04-2
夜、レイと間宮さんが訪ねてきた。
どちらも約束していたからだ。
マリナの姿は見えないのは、きっと彼女のことだから面倒だったからだろう。
「それでは、今朝の出来事を説明させていただきます」
皆が席についたのを見計らって間宮さんが口を開く。
語られるのはもちろん、今朝の山下先生の件だ。
警察に通報があったのは早朝だ。
発見者はゴミ出しをするところだった近所の主婦。
初めは道端で眠っているだけのように見えたが、近付くとあたり一面が血の海と化していたそうだ。
山下先生は殺されていた。
それはもう無残なほどに。
体中の至るところに穴が開いていたそうだ。
死因はショック性の失血死。
四肢が繋がっているのが不思議なぐらいだったそうだ。
山下先生をそんな風にした相手は不明。
ただ、血で染まったいくつかの獣の毛を回収したそうだ。
それがなんの動物かは、明日にはハッキリするらしい。
襲われた時刻はどうしても推測になるのだが、日付が変わった直後から午前四時までの間が有力だそうだった。
「……その獣に襲われたのね」
そこまで聞いたわたしは、自然と山下先生の最後を想像してしまう。
生きたまま体中に噛みつかれた先生。
悲鳴は……上げられなかったのだろう。
真夜中だからこその静かな殺人だ。
喉に噛みつかれ、その場に崩れ落ちる。
でもまだ視界だけはハッキリと見えていて、自分の身体が噛みつかれていくのをただ見るだけしかできなくて……。
そこまで想像したところで、ある疑問が生まれてきた。
「その獣というのは、一匹じゃないのね?」
「……詳しくはまだ分かっていません。ただ、複数であるという前提で捜査は進んでいます」
そうだろう。
常に悪い方向で考えるのが正しい選択だ。
「そう……今のところの見解は?」
「鑑識の結果次第だとは思いますが、一部ではすでに山から下りてきた野犬ではという判断で、大規模な山狩りを予定しているそうです」
飼い犬、のセンは小さいだろう。
大型犬を飼っているところはそれでなくともしっかりと面倒を見ているだろうし、そのへんは警察だって分かっていることだ。
そもそも、わたしは近所で大型犬を見た記憶がない。
「私が聞きたいのもそのことです」
「……それは?」
「被害者は見たところ、間違いなく噛みつかれて殺されていました。飼い犬の可能性もありますが、野犬という判断はたしかにおかしくないと思います。でも、果たしてあの山に野犬がいるのでしょうか」
それは皆が思うことだろう。
白峰碧山女学院という名からも分かるように、この街はすぐそばに山がある。
開発もされておらず、確かに多くの動物は住んでいることだろう。
でも少なくともわたしは、この街に腰を下ろしてからの数十年間のうち、山から動物が降りてきたなんてことは一度も聞いたことがない。
何よりも、襲われたのは山から少し離れた位置だ。
これが山の麓で起きた事件なら疑うこともないのだが、事件は学院からほど近い場所で起きている。
山から下りた獣が、わざわざ人目を避けてまで街中まで侵入し、一人襲ってまた戻る?
しかも、食事ではなくただ殺すためだけに?
それは有り得ないだろう。
少なくとも、ただの動物では決して有り得ない。
まあそんなことを考えるまでもなく。
山の中腹にマリアとレイが住んでいる以上、凶暴な獣ほど我先にと山から逃げ出しているのだけれど。
「アリナさん。率直なところ、この事件はあなたと関わりがあったりしませんか?」
間宮さんはわたしを疑っている、わけでは決してない。
間宮さんとはしっかり良好な関係を築けている。
「去年の時のようなことがまた起きているのではと、私にはそう思えてなりません」
「……そう、ね」
つまりはこれが、今夜間宮さんが話したかったことだ。
彼女との関係を持つ代わりに、わたしは難しい事件の相談を受ける。
何もこのような事件だけに限った話ではない。
強盗だろうと暴漢だろうと、わたしの手に掛かればそれほどの事件ではないのだ。
「だ、そうよ? レイ」
席についているわたし達の中で、一人だけ気まずそうにしていたレイに話を振る。
「えっ? あ、うん、そうだねえ……」
ここで話を振られるとは思ってなかったのだろう。
昨年の、間宮さんが解決できなかった事件。
間宮さんの功績に泥をつけたのがこのレイなのだ。
今でこそ間宮さんと一緒の席についているが、初めはやはりひと悶着あった。
話を蒸し返されて気まずくなるのも当然だろう。
「んんっ……。わたしも綾香の意見に賛成だよ。綾香は知らないだろうけど、昨日聞いたことからもイヌ科の獣が暴れてるのはもう間違いないと思う。それももちろん、ただのイヌじゃなくてね」
レイの結論は変わらないようだった。
それもそうだろう。
実際に事件が起こったのに意見を変える人はあまりいない。
「昨日ですか?」
唯一昨日の出来事を知らない間宮さんだけが首を傾げている。
この際だから間宮さんにも知っておいてもらおう。
なにせ、私のことを知るのはここにいる恵子、琴乃、間宮さんの三人だけなのだから。
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「そうですね。私もレイさんと同意見です。そこから考えるとしたら、事件を実際に起こしたのは三人のうちの誰なのか、そもそも三人は繋がっているのかということでしょうか」
やはりというか、間宮さんも一連の出来事は繋がっているという判断を下した。
そして指摘通りに、彼女たちの立場というのも想像したほうがいいのかもしれない。
恵子が出会った『黒髪』の女性、琴乃が出会った『少女』、私が出会った『黄髪』の女性の三名について。
「怪しいのは、やっぱりお母さんの出会った『黒髪』の人だよね?」
三名の中で、明らかに友好的ではない態度を示した女性だ。
「確かに怪しいかもしれないですが、あの人は間違いなく人間だと思いますよ。それに、少なくとも私は動物の気配は感じていません」
恵子は『黒髪』に悪く言われたというのに冷静な意見だ。
確かに、動物の気配というのは大きいだろう。
「じゃあわたしと会った女の子? そんなことをするふうには見えなかったけどなあ……」
琴乃の出会った『少女』は手紙で敵ではないと証明すると伝えられている。
まああの手紙自体、その『少女』が宛てたものとは限らないのだがそこは保留でいいだろう。
担任を殺すことがその証明には……考える限りではなりそうもない。
「わたしの方も……何とも言えないわね」
『黄髪』が言ったこともいまいち理解できていない。
王と主。
王はわたしのこと、そして主はレイが言うにはレイのこと。
その前提で考えると……考えると。
……やっぱりいまいち分からない。
「アリナさん。その方の言葉をもう一度教えていただけますか」
「ええと……『我らが主が定めし王よ。今この街には二つの災厄が迫っている。ひとつは暴走、ひとつは調停。しかし案ずるには及ばない。我らが主は我らが守る。無論、それに連なるものも全て』だったかしらね」
これでも記憶力には自信があるからハッキリと思い出せた。
……印象に残っていること限定だけれども。
「その暴走と調停というのは、もしかしたら恵子さんと琴乃さんがそれぞれ会った人のことかもしれませんね」
間宮さんが解釈を示してくれた。
なるほどね。
態度から考えると『黒髪』が暴走で、『少女』が調停だろうか。
「昨日はちょっと言いにくかったから遠慮してたけど、獣の匂いは三人ともしてたんだよね。たがら、『黒髪』が犯人でもまったく怪しくないんだよね」
レイからも補足説明があった。
そうなると『黒髪』も候補に入るわけだ。
暴走というあだ名も相まって、一気に容疑者一番乗りだ。
間宮さんも同じ考えに至ったようだ。
「……恵子さん。その女性の容姿、もう少し詳しく伺えますか?」
「ごめんなさいね。夜だったから、黒く長い髪というぐらいしか……あとは、背は私よりも少し高いぐらいで、年は二十代といったぐらいしか」
「そうですか……。それでも何も分からない現時点は十分な情報です」
確かにそうだろう。
なにせ警察の見解では野犬の仕業になりそうなのだ。
だから容疑者が絞れるというのは歓迎することなのだろうけれど。
そう、それど、だ。
「間宮さん、分かっているのよね? わたし達の推測が正しいのなら、とてもあなたの手に負えるものではないのよ?」
間宮さんの様子は、犯人確保を自らの手で考えているようだった。
それは無理というものだろう。
犯人を捕まえても証拠は自在に隠せるものだから証拠にはなり得ない。
それに、間宮さんは人なのだ。
いくら恵子と琴乃に次いでわたしの寵愛を受けているといっても、その恩恵はほんの少しだけ人とそれ以外の見分けがつくようになるだけだ。
どこまでいっても人は人なのだから。
「もちろん分かっています。でも、容疑者をこのままにすることはできません。その、解決はアリナさんに頼ることになってしまいますけれど……」
言葉の歯切れが悪いのは、自らの力だけでできないことを悔やんでのことなのだろう。
まったくもう、そこまで真面目になることもないだろうに。
「分かったわ。その代わり今日は泊まっていきなさい」
「でも、これから打ち合わせが……」
「綾香、今日は泊まっていきなさい」
渋る間宮さんに強く言う。
「……わかりました」
間宮さんは諦めた。
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「アリナお姉さま。少し血を分けてもらっていいですか?」
話も一通り落ち着くととやっと今夜の本題に入る。
知らぬうちにこの家に忍びこんだ相手がいるからこその対策だったのだが……。
「……どうしてかしら」
「あの、恥ずかしい話なんだけど、今のわたしでは知識こそお姉さまから頂きましたが力が足りないんだよね。なので、お姉さまの力もお借りできればと……」
わたしの下僕になってから、レイはその力を増しているはずだ。
言葉遣いはまだまだ丁寧さにはほど遠いが、そもそも直す必要はないと思う。
力がそれでも足りないということは、それほどに難しいことなのか、それとも日々のご飯が足りていないのか。
「まあいいわ。しょうがないものね」
歯を立て自らの唇を噛み切った。
口内に鉄の味が広がっていく。
「さあ、いいわよ」
わたしは唇をレイに突き出す。
レイも戸惑ったり照れたりなんてしない。
レイは私に近付き、皆が見ている中でも躊躇わずに唇を重ねた。
唇を重ね合わせ、お互いの舌を絡め合う。
レイはわたしの口の中に溢れる血液を取り込むために。
わたしはただ愉しむために。
正直なところ、わたしが舌を絡めるのはレイにとっては邪魔なのだが何も言ってこない。
そのへんはレイも十分に分かっているのだろう。
「んっ……。もういいの?」
口付けは長くは続かなかった。
「ふう……。はい、もう十分です。掛けるのはみんなを守るので良かったよね」
「ええ。どんなものにするかは全てレイに任せるわ」
そっちの方面に関しては私の知識は薄い。
ここはレイに任せたほうが問題はないだろう。
「分かりました。それでは……」
呼吸をひとつ、皆の視線が集まる中でレイは集中を高めていく。
『いつでもあなたと共に在る
たとえこの身が動かせずとも
祈ることは許されるはずだ
さあ飲んで
この血に宿す
神秘をあなたは知るだろう
わたしはいつまでも
いつまでも
あなたの無事を祈り続ける
愛するあなたといつも一緒に
──魂跡』
レイの身体が淡く輝く。
しかしその後の変化はない。
まだ終わってはいないようだ。
『まずは……恵子から』
レイが恵子に近付き顔を寄せる。
恵子は戸惑う視線をわたしに向けるがそれ以上のことはしない。
嫌な予感が頭をよぎるが、わたしも止めるようなことはしなかった。
わたしの目の前でレイの唇が恵子に触れる。
恵子は一瞬だけ淡く光るが、瞬きをした次の瞬間にはもう普段と変わらない。
どうやらそれで終わりのようで、そのあとは琴乃と間宮さんにも同じようにしていった。
……。
…………。
「ふう。はい、これでみんな安心だね」
やりきった表情を浮かべるレイ。
それがまた腹立たしい。
「満足したかしら」
「うん、とっても……って、アリナお姉さま、もしかして怒ってます?」
まさか。
わたしから頼んだことなのに、怒るだなんてありえない。
怒るとしたら、こんなことが起こると想像できなかった自分自身に対してだ。
「終わったのなら今日はもう眠りなさい」
「っ……」
何かを言おうとしているレイに問答無用で触れると、レイの身体はわたしの中へと消え去っていった。
別に怒っているわけではない。
レイにはこらから頼ることになりそうなので、ただわたしの中で休んでもらうだけのことだ。
決して怒っているわけではないのだ。
「さあ、これで邪魔者も消えたわね」
妙ににスッキリした表情で振り向くと、なぜか三人は怯えていた。
しかたがない。
今晩は時間をかけて三人の緊張をほぐすことにしよう。




