08-2
自宅に戻ったのは深夜となっていたが、リビングからは光が漏れていた。
わたしが戻ってくるまで起きていてくれたようだった。
間宮さんと一緒に自宅へと入っていく。
「あら、無理して起きていなくてもよかったのよ」
「でも、アリナさんのことですから……。それに、間宮さんも連れてきているということは、これからお話をするんでしょう?」
明日も普段通りに学院があるのだというのに、恵子は無理をして起きていたようだ。
恵子が用意するお茶は三つ。
わたし、間宮さん、それとレイの分。
「森さんは琴乃と一緒に眠っています。それとあとのことは……」
「ええ。わたしに任せて恵子はもう休みなさい」
流石にこんな時間だ。
わたしが言うまでもなく、恵子は休むつもりだったのだろう。
恵子は静かに自室へと去っていった。
用意されたお茶を飲んで一服。
間宮さんもレイも恵子の用意したお茶には手を付けない。
間宮さんは早く真相を知りたいし、レイも早く語りたいのだろう。
「ええと、それじゃあ……あの死体の山を見つけたのがわたしではないということは伝えていたかしら」
「いいえ。でもなんとなくは分かっていました」
「そう。詳しいことはわたしもまだ聞いていないの。レイ、続きはお願いね」
「分かってるよ。それじゃ、わたしが七海の身体に直接聞いたことを伝えるね……」
昨夜、帰りの遅くなった七海は急いで家へと帰るために普段は通らない、人気のない近道を通った。
遅くなった理由は単純で、ただ気付いたら夜になっていたというだけだ。
近道を通るとガラの悪い男どもに囲まれた。
七海は逃げることもかなわず、さらに人気のない場所へと連れこまれてしまう。
そうして男どもが七海に手をかけたその瞬間。
その男の腕が吹き飛んだ。
その場の誰も、何が起こったのか理解できない。
ただ気付いた時には、男どもは誰一人としてその原型をとどめていなかった。
そして聞こえる息づかい。
姿は見えずとも、その呼吸だけは七海のすぐ目の前で聞こえていた……。
「……七海はただ巻き込まれただけのようね」
「うん。わたしも同意見かな」
レイの口から語られた、昨夜七海が見た世界。
目の前で人間が解体されるなんて、確かに気を失うのが当たり前だ。
七海にまで被害が及ぶ前に保護できたことは喜ぶべきことだろう。
「それで、七海の記憶は?」
「ちゃんと忘れてもらったよ。それでよかったんだよね」
「ええ、上出来よ」
過敏な今の歳でそのような出来事、きっとトラウマになってしまう。
忘れられるならばそれが一番だ。
「……ええと、七海さんというのは?」
「ああ、そこから説明が必要だったわね。七海はわたし達の通う学院の生徒会長よ。レイには夜に獣の匂いを辿ってもらっていたの。そこでたまたまさっきの惨劇を見つけて、慌てて七海を連れてきたのよ」
「ああ、そうだったのですね……」
ついでに言うならば、七海はこの家に来てからは一度も目覚めていない。
今語られた内容はレイが直接七海から読み取ったものだ。
お風呂上がりの七海に対して、その火照った身体に噛み付いて……。
「七海さんについては分かりました。どうやら巻き込まれただけのようですし、アリナさんが第一発見者ということで問題はなさそうですね」
問題があったとしても、その立場を譲るつもりはないけれど。
「ただ気になったのですけれど……どうして七海さんは無事だったのでしょう」
……それは、ここにいる三人共通の疑問だろう。
確かに不思議なのだ。
もしも黒髪が犯人ならば、七海のことも殺すのが自然だと思う。
ならば少女の犯行かというと、そうとも言い切れない。
琴乃と七海の関係はごく薄いもので、七海が死んだところで琴乃はちょっと落ち込んで終わりだろう。
むしろ信頼を損なう行為ですらあった。
現時点では、どちらが犯人とも言えない。
どちらかが犯人であろうとは思うのだが。
「ふう……わたしが犯人ならば答えは簡単なのにね」
「お姉さまのことですから、美女は殺すはずがないですよね」
「ふふっ、よくわかってるじゃない」
でもその場合は七海はあの場に残っているはずがない。
たとえ気を失っていたとしても、もっと雰囲気のある場所に連れ込むはずだ。
「アリナさん……」
おっと、真面目に考えなければ。
そもそも、どうして殺したのだろうか。
関係のない男どもが、知り合いでもない女を連れ去った。
ここに男だけを殺す動機があるのだろうか。
やはり黒髪が犯人だろうか。
黒髪は山下先生を殺していると考えられている。
その理由もまだハッキリとはしていない。
「……第一の被害者の山下先生と、殺された男どもに関係はあるのかしらね」
「それはまずなさそうですよ。男性たちの方はまだ身元もはっきりとしていませんが、山下さんの方は友好関係も女性ばかりですし、学院に赴任するまでは違う街にいたようですから古い知り合いということはほぼありえません」
どうやら無関係のようだ。
やっぱり何もわからない。
それでは、少女の犯行だった場合はどうたろうか。
少女は琴乃の信頼を得ようとしている。
それは平津乃衣を害したことからも明らかだろう。
しかし、七海を助けるにはつながりは薄い。
「……そもそも、どうして琴乃なのかしら」
「ん? 例の、琴乃にちょっかいをだしたっていう娘のこと?」
「ええ。琴乃から信頼を得て何をしようというのかしら。仲良くなったところで何があるのかしら。もしも何かしらの協力がほしいのなら、まず声をかけるならわたしでしょう?」
こうして考えるとわからないことばかりだ。
もっと大々的に動いてくれたら見えるものもあるだろうに、黒髪も少女も揃ってわたし達の前には現れない。
「それはあれだよ。アリナお姉さまが千代さんに感じたようなものなんじゃないかな」
……つまりレイは、少女が琴乃に一目惚れしたと。
レイの意見は黙殺して構わないと思う。
「男性たちが殺された時ですけれど、いきなりだったんですよね……」
「どういうことかしら?」
「いえ……ただ、殺すのに理由があるのなら、一言ぐらいは話しかけてもいいと思うんです。それなのに、いきなり腕を切断して、それからも何も話しかけずに殺し尽くしているのは不思議だなと……」
そう、なのだろうか。
わたしだったら殺したい相手は無言で殺す。
相手が多ければ多いほどにだけ。
だって万が一にも話しかけたりして逃がしてしまったら、それだけ向こうに情報を与えてしまう。
話しかけるに足る理由なない限りは……。
「ああ……。間宮さんは、特に理由はないと考えるのね」
「全くとは言い切れませんけれど、少なくとも深い怨恨はなかったと思います」
なるほどね。
深い恨みがあるのなら、これから殺すと宣言したほうがより相手を怖がらせるだろう。
そうしたことが無いということは、相手を怖がらせるのが目的ではなかった。
そうなるとただの通りすがりか、理由はごく小さなものだったか。
例えばすれ違った時に肩がぶつかったとか、声がうるさかったとか。
「あとは七海さんだけが襲われなかった理由ですけれど……」
そこだけは本当に分からない。
こうなるとわたしやレイの言うとおりに、女性は襲わない主義だったとか。
いや、それも山下先生や平津乃衣のおかげで崩れている。
そうなると、わざと見逃したとか。
わたし達に見せつけるために?
それとも七海を傷つけるために?
「ダメね。考えたところで答えは出そうにないわ。七海は助かって、襲われた状況もはっきりしたし、それで満足しておくしかなさそうね」
「そうだよね。あ~あ、これで今夜も犯人探しかぁ」
「そうですか。でも仕方ありませんよね」
結局答えは出ない、という結論だ。
三人揃って残念なため息をつく。
もう少しぐらい何か分かると期待していただけに、落ち込む姿勢もあからさまなものとなる。
でも、一つだけ考えも浮かんだ。
「ところで、山下先生の遺体は今どこにあるのかしら」
「えっと……一人目の犠牲者ですね。解剖も終わったので、今日にでも遺族に引き渡される予定です」
「間宮さんは引き渡される前の遺体に近付けるのかしら」
「ええと……近付く程度ならできますけれど……?」
「あっ、まさか!」
間宮さんは分かっていないけど、どうやらレイは気付いたみたいだ。
「ねえレイ。美女の血はあなたのご飯になるのよね?」
「お姉さま、それは流石にひどいです」
「あの、アリナさん?」
まだ分かっていない間宮さんに教えてあげる。
「知っての通り、レイはその血を飲むことで記憶も読み取ることができるのよ。未だ目覚めない七海の記憶を知れたのもそのせいね。そしてね、その対象は別に生きていなくとも構わないの。そうよね?」
ああ……と納得の表情を浮かべる間宮さん。
相対的に落ち込むレイ。
今のわたし達には情報が足りない。
犯行の動機が全く見えていない。
今夜の大量殺人については、あまり動機はなさそうという結論にはなった。
けれど山下先生については不明のままだ。
そしてわたし達に限っては、その動機を知れるかもしれない手段があった。
ここで使わないではないだろう。
「ねえお姉さま、考え直しましょうよ。遺体の血液って、とっても不味いんですよ。お姉さまには分からないかもしれませんけれど、死体の血液を飲むぐらいなら泥水のほうがだいぶマシなぐらいなんです」
レイは全力で嫌がっている。
でももう決まったことなのだ。
それに、流石にタダで動けとは言わない。
「そうね。レイには無理してもらうのだから、相応のお礼はしてあげるわ」
言っておもむろに肩を露出する。
わたしが肌を見せたことで、間宮さんとレイの視線は釘付けになった。
「レイには無理を聞いてもらうのだからね。さあ、飲んでいいわよ」
嫌がっていたレイの表情は一転して恍惚なものとなる。
唇からは牙が見えているし、なんなら涎も垂らしそうな勢いだ。
「えっ……お姉さま、本当にいいんですか?」
「構わないわ。だってレイには嫌なことをお願いするんですもの。それと、有益な情報を得た暁にはもう一度飲ませてあげるわ」
それでもレイは少しのためらいを見せる。
ほとんど形だけとはいえ、わたしがレイを支配している格好である以上、その血を口にするのはいけないことだと考えているようだ。
でもそれは気にしすぎだ。
少々血を分け与えるぐらい、わたしにはなんでもないことなのだ。
何よりもレイは今日の食事を運んできてくれている。
気絶していたとはいえ、レイは空を飛んで七海を運んできたということは、それはもうデートだろう。
つまりわたしは七海に手を出せるのだ。
いや、デートをする約束をした以上、手を出さなければならないといえる。
そのことを考えると、今ここで血を与えることは痛手でもなんでもないのだ。
「ほんとうに、いいんですね」
「ええ」
ごくりとレイの喉が鳴る。
レイは覚悟を決めたようだ。
小さく開かれたレイの口が、わたしの肩口へと近付いてくる。
「んっ……」
伸びた牙がわたしの肌に突き刺さる。
嬌声が上がるのはそういう趣味というわけではなく、レイの牙から出る分泌物のせい。
だから間宮さんは頬を染めないでほしい。
この行為はただの食事なのだから。
「ああ、美味しかったあ……」
満足げな表情を隠そうともしないレイ。
半開きの口からはまだ牙も見えている。
「ほら、飲んだらさっさと行ってきなさい」
もっと飲んでもいいのよ──。
そう言いたくなるのをくっと堪える。
喜んで血を捧げる人もいると聞くが、実際に吸われるとその気持ちもわかってしまう。
この火照った身体をどうしようかなんて、考えるまでもない。
ベットにはレイが用意したご飯が転がっているのだから。
「それではレイ、あとは頼んだわよ。間宮さんも無理はしないでね」
その存在が希薄になるレイに、ただ戸惑う間宮さん。
その二人を家から追い出した。
わたしはベットへと向かう。
お腹が空いてたまらなかった。




