01 黒髪と少女
すっかりと暗くなった夜道の中、里霧恵子は一人で帰宅の途についていた。
今年から理事長となり、また今まで学院の運営にはまったく携わっていなかったため、慣れない仕事にどうしても時間がかかってしまう。
それもあと長くて数年だろう。
恵子は決して愚かではない。
きっと母であり理事長であった千代のような、立派な理事長になることだろう。
街灯と民家から漏れる光に照らされた薄暗い道を歩く。
恵子は決して夜道が怖いわけではない。
なにせ闇夜の住人であるアリナと一緒に暮らしているのだ。
今さら暗闇ごときを恐れはしない。
自宅まであと数分、という距離まで近づいた時だった。
恵子の正面から向かってくる人影がある。
この時間に女性が一人というのはやはり珍しいものだ。
いくらこの街の治安が良くとも、普通は夜道のひとり歩きは避けるものなのに。
しかし恵子は特に気にしない。
そのままその女性は恵子の横を通り過ぎるかと思ったら、なぜかすれ違う直前に歩みを止めた。
「……?」
その女性のことを訝しげに思いながらも、恵子はさして気にも止めずに通り過ぎようとした時だった。
声をかけられた。
「──ああ、とっても匂うわあ」
──なんて失礼なことを。
しかし振り返ったその先には、女性の姿はどこにもないのだった。
------
さして珍しくもないのだが、その日の里霧琴乃は一人で帰ることとなった。
友人は相変わらず少ない。
なにせ新しい理事長は琴乃の母親なのだ。
決して嫌われてはおらずとも、琴乃は積極的に仲良くしたい人物ではないのだ。
普段──週に三度はアリナと一緒に帰宅する。
しかしこの日は一人だ。
『琴乃、ごめんなさいね。今日は気になっていた一年生の子と図書室でデートなの』
そう言ったアリナの笑顔もまた素敵で、琴乃は強く言うことができなかった。
本当ならいつでも一緒にいたいのに……。
一人になってもやることはなく、しかしまっすぐ帰宅する気も起きず。
琴乃も図書室でこっそりとアリナの逢瀬の様子を伺っていた。
相手の顔はよく覚えていない。
ただアリナは終始笑顔だった。
しばらくすると、アリナはその一年生と一緒に図書室を去っていった。
おそらくは、その一年生の部屋に行ったのだろう。
『はあ……何してるんだろう……』
その様子を見届けてから、やっと琴乃も帰路についたのだった。
外はすっかり暗くなっていた。
思っていた以上に図書室で時間を潰してしまったらしい。
気持ち早足で、琴乃は自宅までの道を歩いていた。
「あなた……不思議な匂いがしますね」
声をかけられたのはそんな時だった。
「……なに?」
「ごめんなさい。どうかそんなに怒らないで」
琴乃に話しかけてきた相手はまだ少女と言っていい体型だった。
背は琴乃よりも小さく、身体付きも考えるとまだ中等生にも見える。
しかし言葉は驚くほどに落ち着いたもので、今の気分も相まって琴乃は露骨に警戒した表情を浮かべた。
「あなたを警戒させるつもりはなかったのです。ただ少しお話をしたかっただけ……。でも今は無理そうなので、また日を改めて伺いますね」
琴乃は小さな息遣いを聞いた気がした。
目の前の少女のものではなく、もっと獣じみた、ハッハッという浅い息遣い。
目の前の少女の身体がわずかに浮かび上がる。
何かにまたがっているような格好だが、もちろん少女の下には何もない。
琴乃に背を向けて少女は去っていく。
それは、人が走るよりもよほど速いものだった。




