エンジェルスマイル
愛用していた椅子の脚が折れてしまわれた。
メルナ伯爵とユリーナ子爵とセリア食堂を後にして、スロウレット家の屋敷へ戻ると見慣れない馬車が敷地内に止まっていた。
馬や御者はどこかへと移動しているのか、その姿はない。
貴族である二人に護衛がついていないはずも無いので、すでに案内されているのであろう。
木の材質から装飾にいたるまで通常の馬車とは異なる。
トリエラが荷物を運ぶために使っている馬車とは違う、人を快適に運ぶための馬車。
そして横につけられた大きな鷲の紋章が貴族の馬車であることを示している。
「私の馬車ですよ」
「鷲の紋章ですか」
「ええ、我が家に伝わる伝統的な紋章です。祖先が王家から爵位と同時に受け賜ったものです」
「なるほどー。かっこいいですね。奥にある大きな馬車はメルナ伯爵の馬車ですね? 紋章は剣ですか」
ユリーナ子爵の奥に見えるひときわ大きな馬車。ユリーナ子爵の馬車と同じく横につけられた紋章。やたらと全体的に豪華なのは伯爵という爵位ゆえなのだろう。
「まあ、俺の紋章もユリーナの所の紋章もスロウレット家の紋章には霞むかもな」
「ドラゴンですしね」
メルナ伯爵とユリーナ爵位は二人揃って肩を震わせる。
ちなみに家の敷地にも馬車はある。もちろんそんなに華やかな馬車ではないが、その分でかでかとしたドラゴンの紋章が付いてあった。
もはやドラゴンとはノルド父さんの代名詞と言ってもいいのだろうな。
王都ではノルド父さんのドラゴンスレイヤーの話も大人気であり、劇でもよく公演されているらしい。
絶対に観に行かなければ。
子供からの無邪気な声で『ドラゴンスレイヤー!!』とか呼ばれていて人気に違いない。
その子供の純粋な眼差しに、恥ずかしく答えるノルド父さんの姿を思い浮かべると少し笑える。
「ドラゴンスレイヤー……ぷぷっ」
ごめんなさいノルド父さん。すごく笑えます。そんな中二っぽいあだ名をつけられたら恥ずかしくて仕方がないよね。
「コイツ、自分の父親のあだ名を笑ってやがるぞ。ぷぷぷ」
「し、失礼ですよ。笑っては……ククク」
メルナ伯爵を咎めるユリーナ子爵だが、ユリーナ子爵自身も笑いを堪えられていないために説得力はない。
「俺だったらそんなあだ名、呼ばれただけで悶絶してしまうよ」
「ククク……笑っては可哀想ですよ」
「ド、ドラゴンスレイヤー」
「止めろよ。腹がよじれるだろうが」
「ククク……イハハハハ!」
俺の呟きにより、ユリーナ子爵も堪えきれなくなったのか派手に声を洩らす。
この人紳士に振る舞っているけど、結構いける口だな。
『誰がドラゴンスレイヤーだって? 悶絶? 可哀想?』
「「「……………………」」」
やってしまった。あまりにもツボに入ってしまった俺達は、ノルド父さんが玄関から出てきていた事に気付くことができなかった。
見上げると笑みを浮かべるドラゴンスレイヤーさんのお顔。
その端整なお顔には青筋がうっすらと浮かんでいるようだが、今はそれさえも笑えてしまう。
人間面白いと思えると、どんなときでも笑えるから不思議。
「ミスフィリト王国に仕える貴族が一人。ダレイオス=メルナ伯爵ここに参った」
「同じくミスフィリト王国に仕える貴族が一人。ユステル=ユリーナ子爵です。本日はお招き頂き嬉しいかぎりです」
姿はどう見ても村人の格好なのだが、あふれでる貴族のオーラがメルナ伯爵とユリーナ子爵をカバーする。
何という対応の早さ。
やはりこの人達できる!
「ようこそ我がスロウレット家へ。スロウレット家が次男のこのアルフリートが誠心誠意おもてなしをさせて頂きます」
俺は素早く玄関へと移動してメルナ伯爵とユリーナ子爵を招き入れる。
「おお、すまない。スロウレット家の次男はよくできている」
「ありがとうございます」
柔らかい笑顔を浮かべて玄関へと足を踏み入れる二人。
そして俺も流れる水のごとし、体を玄関へと入る。
「ちょっと待とうか」
ギクッ
「そんな風に取り繕っても、うやむやにはしないよ。メルナ伯爵とユリーナ子爵とはゆっくりお話をする必要があるようだ。後アルフリート。後で木刀を持って庭に来なさい」
メルナ伯爵とユリーナ子爵は憐憫の眼差しで俺を見ていた。
ともあれ、まずはおもてなしをするために稽古はなしだ。
ノルド父さん、俺、メルナ伯爵、ユリーナ子爵の順番で屋敷の一階を歩く。
このまま『ノルド父さんがさっきの出来事を忘れてくれないかな?』なんて希望を抱く。
「リナリア夫人はすでに客間へと案内しています」
このまま客間へと向かうようだ。六才の子供である、俺が向かっても意味はないなと思いノルド父さんが曲がり角を曲がる瞬間にスッと反対側へと離れる。
「おっと、アルってばどこにいくのかな? 客間はこっちだよ?」
「グェ!?」
ノルド父さんの魔の手が俺の襟元をつかむ。
くそっ! 完璧なタイミングだと思っていたのに。ノルド父さんは後ろに目でも付いているのか。
「……ちょっとお手洗いに……」
「随分と調子のいいお腹なんだね。こんなちょうど逃げるのに適したタイミングでなんて」
な、なるほど。つまり純粋に子供らしく振る舞えば逃がしてもらえるのか。なるほど。
「声に出ているから。リナリア夫人に挨拶していないのはアルだけなんだ。ちゃんとついてきなさい」
「はい」
当然ながらメルナ伯爵とユリーナ子爵は俺を弁護することがなかった。
むしろ楽しんで見ていた。
何かこう『トイレくらい行かしてあげたらいいじゃないですか?』みたいな援護射撃できると思うんだ。そうしたら、エリノラ姉さんとかエルナ母さんにお使い頼まれたとか、いくらでも逃げる方法があったのに。
ともあれこれ以上、ノルド父さんの顔に泥を塗るわけにはいかないのでリナリア夫人にはちゃんと挨拶をしなければ。
すでにノルド父さんの顔は泥まみれかもしれないけど。
エリノラ姉さんは上っ面はいいので挨拶は問題はなさそうだな。
エマお姉様にエリノラ様って言わせているくらいだ。
ちなみに昨日の稽古中では、俺が『エリノラ様どうかお手柔らかにお願いします!』と懇願してみたところ、いつもの倍以上の苛烈さで木刀を打ち付けてきた。
どうも俺の言う『エリノラ様』と言う言葉には媚びへつらうような感じがして気持ちが悪いとのこと。
謝罪の時は問題ないらしい。あれかな? 心の込もりようかな?
謝罪の時は打算も何もない。ただただ生きることのみを願う純粋な言葉だから通じるのかな。
話はそれたが、シルヴィオ兄さんも問題ないだろう。あんな端整の整った顔さえあればこの世の中どこへでも通じるだろう。あのあどけない笑顔で村の移民者のご婦人方も陥落したと聞く。
将来女に背中を刺されないといいね。
何だか卑屈っぽくなってしまった。いかんいかん自分だけ顔のスペックが低いからと悲観的になってはいけない。
アルフリートはまだ六才。まだまだ顔の良し悪しはわからんよ! ポジティブポジティブ。
「僕だよ」
考え事をしていると客間へと着いたのか、扉をノックするノルド父さん。
サーラが客間から淑やかに内側から扉を開けて、俺達を中に入れる。
「ユステル!」
部屋に入るなり、ソファに座っていた女性が立ち上がり声をあげる。
まず驚いたのは体の小ささ。身長は百四十センチほどであろうか。
上品にしたてられたピンク色のフリフリとしたドレスに身に包んだ白皙の肌。
腰まであるストレートの栗色の髪を元気に揺らしながら、ユリーナ子爵のもとへかけよる。
そう、女性と言うには少し幼いであろう。もはや幼女と言ってもいいくらいだ。
「リナリア!」
ユリーナ子爵は飛び込んできたリナリア夫人を優しく受け止める。
男の人が少しでも力加減を間違えてしまうと、腕の骨が折れてしまいそう。そんな印象を持つほどにリナリア夫人は細い肢体をしている。
顔がデレデレで残念な表情をしているユリーナ子爵。あの知性溢れる凛々しいお姿は影も形もない。
ああ、間違いない。
この人はロリコンだ。
これからは心の中でユリーナ子爵をロリーナ子爵とでも呼ぼうか。
「ゴホン」
二人の世界に入ってしまったユリーナ子爵達が、ノルド父さんの咳払いでこちらの世界に戻ってくる。
よかった。ユリーナ子爵は理性くらい残しているらしい。
「リナリア、まだ挨拶が済んでいないよ」
「あ、そうでした。ごめんなさい。ユステル=ユリーナ子爵の妻のリナリアです。メルナ伯爵、アルフリート様はじめまして」
少女……幼女特有の可愛らしい仕草でペコリと頭を下げる。
先程の抱擁を見られたことが恥ずかったのか、耳まで真っ赤になっている。
「噂通り可愛らしいご婦人だ。ダレイオス=メルナ伯爵だ。よろしく」
『可愛らしいだなんて……そんな』とさらに顔を赤く染めながら縮こまるリナリア夫人。
これ以上褒めたら倒れちゃうんじゃないかな。
「スロウレット家の次男、アルフリートです。本日はようこそおいで下さいました」
リナリア夫人は自分より小さい俺を見て、少し緊張が和らいだのだろうか。
俺を見ると少し表情が緩む。
「丁寧な挨拶ありがとうございます。よろしくお願いしますねアルフリート様」
ニッコリと笑うリナリア夫人。
ああ、これでロリーナ子爵は堕ちたんだろうな。
確かな確信を得た瞬間だった。




