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闇姫ハーモナイズ  作者: ざっくん
第3部 孤高の姫たち
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04-1 獣の爪痕

 その日の朝は普段よりも会話が少なかった。

 なにも、週の頭で憂鬱だからというわけではない。

 少なくともわたしは学院生活も気に入っているし、それは恵子も琴乃も一緒だろう。


 では何がというと、それはもちろん琴乃が持ってきた手紙にあった。


『あなたとお話をしたかったのですが、今のわたしではあなたからの信用を得られないでしょう。なのでまずは行動を。あなたの身を守り、あなたにとってわたしが敵ではないと証明してみせます。その後にはぜひ、わたしと会ってくれることを望みます』


 その手紙は琴乃の枕元に今朝置いてあったのだという。

 つまりは、間違いなく夜のうちに置かれたということだ。

 わたしに気付かれずに、この家に侵入して。


「……まあ、刺激的な日常もいいんだけどね」


「──全然良くないよっ!」


 何気ないわたしの一言は、しかし琴乃を怒らせるには十分だった。


「わたし、起きてこれを読んだとき怖かったんだからね! もしかしたらわたしが攫われてたかもしれないんだからっ!」


「そうですよ。さすがに今の一言は軽率だと思います」


 琴乃だけでなく、恵子もどこか怒っているようだ。

 この重苦しい雰囲気をなんとかしようと発した一言だったが、これはさすがに謝るべきだろう。


「琴乃、ごめんね。でもそういうつもりじゃなかったの。それにしても困ったわね」


 あやすために抱きしめる。

 一番の問題は、やはりわたしが気付かなかったことだろう。

 それに琴乃の言うことも確かなのだ。

 手紙の内容はさておき、誰にも気付かれずに、痕跡も残さずにこの家に侵入したなんて、つまりは警告なのではないか。

 いつでも拐えるのだという。


 それにしては、相手の求めていることが見えてこない。

 手紙を置いたところでわたし達を警戒させるだけなのだ。

 やはり手紙の内容を素直に受け取るべきなのだろうか。


「まあ、いずれにしても対策は必要よね。今日帰ったらレイに頼んでみましょう」


「……アリナちゃんじゃダメなの?」


「わたしもできなくはないんだけど、苦手な分野だし、そもそもレイと違って匂いも感じないからね。わたしじゃ防げないかもしれないのよ」


 ここに来てやっと思い出した。

 あれはわたしがまだこの国にたどり着く前、大陸を移動していた時のことだ。

 神出鬼没な少女と出会った。

 少女はわたしから見るとなんの変哲もない娘だったけれど、それなのに不思議なことをいくつもしていた。

 すぐそばに近付くまで気配を感じなかったり、わたしには最後まで感じることのできなかった存在がいたり。

 その少女と出会ったのはずっと昔だからこの件には間違いなく無関係なのだが、それでも今起きていることの参考にはなるだろう。


「今すぐレイさんを呼ぶわけにはいかないのですか?」


「あら……学院をサボってもいいの?」


 勿論そんな訳にはいかない。

 理事長になったばかりの恵子にとっても、受験を控えている琴乃にとっても、今の時期に休むことは得策ではないのだ。


「恵子も琴乃もそんなに心配しなくても大丈夫よ。直接手を出してきたらさすがのわたしでもどうとでもなるわ。そのかわり、今日の登下校は三人一緒よ」


 少なくとも直接であった庭の女性の匂いは感じた。

 一瞬だが強烈な獣の匂い。

 つまりは、相対すればわたしでも分かるということだ。


 恵子の時も、琴乃の時も、そして私の時も。

 少なくとも会話をするためには姿を現す必要があるのだと思う。

 だとするならば、何らかの行動を起こす際にも必ず姿を見せるはず。

 そしたらわたしでも感じられるはずだ。

 いくら相性が悪いといっても、その程度でわたしを出し抜こうなんて許さない。



 わたしと琴乃にとっては少しだけ早い時間、恵子にとっては少しだけ遅い時間に家を出る。

 平日に三人並んで歩くなんていったいいつ以来だろうか。


「……やっぱり何もわからないわね」


 学院へと向かう途中、恵子と琴乃が話しかけられたという場所をそれぞれ確認したけれど、やはり痕跡一つ見つからない。

 それがとてももどかしい。

 何かが起こっているはずなのに、ただ待つだけしかできないのだ。


「今は忘れようよ。夜になったらレイちゃんが何か見つけてるかもしれないからさあ」


 琴乃はすっかり臆病になってしまった。

 でもこうして私の手を取ってくれるのは嬉しい。

 スキンシップ自体は日頃からとっているのだが、わたしに頼りっきりという様子は珍しかった。


 それからは他愛もない話をしながら歩いていく。

 最近は琴乃も吹っ切れたのか、昨年亡くなった祖母の千代(ちよ)の話も少しずつできるようになってきた。


「おばあちゃん、そんなに凄かったの?」


「そうよ。理事長がこんなに大変だなんて知らなかったわ。さすがはお母さんね」


 千代の理事長という立場を引き継ぐことになった恵子だけど、最近はいつも帰りが遅い。

 でも、千代も初めは忙しそうにしていたのだ。

 恵子も今の立場に慣れるまで焦らずにいたらいいと思う。



 道中、人だかりを見かけたのは学院まであと半分というところだった。


「あれ、なんだろ……」


 わたし達の進行方向、道路を塞ぐように人だかりができていた。


「なんでしょうか……朝から珍しいですね」


 三人揃って首を傾げる。

 こんな朝からお祭りということもないだろうし、一体何の集まりだろうか。


 近づいていくとすぐに分かった。

 停まっている数台の警察車両に、張り巡らされた黄色いテープ。

 何よりも漂ってくる血の匂い。

 良い予感はひとつもしなかった。


「ああ、アリナさん。おはようございます」


 そんな中から、こちらに気付く人もいた。


「あら間宮さん。朝から大変そうですね」


「いえ……これが私の仕事ですから」


 スーツをバッチリと決めた女性は間宮彩香(まみや あやか)という女性の警察官だ。

 彼女とは去年の一件以来仲良くしている。

 もちろん彼女が警察官だからという理由もあるのだが、そんなのはただのおまけだ。

 美しい女性がたまたま警察官だったというだけなのだ。


「何かあったんですか?」


「琴乃さん……ええと、ごめんなさい。詳しい話はちょっと……」


 琴乃は無邪気に尋ねるけれど、間宮さんが話せないのは当然だろう。

 でも、去り際の一言は何かが起こると身構えずにはいられないものだった。


「アリナさん。今夜伺わせてもらいます」


 すれ違い際に、わたしだけに聞こえるような小さな声で間宮さんが囁いた。



------



 授業が始まるまでの時間をぼーっと過ごす。

 もちろん何も考えていないわけではない。

 間宮さんの最後の言葉が気になって仕方がないのだ。


 登校途中では何らかの事件が起きていたようで、そして間宮さんはわたしに話したいという。

 それはつまり、わたしに話したほうがいい出来事だということだ。

 もちろん全く関係のない単なる事件の可能性もあるが、昨夜までのことを考えると一連の流れは全てが繋がっているように思えてならない。


 それぞれの出来事は本当に繋がっているのか、それとも孤立しているのか。

 それすら定かではないのだ。

 ただ、無関係ということはないだろう。

 同じ匂いをレイはその関わった全員から感じているのだから。


 思い返すと苛立ちすら湧いてくる。

 まったく、本当に敵意がないのなら手紙に名前の一つでも書いたらどうなのだ。


「アリナちゃん。先生、遅いね?」


 どうやらいつの間にかホームルームを告げる鐘が鳴っていたらしい。

 なぜか現れない担任を訝しんでか、琴乃が話しかけてくる。


「会議が長引いているのかもしれないわね。ほら、今朝何かがあったみたいじゃない」


「……不審者かな?」


 なるほど、不審者が現れたから注意しましょうと先生たちの間で話し合いをしていると。

 でもそんなものではないだろう。

 出張っていた警官の数からも、テープまで張り巡らせる物々しさからも、もっと大きな事件のような気がする。

 不審者とか、ひったくりとかではなく。

 交通事故でなければ、それこそ殺人とか……。


 その時、タイミングよく教室の前の扉が開いた。

 でもやってきたのは担任の先生ではなく、なぜか恵子だった。


「もうご存知の方もいるようですが、今朝学院の近くで事件が起こりました。そこで……山下先生が遺体で発見されました」


 ──え……。


 一拍置いてから教室中にざわめきが広がっていく。

 今、恵子はなんと言ったのだろう。

 遺体で見つかった?

 山下先生が?


 ……。

 …………。


 山下楓(やました かえで)先生はこのクラスの担任だ。

 わたしが三度目にこの学院に入学した時、彼女は赴任して五年目だった。

 五年も経てば慣れるもので、でもまだ情熱は消えていないというバランスの時期だった。

 それなりに美人で、担任に取り入る必要もあったわたしはすぐに山下先生と親しくなった。

 まともに話したのは、放課後の空き教室が最初だっただろうか。


『あなたのような問題児は初めてね』


 夕日に照らされた彼女の頬は、きっと夕方でなくとも染まっていただろう。


 その山下先生が亡くなった。

 だからといって取り乱しはしない。

 今のわたしが取り乱すのは、恵子と琴乃が相手の時だけだ。


 しかし、何があったのかは気になる。

 思い至るのは今朝の人だかりだ。

 まず間違いなく、あの通りで山下先生は亡くなったのだろう。


 あんな、人目につく場所で。


 そうなると、亡くなったのは人目につかない夜遅く。

 発見は朝だったのだろうから、真夜中と言ってもいいのかもしれない。

 でもそれ以上のことは分からない。


 夜がとても待ち遠しい。



 担任が亡くなるという事態になっても授業は始まった。

 下校時には一人にならないようにということだけが、わたし達に言い渡されたことだ。

 恵子達教師には警察から説明があったのだろうが、あえて探るようなことはしない。

 どうせ夜には詳細が分かるのだから、今ここで小さな情報を漁ることはない。


「アリナちゃん。わたし、なんだか不安だよ」


 授業中にも関わらず、隣の琴乃が話しかけてきた。


「琴乃は何も心配しなくて大丈夫よ」


 何も琴乃の態度が悪いという訳ではない。

 今日に限っては、学院中がこんな感じだ。

 さすがに今朝の出来事を忘れて授業に集中できるような心は持っていない年頃なのだ。

 それにこのクラスの担任だったこともあり、わたし達の態度も今日ばかりはお咎めなしだ。

 授業中にも関わらず教室全体がざわめきで支配されている。


「うん……。やっぱり関係あるのかな」


「どうかしらね。それも夜になったらはっきりするんじゃないのかしら。……それと、その話はここではダメよ。周りに聞かれたら面倒なことになるもの」


 いくら担任が亡くなったといっても、なんだかんだでほとんどの人にとっては対岸の出来事なのだ。

 そんな中で犯人に心当たりがあるなんて話を聞かれたりでもしたら、どうなるのかは容易に想像できる。

 なにせこの年頃にこの場所なのだ、うわさ話は無限に広がっていくだろう。


 わたしの顔や趣味のことで噂になるのは一向に構わないというか歓迎することだが、変な噂は願わないのだ。


 ……わたしも雰囲気に流されているようだ。

 まだ殺人とも決まっていないのに犯人だなんて。



------



 授業にならない授業を終えて、わたしと琴乃は理事長室へと直行した。


「アリナさん、琴乃。あとほんの少しだけ待っていてくださいね」


 今日に限っては恵子も早く帰るようだ。

 やっぱり夜は危ないという判断なのだろうか。


 理事長室の様子は、千代のいた時とほとんど変わらない。

 整理された机には今手掛けている書類しか見当たらない。

 手を抜けば半を押すだけで済む仕事だが、真面目な恵子はしっかりと内容にも目を通している。


 今は……今年度の体育祭概要について?

 あまり興味は沸かない。

 先生たちもほとんどが校舎の外に出る、わたしにとっては空き教室でいろいろ出来るだけのイベントだ。



「警官からの説明はあったのよね」


「簡単にだけですけれども。亡くなったのが深夜ということで、夜遅くの外出は控えるようにというぐらいです。それ以上のことはまだ捜査中ということで……」


 当たり前だが、理事長だからといって詳しい話を聞けるわけでもないのだろう。

 それとも、教師を疑っていたりもするのだろうか。

 気にしまいとしていたが、話題はついつい今朝の事件へとなってしまう。


「あら。それじゃあ事件か事故かもまだハッキリとしていないの?」


「それすらもなんとも……」


 ふうん。

 もしかして交通事故ということもあるのだろうか。

 だとしたらそうと伝えない理由もない。

 でも……例えば犯人が同僚で、更に意識が曖昧なほどに酩酊していたとしたら。

 証拠集めのためにあえて情報を伏せたりはすると思う。

 ……わざわざ間宮さんが来るぐらいだし、それはないか。


 間宮さんといえば、あれで結構可愛いところがある。

 会う頻度はレイやマリア以上に低いのだが、二人っきりで会う時だけはわたしに甘えてくるのだ。

 普段の凛々しさはいったいどこに消えたのか。

 そういう態度も、普段は警察官という気を張る職場で頑張っているからなのかもしれない。


「むう……アリナちゃんが関係ないことを考えてるよ」


 ……いけないいけない。

 恵子の仕事もちょうど終わったようだし、墓穴を掘る前に帰るとしよう。



 そして夜。

 まずレイが、遅れて間宮さんが訪ねてきた。


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