遣いしないでよ。身体を温めるわよ」
「了解」
俺は何の違和感も覚えずに、走り出したエリノラ姉さんの背中に付いていくのだった。
「よう、アル! 元気だったか?」
「やっとか、遅いぞ」
俺に声を投げかけてきたのは、ルンバとメルナ伯爵。二人とも早速打ち合っていたらしく、木刀を片手に持ち、汗をぬぐっている。
「やあルンバ。元気だよ。そっちは聞くまでもなく元気そうだね。それにメルナ伯爵も」
「さっそく打ち合うか?」
「いやいや、無理無理。ルンバとか打ち合える気がしないから。それに力加減とか苦手そうだし」
あんな巨体から振り回されたら、一振りで吹き飛ばされるに決まっているでしょ。
「なら俺とならどうだ?」
「絶対メルナ伯爵はノルド父さんと同じタイプの人でしょう?」
「確かにどちらかと言うと武闘派の貴族だな」
いや、迷わずに武闘派とわかる貴族さんですよ。メルナ伯爵は。
「まあ、俺は自分のガキにも剣を教えているから安心しろ」
「まあ、それなら後でお願いします」
「ちぇっ、俺もアルと打ち合いたかったぜ」
「お前は俺の木刀をへし折るくらいだから危ないだろ」
つまらなさそうに頭の後ろに腕を回したルンバに、メルナ伯爵はじとっとした視線をおくる。
「よく言うぜ! 伯爵さんだって俺の木刀にヒビいれたくせに!」
「あの時は少し熱くなっただけだ。もともとその木刀にダメージが蓄積されていたんだ…………きっと」
「え? 何か聞き捨てならないセリフを聞いた―――」
「はいはい、ぐずぐずしてないでさっさと体を温めるわよ。時間が無くなるわ」
「ええ!? キャンセルを! 打ち合いのキャンセルをさせて!」
俺の願いは届くことなく、エリノラ姉さんに腕を引っ張られるのだった。
体操をしたり、走ったりと筋肉をほぐしてゆく。
いつもの素振りをする場所では、シルヴィオ兄さんが熱心に素振りをしている。いや、あれは誰か対戦相手を想像しての素振り。ボクサーがやるシャドーのような訓練か。
やけに今日は鬼気迫った表情をしている気がする。
何でだろうか? シルヴィオ兄さんはいつも真面目に稽古をやっている。これは間違いない。
しかし、今日のシルヴィオ兄さんは真面目ではなく、真剣そのもの。まるで倒したい相手、倒さなければならない相手が明確にいるような感じだ。おそらくそれは意思ではなく意志。
一体何がシルヴィオ兄さんをそこまでさせたのか、俺にはわからない。
俺の倒すべき相手はエリノラ姉さん。きっとシルヴィオ兄さんも志を同じとしているに違いないだろう。
何だか今日なら、俺達二人でかかればエリノラ姉さんから一本とることが、いや倒す事さえできるのかもしれない。
見てろよ魔王め。今日の俺たちは一味も二味も違うのだからな。
俺は確かな自信を胸に抱き、シルヴィオ兄さんの近くで素振りを始めるのだった。
シルヴィオ兄さんのシャドーは、やはり防御が多かった。
× × ×
いつもやっている一通りのメニューを終えると、打ち合いの時間となる。
今日のシルヴィオ兄さんは口数も少なく、視線が尖っており、ピリピリとした感じだった。
「じゃあ、そろそろ打ち合いをしようか」
ノルド父さんが現れて俺たちに告げる。
「今日は三人の実力の確認のために、総当たりでやってみようか。アルはちょうどメルナ伯爵と打ち合うための、実力確認のためにも丁度いいしね」
「ええええ!」
そんなバカな! 魔王と戦うには仲間が必要なんだよ? ほら勇者とかにも賢者とか聖女とかがいるじゃないか!
「わかったわ(ニヤリ)」
「わかりました(ニヤリ)」
エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんが邪悪な笑みを俺へと向ける。
エリノラ姉さんはわかるのだけど、どうしてシルヴィオ兄さんまで、あのような笑みを俺に向かって浮かべたのだろうか。
何かが狂い始めている。
こうして俺は魔王《エリノラ姉さん》と戦うための盾《シルヴィオ兄さん》と希望を失うのであった。
「じゃあ、初戦はアルとシルヴィオからいこうか」
ちいっ! エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんがやってくれれば、片方はぼこぼこにされて弱るというのに。片方は言わなくてもわかると思う。
心の中で思い通りにいかなくて残念に思いながら、木刀を構えてシルヴィオ兄さんと睨み合う。
「どっちが強いんだ?」
「さあな。でも普通は兄貴の方が強いだろ。アルは剣より魔法の方が得意のはずだしな!」
「あー、希少な氷魔法を果実水を冷やすために使ったり、土魔法で箱作って凄いことをやるくらいだしなぁ」
「俺も一緒に森に行った時に、どでかい氷柱を飛ばすの見たぜ! っていうか土魔法ですげえことって何だ?」
「何だルンバ、昨日のリバーシ大会来てなかったのか?」
「いやー、俺は――」
などと少し離れた所では、メルナ伯爵とルンバの話す声が聞こえてくる。
二人ともすごく仲がいいですね。確か二人は初対面なはずだったよね?
「では、始め!」
ノルド父さんが開始の声を上げると同時に、シルヴィオ兄さんが動き出す。
いつもとは違うシルヴィオ兄さんの攻めの体勢に、一瞬驚いたが慌てずに対処する。
カンカンと打ち続けられる木刀同士の剣戟。
やはりシルヴィオ兄さんに攻めは合っていないよ。いつものカウンターの一振りと比べると太刀筋が数段劣っている。
「今日は攻めなんだね?」
「……くっ」
俺は素朴な疑問を問いかけただけなのだが、シルヴィオ兄さんは悔し気に顔を歪める。
すると、シルヴィオ兄さんは先程よりも苛烈な勢いで木刀を振るい攻め立ててくる。
木刀が俺をあちこちとかすめるが、何とか躱し、時に受け流す。
こちとら烈火の如く攻めてくる姉を相手にしているのでね。躱し、受け流すのだけは上手くなったよ。
「…………何だかあいつ等の剣がどうしてあんなタイプなのか……わかっちまうな」
「……そうだなルンバ」
「「恐らくは……」」
「お二人ともどうかされました?」
「「いや……何も」」
「そうですか?」
シルヴィオ兄さんの大振りとなった一撃を、俺はステップで避けて、懐へと潜り込む。
しかし、シルヴィオ兄さんは木刀を逆手へと持ち直しカウンターの突きを放つ。
「危ね!」
「……惜しい」
ここで急に鋭いカウンターをやってきた。恐らく先程の大振りもわざとやったものであろう。シルヴィオ兄さんが守りの体勢へと入ったことで、攻めにくくなってしまった。
俺たちの距離は空き、仕切り直しとなる。
お互いに激しく攻め合い続けたせいか、いつもよりも疲労の色が共に濃い。特にシルヴィオ兄さんは多くの汗を流し、息を切らせている。
俺はいつも追い回されているお陰? なのかまだ体力には余裕がある。
攻めるならシルヴィオ兄さんの疲労が濃い、今がチャンスか。
俺は足に力を込めて駆けだす――
「はい、そこまで!」
ノルド父さんの静止の声により、俺の足が止まる。
「一本取って無いけど?」
「そうだね。実力を確かめる為のものだから一本を取らなくても構わないよ」
「なーんだ良かった。もう疲れてたんだよ」
「僕も。アル、次は一本とってみせるからね」
そう告げるとシルヴィオ兄さんは、背中を向けて外野へと向かっていった。
「今日はやけにシルヴィオ兄さんが好戦的だったね」
「あはは。シルヴィオも思うところがあるんだよ。ほら、シルヴィオも長男だしね。弟には負けたくないんだろう」
「……何かこのままだと、将棋みたいにあっという間につき離されそう」
シルヴィオ兄さんは努力家だし、可能性は十分にあり得るよ。
「ならアルも、つき離されないように頑張らなくちゃね」
「……俺には魔法がありますので」
「言っておくけど打ち合いで魔法は禁止だからね?
「そんな!? それじゃあ無魔法! 無魔法だけでもいいから!」
「まだ駄目」
俺の懇願もノルド父さんにも届かず、爽やかな笑顔で却下されてしまった。
「じゃあ次はエリノラとアルだね」
ノルド父さんの声が聞こえたのか、エリノラ姉さんがいきいきとした様子でポニーテールを揺らしてやってくる。
うわー、すごくいい笑顔してますやん。
「というかどうして俺が先なの!? シルヴィオ兄さんがいるじゃん!」
「いや、アルが元気そうに、ここに残っているから」
シルヴィオ兄さんの方に首を向けると、いい汗かいたとばかりに爽やかな顔で汗を拭いている。そして視線が合った。シルヴィオ兄さんは親指をぐっと立てた。
そして、口の動きは――
「……が……ん…ば……ちくしょう! 押しつけやがった!」
「アル、準備はいいの?」
振り返るとそこには戦闘態勢の整った魔王が立っていた。
その優しい笑みが怖い。表情と殺気が全くかみ合っていないですよ。
「……どうかお手柔らかに」
何とか絞り出せた声がこれだった。
勇者アルフリート。魔王へと挑みます!
「……あれは生き残ることに特化した剣のアルでも無理だな」
「……ああ、ゾンビみたいなアイツでも無理だ」
収穫祭がなかなか終わらない……




