06-1 血塗れの女性
スッキリとした朝を迎えた。
同じベッドで未だ眠りの中にいる恵子と琴乃の様子をうかがうが、特に変わったことはない。
すでに起きているのか間宮さんの姿は見えない。
念のため恵子と琴乃の部屋も見てみるが、今日は手紙も置かれていなかった。
「レイのおかげ……かどうかはまだ保留よね」
確かに昨夜は誰もこの家には侵入していないようだった。
ただ、それがレイの手柄かどうかは判断できない。
ただ単に、昨夜はこの家に近寄らなかっただけかもしれないのだ。
《──!!》
わたしの中でレイが何かわめいているようだがそんなのは無視だ。
……ああ、レイがここにいるのだから手柄ということは無いだろう。
リビングに降りても間宮さんの姿は無かったが、代わりにメモの切れ端が目に入る。
まさか──そう思ったが、どうやら間宮さんが残したもののようだった。
「貴重な情報をありがとうございます、ね……。間宮さんも朝ぐらいはゆっくりしていったらいいのに」
事件が起きた翌日だけあって、間宮さんは忙しいのだろう。
報告は随時してくれるらしいので、もう気にしないことにする。
「さて……と」
普段ならば恵子と琴乃の寝顔を楽しむこの時間にリビングまで降りてきたのには理由がある。
まずはさっさと済ませてしまおう。
「レイ、出てきなさい」
そう言うと、わたしのお腹からはニョキッと腕が生えてきて、続いて頭が、そしてレイの全身が現れた。
「ふう、気持ちよかった。……って、お姉さま、酷いですよ。いきなりわたしをしまうなんて」
「あら、おかげで少しは力も増したのだからいいじゃない」
「それはそうだけどさあ……」
レイはまだまだ幼く、わたしと比べると赤子にも等しい。
それはわたしが許可したご飯しか食べていないからでもあるが、何よりも生きた時間が圧倒的に短いからだ。
食事を大量に取れば急激な成長もするのだろうが、わたし達の生は長いのだからこそ、その分ゆっくりと成長すべきなのだとわたしは考えている。
それはともかく、だ。
「レイには今日から動いてもらうわ」
「……わたしに力を戻したのって」
「そういうことよ。レイの言っていたこと、初めはあまり信じていなかったけれど今では疑う余地もないわ」
初めにレイが獣ならと言い出した時にはレイの早とちりだと考えたが、どうやらわたしが間違っていたようだ。
「それは構わないけど……アリナお姉さまはいいの? わたしは恵子と琴乃のそばにいたほうが安心なんじゃないの?」
「バカね。向こうの狙いが分からない以上、身を固めているだけじゃダメなのよ。それに、これ以上勝手されるのはとっても困るのよ」
「……そうだよね。ここはアリナお姉さまの街なんだもんね」
本来ならばどうでもいいことなのだ。
わたし個人の立場なら、恵子と琴乃、あとは間宮さんとついでにレイとマリアさえ無事ならばそれでいいのだ。
でも広い視点で考えるとするならば。
今の状態のまま放置するのはとてもまずい。
そこまで都会でもなく、それほどの田舎でもなく。
人はそれなりに多く、周りとの繋がりはさほど濃くはない。
凶悪な事件は起こらずとも小さな事件は頻繁に起こる。
そんな街は、わたし達にとっては非常に住みやすい。
それはつまり、わたしと同じような者ならば大抵は住みやすいと感じるということだ。
ただでさえこの街にはわたし、レイ、マリアと三種類が住んでいる。
はたから見ればどうだろうか。
共存できるのなら自分もだとか、それなら代わりに支配してやろうだとか、そう考えるものがやって来てもおかしくないのだ。
そんなのわたしは望まない。
そしてそのような勘違いを防ぐためには、今起きている事件を一刻も早く落ち着かせる必要がある。
外からの来訪者を認めない、その主張のために。
「それではお姉さま、さっそく見回りに行ってきます。期待しててくださいね」
「ええ。心配はしていないけれど気を付けるのよ」
なにせ今の状態を解決できるのはレイしかいない。
正面から今のレイに対抗できるとは思えないが、万が一ということもある。
楽観的にこの家から出ていくレイを、不安に思いながらも見送った。
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今日も登校は三人一緒だ。
しばらくは常に三人で移動しようと考えている。
今のところは日の登っている時間は安全にも思えるが、いつまでも続くとは考えない。
「あら、あの子……」
校門に差し掛かったところで恵子が誰かを見つけたようだった。
「うわあ、痛そう……」
琴乃が言うとおり、校門から校舎に入ろうとする女生徒は顔中に包帯を巻いていた。
見るからに痛々しい様相だ。
顔に傷なんて普通なら休むところだろうに、注目されると分かってどうして登校しているのか。
なんてことは思わなかった。
包帯の少女はたまに見かけたことがある。
たしか琴乃に気がある女生徒だ。
わたしにとっては邪魔者だけど、琴乃は少女の想いに気付いてもいなかった。
だからわたしも何かをすることも無かったのだけれど……。
その少女は琴乃に気付くとビクッと身を強張らせ、駆け足で校舎の中へと消えていった。
……まさかね。
今日の授業は滞りなく進んでいった。
さすがに連日事件が起こるということはなかったようだ。
わたし達のクラスの担任はまだ決まってないし、やはり授業中も騒がしかったけれど、それでも普段通りといえるだろう。
「あの子、何だったんだろうね」
「あの子?」
「ほら、朝の包帯の子。顔にあんな怪我してたら、わたしだったら休んじゃう」
昼休み、恵子と琴乃と三人で理事長室でお弁当を食べる。
これは今だけ、というわけではなく、一週間のうちの何回かは三人で食べるようにしているからだ。
具体的にはわたしの狙う女の子がいなかった時。
「私も気になりますね。担任の先生も尋ねたそうですが、ただ転んだとしか言わなかったそうですよ」
朝にいきなり包帯まみれの顔を見たからなのか、どちらの印象にも残っているようだ。
過程は知らずとも結果だけは確信しているわたしとしては、もう包帯少女に興味はないのだが、暇つぶしにはなるし警告の意味でも話しておくべきだろうか。
「そうね……恵子はどうして気になるのかしら。その子が言うのなら、本当に転んだだけかもしれないわよね?」
「そうですけれど、普段と雰囲気が違うらしいので……。ただ転んだだけならば笑い話にするような子らしいですから」
つまり、普段は明るい子だということだろう。
そんな子が今回に限っては周りに語らずにいるということは、確かに何かあったと考えるのが当然だ。
「そうね。でも何があったのかは分からないのね?」
「ええ。昨朝の件とは関係がないようですけれども……」
まあ、少なくとも死んではいないし噛み傷も無いようだからね。
恵子はただ心配しているだけのようだ。
理事長ともなると当然なのかもしれない。
「琴乃の考えも分かるわね。確かに悪目立ちする格好だし、顔に傷なんか出来たらわたしでも人前には出たくないわね」
「そうだよねえ。でもアリナちゃんが怪我をするのは考えられないかなあ」
わたしも怪我をした記憶はない。
「普通なら学院を休む怪我をしているのに、なぜか登校している。さて、どうしてかしら」
その子が普通でないから、ということは考えない。
それだと話が終わってしまうからだ。
「うう~ん……テストとか?」
「内申に響くからでしょうか」
琴乃も恵子も無難な考えを述べてくる。
それが答えでもいいのだけれど、それではいささかつまらない。
「その子の進路希望はどうなっていたかしら」
「ちょっと待っていてくださいね」
恵子は空になったお弁当箱を片付けてパソコンへと向かう。
卒業する年度の学院生の進路希望は全てデータとしてパソコンに残されているからだ。
もちろん教師ならば誰でも確認できるし、だからこそわたし達のクラスの担任がすぐに決まらない理由にもなっているのだろう。
ちなみにわたしの進路は家事手伝いだ。
「ありました……。ああ、もうエスカレーターで上へ行くことは決まっているようですね」
どうやら包帯少女は普段から真面目ではあったようだ。
……この学院生の大半はすでにエスカレーターで上に行くことが決まっているとしても。
「そうなると、成績のためや内申のためというのは考えなくてもよさそうね」
「そうですね……。生理痛で休む生徒はよくいますし、それで内申が下がらないことも知られているはずですから……」
つまりは怪我で休んでも、よほどの長期でない限りは内申にも響かない。
ならば少なくとも数日は取り敢えず休むというのが普通ではないだろうか。
「さて、それでは他にどんな理由があるかしら」
「ええ~……。学院が好きだったからとかかなあ」
「何か相談したいことがあったのかしら……」
琴乃……あり得ないとは言わないけれど、真面目に授業を受けていなかったあなたのセリフではないでしょうに。
恵子の意見は十分に考えられる。
生徒同士ならば携帯電話で簡単に連絡が取り合えるだろうけれど、相手が教師となるとそうもいかない。
でもね……。
「恵子の言うことも有り得そうだけれど、だったら担任が確認した時に話していそうよね?」
「その時は教室の中だったそうなので……いえ、確かにその通りなのでしょうね」
わざわざ教師に相談したいのだから、それは他の友人知人には聞かれたくないことだ。
でも、何も言わないというのもおかしいのだ。
たとえその場で言えなくとも、後で相談したいことがあると一言言えばそれで済むのだ。
それすらも言われず、ただ転んだとしか言わなかったということは、相談したいというセンも考えなくていいだろう。
まあ、担任が嫌いだから他の教師に相談を、というのは残るけれど。
「さあ、これで相談したいということでもないことが分かったわ。他に意見は出ないかしら」
「……アリナちゃん。わたしの意見は?」
「……琴乃はまだ他人の立場で考えるということができないようだからね」
「ぶう」
そのまま流してくれたら良かったのだが、琴乃が聞いてきたのでハッキリと答えた。
案の定琴乃の機嫌が悪くなる。
「もう……得手不得手があるのだから、琴乃は気にしなくていいのよ」
隣に座っていた琴乃を抱えあげ、わたしの膝へと座らせる。
琴乃を背中から抱きしめる格好だ。
そういえば、琴乃が小さい頃はよく膝に乗せて絵本を読んであげていた。
昔を思い出すこの格好は結構好きだ。
「……あら、恵子も一緒に座る?」
一瞬だけ羨ましがる表情を見せたことを見逃さない。
逡巡は極わずか、立ち上がった恵子もわたしの膝へと腰を下ろした。
まさか冗談だなんて言える雰囲気ではない。
左膝に琴乃を、右膝に恵子を座らせる。
もちろん二人は母娘だから同時に子育てをしたわけではないのだが、二人の姿が幼かった頃とダブって見えた。
二人を一緒に抱きしめる。
「あの傷を負ったまま登校したことなのだけれどね」
ただ、さすがに二人にそのまま伝えて拗ねられるのも困るので、口から出た言葉は先程の続きだった。
「今回の場合は、怪我をしていると見せつける意図があったと思えるのよ」
「見せつける、ですか?」
「誰に? わたしだったら見られたくないけどなあ」
「そうね……誰にと聞かれると正確には答えられないのだけれど、その意味は大きく二つあるわね。『私は怪我を負いました。だからもう許してください』、『私はあなたのおかげで怪我をしました。だからあなたを許しません』このどちらかではないかしらね」
「それは……」
恵子の身体から強張るのが伝わってくる。
恵子はその意味を正確に理解したようだ。
反面琴乃はまだ想像がついていないようだ。
「それと、恵子が知らないことになるのだけれど、包帯の子は確かに明るい子だけれど、決して周りに受け入れられていたわけではないようよ」
これは嘘だ。
なにせわたしの情報源はほぼ全てのクラスにあるのだから、その人と直接の関係はなくとも伝わってくる。
「ああ、それではあの子は……」
その時、丁度良く時を告げる鐘がなった。
午後の授業が始まる予鐘だ。
「アリナちゃん、時間だから戻ろっか」
琴乃はわたしの膝から立ち上がったけれど、わたしはまだ座ったまま。
「わたしは午後はここでサボっているわ。だから申し訳ないけれど、午後の授業は琴乃一人で受けてちょうだいね」
「……ぶう」
一言だけ不満を漏らして琴乃は理事長室から出ていった。
わたしが恵子の仕事を手伝うつもりだと、琴乃は分かっていたのかもしれない。
「さっきの話だけどね、実は嘘なのよ」
「──さっきのというと、包帯の子の件でしょうか?」
「そう。あの子、確か平津乃衣と言ったかしら。できれば琴乃には関わってほしくなかったのよ」
琴乃の名が出てきたことで、恵子の身体が不意に強張る。
その背中を優しく包んであげる。
「嘘というのは、平津さんが虐められているかもと示唆したところね。実際のところ、そんな事実はないわ。ちょっと思い込みの激しい子ではあるみたいだけれど、それでも周りとはうまくやっているみたいよ」
「それは、一安心ですね」
「そうね。でも困ったところもあってね、その子、琴乃に気があったのよ」
これは確信を持って言えることだ。
平津の視線は毎日のように感じていた。
初めはわたしを見ているのかと思っていたけれど、次第に琴乃を見ているのだと気付いたのだ。
「最近はストーカーまがいのことをしだしていてね。そろそろ手を下そうかと思っていたところだったの」
「──では、あれはアリナさんが……?」
「──心外ね。わたしがただの人を傷付けるわけがないじゃない」
恵子もそこは嫌というほど理解しているだろうけれど。
「あの子は虐められたわけじゃない。でも顔の傷を誰かに見せつけるつもりだった。……そして、恵子も琴乃も気付かなかったようだけど、朝、あの子は琴乃を見ると隠れるように校舎に消えていったわ」
「琴乃を見て……」
「そこで誰が犯人からわかったのよ。あの子を脅した相手。ストーカーを止めさせた相手。最近知り合った中に、琴乃から信頼を得ようとしている人がいるでしょう?」
そこでやっと恵子も分かったようだ。
この一連の事件。
殺人こそ起こっていないが、昨夜も確かに事件は起こっていたのだと。
「──まさか」
「そう。琴乃が出会った少女。琴乃に手紙を出した相手。間違いなくそいつでしょうね」




