12-3
皆の寝静まった真夜中、病室の扉が静かに開いた。
個室とはいえ、鍵はついていない。
看護師による見回りがあるし、万が一のことが起きた際に鍵がかかっていると非常に困るからだ。
病室の扉が静かに開いた。
恵子は未だ眠り続けたままだ。
その音は静かな病院では更に静かで、穏やかな睡眠を邪魔するものでは決してなかった。
しかし、病室に入ったところで目的は果たせないと確信できた。
「まあ、そういうこともあるわよね」
目当ての恵子は確かにベッドに横になっている。
しかしその部屋にはもう一人いたのだ。
ずっと恵子に寄り添っていたマリア。
しかし見られた以上、逃げることは考えられない。
佇むマリアへと向かっていく。
マリアをどうにかしたら目的が果たせると信じて。
そして──。
病室が鮮血で染まった。
------
わたしが病室にたどり着いた時、あたり一面が赤黒く染まっていた。
どうやら悪い予感が当たってしまったようだった。
「遅いわ。まあ、私はアリナと違って恵子を傷つけさせるようなヘマはしないけれどね」
「……ええ。そこは疑ってないわ」
マリアの態度が酷い。
一面が真っ赤に染まっている病室において、恵子の眠るベッドだけは驚きの白さを保っている。
間違いなくマリアが守ってくれた結果だろう。
恵子が無事と分かれば次の問題だ。
わたしは破裂した死体……ではなく、そのそばに佇む三つの人影に視線を移す。
三人とも驚くほどに容姿が似通っている。
透き通るほどの明るい髪に、ピンク色に近い地肌。
身体はもちろんスタイルもいいのだが、それよりも鍛え抜かれた様子なことに目を奪われる。
そしてその中の一人は、わたしがあの晩出会った女性だった。
蓋を開ければ単純な話だ。
つまり時を同じくして三つの勢力が同時にこの街を訪れたというだけのこと。
一つは黒い堕ちた五匹の狐。
目的はただわたしを狩ること。
一つは白い五匹の狐。
これらは堕ちた狐を止めるために。
そしてもう一つ。
目の前にいる三匹の狐。
ただレイとわたしに仕えたい狐たち。
もちろん前者二つとは全く関係がない。
その彼女たちは無言でわたしを見つめている。
「マリア、何があったのかしら」
慌てて病室へやってきて、そこには確かに狐がいた。
この惨状は間違いなく狐の仕業だ。
マリアならば血の一滴も流さない。
よもや狐が三匹とは思わなかったが、狐憑きも複数飼っていたわけだし気にすることはない。
「詳しいことはそこの狐に聞いてよ。もちろん家に連れ戻ってからね。私は、恵子との時間を大切にしているの」
マリアは何も語るつもりはないようだ。
こうもふてくされたマリアの口を開く術をわたしは持っていない。
それに三匹の狐も口を開かない。
「はあ……分かったわ。掃除だけお願いね。それと恵子にはこのことは……」
「当然でしょう。その為に恵子を寝かせたままにしているのだから」
思うところはあったが、確かに病室で話す必要もない。
わたしは彼女たち三匹の狐と一緒に自宅へと戻っていく。
ここ数日の間に起こった事件。
この狐たちも当事者ならば、少女と合わせて聞いたほうがよほど効率もいいだろう。
道中、わたしは狐たちに話しかける真似はしなかった。
彼女たちを警戒する必要はなかったし、話は聞けそうもなかったからだ。
彼女たちは相変わらず寡黙だったが、それ以上に非常に興奮していたのだ。
見たらわかる。
喋りこそしないが、わたしを見る目が輝いていたし、もしも尻尾があるならば勢いよく振られていたのではと思う。
「アリナちゃん、お帰り」
「ええ、ただいま。いきなり飛び出していってごめんなさいね」
「ううん、いいの。それでその人たちは?」
琴乃たちは皆家で待っていてくれていた。
玄関で出迎えてくれる琴乃。
わたしを追いかけたくとも、少女や黒髪を置いておくことができなかったからだろう。
黒髪は未だに眠っている。
「そうね。みんなの前で話しましょうか」
どうせなら少女にも聞いてもらったほうがいい。
わたしだっていまいち信じられないのだ。
「ほらほらアリナ! だからわたしは言ったじゃない!」
興奮しているレイの声。
でもそれも当たり前なのかもしれない。
だって、三匹の狐はレイの姿を見た途端にレイの目の前で跪いたのだ。
口調が戻っているが、信じていなかった引け目もあるので今ばかりは目を瞑る。
「レイ。気持ちは分かるけれど、今はまず話を聞きたいの」
「そっか。うん、そうだよね。それじゃあなたたち、何があったのかを説明してもらえるかな」
レイが促したことで、人に化けている三匹の狐はやっとその口を開く。
もしかしたら、マリアに静かにするように言われていたのだろうか。
「初めまして、主。私の名はキョウ。こちらはショウとチョウ。いずれも主の力となるために集った者です」
「私達は主を求めていました。長き時を経て成長し力を得た私達にとって、人間の主というのはもはや相応しいものではなかった。狐憑き程度では私達を扱うことはできなくなっていた」
「私達は主を求めて各地をさまよっていた。その時に主を知った。私達は主に仕えたかった」
「しかし主に比べて私達は脆弱だった。このままでは主に認められない。力を示す必要があった。幸いなことに主の王には敵が多いようだった。私達にとっては自らの有用性を示す機会だった」
おおよその力関係が見えてくる。
白い狐、つまり狐憑きに飼われている善狐は何でもできるようでいて、その実一番力が劣っている。
それは狐憑きが扱えるように抑えられているからなのか。
少女の様子からはそう思われる。
堕ちた黒い狐、悪狐は狩人だ。
善狐として長く生きるうちに少しずつ魔を貯め、いずれは悪狐へと成長してしまう。
善狐にもどるためには、霊峰で長く封印される必要があった。
少女が悪狐を追っていた理由だ。
そして妖狐。
今目の前にいる、人に化けた三匹の狐。
そして前者二つとは一線を画す存在。
それでも主を求めるのは、元々が群れる存在だからか、昔は狐憑きに飼われていたからか。
「まず私達は主と王の寵愛を受ける女性を守った。彼女にとって複数の男はあまりにも力がありすぎた」
「しかし私達が介入する必要はなかった。主がすぐに現れたからだ。私達が手を出さずとも、彼女は主に守られる運命だった」
「私達は主に認められる必要があった。次に守ろうとしたのは王の女だった。しかし、主の他にも王には守り手がいた」
ここ数日でいくつか起きた事件のうち、七海の件だけはいまいち見えないものがあった。
でも今ハッキリとした。
それはつまり、わたしが予約していたからこそこの妖狐達が助けたというのが真相だった。
しかし、そのことを伝えなければわたしやレイが気付くはずもない。
もっとわかりやすい手柄を立てるべきだと妖狐は考えた。
そこで目をつけたのが、入院することになった恵子というわけだ。
「守り手は言った。回りくどいことをする必要はないと」
「王の懐は深く、私達が名乗るだけで受け荒れてくれるだろうと」
「だかは私達はおとなしく待っていた。そして今、主と王に目通りかなった」
病室の凄惨も彼女たちが原因らしい。
それもそうだろう。
マリアならばそのまま消しておしまいのはずだ。
わざわざ凄惨さを演出する必要もない。
わたしがやってくるまであの病室を保持していたということは、マリアはわたしに見せたかったのだろう。
わたしに伝えたいのは、彼女たちの扱い方か……。
さて、どうするか。
受け入れること自体は問題ない。
それに少なくともマリアは賛成のようだ。
今回の件でも分かるように、今後も恵子や琴乃が襲われる可能性は無視できない。
それは狐憑きに限らず、他の霊的の場合もあるだろう。
その時はもしかしたらレイも知覚できないかもしれない。
「……あなたたち、霊の存在は分かる? 狐だけでく、動物や人間や、できたらそれ以外も」
「分かります。それは私達と同じ存在です。私達の主と王、それに連なるもの、そして霊的な存在は間違いなく」
決まりだ。
わたしにとってはメリットしかなさそうだ。
そもそも見た目からして受け入れないという選択肢はないのだが。
いや、既にわたしに連なる者として存在しているのだろう。
だって今のわたしは既に彼女達の存在を強く痒じている。
「……ちょっと待ってください! ほんとうに、ほんとうにあなた方は狐なのですか? わたしにはただの人にしか見えません!」
「アリナちゃん。わたしもその人たちのことは人にしか見えないよ。まあ、それはアリナちゃんもだけどさ……」
今まで黙っていた少女は現状を認められないようだ。
狐憑き程度には扱えないと言われたことで激高しているのか。
それとも本当に分からないのか。
「キョウ、ショウ、チョウ。あなた達を認めるわ。それでさっそくで悪いのだけれど、元の姿を見せてもらえるかしら」
そういえば、少女への罰則を考えていなかった。
どういうものがいいだろうか。
「分かりました。それでは……」
人に化けている三匹の狐の身体が淡く輝きだし、次の瞬間にはただの狐となって現れた。
ただの、というには無理があるかもしれない。
体躯は成人男性ほどもあるし、何よりもその体毛が狐色と言うには輝きすぎていた。
「わあ、綺麗……」
その感想は単純で、そして端的に表している。
善狐や悪狐とは比べるまでもない。
「琴乃、気に入ったのなら触るといいわ。これからは彼女たちも家族になるのだからね」
「ほんとっ!? それじゃペットだねっ!」
琴乃は狐に飛び込んだ。
体毛はふわふわでとても気持ち良さそうにしている。
後でわたしも触れてみようと思う。
「キミはショウだね。それじゃお手! ……う~ん、いい子いい子」
琴乃もそうだが、レイも大概失礼だ。
家族と言ったのに早速ペットとして扱っている。
まあ、彼女たちの有用性を考えると似たような扱いにはなるのだろうけれど。
「そんな、本当にいたなんて……。わたし達の中では伝説の存在です……」
「伝説?」
「はい。これでも狐憑きの歴史は長いので、それなりに話も残っています。曰く、善狐が悪狐に成ったとしても変わらず扱い続けると、果てに妖狐に至るのだと……」
ふうん。
分かっているのなら試せばいいと思うのだけれど、どうやらそう簡単でもないらしい。
キョウはわたしの膝の上でおとなしく撫でられている。
ショウはレイにすがっていて、チョウは琴乃のなすがままだ。
とても伝説の妖狐には見えない。
「とんでもありません。もちろん過去には妖狐を目指した狐憑きもいます。けれど、必ず逃げられてしまうのです。そうでなくても取り込まれてしまうのです」
ああ、それはたしかに問題だ。
悪狐のほうが力がある以上、そう簡単に試すこともできないのだろう。
でも黒髪は少女と同じぐらいの力に見えた。
力があっても所詮は獣ということだ。
それとも黒髪は修行をしていなく、少女は修行をしていたからか。
狐憑きがどれほどの集団なのかは知らないが、試すぐらいなら簡単にできそうなものだけれど。
「伝説はもう一つあります。それは、妖狐を扱えるものは十三匹の狐と契約できる、という話です。わたしは今のところ五匹と契約しています。今の掟では契約は五匹までとなっていますが、過去には六匹、七匹と契約する者もいました。けれど、そのような実力を持つ者でも悪狐には必ず飲まれているのです」
「面白い話ねえ」
つまり、狐憑きは時代を経るごとにその力を失っているということだ。
これは朗報といえるだろう。
恐らくは他の憑き者も過去よりは劣っていると考えられた。
こうして話を聞いてあげるだけで、わたし達の安全性が高まっていくのだから面白い。
……わたしを油断させる為の嘘という可能性も無い訳ではないが。
それともう一つ分かったことがある。
最初から気付いていたことでもあるのだが、この少女は思ったよりも優秀のようだ。
上限となる五匹の狐を飼っており、こうして単身で悪狐を捕まえるために霊峰とやから離れている。
こうして知り合えた繋がりを簡単に捨てることはもったいないだろう。
少女へのペナルティを決めた。
それを伝えようとした時だった。
黒髪が目覚めたのは。




