7 エピローグ
「アリナさん」
恵子の声で目を覚ました。
昨夜は千代と一晩中話し続けた。
話し疲れたあとは二人で一緒に横になった。
ちよはさいごまで、わたしにあたることはなかった。
「千代は幸せだったのかしら」
わたしは今でも考える。
私に出会わない人生のほうが、千代にとっては幸せだったのではないかと。
「ええ、きっと。母は誰よりも、アリナさんと一緒にいる時が一番輝いていましたから」
「……そう。それならよかったわ」
「アリナさんの腕抱かれたまま旅立つことができて、母は最後まで幸せだったでしょう」
隣にいる千代は今にも目覚めそうな表情をしている。
わたしの体温が移ったのか、触れるとほんの少しだけ暖かかった。
──おやすみなさい、千代。
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「どうしてお婆ちゃんは亡くなったの?」
「どうしてって……年を取るのだから当たり前のことじゃない」
「違うよ。どうしてアリナと一緒にしてくれなかったのって言ってるの」
千代が亡くなったことを伝えると、琴乃は盛大に泣き始めた。
母親の恵子はどちらかと言わず厳しいほうだったので、甘やかせてくれる千代にとても懐いていたのだ。
「琴乃。アリナさんにそんなことを言うんじゃないの」
「なんで!? だってお婆ちゃんはアリナとずっと一緒に居たかったんだよ!? アリナだったら簡単なんでしょ!?」
「だからあなたはまだ子供なのよ。お母さんはアリナさんのことを愛していたけれど、決していつまでも一緒にいたいとは思っていませんでしたよ」
別にわたしも千代のことで心を痛めていないわけではない。
ただ千代の思いを優先しただけだ。
千代が望むのなら、千代を本当の家族に迎えることもできたのだ。
千代の思いを尊重したわたしの判断を恵子は支持してくれている。
わたしのかわりに、琴乃を落ち着かせようとしてくれている。
でも、最後の言葉は余計だったかもしれない。
「琴乃もいつまでも子供じゃないんだからね」
「わかんない……わかんないよ! そんなこと言うお母さんもアリナも嫌い!」
子供扱いされたことで、琴乃は部屋へと向かってしまった。
リビングに残されたのはわたしと恵子だけ。
「恵子、ごめんなさいね。あなたには面倒なことを押し付けたわ」
「いいんです。娘の教育は母親の役目ですから。それに……」
少しだけ、恵子は恥ずかしそうな表情を浮かべる。
「それに、私にもああいう時期はありましたから」
まだ恵子が学院生だった時。
当然のようにわたしも学院生として一緒に通っていた。
あの頃の恵子は今の琴乃以上にわたしにべったりだったと思う。
人前では見せつけるように過剰なスキンシップを求められた。
わたしも恥ずかしがらずに求めに応え続けていた。
その恵子が変わったのは、それこそ琴乃を身ごもってからではないだろうか。
「アリナさんの気持ちも考えられるといいのですけれども……」
「いいのよ。琴乃も大きくなったらきっと分かってくれると思うわ」
なにせ琴乃とはまだまだ一緒に暮らし続けていくのだ。
話す機会はいくらでもあった。
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千代のお通夜にはそれなりの人数が駆けつけてきた。
千代は学院の理事長だったから、友好関係は広いものがある。
すでに千代とのお別れを済ませていたわたしは、参列者の受付をしていた。
「この度はご愁傷様です」
「ご厚意感謝いたします」
参列者の殆どは学院の関係者で占められていた。
親しかった千代の知り合いは、まだ学院生だった時に全て失ってしまったから。
それを残念に思いながらも、訪れてくる人を捌いていく。
その中にはまだ学院生の、生徒代表という者もいた。
「あの……こちらが里霧さんのお通夜の会場でよろしいでしょうか」
「ええ。あなたは……?」
しばらくた経ったあと、目の前に現れたのは千代と同年代に見える女性だった。
年老いてこそいるが、若い頃の容姿が想像できるくらいには美人だ。
「実は今朝、たまたま里霧さんの訃報を伺いまして。私は里霧さんとは同じ学院でしたが、決して仲が良いとは言えませんでした。けれど彼女の訃報を聞いた時、何故か涙が止まらなかったのです」
「そう……きっと千代も、あなたが来てくれたことを喜んでいるわ」
結婚して苗字が変わったのか、記帳には瀬戸京子と書かれていた。
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年老いた松代さんも現れた。
彼はお通夜が終わる直前になってから姿を見せた。
もう刑事も引退しているような年のはずで、見るからに老いているのがわかった。
もうわたしのことは何も覚えていないようで、彼はわたしとは何も語らずに千代の棺の前へと足を運ぶ。
「千代さん。あなたとの結婚生活は短いものだったが、とても楽しいものでもあった」
こっそりと松代さんの様子をうかがう。
松代さんが最後の参列者のようで、もう訪れるものはいない。
あの婚姻生活を、彼はどう認識しているのだろうか。
当時はわたしから頼みこんだことだったけれど、いつしか千代が望んだことへと変わっていたはずだ。
そして別れ話は松代さんからということになっていたはずだった。
彼は千代の前で思い出を語っていく。
結婚していた期間は短かったけれど、どれもが幸せそうな話だった。
松代さんには本当に申し訳なく思う。
世間体として必要だった結婚に彼を巻き込んだのだ。
わたしがこの街に根を下ろしてからの数十年、一番の被害者は間違いなく松代さんだろう。
一通り話したあとで、松代さんは唯一伝えたかったことを語りだす。
「最後に……今だからこそ言えるが、私は……小生は決して千代さんのことを愛してなどおりませんでした」
それは、最後に千代を送る言葉としてとても相応しいものだった。




