バルトロの醤油学習
俺以外の皆が卓球に熱中した次の日。
昨日とは打って変わって俺は早朝に起きていた。
なぜかと言うと、昨夜の晩にエルナ母さんがカグラで買ってきた食材の料理を食べてみたいと言い出したからである。
それにノルド父さんやシルヴィオ兄さんも便乗。新しい食材を使ってみたいバルトロの思惑も絡み合って、俺が朝早くに起きて朝食を作るのが必然となったわけだ。
まあ、元々食生活の充実を言い出して旅に出たのだし、朝食はどちらかというと和食派だったからいいんだけどね。
バルトロに教えれば、これからはバルトロが作ってくれるわけだし。
快適な食生活を得るために、多少の睡眠時間の低下には目を瞑ろうではないか。
そう思いながら身支度を整えて、一階の厨房へと向かう。
屋敷の中は使用人以外誰も起きていないせいか、昼間のような会話は聞こえてこない。
だが、庭の方から箒で地面を掃く音、ダイニングルームで物を運ぶ音と朝早くから働いているメイドの営みの音は聞こえてくる。
薄暗くどこか静けさが漂う空気の中、こうやって耳を澄ませて音を聞くのも悪くないな。
こういう静かな生活の音は嫌いではない。
屋敷の中での新しい楽しみを見つけた事に喜びながら、俺は厨房へと入る。
「おう、坊主! ちゃんと起きたか!」
すると、今日も厨房の主であるバルトロがニヤリと笑みを浮かべながら手向かえてくれた。
しかし、その声は朝早いせいかいつもよりも抑えめだ。
「さすがに料理当番を任されているのに寝坊なんてしたら、エルナ母さんに何をされるかわからないからね」
「はは、昨日は扉の隙間から水魔法をぶっ放されたんだってな」
どうやら俺とエルナ母さんとの魔法の攻防についてはバルトロも知っているらしい。
まあ、後で濡れた扉を拭いてくれたのはサーラだったしな。
使用人も少ないし皆屋敷内にいるからあっという間に情報が流れたんだろうな。
「本当に大変だったよ。氷魔法で何とか迎撃すれば室温が下がって寒くなるし」
「……難易度の高い魔法を変な場面で使うのは親子そっくりだな」
バルトロが肩をすくめる俺にどこか呆れたような声で言う。
まあ、俺とエルナ母さんは面倒くさい事を魔法で解決するという共通の考えがあるからね。
厄介事や面倒な事があったら魔法で解決するのが一番だと思う。
「まあ、雑談は置いておいて早速料理にとりかかろうぜ」
「そうだね」
今日はバルトロに食材についてのレクチャーもしながら進めなければいけないのだ。
いつもよりも少し時間がかかるから余裕がもてるように早めに行動をしよう。
そう思いながら移動すると、肩に何か物が当たった。
驚いて視線を向けると、そこには木箱がいくつも積んであった。
おお、いつもよりも薄暗いし、何もないはずの場所に物があるからか気付かなかった。
「気をつけろよ。昨日運び込んだ食材がいくつもあるから、ちょっと厨房が手狭になってるぜ」
「まだ荷物の整理ができてないの?」
「……坊主が米を百キロ単位でいくつも買ってくるから食糧庫に入らなかったんだよ」
俺が何げなく聞くと、バルトロがジットリとした視線を向けながら言う。
うん、それなら仕方がないな。俺の肩に物が当たったことも許してあげよう。
「で、カグラの食材を使った料理だが、メニューはどんな感じにするんだ?」
「まあ、カグラで買ってきたのは保存の都合もあって、調味料や干物が中心だしね。まずは調味料の味を生かせる単純な料理にするつもりだよ」
「なるほど、それならカグラ料理を食べたことがない奴でも食べやすそうだしな」
まあ、元の食材とは違っても、出汁を取って調味料を使えば現地風にアレンジできるはずだ。
そこら辺はバルトロの働きに期待しようと思う。
「じゃあ、調味料の説明に入る前に時間のかかるお米の準備に入ろうか」
「おお! やっぱり米に合うようなメニューか」
俺がそう言うと、バルトロはいそいそとお米を炊く準備に入る。
お米については以前から使っているので炊き方も問題あるまい。
バルトロは俺達が食べるのに必要な分のお米を取り出すと、水でといでいく。
その間に、俺が簡単なメニューの準備をしておこう。
ちなみに本日のメニューは卵焼き、なめこの味噌汁、鮭の塩焼き、ご飯、ほうれん草の煮浸しといったものだ。
どれもあまり手間がかからないし、複雑な味でもないので初心者でも簡単に嗜める。そして何より醤油や味噌の美味しさが単純に伝わりやすい。そう思っての選択だ。
この中で時間がかかるといえば、お米を炊くのとなめこの下処理に時間がかかるくらいか。
脳裏に必要な食材を思い浮かべた俺は、厨房を移動して食糧庫へと向かう。
「あっ、待て坊主! 食糧庫は食材や木箱でいっぱいで危ねえから俺がとってきてやる。必要な食材を言ってくれ」
「わかった。じゃあ、俺がお米をといでおくね」
身体の小さな俺を慮っての事だろう。見た目は怖いのに気が利いて優しいのがバルトロの特徴だ。
バルトロに必要な食料を言った俺は、代わりに米をといでいく。
ボウルの中をかき回すように……。
夏だからこうやってお米をとぐのも気持ちがいいな。冬になるとこれが地獄の作業になるんだけどね。
そんな事を思いながら水を入れ替える事三回。うっすらとお米が透けて見えるようになった。これで完了だな。
釜戸には既に火がついているので、後はバルトロにやってもらおう。
そんな事を考えていると丁度バルトロが木箱を持って厨房へと戻ってきた。
「食材を持ってきたぜ」
「ありがとう。こっちもとぎ終わったよ」
水で手を洗った俺はバルトロの下へと向かってチェック。
バルトロはといだお米の確認をすると、釜戸にセットして薪で火加減を調整し始めた。
魔導コンロがあるのだから、そっちで火加減を調整すればいいのだが簡易的な炊飯器は作っていないし、釜戸で作った方が美味しいので我が家では釜戸で作っている。
でも、忙しい時はやはり簡易炊飯器の方がいいので、今度ローガンに作ってもらおうかな。
ご飯好きな彼としては喜んで作ってくれる気がする。外に持ち出して、出先でご飯を炊くっていうのも悪くないしな。
バルトロが薪をいじって火加減を調節している間、俺は木箱からなめこを取り出して、軽く水で洗う。
それから水を入れた鍋になめこをぶち込むと、魔導コンロを弱火にセット。
後は香りが漂うまで待つのみだ。
「バルトロー、醤油はどこー?」
「醤油なら調味料が置いてある近くの木箱だ」
俺が問いかけると、バルトロが炎を見ながら声だけで答える。
なるほど、一応は調味料だし、使いそうなので置いておいたのか。
調味料が置いてあるスペースに移動した俺は、そこに積まれている木箱をサイキックで床に降ろす。
蓋を開けてみると、そこには小さな醤油壺が入っていた。
辛いともいえる濃厚な醤油の香りが辺りに漂う。
壺を開けて指で舐めてみると淡口、濃口、たまり醤油であることがわかった。
「これが醤油ってやつだろ?」
「うん、そうだよ」
俺が三種類の味見をしていると、火加減の調整を終えたのかバルトロがやってきた。
「もう大体の味見はした?」
「ああ、思っていたよりもしょっぱかったな。けど、他の調味料と組み合わせて柔らかくすればいい味が出そうだ」
さすがは料理人であるバルトロ。醤油の万能さをもう見抜いているようだ。
「そうなんだよ。醤油は他の調味料と組み合わせてタレにしてもいいし、煮込んでもいいんだよ」
「肉のタレにもいけるし、甘くして魚に塗って焼いてもいいな。野菜と一緒に煮込んでも美味しくなりそうだな」
俺の言葉に彷彿とされたのか、バルトロが腕を組みながら呟く。
その表情は真剣ではあるが、実に楽しそうだ。
新しい調味料を使って料理を考えたり、作るのが楽しくて仕方がないようだ。
俺はそんなバルトロを温かく見守り、説明をするために小皿に醤油を入れていく。
「真ん中にあるのが濃口醤油。香りや味のバランスがよくて、この中で一番扱いやすい味だよ」
俺が小皿を差し出すと、バルトロは太い指先をそっと近づけて口へと運ぶ。
「ああ、これが一番辛くないやつだな。これなら他のと違って癖がねえから、慣れてねえやつでも、そのまま料理にかけて食べられそうだな」
「そうだね。これが一般的だしね。卵焼きに大根おろしと濃口醤油をかけて食べると美味しいよ」
「ああ、確かに。醤油をかけると味がより引き締まった美味しそうだな! 今まで作った料理でも、これをかけるだけで美味しくなる料理がいくつもありそうだ!」
俺が例を上げると、バルトロも触発されたのか興奮したような声音で言う。
確かに、新しい料理は勿論のこと、既存の料理の味も広がることは間違いなしだな。
「左にある色が淡いのが淡口醤油だよ。濃口醤油よりも大人しい色合いと香りが特徴で、野菜の煮物、お吸い物と料理の素材を生かした味付けに向いているんだよ」
「色は薄いのに味が濃いっていうのは不思議だよな」
「濃口醤油よりも塩の成分が多いらしいからね」
そんな感じで俺はたまり醤油や味噌、出汁については作りながら説明し、時折釜戸の火の調子も見ていく。
そうやって一通り、レクチャーが済んだら今度は実践だ。
今年も残すところもう僅かですね。来年もよろしくお願いいたします。




